2017年 1220

 

 

 カタカタと、キーボードを打つ音が広く無い部屋に響く。市ヶ谷の防衛省ビル、その一角に存在する情報収集団の本部だった。

 部屋は、広くはない。急成長した新興ベンチャー企業が六本木ヒルズに置いているオフィスの方が、まだ広いだろう。天井の照明はまだ新しく、壁の色も白亜と言っても良かったが、それはただ単に内装を整えたばかりだからであり、建物自体は四年前に完成した新防衛省庁舎のそれとなんら変らない。

 テロ対策に幾らかの仕掛けは装備されているものの、それらは防衛省全体のものであって、別段情報収集団の為に用意されたものでもなかった。

 この部屋自体も、防衛省の他の部屋と全く同じものだ。勿論、壁や天井裏には進入できないようになっており、通風ダクトの中もセンサーが装備され、ガラスには鉛が入っており、あちらこちらに盗聴妨害装置が設置されているが。

「素雪三尉」

 書類を作成していた素雪を、ユディエルが呼んだ。

「……ん? どうした?」

 素雪はノートパソコンのディスプレイから顔を上げ、ユディエルの顔を見た。両手に書類を抱えている。

「書類が完成しました」

「そうか」

 素雪は頷いて、書類を渡すように言う。素雪は書類を受け取り、中身をぺらぺらと捲る。ふむ、と頷いて見せた。足を組み、椅子をきしりと鳴らして再びユディエルを見上げる。彼女は緊張した面持ちで、秀麗な顔を強張らせている。

「うん、いい感じだ。だが、これとこの書類を見てくれ。名前が抜けてるだろう」

 そう言って素雪は、二枚の書類をユディエルの前に差し出した。

「これだと、書類を提出した時に突っ返される恐れがある」

「し、しかし……。この書類は既に三箇所も記名をしていますし……」

「理不尽な話だろう」

 珍しくおどけた調子で、素雪は言った。ユディエルは面食らったような顔をして、何故か顔を赤らめた。

「だが、まぁ、俺たちは役人だからな。国家公務員の名の下に権利を行使するなら、義務は果たすべきだろう。理不尽なのは理解しているよ。納得できなければ、靴に当たるか人形でも買えばいい」

 流石にこの言葉には、ユディエルは愉快ならざる気分を覚えたようだった。

「………」

 ユディエルはムッとしたような表情を作って見せた。いつもはクール……というか感情の、自己主張の果てしなく無い彼女だが、長い書類作成の時間で精神を消耗したらしい。

「まぁ」

 その雰囲気を感じ取ったのか違うのか、素雪は付け加えた。

「直ぐに慣れる。最初は辛い。今日だけは、俺に当たっても構わんぞ」

 そう言うと、ユディエルはハッとしたような表情になる。気を遣ったのが気に入らなかったかな、と素雪は思ったが、そうではないらしかった。

 むしろ罰の悪そうな顔をして、やや俯いてしまった。

「ああ、別に君を攻めているわけではない」

「い、いえ。そういうつもりではないのです!」

 素雪が言うとユディエルは急に顔を上げ、慌てて言った。

「た、ただ、自分が勝手なことを言っていたなぁと……」

 そこから先は言葉になっていなかった。彼女の忸怩たる思いを、素雪は充分に感じ取れた。

 如何に銃の腕が高くとも、如何にクールに在ろうとも、彼女は十代半ばの少女に過ぎない。気を遣う必要があるな。素雪はそう思っていた。ユディエルに対して、素雪は彼なりに気を遣っているのだ。

 誤解されがちなことだが、素雪はけっして冷たい人間ではない。冷静に過ぎる面があり、それが他人にとって冷徹と思われることがあるのだが、他人に対する配慮を忘れることも無いし、他人の精神について理解もある。育ちが育ちだけに鈍感な面もあるが、それは他人の気持ちが解らないことと同義ではない。

「上官は俺だ。君の勝手な言動は承知している。その代わり、君が俺の命令に絶対服従してくれれば良い」

 ユディエルは、驚いたような顔をする。次に、何か思い当たったように、顔を赤らめる。

「あ……はぃ、そ、その……、すみません……」

「……?」

 素雪は本当に理解できないといった表情をした。たとえ相手に配慮が出来ようとも、他人の気持ちを完全に解することは不可能だ。ましてや今のユディエルの感情など、理解しようも無い。

「あ、いえ。命令には服従します!」

「あ、ああ」

 話の方向性が変わっていることには気付いた素雪は、一度ユディエルから眼を逸らし、自分のパソコンを見た。書類は粗方出来上がっていて、残りは帰宅途中の電車の中でも行える。機密でも無いので、他人に見られても問題の無い内容だった。

「まぁそれは、現場の行動で示してくれればいいから。勿論ディスクワークを莫迦にする気は無いが……」

 毎日の職場も現場だ、と婉曲的に表現した後、素雪は再びユディエルを見た。

「と、いうわけだ。ユディエル准尉、君、仕事は終わったんだな」

「あ、はい。それで最後の書類です」

 ユディエルは慌てて応じる。素雪は鷹揚に頷いて見せた。

「よろしい。じゃあ今宵の勤務は終わりだ。明日は……遅番だな。帰っていいぞ」

「はい、ヴァレンシュタイン一尉」

 ユディエルはそう言って敬礼してから、しばらくその場に突っ立っていて、やがておずおずと聞いた。

「あの……帰る前に一度、訓練をしても宜しいでしょうか?」

「訓練? 射撃か?」

「はい」

 素雪は少し目を伏せて考える。別に訓練はいつしても良い。ちゃんと記録さえ取れば、弾丸やクリーニング用具等の所望品は経費で落とすことが出来る。

 しかし、と素雪は考えた。彼女が射撃訓練をしたいと言った気持ちは解る。誰でもこんな部隊に入隊すれば、自分の能力を疑いたくもなるものだ。何度訓練をしても、努力が足りないように思えてくる。

 勿論、それは杞憂に過ぎないだろう。素雪から見ても、ユディエルの銃の腕前は充分以上のものだった。正直、自分より上だと考えているほどだった(それは事実だったが)。

 いや無論のこと、情報収集団のような特殊部隊は普通の軍隊よりよっぽど射撃技能を重視視する。特殊部隊の銃の使い方は“弾幕を張る”事ではなく、射殺する(もしくは制圧する)ことだからだ。近距離戦でサブマシンガンよりも拳銃を重んじるのも、似たような理由だ。大型のサブマシンガンより、訓練した拳銃の方が、近距離では威力を発揮することがあるのだ。もっとも拳銃は扱いが難しく、また拳銃にしろサブマシンガンにしろ、拳銃弾を使用するので、高クラスの防弾チョッキを装備した(つまり着た)相手には効果が薄いという弱点がある。

 最近の特殊部隊がサブマシンガンでなくカービンライフルを装備しているのも、同じ理由だ。

 そしてユディエルは、拳銃、サブマシンガン、そしてカービンライフルの全てで特級以上の成績を出していた。いや、危険の無い訓練場であれば、その程度の成績を出せる者は五万といる。だが、危険迫る実戦で、その射撃能力をキープできる者は少ない。

 例えば素雪の場合、人型目標の訓練場での拳銃射撃でならば、二十五メートルで百発百中、五十メートルで九割近くを命中させることが出来る。ライフルならば百メートルでも百パーセントの命中率でヒット可能だ。

 しかし実戦、いや、実戦形式の訓練に於いても、その命中率は著しく下がる。十メートル以下ならまず外さないが(これは大したものだ。一般人なら五メートルでも大抵外す)、倍の二十メートルになるとほぼ半分が外れてしまう。

 ライフルならまだ幾らかましな命中率を誇れるが、そんなものなのである。

 いや、そもそも実戦形式での訓練や実戦そのものでの銃の命中率を出してもさほどに意味は無い。状況によって、大きく変わるからだ。例えば現れた敵が十メートル向うにいる時と三十メートル向うにいるときでも大きく違う。

 しかし、ユディエルはどんな状態で撃ってもほぼ百発百中なのだった。無論、整備の悪い銃や使い慣れていない銃を持たせれば、違うのかもしれない。だが少なくとも、今日素雪が訓練施設でユディエルに射撃をさせた限り、どんな場所に的が現れても、また的が模擬弾(プラスティック製の痛いヤツではなく、ペイント弾)を撃ってきたとしても、ユディエルの銃の命中率は落ちることが無かった。

 素雪はこれをただ単に天賦の才と受け取ることにしていた。深い意味を考えても仕方が無い。そういう人間もいると言うことだ。

 ただ……。

素雪は思っていた。彼女が銃を撃つのは、どういう理由なのだろうか?

 確かに今は、訓練と言う名目がある。射撃を繰り返すことで、任務成功率を上げる、そういう名分が立つ。

 射撃など、手段の一つに過ぎない。それに射撃は、才能によるところが大きい。射撃が下手なら、必中距離まで接近して射撃をする。どういう手段であれ確実にターゲットをヒット出来る人間を、特殊部隊は求めているのだ。狙撃ばかりはどうにもならないが。

 だが今ユディエルが行っている射撃訓練は、はっきり言って全く無駄だ。彼女の射撃の腕は実戦に於いて充分以上のものであり、これ以上訓練したとしても何の意味も無い。確かに定期訓練は必要だろうが、定期訓練は定期的にやるからこそ意味があるのであり、一度に沢山やれば良いというものではない。

 しかし、そんなことはユディエルだって解っているはずだ。素雪はそう思っていた。彼はそれだけの信頼を、ユディエルに置いていた。

 ならば、彼女は練習と言う名目で、何か別の目的を以って、射撃訓練をしていることになる。

 ならば彼女は……、一体、何に対して射撃訓練を行っているのだ?

 

「あ――……、解った。ただ、教官が必要だ。俺が行く。三十分だけだぞ」

「はい」

 ユディエルは笑みを浮かべて、頷いた。彼女が笑うとは、珍しいな。

 

 

 大丈夫です、と根拠の無い言葉を吐き、俺は霧島三佐と反対方向へ歩き出した。弾倉が空になった拳銃は仕舞って置いた。ここで破棄してもいいが、それだと痕跡を残すことになる。

 音を立てぬように歩き、敵の気配を感じる。今盾にしているのは、ほとんどダンボールで作られた何かのオブジェ。とてもではないが、安心できない。破壊力の高いソヴィエト製七・六二ミリ弾は、五・五六ミリNATO弾のように草木などで弾道を変えることはない。その分精度や射程で劣るが。

 コツリ、と小さな音を聞いた。立ち止まり、耳を澄ませる。全身を感覚器官と化し、周囲の情報を探る。敵の方向は……一時方向。人数は三人ほど。……いや、十一時方向にも七人。ただし、こちらは少し離れている。全部で十人だ。

 ……どうだろうか? 俺は考えた。挟み込むという目的ならば解るが……問題は、人数の不揃いだ。三人と七人では、三人の方を簡単に突破できるだろう。

 罠か。俺は瞬時にそう判断した。

 考えてみれば、十人は(俺が殺した人数も合わせれば十二人いたわけだ)無線機くらい持ってるだろう。綿密な連絡を取りながら、集団で行動しているのかもしれない。俺の練度を考慮した上で、三人一組の囮を作り、それと綿密な連絡を取っているそれとは別の七人の組が、罠に掛かったところで攻撃する。

 セオリーどおり……というか、古典的だが手堅い方法だった。罠と解っていても、対策が取れない。三人の方を攻撃すれば、直ちに七人に囲まれる。七人の方を攻撃すれば、今度は三人の方が合流し、十人相手になってしまう。かといって、攻撃を控えれば追い詰められる。敵は、両側を塞ぐように迫ってくる。

 三人というのは、兵士が行動する上で最低限の団体人数だ。二人でも不可能ではないが、敵の練度からして、俺一人でも対処可能な人数だろう。だが三人ならば……、俺と敵が戦っているうちに、他の七人に感づかれる。どうして一対一の割合に分けなかったのか解らないが(多分展開位置の関係か何かだろう。散開させすぎたのかもしれない)、七対三でも同じようなものだ。

 ある程度の損害を覚悟した手は、攻略が難しい。ちくしょうめ、練度は高くないが、それなりに戦術に精通している。

 どうするか……。俺はポケットの中を探った。いつも持ち歩いているワイヤーに、各種薬品など。足には投擲用のスローイングナイフ二本と、ナンブM8。38スペシャルを五発装填できる、ニューナンブM60のリニューアルバージョンだ。弾倉とバレル以外の全部品が(ハンマーさえも)強化プラスティック製で、非常に軽い。その分撃った時の衝撃が大きいが、隠し持つ(コンシールド)(ガン)としてはなかなかだ。事実、警察庁警備局のSPや私服警察などが好んで使用している(制服警察は、昔ながらのM60やP230J等を使用している)。

 しかし、今の状況で使用できるとは思えない。……いや、そうでもないか。

 俺は簡単に作れるトラップを思い付いた。何のことは無い、以前読んだ漫画からヒントを得たものだった。貸してくれた哲也には感謝しなければいけないな……。

 俺は近くに頑丈な金属製の見つけると、それに飛びついた。ナンブM8とワイヤーを取り出す。

 

 

 兵士たちは進んでいた。

 日本海軍――少なくとも彼らはそう呼ぶ存在――の探査能力は間違いなく世界最強だった。日本は地続きの隣国を持っていないが、海岸線と領海、そして排他的経済水域の面積は世界でも最大級だ。

 故に、日本は海軍力に重きを置いている。戦後、海上自衛隊の人員が二倍以上に増員されたことからも、それは解るだろう。人員約十万人の海上自衛隊は、間違いなく世界第二の作戦遂行能力を保有している(規模として考えれば世界第三位か四位もしれないが、その質は米海軍に比類する)。

 だが彼らにとって、真に恐ろしいのは海上自衛隊の護衛艦ではなかった。確かに海上自衛隊の持つ海戦能力は強力だが、彼らにとってすれば、海上自衛隊も韓国海軍も大した差は無かった。彼らの海軍力はそれほどまでに貧弱だった。

 彼らが真に恐れるもの、それは海上保安庁と海上自衛隊の保有する多数の哨戒機である。

 意外と知れらていないことだが、日本の海上保安庁は世界最大級の規模と、練度を誇る。他国の湾岸(コースト)警備隊(ガード)が海軍並みの重武装を持ち、国境を越える犯罪者に対して抑止力を与えるのに対し、海上保安庁は唯一砲だけを――戦前は四十ミリが最大、今では七六ミリ砲を装備する艇もある――武器としている。つまりそれは、海上保安庁はそれだけで充分な効果を発揮するだけの戦力を持っているということだ(いや無論、警察としての自身の立場を明確にする為と、海上自衛隊に対抗する為もあるだろうが)。

 そして、海上自衛隊が保有する百機以上の哨戒機。更新が進むP3Cと、P1B(C2型輸送機と同時開発された対潜哨戒機)。日本の領海に展開するこれらの哨戒機は、海上自衛隊の保持する潜水艦を除く全ての潜水艦を感知することが出来る。高性能なセンサーと、練度の高い乗員が、それを可能にする。

 要するに、日本国に不法入国する際、物理的な方法では――つまり国境線を強行突破する方法では、成功率は低いのだ。ほぼ確実に無理と言ってもいい。

 日本国の性質からして、いきなり射殺されるということは無いと思われるが、それでも、日本国内に入ることは許されない。

 

 兵士たちは当然、日本人ではなかった。日本の隣国の一つ――朝鮮半島の北側に位置する国家の出身だった。

 無論、その国と日本に正式な国交は無い。外交官の類等、特殊な立場にある人間が特別な許可を得て、辛うじて日本に入国できるのだ。勿論、四六時中、公式非公式問わず、監視が付いている。

 しかし彼らにはそんなものは無く、あまつさえ日本国内での所持は原則として禁止されている銃火器を所有していた。

 彼らは非合法な手段を用いて、日本へ潜入したのだった。

 とは言え、その方法は上記したような物理的な手段ではない。理由も前述したとおりだ。彼らには難民の乗るボートなどより余程高価な潜水艦(勿論、日本やアメリカの潜水艦と比較などしてはいけない)が与えられることもあるのだが、ガチャガチャと日本海を越えて太平洋にまで聞こえそうな雑音を発する旧式潜水艦で、何が出来よう。

 そんなわけで、彼らの日本への進入経路は複雑だった。

 まず、三十八度線を海から突破し、韓国国内へ侵入した(この時には、何の躊躇も無く潜水艦を使用した)。そこから韓国国内に既に潜入していた長期潜入工作員(スリーパー)の手を借りて、韓国の偽造旅券と身分証明書を入手する。これで彼らは、韓国国民に変装したわけだ。そしてその後、“合法的に”日本へと入国したのだった(空路と海路の両方を利用した)。武器は、日本に輸出(無論日本の現地組織が密輸入したもの)した物を現地で買いなおして使用した。

 

 そういうわけで、彼らは日本には不慣れだった。日本語すら、満足に扱えなかった。日本の朝鮮人ネットワークは辛うじて壊滅していなかった為、その中に紛れ込んで何とか隠れとおすことが出来たのだ。

 彼らに行動の命令が出たのは日本に潜入してから三週間後のことだった。彼らが海外で活動するのはこれが初めてだったから、その潜伏期間が長いのか短いのかは解らなかった。

 任務内容は待ち伏せ。東京の有明にある国際展示場で、追い込まれて逃げてくる人間を始末するのが任務だった。二十代より少し若い女は生け捕りで、他は殺せと命令されていた。

 なかなか無茶な命令だった。彼らにその命令が伝えられたのは作戦時間の数時間前。約百名忍び込んだうちの、十分の一しか展開できなかったのも頷ける話だった。残りの九十名も集結しつつはあるが、どう考えても到着は全てが終わったあとになりそうだった。

 しかしそれでも、彼らはその任務に忠実に従った。想定外だったのは敵の方だった。女と共にいたのはたった一人。それも、まだ子供だった。

 しかしその子供に、彼らは既に二人も殺されたのだった。

 部隊を散開させすぎていたということはある。どの包囲から敵が来るか判らなかったからだ。しかしそれにしても、二人がかりで全滅とは、完全な想定外だった。

 

 だが今、彼らはその敵を追い詰めていた。一個分隊十人が、たった一人の敵を包囲しているのだ。配置されていた場所の関係で、部隊が三人と七人に分裂してしまったのは痛手だったが、それでも尚、相手の動きを封じていた。

 本当ならば、二人単位(ツーマンセル)で周囲を囲むように包囲するのが正しいのだろうが、部隊指揮官(ベテラン曹長だった)は先ほど三人を殺された経験から、それに踏み切れずにいた。こんな場所ならばたとえ散開させても援護は容易だと理解してはいるのだが、頭の何かが危険だと警告していた。

 しかししばらくこの場所を歩いてみて、自分の中の警告が正しかったことを彼は知った。この部屋(と言うよりホールに近い)に大量に置いてある様々な物――ダンボールの人型だとか、金属製の小さな部屋だとか――は、たいていの物はライフル弾で貫通可能なのだが、銃弾の弾道を変えてしまうのだ。第一これだけ様々なものが林立していると視界が狭まり、射界も狭くなってしまう。余り広く散開すると、援護すら儘なら無いだろう。

 結果、密集していた方が危険が少なかったのだ。本当は十人で一塊になり、適当な距離に広がって網のように対象を追いかけるのがいいのだろうが、時間の関係でそれほどの移動は困難だった。隊形を変更している途中に攻撃されれば、それこそ一巻の終わりだからだ。隊形とは互いに援護しやすい位置に移動するが、裏を返せば形成中は最も弱小な位置関係にいる場合もある。

 この場合、七・三に分裂してしまった部隊を再密集させることは出来ない。室内戦闘のセオリーに遵って、両側から相手を包囲してしまわないように留意するだけだ。相手の位置はある程度は把握できているから、動き方さえ間違えなければそれは容易かった。何しろ、彼らは無線機を持っていた。使用可能な距離は決して大きくは無かったが、このホール程度の大きさならば充分に使用出来た。

「隊長、五時方向に敵です」

 部下が囁く。指揮官はそちらをちらりと見て、続きを求めた。

「もう伝えました。あっちから見ると七時方向だそうです」

「解った」

 指揮官は答えると、直ぐに次の行動を考える。

「向こうは?」

「真っ直ぐ追い詰めるそうです」

「敵の動きは?」

「敵の位置から六時方向に。一人だけのようです」

 ふむ、と指揮官は思案顔になる。敵の意図を読みかねていた。ただ逃げるつもりなのか、それとも地雷でも用意しているのか……。勿論、トラップの一つや二つくらい用意しているだろう。つまり、それを回避して追撃すればいいだけだ。反対側のドアは全て封鎖してあるはずだから、上手く行けば壁際に追い詰めることが出来る。

 追い詰められた敵は強い――と言うより怖い。何をやってくるか解らないからだ。人数的に優っているならば、持久戦に持ち込んで損害を低く抑えたいところだった。

 しかしながら、確かにあと少しで増援九十名が来る予定だったが、こんな遮蔽物の無い場所で殲滅戦(とは言え一人だが)を行えば逆に負傷者を増やしかねない。それならば、二、三名の負傷者(場合によっては戦死者)を覚悟してでも強引に攻撃を仕掛けた方がむしろ損害が少なくて済む。

 指揮官は素早くそう判断すると、動くべき行動を決めた。

「向こうと同調して動け。等距離を保つんだ。周囲を囲まないように注意しろ」

 そう命じると、自分が率先して歩き出す。足音を立てないよう、気配を出来るだけ消して。

 後ろから、部下も付いてきた。全員が分担して全方向に注意を向け、何処から襲撃されてもいいようにしている。残念ながら彼らには第三世代赤外線暗視装置(パッシヴ・タイプ)の聴音装置など与えられていないが、その装備の不利を人数で補っていた。

 もっとも、それは相手も同じことだが(いや、もっと酷いかもしれない)。

 指揮官も、敵の動く気配を感知していた。じりじりと、逃げるように向うに行っているのが解る。その動きは如何にもおびえている風だったが、油断は出来なかった。既に二人も殺されているのだ。

 そう考えていたから、突然の銃声にも割りと冷静に対処することが出来た。

「――!」

 拳銃弾。三十八口径。使用拳銃はリボルバー。農村部から徴兵され、厳しい指揮官の下、兵站部から横取りした僅かな食料と弾丸で訓練した時から厭と言うほど聞いてきたライフル弾とは違い、特殊部隊に―――442軍部隊に異動した後に銃声を覚えこまされたリボルバーから発射された拳銃弾の銃声だった。仮想敵国である日本の警官が使用する銃弾ということで、徹底的に覚えさせられたのだった。

 同時に、銃声の発生場所も突き止める。自分たちの真横……三人のチームとの中間地点辺りだった。

シッパル(くそ)!」

 部下の雄叫びが聞こえた。銃を向ける気配も。

「待て!」

 脊髄反射で、指揮官は叫んだ。場所が悪すぎた。何故なら部下たちの銃口の先には……。

 

 一発目の銃声に続き、次々と別の銃声が――それもライフル弾のそれが――するのを聞き、素雪は自分の作戦の成功を悟った。

 実際、作戦と呼ぶことも出来ぬようなものだった。

 丈夫な金属製の支柱を探し、それに拳銃をワイヤーで括り付け、別のワイヤーを今度はトリガーに掛かるように、そして引けば絞れるように括り付ける。後は、トリガーに繋がったワイヤーを持ち、ゆっくりと後退するだけ。

 この時、二つの部隊が支柱を挟んでこっちに迫ってくるように注意する。彼我の戦力差は十倍。ならば、戦闘のセオリーにしたがって、素雪に勝ち目は無い。相手がそう考えると、素雪は読んでいた。ならば、全体をゆっくりと前進させてくるはずだ。二つの部隊の距離は一定に保つ。その方が、援護をしやすいはずだからだ。そして、絶対に周囲を取り囲まない。銃を撃った時に、反対側の味方に弾が流れるから。

 素雪は最後の部分に注目した。

 支柱がちょうど両方の部隊に挟まれる位置に来たところで、ワイヤーを引っ張ったのだ。まともに照準もつけていないが、とにかく拳銃は弾丸を発射する。銃声と、閃光が発生する。

 あとは、敵がその銃声に驚いて、反射的にその方向へ発砲してくれればいいだけだった。そうすれば、自然と同士討ちになる。その混乱に乗じて、敵を始末する積もりだった。

 勿論、いい加減な作戦であることは本人が最も良く理解していた。もし敵がその場から動かなければ持久戦になるし、ばらばらで接近すれば仕掛けは無駄となる(もっとも、広く散開した敵ならば各個撃破は容易いと思っていたが)。

 しかし、今回は上手くいった。銃声は止むことなく連続している。おそらく、お互いを敵だと思って撃ち続けているのだろう。いい傾向だった。

 無論のこと素雪は、この場景をただ見ていただけではない。懐のナイフ・ホルダーから投げナイフを取り出すと、出来るだけ低い姿勢を保って敵の近くへ駆けた。七人の方だった。

 障害物を掻き分け、ナイフを構えたまま、敵を視界に捕らえる。立っているのは五人。二人は倒れ伏している。相撃ちして、運悪く味方の弾に中ったのだろう。良くあることだと思った。何の感慨も抱かなかった。敵にかける情けなど、抱く暇は無い。

 それよりも素雪は、立っている男の一人に注目した。姿勢を低くして、無線機に向かって何か怒鳴っている。直ぐに、あの男がリーダーだと悟った。精悍な顔つきの、四十代の男。実戦経験者だけが持つことの出来る威厳と気迫を有し、一切の反論を許さぬ調子で部下に命令している。しかし不可視の敵に襲撃された彼の部下は、恐怖と銃声によりその聴覚を麻痺させていたようだ。

 好都合だ、と素雪は思った。匍匐前身に近い恰好で、ナイフの必中距離まで忍び寄る。今相手はこちらの動きに気付いていない。だがそうであっても、一撃で殺さねば、こっちが殺られると解していた。相手はそれほどの強敵だ。

 だからこそ、好都合。普段なら決して一対一での戦闘を好まない相手が、今は部下の指揮に忙しく無防備でいてくれる。この好機を逃さぬ手は無かった。

 距離にして十メートル。男に忍び寄った。先ほどから時間にして二秒も掛かっていない。だが、敵の狂乱状態はいまだに収まる気配は無い。いま指揮官が倒れても、さほど状況に変化は無いと見えた。

 覚悟は直ぐに決まった。指揮官を見据え、ナイフの狙いを付ける。ほとんど間を置かず投擲。

 素雪は、基本的な戦闘技術を一通り習得していた。彼は特にこれと言って得意な技能があるわけでもなかったが(強いて言えば幾つか存在するが、彼はそれらの能力分野で自分よりもっと高い技能を持つ者を知っていた)、ほとんどの技能をそつなくこなすことが出来た。ナイフ投擲も同様だった。距離が離れれば当然命中率は悪くなるが、近距離でならまず外さない。そして、彼は隠密行動もそれなりに行うことが出来た。

 結果、彼は一撃で敵指揮官を死に至らしめることに成功した。指揮官は自分の頭に突き刺さるナイフを知覚することなく、冷たい国際展示場の床に崩れ落ちた。死体からどくどくと溢れ出す赤い血は、絶対零度よりも冷たく思える床に僅かなる温かみを齎し、直ぐに冷えた。漂う血なまぐささは硝煙の煙に掻き消された。

 だが、指揮官の部下が彼の死に気付かなかったかと言うと、そうではなかった。彼らも訓練された兵士であった。自分たちの後ろで人が斃れるのを、確かに知覚していた。そしてそれが、彼らの上官に当たる人物だということも。

 ただし、彼らはそれを正面からの銃撃によりもたらされたものだと勘違いしたのだ。

 結果指揮官の死は、彼らに正面に対する更なる銃火の集中を行わせるだけに終わった。素雪にとってやや予想外であったが、作戦は成功した。このように部隊を二分した戦闘を行うには、指揮官が欠かせないからだ。

 やるべきことをしたので、素雪はさっさと退散した。匍匐前身でその場を離脱し、今度は残った六人の背後に回り込んだ。勿論、真後ろではない。流れ弾に中ってしまう。

 真後ろよりやや右寄りの位置に伏せて、素雪は敵の様子を見た。銃声は先ほどより幾分か小さくなっている。さらに何人か死人が出たようだった。

 それでも素雪は、辛抱強く待ち続けた。まだ早い。そう思っていた。焦って失敗などしたくない。

 しばし待った後、銃撃がぱたりと止んだ。素雪は首を動かして、立っている男の人数を数えた。三人。死んだ男は四人だ。

 その三人は銃を上に向けると、這うように前進し始めた。敵(と思い込んでいた味方)を全滅させその確認をするために前進しているのか、やっと真実に気付いて合流する為に前進しているのか今は解らなかったが、どちらにしろ、素雪には好都合だった。

 ゆっくりと、決して悟られないように、素雪は先まで三人がいた場所へ這いずって行った。死体が四人分、転がっていた。三人は素雪に気付く気配すら無かった。しかしそれでも慎重に、素雪は行動した。

 斃れている死体を見回す。あたり一面は血の海だったが、素雪はそのむせ返るような生臭い、しかし鼻につく硝煙の匂いも混ざって何ともいえぬ刺激臭と化している空気の中を、シャツが血で濡れるのも気にせず動いた。

 やがて、転がった死体の一つにたどり着く。その死体は、銃を抱くように倒れていた。素雪がこの男の所に向かったのはそれが理由だった。銃を下に落とせば照準が狂うかもしれないが、この男の銃なら人体がクッションになって大きく狂ってはいないと考えたのだ。いくら丈夫で知られるAKシリーズ(カラシニコフ)に属する銃でも、精密機械に近い存在であることは変り無いからだ。殺人目的の武器は、押し並べて繊細という一面を併せ持っているのだ。

 素雪はその銃を取り、簡単に動作を確認した。音を立てぬように行うのはなかなか骨だった。それなりに手入れは行き届いているようだった。少なくとも、大まかに狙った場所に弾を送り込むことについては何の問題も無い。

 次に、弾丸をチェックする。

 男が身に着けていた弾倉四個は全て取った。銃に差し込まれていた弾倉内には十数発、チャンバーに一発入っていたが、これは銃を使う前にボルトを引いて捨ててしまうことに決めた。万が一歪んでいないとも限らないからだ。そうであれば、銃を撃った時排莢が上手く行かず、ジャムってしまうかもしれない。そうなれば終わりだ。

 弾倉をパンツのポケットに突っ込み、ゆっくりと後退する。小さな看板の陰に立膝になって、敵情を確認した。

 敵三人は、ちょうどこちらへ歩いてきているところだった。後ろにもう一人増えているところから、先銃撃を止めたのは間違いに気付いたかららしい。

 四人の内負傷者は一人。足に銃弾をかすったようだった。一人では歩けないらしく、隣の男が肩を貸している。十人中六人が死亡し、生存者も一人が軽症。戦果としてはどうだろうか。

 しかし、今の素雪にそんなことは大して重要ではなかった。一番の問題は、四人が油断していると言うことだ。警戒を完全に怠っている。

 もしこの時に有能な指揮官、例えば先ほど素雪が射殺した男がいれば、こんなことにはならなかっただろう。ちゃんと部下に指示を出し、周囲を警戒し、隠れていた素雪を直ちに発見してしまっただろう。もしそうでなくても、少なくとも今のように無防備な状態を作り出してしまうようなことは無かったはずだ。

 その点に於いて、素雪は完全に成功した。部隊の指揮官によって部隊とは強くも弱くもなり、指揮官のいない部隊など烏合の衆なのだ。

 もちろん烏合の衆だからといって、素雪は見逃さない。烏合の衆は転じて武装した個人だ。そして個人ほど利己的な存在は無いからだ。

 

 敵は完全に統制を欠いている。半ば狙っていたことだったが、ここまで成功すると実に清々しい。

 見逃す気など無かった。ここで逃げられれば、後にどんな害に転じるか解ったものではないからだ。

 慎重に、撃つ順番を考える。足を負傷した男、その男に肩を貸している男は後回しだ。直ぐに反撃してくるとは思えない。残った二人は負傷者を庇うように、両側に展開していた。

 片方は年配で、もう片方は若い。三十代始めと、二十前後。俺は躊躇無く前者を先に叩くことを選んだ。急場の対応は、経験が物を言うからだ。年配の男はすぐさま反撃できるかもしれないが、若い男には多少の戸惑いがあるはずだった。

 狙うのはそこだった。奇襲し、一気に殲滅する必要があった。反撃を許せば、負ける確立が極端に高くなる。負けるとは要するに死ぬことだ。

 敵をゆっくりと観察する。足を撃たれた男の手当てをしているようだった。直感的に、今しか無いと判断した。相手は四人だ。よっぽどの隙を狙わねば、返り討ちに遭う。

 立ち上がり銃を向けた。年配の男が気配を察知し、こちらを向こうとする。もう遅い。

 俺は、引き金を引いた。AKには慣れている。

 久しく忘れられていた銃声が、再びホールに鳴り響く。

 

 荒い息を吐きながら、姿勢を低くして、ホールの中を駆け抜ける。

 銃声。だが、銃弾は自分のはるか後方で爆ぜた。そこに置いてあった木製の机はボロボロになり、金具部分に当たれば火花が散る。銃声は十発分ほど鳴ったところで止んだ。撃つ場所を間違えたと気付いたのだろう。

 次はこちらの反撃の番だった。先ほど銃声のした辺りに向けて、銃弾を送り込む。左手はハンドガードではなくマガジンに添えて、引き金を引いた。肩を蹴られたような衝撃。銃口が上を向きたがる。俺は強引に押さえつけ、銃弾が命中する場所を一箇所に絞った。

 三、四発に一発の割合で雑じっていたらしい曳光弾が、弾着した場所を教える。ほぼ、狙ったとおりの場所だった。だが油断は出来ない。今ので相手を倒せたかどうかは不明なのだ。そして曳光弾が雑じっていたということは、ほぼ確実にこちらの場所を突き止められているということだ。

 次の瞬間、首筋に冷たいものを感じ、俺は膝を折って伏せた。

 七・六二ミリ弾が次々と飛来する。やはり生きていた!

 

 俺がこの男と一対一の戦いを繰り広げているのは、先の銃撃で四人全員を殺せなかった代償だった。

 先の銃撃――四人を撃ち殺そうとした銃撃は、半分失敗だった。最初に年配を殺したのは、いい判断だったと自分でも思う。あの男は俺が立ち上がっただけで、こっちに視線を走らせたのだ。あの男と今こうして戦っていたら、俺は負けていただろう。

 年配の男は、当初決めていたとおり最初に撃ち殺した。こちらに視線を走らせただけで、武器を構える間も無く、頭と胸を撃ち抜かれたて倒れる男。しかし、俺には憐憫すら感じる間は無かった。

 素早く、目標を切り替えた。今度は隣にいる負傷した男。

 これが、今思えば誤りだったのではないかと思う。俺が年配の男の次にこの二人を狙ったのは、この二人が年配の男の隣にいたからだ。素早く撃ち殺すには、年配の男から左方向に順々に撃ち殺していった方が効率が良かった。

 だが、負傷した男、それを庇っている男を撃ち殺したところで、若い男が動いたのだった。俺がその男に照準を付けて引き金を引くのと、その男がこちらにライフルを向けて引き金を引くのでは、向こうの方が早かった。相手は年配の男を殺した時点で動き始めていたのだ。

 結果、銃二挺分の銃声が響き渡ることとなった。勿論、長くは続かない。二人とも撃つとほぼ同時に伏せたからだ。

 その時、俺は肩を負傷した。左肩で、かすっただけだったのがせめてもの救いだ。出血は少なく、血はすぐに止まった。痛みはあるが、我慢できる範囲だ。

 問題は、先の若い男も死んでいないことだった。

 俺は銃を抱えるようにすると、その場を離れる。何時までも同じ場所にいるようなミスは犯したくない。

 足音を忍ばせ、感覚器官を最大限に働かせ、先の男を探した。先に相手の位置を知ることが出来れば、勝てる。

 

 それから一分ほど後、俺達は互いに撃ち合いをしていた。先に敵を見つけたのは俺だったが、先ほど三人の仲間を失ったときに学習したのだろう、若い男は直ぐに察知し、机や看板の間に隠れ、逆に撃ち返してきたのだった。

 勿論俺も負けて入られない。撃ち返す。しかし外れた。再び相手の攻撃。これも外れ。

 俺は走るのをやめてその場に伏せた。相手には見えていないはずだった。息遣いは荒いが、音は立てない。

 地面に耳を付け、相手の位置を特定する。十時方向。遠くはない。体を起こす。

 残りのマガジンを確認した。三本。一本は先ほど使い切ったからだ。余り無駄遣いは出来ないな、と思いながら、そろそろと移動する。相手も動くのをやめて待ち伏せしているようだった。虎穴に入らずんば……、だ。こちらから打って出る。

 血が付着したゴム底靴が音を立てないように留意しつつ、聴覚に意識を集中させる。敵の呼吸音、銃を触った時の金属音、何でもいいから拾った。

 カチリ、と音がした。反射的にそちらに銃口を向けて引き金を引いた。あっという間に三十発入りの弾倉が空になる。銃身が熱で駄目になっていないことを祈った。先の音は囮だと判ったからだ。銃弾が肉を引き裂く音が一つもしなかった。

 直ぐに、先銃撃した場所より三メートルほど右に逸れた場所で、がさりと音がした。人が立ち上がるときの筋肉の音や、戦闘服の衣擦れ音が混ざった音だと直ぐに判った。考える前に、脊髄反射よりも早く、俺は力一杯横に飛んでいた。銃弾がコンマ一秒遅れて先ほど俺がいた場所に弾着する。

 俺は床に放置してあった廃材――ダンボールやエアキャップ(あのプチプチ潰すやつ)等――に盛大な音を立てて落ちた。運良く怪我をしなかった。打撲傷も無い。落ちた場所が良かった。

 勿論、だからと言ってこんな場所に何時までも寝ているわけには行かない。落ちた勢いで転がりつつ、起き上がる。銃は抱き抱えたままだった。マガジンは既に落としてある。撃ち終えた時、反射的に交換しようとしたものらしい。もっとも、マガジンの交換は出来なかったが。

 再び銃撃。俺が先まで寝ていた場所をずたずたに切り裂いた。情報が遅かったようだ。相手が銃撃を止めたとき、俺は既に次のマガジンを装着していた。

 男が立っている場所はここからも見えた。可視目標を撃つのは久しぶりだななどと思いつつ、狙いをつけて引き金を絞る。

 しかし、男は驚くほど素早い動きで、その場にしゃがんだ。俺は驚愕し、その後直ぐに狙いを下向きにした。しかし、敵は銃弾に貫かれる前に、転がって机の下に消えていた。マガジンを交換し、机を銃撃する。遅かった。敵は既にどこかへ逃げおおせていた。

 俺は再び姿勢を低くして、逃げた敵を探した。

 広いホール全体に、緊張感が満ちた。敵はどこかに潜んでいる。先にそれを探し出す必要がある。

 さて、どうするか……

Is this?

 どこかで、英語の声がした。

 俺は体を強張らせた。どういうことだ、と疑問に思う。英語? 朝鮮語ではなく? どういうことだ?

 そこまで考えたとき、俺が遮蔽物にしていた巨大な箱(プラスティック製)の後ろにも、他人の気配があることに気付いた。間違いなく、先の男だった。先まで気配を消していたのだろう。何故急に……。そう考えて、思い当たる節があった。そうか、こいつにも先の声は意外なものなんだ。

 だが、だからと言って親近感が湧くわけも無い。俺はたちまちライフルを箱に当てると、引き金を引いた。

 箱の向こう側で悲鳴が聞こえる。ライフルに差し込まれているマガジンが空になっているのを確認し、交換して、俺は箱の後ろ側に回った。男がうつ伏せで倒れていた。左手は体の下に隠れていて、右手は大きく横に投げ出されている。右腕と、左足から血を流している。また、かすっただけのようだが頭部にも弾痕のようなものが見える。

 俺はライフルを構えたまま、男に近づく。警戒を怠らない。生きていない証拠は無い。

 出来れば最初に銃弾を撃ちこんで確実に殺しておきたかったのだが、どうやら敵はまだいるようなので、こいつだけに無駄に銃弾を使うわけにもいかない。弾倉を拾い集めている暇は無い(この男が予備の弾丸を持っているとは限らない)。霧島三佐がどうなっているのか、心配だった。

 とはいえ、やはりこの時心のどこかで油断していたのかもしれない。足と腕を撃ち抜かれた男が、大したことをやってくるとは思わなかったのだ。

 だが男は、俺が一メートルまで接近した時に動いた。体の下から腕を引き抜き、その手に持った拳銃を発砲したのだ。北朝鮮製の68式拳銃を(特殊部隊員が何故白頭山拳銃を持っていなかったかは判らない)素雪に構えたのだった。

 俺は条件反射的な速度で腰を落とし、銃口の先にある体を移動させた。七・六三ミリ弾の銃声が響いた時、俺は立膝の姿勢で男に向けて銃を構えていた。

 しかし執念、とでも言うのだろうか。男は射撃と同時に体を起こし、銃弾で千切れかかっている右手で俺のライフルを叩いた。銃口が大きく逸れる。

 男はその期に、残った右足に力を入れて踏み込み、俺を殴り倒した。

「――っ!」

 突然の攻撃に、視界が暗転する。直ぐに元の機能を取り戻した俺の目が見たものは、ホールの天井だった。口内に鉄っぽい味。どこか切れたらしい。

 ずしり、と。金縛りのような感覚。勿論金縛りなどではなく、先の若い男が体の上に圧し掛かっているのだった。苦しくて、思わず口から息が出る。だがその前に、俺の首に手があてがわれた。

 体重と、握力。その両方が、俺の首へかかる。息苦しい、などというレベルはとうに過ぎた。

「ぁ……ぁ――」

 声など無論出ない。俺は両手をその男の腕へ持っていく。力一杯引き剥がそうとするが、無理だ。男は身長一九〇センチに達する、全身を鋼のような筋肉で包んだ男だった。体重も七十キロ以上はあるだろう。身長も体重も俺より一回りは大きい。

 よって、腕力も握力も俺は全く敵わない。この男の下でもがいたところで、敵をどうすることも出来ない。

 次第に意識が遠くなるのが解った。それは死に一歩一歩近づいている証であり、以前も一度経験した感覚だった。

 だからこそ、このままでは本気でやばいことが解っている。

 だが、何も出来ない。

 傭兵時代、教官に聞かされた言葉が蘇る。いいか、素雪。手負いの敵には気をつけろ。怪我をした猛獣と同様、何をしてくるかわからん。その怪我が、如何なるものでも、だ。

 ああ、教官、貴方の言うとおりでしたね。

 

 男が、何か言っているのが解った。酸素が足りずに朦朧とした頭では、それが何かは分からなかった。まぁどうせ、俺には朝鮮語なんて分からないんだが。

 うっすらと開いた目で、男の顔が見えた。酷く卑しい目だった。口の歪み方も、表情すら、目と同様だった。遠い昔の、何かを思い出させた。

 僅かに、苛ついた。

 男の手が片方――左手が首から離れた。少しだけ、体に力が戻る思いがした。僅かに空気が肺に流れ込む。

 だがその左手が自分のパンツに掛かった時、表情が凍りつく思いだった。この男……、と開かない目で男の顔を睨みつける。この男が、非常に性的かつ暴力的な妄想を自分に対して抱いていると判断したからだ。勿論、その場ではもっと感情的なものだったが。

 ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。

 こういう目に遭ったのは、初めてではない。アフリカでも東南アジアでも南米でも、女性というのは軍隊の中で常に不足している。無論、兵士としてのそれではなく性欲の捌け口にとってのそれである。

 そしてそういう場合、男でそれを代用する場合が多い。力の弱い、線の細い男は恰好の相手だ。場合によっては強要することもある。例えば子供は、性別関わらず強姦の経験を持つ者は非常に多い。

 残念なことに俺は、全世界中に三十万人以上(一説によっては百万人を越える)いると言われる少年兵の一人だったわけだ。寝込みを襲われたことは少なくない。勿論、ほぼ同じ回数仲間を撃ち殺している。今でもベッドの枕の下に拳銃を入れておく習慣を俺が持っているのは、ただ敵の奇襲を恐れてのことばかりではない。

 しかしながら、この時の寒気は、微妙に性質の違うものだった。

 

 最初に思い出したのは火。炎と呼ぶには勢いが弱いそれは、俺の視界に入るものの中で、最も目立つものだった。

 しばらくすると聴覚が戻ってくる。悲鳴と、泣き声。時々怒号。前の二つは主に子供と女性のもので、最後のは大人の男のものだった。

 何だろう、と思って声の方を向こうとする。だが、不思議と体が動かない。金縛りに遭ったように……というよりは、体中にコンクリートを擦り付けられたかのように、反応が鈍い。腕が重い。頭が痛い。寒気がする。

 当時の俺は、自分の体内の血液が生存活動に異常をきたすほど減少していることには気付いていなかった。

 それでも無理をして、首を動かした。ぼんやりとした視界に、煉獄が映った――。

 

「――っ!!

 嫌なことを思い出した。感情が高ぶっているのが自分でも解った。だが、どうにも出来ない。

 ひどく苛つく。こいつの所為だ。目の前の男を睨みつける。お前が、お前が――。

 爆音に似た銃声が響いたのはその時だった。三十ミリ弾をチェーンガンから発射した時の銃声だと、その時は解らなかった。考えるだけの酸素を脳が確保出来ていなかった。だが男は、その銃声にびくりと驚いて手の力を少し抜く。

 幾らか自由になった右腕を苦労して動かし、金属音を立てぬよう左腕のホルダーに入れてあった投げナイフを取り出す。忍者の使った棒手裏剣に近いそれを、右手で確りと保持し、相手の反応がある前に男の手首を切り裂いた。

 男が悲鳴を上げる。腕の力が弱まった。その隙に足を折り曲げ、自分と相手の体の間にいれ、思い切り上に蹴り上げた。体重七十キロを越える相手の体が中に舞う。俺はその反動を利用して起き上がった。

 男は背中から硬く冷たい床に放り出された。俺は相手が起き上がるどころか目も開けぬうちに、素早く駆け寄って再びナイフを振り上げた。首を一線……しようとして、相手が急に動くので顔を縦に切ってしまった。右目から顎にかけて赤い線が引かれる。再び悲鳴。煩い。俺は喉を蹴り上げる。

 月並みだが、蛙が潰れたような悲鳴をあげ、男は後ろに仰け反る。再びナイフを振り上げた。今度は肩から肋骨にかけてを一線した。

 男は顔の傷を両手で押さえ、痛みを堪えて起き上がろうとする。まず間違いなく眼球に達しただろう傷からは、血や脂肪が垂れていた。

 俺はその行動を阻害する為、男の腹部を蹴った。固いつま先で、切り傷を抉るように。男は既に悲鳴を上げる元気すらないのか、呻くような声を出して後ろに倒れる。

 再度、ナイフを振り上げて、今度は股間を刺した。直ぐに抜き、今度は足を滅多刺しにする男はもう悲鳴も呻き声も上げない。この時既に死んでいたのかもしれない。

 足を十数回刺した後は腹部、腕部、そして首を、次々と刺してゆく。合計百回近く刺したような気がする。正確には覚えていない。時間から考えて、実際は十数回だっただろう。男の体にナイフを突き立てていた時の俺は、表情こそ冷めたものだったかもしれないが、内心はその真逆だった。冷静さを完璧に欠いていた。肉体の乱暴な解体に性的興奮すら感じていたような気がする。

 俺が正気に戻ったのは、男がショックしか失血しかした後だった。辺りには血と脂肪が散乱しており、足元には既に冷たくなりかけている兵士だったモノ。魂一つ分だけ軽くなった体は、風に吹かれれば飛んでいってしまいそうな程うすっぺらい存在に思えた。俺にとって、それは灰と同様だった。

 銃弾で引き裂かれた死体と何が違うと言うのだろう?

 しばらくそれを眺めた後、俺は使命を思い出した。先の銃声を漠然と思い出した。爆音に近かった。三十ミリ弾チェーンガンの発射音だとすぐに判った。日本国内でそんな機関砲を装備しているのは、自衛隊のアパッチくらいしか思いつかなかった。

 俺は心が何かで満たされる前に走り出した。思い出していたのは霧島三佐の顔。そう、彼女を守ることが任務だった。

 

「大変だったな」

 ロングボウ・アパッチヘリコプターの前部座席、コ・パイロット兼ガナー(CPG)席から降りた加藤哲也一曹は、朗らかな顔で、全身血と脂肪に塗れた俺にそう言った。先の銃撃はこいつが行ったことらしかった。

 自衛隊特殊部隊、中でも特殊作戦群からさらに選りすぐりを集めたと言ってよい特別師団第11連隊のメンバーは、全員が複数の特殊技能保持者であることを求められると共に、全ての特殊技能についてある程度の理解を持っていた。要するに、基本的に何でもできる上で、特殊技能を保持しているのだった。

 ヘリコプターの操縦も、その中に含まれた。特にガナーは、基本的にターゲットの方を向いて引き金を引くだけなので(無論、これは本当に基本的な部分だけだ)、多くの隊員が技能習得をしていた。実際に使い物になるほどに技術を有している者は少数だったが。

 そして、哲也はその小数の中の一人だった。

「ああ、大変だった」

 言葉を肯定する恰好で俺は言った。もはや血を払おうとなどしない。シャツにぐっしょりと染み込んで、取れないからだ。早く着替えないと体調にも影響しそうだった。濡れた服を着けたままで行動するのはよくない。

 第一、俺はこの気持ち悪い感覚が嫌だった。いくらジャングルのような場所で泥に塗れながら行動することが多々あるとしても、そしてそれに耐えられても、それが平気かどうかは全然別だった。

 アパッチに続いて輸送ヘリ――ブラックホークが着陸した。寸前に、ドアが開いて両機から隊員が数名飛び降りて周囲の警戒に当たった。ヘリはゆっくりと着陸する。

 着陸したヘリから、完全武装の隊員たちが次々と降りてきた。両方合計で二十人ほど。その中には、俺のよく知る人物も含まれていた。彼女は素雪を見ると、自分のものとは違う荷物を持って歩いてきた。

「ま、さっさと着替えなさいよ」

 着陸した二機の輸送ヘリの片方から降りてきた吾妻は言った。俺は頷く。

「ああ、そうしたいな」

「はい、これ」

 吾妻は手に持ったバッグを渡す。俺は受け取って、中身を見た。俺の服と装備が入っていた。無論、制服とか作業服とか呼ばれる類のそれだ。

「銃は中に。ヘリの中で着替えなさい」

「感謝する」

 俺はバッグを持って、ヘリの中へ入った。他の俺の装備も置いてあった。

 俺は血と油に塗れた服を脱ぎ、バッグの中に入っていたタオルで体を拭いた。バッグの中にはご丁寧に下着まで入っていたから(無論どこかで買ってきたものだった)、それに付け替えて制服を着た。黒色に近い都市迷彩服だった。防弾チョッキも入っているが、重くなるからつけない。第一、今のところ拳銃弾しか防げない防弾チョッキに用は無い。榴弾が飛んでくるわけではないのだ。銃撃で壊れた物の破片なら制服だけで充分だ。

 ヘルメットを被り、マガジンをポーチに差し込んだ。89式改2型ライフルを取り、動作をチェック。完璧だった。マガジンを差し込んで、初弾を装填する。

 硬い金属音と共に、初弾が薬室へくわえ込まれた。安全装置をかけて、ヘリを降りる。全員警戒任務に就いていた。俺を待ってくれていたようだ。

「で、どうするんだ?」

 俺は近くにいた哲也に聞いた。

「情報本部からの情報だ。敵が九十人ほど、ここに終結している。三十人ごとの小隊に判れて移動しているらしいな」

「……それ、いつから知ってたんだ、向こうは」

 俺が渋い顔をして聞くと、哲也は溜息を吐き、

「今、と言ってやりたいが、違うんだろうな」

「随分前からよ」

 横から吾妻が言ってきた。友人にのみ許される態度だった。

「百人単位の部隊が日本に潜入していることも、当初から気付いていたようね。公安以外は気付いていなかったようだわ。一般警察と海保にはだんまりだったけれど」

「今回のことも、か……」

 俺が呟くように言うと、二人は溜息と共に頷いた。慰めの言葉も同情もかけてこない。そんなもの必要無い。

「そうよ。囮……、不思議な話ね。霧島三佐はちょっと有能で失っても惜しくない幹部には見えなかったけど」

 吾妻が言ったような将校にそれなりに重要でばれても大きな問題ではない情報(もしくはリークを予定している情報、または偽情報)を渡し、怪しまれない程度に護衛をつけて敵に襲わせる。それによって敵の部隊を引き出し壊滅させたり、偽情報を渡したりする。

 政治的戦争(一般的表現で言う平和)の状態にある政府が行う常套手段だった。リークの基本的手段と言える。勿論、相手国家が暴力的な非合法手段を使う国家に限られるが。

 しかしその時情報リーク役として使うのは失っても惜しくない人員なのが普通であり、少なくともあの年で三佐――旧軍(もしくは外国の多くの軍隊)で言うところの少佐の階級を持つ(もっとも、俺は彼女の正確な年齢など知らないわけだが)女性幹部にやらせることではない。

 つまり、それは……。

「うちだって、ひとまとまりじゃないということか」

 俺が呟くと、吾妻と哲也が同意の頷きをして見せた。まぁ、そうだろう。自衛隊内部にも当然派閥はあるわけで、しかもそれは旧軍の陸海軍の対立とかそういう単純なものじゃないわけだ。戦前の自衛隊は陸海空の間で結構な軋轢があったようだが、現在は陸海空関係なく派閥の争いに巻き込まれている感じらしい。

 もっとも、俺達はよく知らない。一般隊員とは一線を画す特殊部隊の中でも末端の隊員だからだろうか(後で哲也にそう言ったところ、そりゃお前が政争に興味ないだけだよと言われたが)。

 余談だが、陸海空自衛隊間の軋轢が無くなったのは先の戦争のおかげだとするのが一般的らしい(異論も多数ある)。各軍の軋轢の所為で戦争に負けた国家の例は驚くほど多い。旧日本軍はその代表格だ。初めて戦場に到って、自衛隊はやっとそのことに気付いたのだ(ただし、気付いた時点で引き返せるレベルに軋轢を抑えていた過去の自衛隊員たちの努力は評されるべきだと思うが)。

「危なかったな」

 改めて、哲也が言う。そう、危なかった。どんな上層部の(もしくは派閥幹部の)意向か知らないが、危うく殺されるところだった。しかし今こうして生きていられるのは、まだどこかの派閥(うちの川内一佐、もしくは紫将補が加入していると思われる)が俺か霧島三佐(おそらく後者。俺など幾らでも替えが利く)に利用価値を認めているのだろう。

 そのおかげで助かったのだが、感謝したいとは思わなかった。対立派閥の行動を止められなかったわけだから。

「ああ、危なかった」

 俺は返した。全く本心から出た言葉だった。

 横を見ると、吾妻が小型の通信機を耳に当てている。多くの人間と同時に連絡を取っているのだろう。そうでなければ、耳に嵌めた小型通信装置(マイクロコミュニュケーター)だけで充分なはずだからだ。

「ところで、敵はどうだったんだ?」

 哲也が訊いてきた。俺は向き直る。

「どう? 強さか? 戦い方か?」

「戦い方だって強さのうちだろ。何を以って強いと言うか、にもよるがな」

 俺は少しだけ考えた。強さ……、どう説明したものか。

「弱くはないよ。個々の戦闘能力は高いし、チームとしての戦闘能力も高い。ただし、個人個人の役割がきっちりと決まりすぎているように思えたな。リーダーを殺したら脆かった」

「ふぅん。一般的だな。……いや、お前をそこまで追い詰めたんだから、それなりなのか?」

 俺は少々顔を顰めた。

「俺を過大評価するな。拳銃一挺で普通の服を着て、それくらいしか装備が無かったんだぞ」

 とは言え過小評価も危険だがな、俺は心の中で付け加えた。

「そうかい? 武器無しで敵陣に進入しての特殊工作もお前の得意技じゃなかったか?」

「お前……、俺はアニメの主人公じゃないんだから。幾らなんでも一対多数の敵と戦うのはかなり無茶だぞ」

 当然のことを言うと、それもそうかと哲也は納得した。

「うん、まぁ……そうかな。でもよぉ、そこをこう、敵を倒して武器を奪い、それでまた敵を倒して武器を……」

「阿呆か。確かに敵の武器は奪ったが、俺は敵の弾に中るんだ。場合によっては死ぬんだぞ」

 そう言って、肩を見せた。服と防弾衣に包まれているが、そこには傷があった。

「まぁそうなんだが……」

「仕事よ」

 俺達の会話を遮って、吾妻が言った。俺達は直ちに口を閉じた。

「何時来る」

 俺は訊いた。

「三十分後。物資の運び出しは終わったわ。さぁ、休憩は終わり。あなた達も手伝って」

「了解」

「解りました」

 俺達二人は簡単な敬礼をして、言われた場所に走り出した。待ち伏せの準備をするのだった。

 

 

 その後、俺達が撤退したのは四十分後だった。敵が来たのは吾妻が言ったとおり三十分後。俺達は十分で敵を殲滅していた。こちら側の被害は負傷者が一名、それだけだった。

 

 

 

 

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