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2017年8月25日
布香町夏雄は航空自衛隊中部航空方面隊第6航空団第303飛行隊に所属していた。彼の愛機の垂直尾翼(本当は垂直ではない)には、当然、ファントム時代から303飛行隊の伝統であるドラゴンをアレンジしたマークが描かれていた。
彼は六機撃墜のエースだった。だが、彼はそれを特に何とも思っていなかった。仕方の無いことだった。彼がその記録を打ち立てたのは、彼がまだ旧式のF15J改イーグル戦闘機に乗っていたときだが、敵はそれよりさらに旧式のMig17や19、21で、それを完全な電波妨害の下、日本国産の命中精度の高いAAM4空対空ミサイルでアウトレンジから撃墜したのだ。
正直、うれしくもなんとも無かった。何故なら、自分が戦闘をしていると言う実感が全く湧かなかったのだ。別に彼は戦争が好きなわけでもなかったし、人を殺したいと思ったわけでもなかった。ただ、自分が戦闘機のパイロットだと言う誇りは持っていた。だが、あの戦闘は彼のパイロットとしての誇りを満足させてはくれなかったのだ。
彼は思っていた。あれは俺が敵を撃墜したことになるのか? マニュアル通りに離陸して、航空管制に従って飛行して、やっぱり航空管制に従ってミサイルを発射し、マニュアル通りに着陸しただけだ。航空自衛隊の年平均飛行時間は、二〇〇五年の時点で二五〇時間以上あったのだ。それなのに、俺がそれを生かした場面はほとんど無い。
あれでは、俺は戦闘機のパイロットなどでは無い。ただの運び屋だ。ミサイルを運ぶだけの。
だが、今日は違う。彼は思った。出撃前の説明によれば、敵はMig29とSu35だそうじゃないか。Migはともかく、Su35は間違いなく強敵だ。R77ミサイル――あのアムラームスキー――には、千歳の友人が撃墜されている。電子戦闘能力も、昔のに比べたら上がっていると聞く。
彼は次に、自分の愛機と比較した。確かに敵は強い。だが、勝てないわけじゃない。
彼が乗っているのは、F3支援戦闘機だった。名称こそ支援戦闘機だが、実際は対空・対地・対艦と使える万能機だ。系列としてはF2――あの途中で調達が中止されてしまった不幸な機体――の後継となるのだが、航空自衛隊は今後戦闘機と支援戦闘機を一本化するつもりでいる。つまり、F3はF15J改の後継でもあるのだ(少なくとも今のところはそうなっている)。
F3はF2の二の舞にならないよう、細心の注意を払って導入された。元になったのは、米空軍の新鋭戦闘攻撃機F/A22<ラプター>だ。最初はこれをそのまま導入と言う意見もあったのだが、F2で失敗した国内産業から完全な国産がしたいとの意見があった。しかし、日本には(実用に耐え得る)ジェットエンジンを開発する技術は無かったのだ。
また、別の方向からの意見もあった。F/A22のようなステルス戦闘攻撃機は、専守防衛の日本には不要と言う意見だった。確かにステルス戦闘攻撃機の利点とは、レーダーに気付かれず敵地奥深くに侵入し、爆撃でC4Iを破壊することが出来るという部分だからだ。
しかし、レーダーに映らないことは他の利点もある。アクティブホーミングのミサイルの命中率を著しく下げることが出来るのだ。また、常に日本列島が日本国の支配下にあるとは限らないと言うこともあった。日本本土に敵が上陸してきた場合、レーダーに気付かれずその敵を叩けると言う利点がある。もっとも、F3を開発していた当時の仮想敵国は主に《北》だけで、《北》は残念ながらまともな揚陸部隊など保持していなかったのだが、そういうことは完全に失念されていた。
とにかくそういった内容の議論が続き、結局、F/A22を日本風に改造するということで意見がまとまった。最初はF22Jとして導入しようとしたのだが、電子機器はほぼ日本製に改め、ステルス装備やレーダー、細部にもいろいろ手を加えた結果、F/A22とはまったく別と言っていい機体になった(と、三菱は主張した)ので、F3支援戦闘機として導入した。F15JやF4入と似たプロセスだが、大きく違うのは、対地攻撃能力や空中給油機能の類が外されなかったことだろう。
こうして、日本によって開発された(改造された)支援戦闘機が、現在夏雄が乗っている戦闘機なのである。例によって機体は三菱、エンジンは石川島播磨がライセンス生産している。全長は二十トル強に延長されているが、これはAAM4を搭載する為に仕方なく取った措置だ。
ちなみに、現在開発中のF5(F4<ファントム>戦闘機と区別するため、国産のF4番は存在しない)は、完全な国産となる予定だ。戦時中、戦災国だということを理由にアメリカから給与された(無理やり奪ったに近い)多数の軍事品(主に発動機の類)により技術水準を著しく高めた石川島播磨は、米国製より優れたエンジンを開発可能と豪語している。同じ理由で三菱も、もっと空戦能力、ステルス性共に高めた機体を設計可能だと言っている。そしてそれは、ある程度は事実らしい。
今のところ夏雄は、この戦闘機を気に入っていた。ステルス性を重視した形状は、人によって好みの分かれるところだが、夏雄は特に抵抗は感じなかった。それより、この機体の運動性の良さや、出力の高さに驚いていた。そして、今日がこのF3戦闘機での夏雄の初陣なのだ。しかも敵はSu35。相手にとって不足は無い。
「シーベース、ドラゴン。敵はMig29が五機、Su35が二十機。電子妨害手段を使用する」
日本海に航空管制として展開しているイージス艦<わかば>から入電する。八二〇〇トン級の新鋭イージス艦で、ヘリ搭載能力を有する。七七〇〇トン級として開発されていたものだ(排水量が最初の計画より多くなるのは、日本の伝統か?)。高い電子戦闘能力と通信能力を持つため、今回航空管制を行うらしい。異例のことだが、イージス艦の能力を考えれば無理な話ではない。空中管制が出来ないのは、航空管制機を現在ばらして整備中だからだ。事前に計画していた出撃にもかかわらずこんな事態が起きているのは、情報がちゃんと伝わらなかったのが理由らしい。ちなみに、ドラゴンとは303飛行隊のコールサインだ。隊長機がドラゴン01で、残りが端から順にドラゴン02から18までのナンバーを与えられている。シーベースがわかばのコールサイン。実に安直なネーミングだ。
「ドラゴン、シーベース。了解。誘導を頼む」
リードの機体が返す。通常の哨戒飛行やスクランブルは二機程度だが、現在は飛行隊の十八機全てが迎撃に当たっているという、異例の事態だ。まぁ、敵の数を考えれば当然かもしれない。何と言っても、二十五機だ。空港には四十機いたそうだから、残り十五機は整備不良で飛べなかったらしい。反面、信用ある整備員の整備した俺達のIHIライセンス国産エンジンは実に快調だ。やはり、工業力の水準が整備の良さにも関係しているのだろうか?まさか残りの十五機は、共食い整備で食われてしまったのではないだろうか?
夏雄は兵装を確認する。現在搭載しているミサイルはAAM4改が四発、AAM5が四発、チャフ撒き用のミサイルが二発。敵一機に対してAAM4改を二発打ち込めば、それで終わるだろう。撃ちっぱなし可能なミサイルだから、発射して逃げれば問題ない。
「シーベース、ドラゴン。後十二秒でフォックス・ワンだ」
「ドラゴン、シーベース。了解。ミサイルが来たら教えてくれよ」
飛行隊長がそういい終わると、夏雄はレーダーを見た。まだ何も映らない。
「ドラゴン01、ドラゴン。ドラゴン01からドラゴン06はフォックス・ワンを四発。その他は二発準備しろ」
「了解」
全員がほぼ同時にそう答えた。ドラゴン05のコールサインを与えられている夏雄は、AAM4改を一番から四番まで発射準備する。続いて、安全装置を外す。これでいつでも撃てるわけだ。発射時間まで後三秒。後二秒。後一秒。今!
「フォックス・ワン。やれ!」
飛行隊長からの指示が飛ぶ。その指令と寸分狂わず、夏雄はミサイルを発射していた。機体に内蔵されたミサイルは、ボム・ベイが開くと同時に少しの距離落下し、直ぐに火がついて猛烈な勢いで前進する。他の機体も、同じようなことをしていた。
撃ちっぱなしといっても、撃って直ぐに逃げれるわけではない。中間誘導が必要だ。ミサイルが敵機をロックオンすれば、後は好き勝手に動いていいのだ。
発射から少しして、シーベースから通信が来た。
「シーベース、ドラゴン。敵がミサイルを発射したぞ。気をつけろ」
いったい何を気をつけろというのか。だが、気遣ってくれていることだけは伝わった。敵がこの距離で(ステルスなのにこの距離で見つかったのは……何故だろう?)発射したとなると、R77空対空ミサイルだろう。AAM4とは違い、慣性誘導で飛行し、終末誘導に入る。よって、中間誘導を必要としない。俺の友人はあれに食われたんだ。だが、今回はそんなことにはならない。イーグルはステルス性をほとんど考慮されていなかった(開発は七十年代だから、無理からぬことだ)為、ロシア製のレーダーに簡単に捕捉されてしまった。だが、F3はステルス機だ。そう簡単にやられはしない。
R77の特徴として、ECMの電波を出している方へ向かって飛んでいくというものがあるらしい。現在ECMを行っているのはシーベースことわかばだが、大丈夫だろうか?
そんな不安……というかある種の期待とは裏腹に、敵ミサイルは真っ直ぐこちらに向かって来る。既にレーダーでも掴んでいる。敵ミサイル数は五十六発。それだけしか無かったのだろうか。いや、ECMで少し落とされたのだろう。それにしても、定数から考えると少なすぎた。
レーダーに表示される敵ミサイルの光点と、自分の位置を示す中心の光点がぐんぐん近づいていく。背筋に冷たいものを覚える。まだ中間誘導中なので、回避行動は取れない。
「ドラゴン01、ドラゴン02。チャフを発射」
「ドラゴン02了解」
隊長機と二番機の会話が聞こえる。その声の直ぐ後に、戦闘と右端の機体から白煙が延びた。チャフを発射したらしい。
チャフは敵ミサイルと俺達の会敵予定地で爆発した。その辺りでレーダーに乱れが映るが、さすが日本製の高性能レーダーだ。敵のミサイルは確り捕捉していた。
R77は、さきの説明通り、終末誘導のみアクティブ・レーダー誘導なのだ。つまり、最終段階にならないと、いかなるハードキル的な電子妨害手段は行使しようがないのだ。だから、チャフを会敵予定地で炸裂させた。そうすれば、終末誘導に移る際に敵レーダーを攪乱出来る。
中間誘導が終わった。しかし、回避運動と入っても、この距離になってしまえば横に逃げるのは論外だ。わざわざレーダー反射面積の大きい面を曝せば、探知してくださいと言っているようなものだ。むしろ、このまま頭を敵に向けて、突撃した方が良い。それならばレーダー反射面積は少なくなるし、ミサイルとの相対速度も上がって、敵がこちらを捕捉してから自らをこちらへ誘導する時間を短く出来るからだ。
しかし、大丈夫だろうか?R77は、電子妨害妨害手段能力も高いと聞く。夏雄は、千歳で死んだ友人を思い出した。再び、背筋に冷たいものを覚える。くそ、死んでたまるか!
だが、不安はあっという間に消えていった。敵のミサイルは距離が三〇〇メートルほどになってから、やっとこちらへ接近する動きを見せたのだ。幾らかのミサイルは、チャフでレーダーを狂わされ、あらぬ方向に飛んでゆく。
マッハの世界で動くものにとって、三〇〇メートルなど無いに等しい距離だ。マッハ一でも一秒以下で三〇〇メートル進むのだから。だが、敵のミサイルがこちらを捕捉したのはその距離だった。
と言うわけで、敵の攻撃は全て命中しなかった。いや、命中する前に、あっという間にすれ違ってしまった。おそらく、こちらのステルス性が高すぎて、この距離に接近するまで敵のミサイルが追尾できなかったのだろう。
「シーベース、ドラゴン。外れたようだな。だが、お前らの攻撃は命中したぞ。ミグ全部とスホーイ十二機。残りは進路を逆に取った。逃げ帰るようだ。やったな。誰のミサイルがどれを撃墜したかは、後で伝えてやるよ」
「ドラゴン、シーベース。わかった。俺達もそろそろお家に帰りたいから、お巡りさんになってくれ」
「シーベース、ドラゴン。了解。燃料の貯蔵は十分か?」
作戦終了の安堵からか、隊長とシーベースの管制員が砕けた調子で、冗談を交えながら話をしている。
しかし夏雄は、どうも笑う気になれなかった。今回の戦闘も、やっぱりただの運び屋に近い。そりゃ、敵のミサイルに狙われるという恐怖はあったが、それも、回避運動一つする必要が無かった。
昔よく言われたそうだ。機械が人を補完するのか、人が機械を補完するのか。これからの時代はそれを考えることが重要になりますよ、と。
まさにその通りじゃないか。聞いた話によれば、今の技術なら離陸と着陸以外は完璧にコンピュータがこなせるそうじゃないか。離着陸だって、コンピュータに不可能というわけではないんだ。ただ、成功率に不安が残るくらいだ。それでも、八十パーセント以上は成功すると聞く。
くそ、それならば、コンピュータが操縦する無人機を作ったほうがましじゃないか。人間が戦闘機に乗れば、あちらこちらに無理がかかるんだ。離着陸や急降下、急上昇時のG、敵と向き合ったときの恐怖、命令の聞き間違い、操縦の失敗。コンピュータを搭載すれば、それらを全て克服できるじゃないか。
ああ、勿論知っているさ。現代の電子戦闘能力が高すぎて、コンピュータを搭載したらあっという間に狂ってしまうということくらい。だから、わざわざ危険な仕事に人類が赴いているわけだ。つまり、俺達人間はコンピュータのお守りな訳だな。くそ、やっぱり機械を人間が補完してるんだ。
俺は、パイロットだ。完全自動戦闘攻撃機のお守りじゃない。
夏雄がそんな事を考えていると、海が途切れ、小松市が見えてきた。間も無く基地も視界に入る。夏雄は航空管制(シーベースでなく、地上)からの指示通り、滑走路を眼前に捉え、慎重に高度を下げていく。間も無くタッチダウンする。
彼の着陸は、完璧だった。