epilogue

 2017年 931

 

 

「突入しろ」

 警務科の腕章を付けた自衛隊特殊部隊員が、高級マンションに突入した。内部には、AK突撃小銃や中国製のUZIをコピーしたサブマシンガンを装備した男たちがいたが、突入した者たちにとってそれらは、無垢な赤子同然の抵抗力しか持ってはいなかった。

 特殊部隊員たちは突入後すぐさま内部を確認すると、為すべきことを為した。

 具体的に言えば、武器を保持している男を確認し、その者たちに手に持った一四式短小銃を向け、威嚇した。愚かにも自分たちに銃を向けようとした者には、迷うことなく引き金を引いた。飛び散った血は、案外多くは無かった。

 訓練を受けていない武装した人物など、その程度なのだ。

 そして隊員たちは、その部屋の中の一番奥にいる、目標の人物を捕縛した。もちろん、机の上に置いてある書類は回収した。これが無いと、この行為の正当性が証明できないからだった。

 第4小隊は、任務を完遂した。

 

 

「………」

「少佐、どうされました?」

 中華民国の首都、南京にある中規模のアパートで、窓際の椅子に座り、ファルケは新聞を読んでいた。そこに、紅茶を運んできたエーファが声をかける。

 ファルケとエーファ、重和ら一行は、あのヴェトナムのジャングルから逃げ出した後、陸路で中華民国に入り、分散して南京まで進んだ。そこで、アパートを丸まる一つ買い取り、そこに身を置いていた。金の心配など無かった。テロ組織から逃げ出す際、アジト内にあったのを大量に持ち出していた。結構な額で、三十万(テール)は下らなかった。

 だからファルケは、今後の身の振りをゆっくりと考えることが出来た。実のところ、既に、幾つかの組織から彼にオファーが来ていた。それは、西側に属する物も東側に属する物も雑じっていた。彼は気にしていなかった。既に、思想など最大効率で利益を得る行為を円滑に進める潤滑油に他ならないことを悟っていたからだった。

「ん? ああ、これを見てくれ」

 ファルケはエーファの持ってきた紅茶を受け取り、それを机に置き、持っていたい英字新聞をエーファに渡した後、その机上にあるジャムのビンを取る。

「大規模な不正摘発……防衛関係、ですか」

「そう。ご丁寧に日本軍(自衛隊とかいったか?)の特殊部隊が摘発している」

「内部監査の形ですか。ですが、日本の警察は軍と不仲だったのでは?」

「そうだな」

 ファルケはジャムをスプーンで紅茶の中に入れながら言った。

「だからおそらく、日本軍自身が、独断で、操作を進めていたのだろう」

「……私はよく解らないのですが、それは、昔の様子から考えると大きな変化なのですか?」

「ああ、大きな変化だよ」

 エーファはファルケの傍らに立ったまま、彼を見た。彼はジャムの入った紅茶をスプーンで、音を立てぬようにかき混ぜながら、左手で向かいにある椅子を示した。エーファは礼を言って、そこに座る。

「俺が十四か十五の時、ロシア陸軍の将校だった親父に聞いたんだが、その頃の日本軍は立場が警察よりも下だったらしい」

「……変わった国ですね」

「ああ、変わっているのだろうな」

 ファルケは紅茶を持ち上げ、口をつける。やはり音を立てぬよう飲んだ。

「だが、その国を一九四五年からずっと脅威にしてきた我が国も、充分に変わっているのだろう」

「あなたの国が脅威にしていたのは、日本の背後にある国では?」

「もちろん、そうだっただろうさ」ファルケはどこか嬉しげに答えた。

「だがね、実際にやってみて、ただの張りぼてじゃなかったことに、俺の祖国だってびびっていたんだろう」

 ファルケはそういった後、いやもちろんと言い、

「アメリカが弾薬や燃料を援助したから、日本はまともに戦えたんだろうけどね」

「しかし、その後の政治や国民意識の変化は恐ろしいものがありますが」

 エーファは新聞をちらりと見て、答えた。

「そりゃあ、そうだろうね」

 ファルケは当然という表情を作る。

「あの国は、愛国心が無いときでさえ、あれだけ発展したんだ。いや、逆か。愛国心が無かったからこそ、発展できたのかもしれないな。軍事につぎ込むべき金を経済発展に使い、ただ金だけを求めて世界を駆け回った。そして、ジャパン・アズ・ナンバーワンを作り上げた」

 ファルケは紅茶に口をつけ、喉を潤す。

「だから、矛盾が表面化した?」

「うん、だから矛盾が表面化した」

 ファルケはエーファの言葉を鸚鵡返しに言った。

「自国を思いやらない者が国民ならば、先進国といえども、いや、先進国だからこそ、まともに国が機能するわけがない。政治家にモラルが無くなってしまうからだ。そしてモラルと愛国心の無い政治家が、自国を思いやる為の、つまり国民生活を豊かにする為の政策を取れるわけが無い。また、たとえ愛国心――つまり自国民を豊かで幸せにさせるべく意思を抱いた政治家がいたとしても、愛国心の無い国民が、それを選べるわけが無い」

 どこか諦観を秘めた眼で、ファルケは言った。瞳は、日本とは違うどこかの国を見ていた。

「愛国心、ですか。要するに自らとその周囲を向上させるべきという思想、とでも解釈すれば宜しいのですか」

「間違ってはいないよ。愛国心とは、遠回りの意味での自愛に相当する。だが、だからといって、愛国心を貶すべきではない。愛国心が無いということは、それは、直接的な自愛なのだから。それも、周囲を迷惑に曝す類の」

「……そして、その愛国心を、日本人は得た、と?」

「それが戦争によるとはいかにも皮肉だな。もともとあの国は、愛国心などという概念を持たなかったのかもしれない。日本の民主主義は、自らが流血の末に獲得したものではなく、与えられたものを、その場の雰囲気で漠然と使用しているだけなのだから。それは、明治維新からこの方、大日本帝国時代も、日本国時代も変わらない」

「やけのお詳しいのですね」

「重和から聞いたのさ」

 ファルケはにこりとして言った。

「だからまぁ、自分自身の意思というものに乏しかったんだろうな。あの国は」

「周囲との協調を美徳とする文化だから、ですか」

「そうだよ。でも、知ってしまった」

「周囲の流れが必ずしも正しくないことを?」

 ファルケは頷いた。

「人間は、誰しもその場の雰囲気に流される。これは、日本人だろうがスラヴ人だろうがゲルマン人だろうが関係ない。そして、事が済み、それが間違っていると指摘された時は、誰かその流れの指導者を担ぎ出し、騙されたとわめき立てるわけだ」

「ですが戦後、日本人たちには担ぎ上げるべき指導者がいなかった」

「そうだね。いや、実際いたにはいたんだ。ただし、彼らはそんなに強い影響力を持っていたわけではなかった。そしてインターネットなる全世界的情報ネットワークが発達していたのだから、彼らが真実の情報を――つまり正しい情勢やらあるべき姿を判断すべき情報を隠し通せたわけでもなかった。……要するに、自分たちが耳と眼を塞ぎ、考えることを放棄していたと気付いたわけだ」

「だからあの国では、『自己流』が二〇一〇年の流行語大将になったりしたわけですか」

「……そんなことよく知っているな」

 ファルケは感心したように言った。呆れが含まれるそれだった。

「まぁ、その際、普通の国だったら、自己中心的な国民が増えるだけなんだろうが……。その辺はやはり日本だったな。どんなに自分自身の主義主張を持ったとしても、周囲との協調を忘れることが出来なかったようだ」

「良い国、なのでしょうか?」

「どうだろうな。この世に悪い国なんてものは無いと思うよ。どんな国にも、どんな人間にも、何かしら見るべき場所は、評価すべき点はあるだろう。日本はそれがやや多く、悪い点も自己浄化出来ただけなんだろうな。ただし、それが戦争によってであると言うところは、あの国の欠点かもしれない。近代に入って、あの国が変化するときは、いつも戦争が起こっているような気がするよ」

「迷惑な国、なのでしょうか?」

 エーファが、先の質問と韻を踏んで訊く。

「答えにくい質問だ。だがまぁ、私が考えるに、迷惑な国なんだろうな。おそらく。ある意味、アメリカ合衆国や我が祖国などよりもずっと」

 ファルケはそう言って、言葉をいったん切った。

「重要な地形、起伏の激しい国土、多種多様な風景と季節、およそ勤勉と称しうる国民、高い技術力と良質な社会資本。そして、おそらくこれからは、今まで欠けていた自己開発能力も持ち始めるだろうな」

「これもそれに関係あると思いますか?」

 エーファはそう言うと、手に持った新聞を傾けた。

「ああ」ファルケは首肯する。

「最近になってやっと日本に備わった、自浄能力の現われだと思うよ」

「日本は……貴方にとって敵になるでしょうか?」

 その質問に、ファルケは少しだけ考える。

「状況によりけり、だな。我々の立場が不安定だからだが」

「なるほど」

 エーファは納得したように言った。ファルケは残った紅茶を喉に流し込む。

 ドアがノックされた。

「瀬島です」

「入れ」

 ドアノブが回り、部屋に重和が入ってくる。手には封筒を持っていた。ファルケは右の眉を僅かに上げてみせる。それだけで、重和は彼が何を言わんとしているか分かった。

「毒物検査済みです。BC兵器ではありません。差出人は、あのチベット・ウィグルの抗中ゲリラです。中華民国が支援している――」

「ああ、彼らか。貸してくれ」

 ファルケは重和から封筒を受け取り、開封して中身を検める。ふぅむ、と唸った。そこに書かれている条件は、なかなか魅力的なものだった。チベットやらウィグルやらの抗中闘争組織は、結構な金を持っている。米中(国)が支援しているからだ。ちなみに、日本はただ武器を売っているだけだった。

 次は、ここにするか。ファルケはそう考えた。どんな場所であろうと、自分たちの能力が生かせればそれで良い。ファルケはそう思っていた。これもまた、まさに日本的な機会主義であったが、ファルケは気にしていなかった。

 

 

 十二月の旧称師走というのは、“師匠すら走る忙しさ”という語源がある。二〇一七年十二月二日、自衛隊でもまさにそのとおりの状況だった。

 そしてそれは、最近新設されたばかりの情報収集団でも変わることはなかった。いや、最近新設されたからこそ、忙しいのかもしれなかった。

 情報収集団の本部は、戦後新設されたたいていの普通ではない部隊と同様に、座間駐屯地に置かれていた。

 座間駐屯地内にあるその本部施設は、A棟と呼ばれるコンクリート建て六階の新しい建物の、三階に置かれていた。とはいえ、その場所に新たな部隊を置くのには何の混乱も無かった。当然だった。

 座間駐屯地A棟三階には、情報収集団の前身である特別師団第11連隊本部が置かれていたし、その連隊は座間を駐屯地として使用していたからだった。

 その本部、団長室にノックの音が響いた。部屋は、連隊長室に相当する広さと調度品を持っていた。部屋の中央にある机に座っていた川内道真一等陸佐は顔を上げた。ドアの向うから副官の声がする。

「一佐、面会の方です。第1中隊のターネス三佐と、その部下の方です」

「うん、入れてもらって」

 川内は、基本的に部下に丁寧な男だった。副官は失礼します、と言うと、ドアを開け、第1中隊の二人と共に入ってきた。

 副官は、海自出身の女性自衛官(WAVE)だった。年齢は確か今年で二十七歳。独身。階級は一尉。この組織を作る際、眼の利く人事隊の男が彼女の情報収集/処理能力を見抜き、引き抜いたのだった。

 彼女の後ろには、言ったとおりターネス三等陸佐。そして、真新しい黒衣の陸上自衛隊幹部用制服を着た素雪・ヴァレンシュタイン三等陸尉が続いていた。かっちりと気ヲ付ケの姿勢をとり、陸軍式の敬礼をする。川内も立ち上がり、答礼した。

「ご苦労、菅原一尉。下がって宜しい」

「ハイ」菅原は敬礼をして、退室した。

 菅原がドアを閉めると、川内は着席し、幾らか表情を崩した。

「さて、報告」

「はい。ヴァレンシュタイン三尉」

 ターネスは素雪に言う。素雪は小脇に抱えた書類の束を、川内のディスクの上に載せた。厚さはそれほどでもない。川内はその書類を取り、ぺらぺらと捲っていく。

「……当面の面倒は、無いわけか」

「ええ。これは、情報本部の麻丘二佐にも確認を取りましたから」

 素雪が言った。川内は視線を素雪に合わせる。

「ほぅ。君は麻丘と知り合いだったのか」

「いえ。貴方が紹介してくださったのですよ。情報関係ならば彼に訊け、と。まぁ、情報本部長を通さねばなりませんが」

 川内は、ああそうだったかなと言い、再び書類に目を落とした。川内は、麻丘のことを素雪に話した覚えがなかった。ならば、誰かが教えたのだろうと思った。だいたい中りはついていたが、咎めることでもないと思った。別に、誰かが麻丘のことを素雪に教えることを、川内が咎める権利は無い。それに、素雪は口が堅い男だから大丈夫だろうとも思っていた。

 一応、情報本部中央会計隊付の麻丘二佐が、世間一般で言う“スパイ”とか言う職の男なのだということは、禁止されてはいないが言ったらどうなるか分からないこと、という分類に入っている。もちろん、憲法にも自衛隊法にも明記されていないことであるが、内規で決まっている。言うまでもなく、内規の規定は何よりも――もちろん憲法よりも優先される。

 川内は書類を読み終え、机の上に置き、ターネスと素雪の方を向いた。

「なるほど。了解した。つまり、わが組織の把握は終わったわけだね?」

「はい、一佐」

 たいていの組織は、それが組織された後、すぐさま自身に対する研究を開始する。具体的に言えば、周囲と自身の関係強化を図り、内部に存在する人員の身元を洗い、必要ならばそれ相応の処置を行う。これらは、組織を構成する過程において最もやりやすい。

 ターネス三佐と素雪ヴァレンシュタイン三尉を始めとする情報収集団の古参――つまり特別師団第11連隊のメンバーが取り組んでいたのは、そういった類だった。

 十月、彼らが中華民国から帰国して直ぐ、自衛隊は大規模な内部粛清を行った。具体的に言えば、自衛隊の統合運用――要するに合理化――に反対し、自衛隊に不利益を齎すと判断された者たちを、脱税やら癒着やら理由を付けて、自衛隊から排除したのだ。お誂え向きに、警務科の人間に逮捕させあくまで“自衛隊の自浄”という点を強調した。戦後の法改正により、警務科の人間にその階級に応じて警官としての権利も加わったからこそ出来る荒業だった。

 ……まるで全体主義国家のようなやり方だが、総理大臣直の命令なので、実行した誰にも罪悪感などなかった。民主主義的観点から見れば……国民の代表たる総理大臣の命令なのだから、問題無いのではないのだろうか?

 その後、一ヶ月も経たぬうちに、自衛隊の組織改変は完了した。具体的には、指揮系統の一本化、合理化を行ったのだった。統合幕僚会議を統合幕僚監部(でも略すとやっぱり統幕)に改変し、他の幕僚監部をそれぞれ陸海空自衛隊の平時管理役として位置づけた。要するに、国防総省と陸海空軍省の関係と同じようなものだ(軍令と軍政の違いだけ)。他の改革として、情報局(内閣情報調査室の後身)を新たに設立した情報調査庁の外局とした。ちなみに情報調査庁は、自衛隊、政府、その他日本国の情報機関を総轄する情報機関である。

「宜しい。これで、後十年間は健全な組織を保っていられると言うわけだ。いや、保全さえ怠らなければ半永久的に……」

「まぁ、組織と言うのはだいたいそういうものでしょう。それで、次の任務なのですが……」

「ああ、第3中隊と第1中隊に動いてもらおう。それと、第5小隊に待機命令だ」

 新編された情報収集団は、五個中隊より成っている。一個中隊が三個小隊プラス予備一個小隊で出来ており、一個小隊は二十人から成る。つまり、情報収集団全体では、実戦部隊だけ見ると三〇〇人の人員と八十人の予備がいるわけだ(第1中隊に予備は無い)。特殊部隊としては多いほうなのか少ないほうなのか微妙なところだが、情報収集団は自衛隊の――つまり防衛省長官直属の特殊部隊であり、各自衛隊は各々独自の特殊部隊を保有している。そう考えると、多いほうなのかもしれない。ちなみに米国の特殊作戦群(SOCOM)に当たるような組織――要するに全ての特殊部隊を総轄する組織は、やっぱり情報収集団になる。これは、情報収集団全体の人員が一〇〇〇人を超えることからも解るだろう。要するに、情報収集団の実働能力は、情報収集団全体から見れば一部の能力に過ぎないのだ。情報収集団の真価は、情報本部と密接にリンクし、情報の素早い回収、解析(この部分は情報本部の仕事)、評価、そしてフィードバックにある。

 とはいえ、情報収集団直轄の部隊が全く何の仕事もしないわけではない。彼らの仕事は、他国の特殊部隊の例に漏れず、大部分が訓練とディスクワークだが、必要ならば、国内外での諜報・防諜および特殊作戦に参加する。

 情報収集団の実働部隊五個中隊は、中退ごとに任務が区分されている。

 第2中隊は空挺、第3中隊は水中(潜水艦、ボートなどを使用して沿岸部から侵入する)、第4中隊は山岳、第5中隊は市街地、そして第1中隊が教導・嚮導となっている。

 第1中隊の意義が解りにくいが、つまりは、複数の部隊を混ぜて運用する際に(そういう場合は、現在の日本の情勢からいって少なくないとされた)、それらのリーダーを務める役ということである。また、部隊・新人の訓練なども行う。言うまでもないことだが、各種の特殊能力に精通したエリートでなければ隊員になれない。

 そして、今その実働部隊は六割が充足していた。たったの六割、と言われれば反論できないだろう。だが、元来、採用基準が高すぎたのだから仕方がない。

 しかし意外なことに、唯一完全充足しているのが第1中隊だ。これが無いと新規隊員の訓練に支障が出るのだから、当然といえば当然かもしれないが、しかし、練度の高い隊員はそう多くはない。旧第11連隊の隊員も、もちろん能力は高いのだが、如何せん三十名しかおらず、しかも他の中隊をおざなりにするわけにはいかないので、自衛隊の他の特殊部隊、またそれに準ずる部隊より、かなり強引な引抜をしてきたのだった。

 同時に、後方支援任務を行う人員、要するにディスクワーカーも足りていない。当面は、特殊部隊員自らがかなりの情報処理を要求される事態であった。と、いうのも、そもそも組織の設計がいい加減で、後方情報処理人員が定数でもなお足りないのだった。しかしながら、今は誰もこの事実に気付いていない。と、いうわけで、人員が完全充足してもなお、実働部隊員たちは本来すべきでない類のディスクワークに追われることになるのだった(元々特殊部隊員もディスクワークはする必要があるから、つまり一人当たりの仕事量が増えたということだ。各々には厳しい訓練も課せられているにもかかわらず)。

 要するに、今も昔も、自衛隊の大敵は人員不足ということだ。とはいえ、今回のものは戦前のものと性質が違う。戦前のものは、バブル以前ならば志願者不足、バブル後ならば予算不足だったが、今回のは採用するに足る能力を持った者がそんなに多くないことと、組織を作るに当たって行う事前調査が甘かったことが原因だった。

 つまりは、どちらともどうにもならないことだった。情報収集団実働部隊の練度は、人口一億三〇〇〇万人の国家日本が志願制で四〇〇名あまりの兵力を備える中で考えれば、あまりに高すぎた。事前調査不足は、今更嘆いても何にもならない。それに、後々改正すればいいことだ。

「第1中隊? またですか?」

 ターネスは眉を顰めた。第1中隊はつい一ヶ月前も動かされていた。新たに作られた情報収集団の実力を世界に知らしめる為の、デモンストレーションのような任務だった。もちろん、世界とは裏の世界を指す。第1中隊が選ばれたのは、言うまでもなく、練度が最も高かったからだ。

「今回のはまともな任務だよ」

 川内は、トントンと書類を纏めながら言った。偉そうにも見える行為だが、気にする者はいない。

 ちなみに前回の任務は、チンピラ紛いのテロリストの本部……というか、ただのアパートの一室に集まっていただけだが――を襲撃することだった。もちろん、ただの素人ではない。危険極まりない銃火器を所持していた。これは、ソ連か中共か、どこかの日本に敵対する国家が給与したものだった。

 とはいえ、所詮は素人。正直な話、SATですら制圧できるであろう連中だった。

「内容は……?」

「防衛技研。行ってくれるか?」

「技研……? 我々は、まぁ技術に対してはそこそこのモノがありますが、残念ながらそういう分野には……」

「いや、そういうのじゃないんだ」

 川内はひらひらと手を振った。

「ちょっとしたアレ。空自の新型機の護衛……というか、まぁ、そんなところ」

「ちょっとした……?」

 ターネスがいぶかしむ。川内は苦笑して、付け加えた。

「そこまで危ないものじゃないよ。FV2の戦術偵察/電子偵察/電子戦闘型(実際のところ、中身はまるきり別物なんだけどね)を、西ポーランド・ドイツから持ち帰るときに、安全確保をしてくれたら言いだけなんだけどね」

「ドイツ……ですか?」

 不思議そうに訊くターネスに、川内はあー、と悩んで説明しようとする。ドアがノックされたのはその時だった。

「一佐、宜しいですか?」

「ああ、いいよ」

 ドアが開き、霧島未来華二等陸佐が入ってきた。敬礼をする。中にいる二人――ターネスと素雪――にも気付く。ターネスと素雪は敬礼をした。霧島は素早く答礼をする。

「で、何? 僕は多分、今まさに必要なものだと思ってるんだけど」

「では、空自の新型機輸送の任を?」

 川内は首肯した。霧島は小脇に抱えた書類を取り出し、尋ねるような視線を川内へ向けた。彼は頷く。

「では、三佐、三尉、私から説明させてもらって宜しいですか?」

「ハイ。お願いします」

 ターネスは言った。素雪も頷く。

 霧島は、説明を始めた。

 

 

「ありがとうございました」 

 店員は、日本式の客の見送り方をした。シュレンは目礼をした後、店を出た。手には一枚のチケットがあった。行き先は、最近東京湾沖に出来た官民両用の――要するに民間機も自衛隊機も使用する、洋上空港だった。渾名はいろいろあるが、有名なものは“浮島”だ。その構造、つまり船のような巨大メガフロートであることから名づけられている。地上とは、冗長性の高い浮橋で結ばれている。また、パッケージ構造……つまり、それぞれ独立した船を多数接合した形になっているため、耐久性も高い。

 もっとも、日本国が充分といえるほどに復興した二〇一四年から建造に着手し、未だ完成していない。とはいえ、パッケージ構造のおかげで、完成していなくとも一部の機能だけで使用されている。

 シュレンはそこへ行こうとしていた。

 最初この国へ来た時、シュレンは休暇を利用して日本へ行く気だった。しかし、直ぐにその気は変わった。彼女が日本へ行こうとした目的――ある男性に会うこと(もちろん彼女は、一億三〇〇〇万人の人口を持つ日本で、本当にその男性に会えるとは思っていなかった)――が、奇跡的な確立で、この国で果たされてしまったからだ。

 が、その気は再び変わった。その彼は、嘘を吐いていた。

 とはいえ、シュレンはそれに対して怒りなど感じていなかった。彼の職業は、彼女が見る分には、まだ彼女と彼に親密な関係が存在していた頃の彼のそれと、大して変わらないように見えた。ならば、彼が私に嘘を吐くのは、至極自然なことじゃないの。彼女はそう理解していた。間違ってはいなかった。

 しかし、ならば、彼にもう一度会わねばならない。シュレンはそうも思っていた。

 あの時、哲也がシュレンを人質に取ったテロリストに銃を突きつけたとき、彼は撃たなかった。

 シュレンは何か言おうとした。言葉は大気を振動させず、哲也に伝わったはずだった。

―――撃ってかまわない。

 なのに、哲也は撃たなかった。あの時、ジャーナリストになるといった時、危険すぎるの一言で去っていった男は、引き金を引かなかった。

 結局テロリストは、哲也の後ろから現れた彼の仲間に射殺された。シュレンは、至近弾が頭を掠めた為、衝撃波で脳震盪を起こし、気を失ってしまった。次に気が付いたのは、病院のベッドの上だった。

 五十年前の同じ場所の病院に比べ、医療設備が格段に近代化されているそこで、起きたシュレンの前にいたのは警察の腕章をつけた東南アジア系の男だった。要するに、現地の警官だった。

「私を助けてくれた人たちは……」

 シュレンはそう訊いた。警官の答えは簡潔だった。――規則により、我々に権利が与えられていません。

「そう」シュレンの答えはそれだけだった。

 昔、何度も聞いた台詞だった。ごめん、規則で言えないんだ。彼が――哲也が殺したのが、もしくは罠に嵌めたのが、パレスチナ人なのかアラブ人なのか、はたまた全然別の人種の人間なのかはわからなかった(シュレン自身は、おそらく二番目か最後が一番が高いだろうと思っていた。この頃、対パレスチナカウンターテロは国防軍の管轄から外れていたからだ)。

 もちろん、シュレンは納得しきったわけではなかった。が、訊いても何も喋らないと解っていた。だから、訊かなかった。

 その代わり、行動しようとした。たった二日で退院してから、日本へのチケットを買ったのはそのためだった。どちらにせよ、最初から日本に行くつもりだったので、都合は良かった。

 ただし、気持ちの点で置いては、大分変わってしまった。いや、彼女にしたところで、日本に言って何をするか、明確に決めていたわけではないのだが。だが……。

 とにかく日本に行く。今現在の気持ちはそれだけだった。

 

 

 

 

密林航路――we get the initiative.                      

 

 

 

 

前へ 小説トップへ 次へ