12

 2017825

 

「まさかこんなことを隠しているとは思いませんでした」

 霧島は内心に秘めた怒りをそのままにして、顔には無という表情を貼り付けたまま、川内に言った。

「うん。俺もね、不確定な情報だって言われてたからはっきりとは言えなくてね」

 川内はとぼけた様子で答える。

「事後処理を楽にしようと、私はあらゆる機関に連絡とって、対応を定めていたんですよ。労力を惜しまずに」

 霧島が、最後の方の語調を強めて言う。しかし、川内は何処吹く風だ。

「そうか。それは素晴らしい。君の労働意欲は十分だと、上に報告しておくよ」

 霧島にとってはストレスの溜まる職場だった。いろいろな意味で。しかし、少なくとも転職したいとは思わない。少なくとも、環境は恵まれているのだ。手に入る情報は最高レベルだし、使用できる機材も最高級だ。給料は悪くないし、なにより、自分の能力が発揮出来る。また、上司や部下にも恵まれていると言えた。川内はあんな人だが、本気になった場合の諜報能力と情報収集能力、そして電子戦闘能力などは霧島以上で、かなり有能な人物なのだ。また部下に関しては、文句を言うのも失礼なくらいだ。ターネスは作戦立案と指揮、そして戦闘能力に何の疑問もないし、素雪を始めとしたその部下達も、作戦遂行能力で全く問題ない。勿論リスクは伴う。危険な事件に巻き込まれたり、上司の不真面目(少なくとも表面上はそう見える)に悩まされたり、部下についていろいろ思わされたり。

 それで今は、その真ん中の状態だ。

「あのですね……」

 半ば呆れて言い返したとき、部屋のドアがノックされた。

「はい、どうぞ」

 霧島がドアに向かって言うと、ドアの向うから二人分の声が返ってきた。

「失礼します」

「失礼します」

 声の直ぐ後にドアが開き、二人が入ってくる。片方はターネス、もう片方は素雪だ。手には書類を持っている。

「ああ、ターネスとヴァレンシュタインか」

 川内は素雪を苗字で呼ぶ。と言うか、部下を呼ぶときは全員苗字だ。こんな気楽な人だが、どこか他人行儀なところがある。

 二人はその場で直立して敬礼する。川内と霧島は軽い答礼を返す。

「これ、報告書です」

 ターネスと素雪が書類を机の上に置く。川内はそれをちらりと見ると、

「ご苦労」

 と、短く労をねぎらう。二人は軽い会釈で返す。

「しかし、すまなかったね。アームスーツの件」

 川内が言うと、ターネスはいえ、と軽く返す。

「ソ連政府がぎりぎりになって持って行くのを決めてね。情報が回らなかったのだよ。知っていれば、誘導装置付きの対戦車ミサイル(ATM)でも持たせられたのだが……」

 川内がすまなそうにそう言うと、素雪が首を振りながら言う。

「いえ、結果的には何とかなりましたし、事前に情報を知るのは無理だったのでしょう。ならば、問題ありません」

 ターネスも頷いている。だが霧島は、胡散臭そうな思いで川内を見ていた。演技かしら?いつもの川内の行動を見ていると、言葉と行動が本心だと思えなかった。いや、ATMを持たせたと言うのは本当だろうが……素雪さんは純真だから、信じてしまうのね。可哀想に。

 実際、素雪が純真かと言うと、首をひねるところがある。とりあえず他人に対して謙虚になるのが素雪の性格なのだ。加えて、素雪は他人の心を読む術に長けている方だった。もっとも、川内の表情からは本心は読み取れなかった。流石に情報戦には慣れていたのだ。

「そうかい。まぁ、今後はさらに努力を重ねるとするよ。君達も、いっそう訓練に励んでくれたまえ」

「はっ!」

素雪とターネスの声が重なる。そうして完璧な敬礼を返すと、素雪とターネスは部屋から出て行く。

「失礼しました」

そう言って素雪がドアを閉める。

 部屋の中は、しばらく沈黙に包まれた。

 先に沈黙を破ったのは霧島だった。

「で――?」

「で、と言われてもねぇ」

 川内はのんきな声でそういうと、パソコンのキーボードを叩く。インターネットブラウザを起動したのだ。

「後始末は神谷がやってくれるよ。国連との弁論戦と、アメちゃんやヨーロッパの国々への弁解も含めて、ね」

 やがて、目当ての情報を探し当てる。

「ほら、ネットでも既に情報が確認できるよ。当然、日本を正義の味方としてね」

 そう言って、自分の画面を霧島のパソコンに送り込む。

「でも、私の見てるテレビでは、結構日本を批判的に捉えると思いますよ」

「それ、何チャンネル?」

 川内が訊くと、霧島は珍しく、少しおどけて言った。

「2ちゃんねるです」

「ああ、あそこは何でもありだからね」

 川内はそう言うと、再びディスプレイに目を落とした。おそらく、自分の好きなホームページにでも行くのだろう。もしくは、どこかの超巨大掲示板に、情報攪乱の為という理由でいろいろと書き込むんだろうか?いかにもやりそうだなと、霧島は思った。

 加えて、さきの自分の態度にも驚いた。どうしてあんな冗談が言えたのだろう?

 あの人の前でも、あんなふうに普通になれたらいいのに。

 

「なぁ素雪」

 東京都内にある特殊師団経営のカフェ……<ナウシカァ>と同系列の店の中で、哲也は素雪に言った。

 時刻は既に午後七時、あの作戦の後、直ぐに書類の作成を命じられたのだ。勿論、作成すべき全ての書類を、ではない。今のうちに作成しておかなければいけない書類のみだ。おかげで、第4小隊の隊員達は体も心もくたくたといった様子だった。素雪と哲也がこのカフェに来て雑談をしているのも、そんな理由だった。それをするのと速やかに家に帰って寝るのとどっちが体と心を休められるか知らなかったが。

 吾妻が来ていないのは、班長だけあって、仕事量が二人よりも多いからだ。

 ちなみに店の名前は<ゼーレ>。ドイツ語で魂という意味だが、何か他意があるように思えるのは何故だろう?

 とにかく、少なくとも特殊師団の店の名称に特に共通性はない。と、言われている。

 この時の哲也の服装は、彼らしくセンスの良い、しかし目立たない服。青のラインとロゴの入ったシャツに、葉巻色のパンツ。ジャケットは脱ぎ、横の椅子に置いている。素雪は、やはり地味な黒い服長袖シャツに黒いパンツ。ただし、首には変わらずネックレスをかけている。

「何?」

素雪が短く答える。

 ちなみに、二人の前にはコーヒーと紅茶があるが、哲也のはアイスコーヒーで、素雪のはホットの紅茶だ。何故素雪がこんな暑い日に熱い飲み物を飲むかと言うと、彼の性格としか言い様がない。

「俺達も実戦経験者となったわけだが……俺達の価値って何なんだろうな?」

 哲也の言葉に、素雪が珍しく驚きを顔に出す。

「お前がそんなふうに言うなんて、珍しいな」

 哲也は自嘲的に笑い、答えた。

「いや、なんだかな。実際この仕事って、どんなものだかわからなくなったんだよ」

 素雪は少し興味深そうな顔をして、目線で続けろと、哲也に指示する。

「俺達の仕事は、日本国の利益になるよう――つまり日本国民のために、その障害となるべくを排除することだろ。いや、それは外務省だって財務省だって内閣だって同じだな。つまり、武力――それも、非常に限定的なそれ――を持って障害を排除するんだ

 今回の仕事も、まさにそれじゃないか。そりゃ、説得が少し足りなかったかな、とは思うけどな。それも、突入前にあまり情報を与えないのと同じだと考えれば納得がいく。

 それで、今回俺達はその力を行使したわけだ。訓練の費用や給料は国から、つまり日本国民から与えられているのだから、日本国民のためにこれをやったことは正しいわけだ」

 哲也はそこで言葉を切る。

「つまり、何なんだ?」

素雪が急かす。

「あのな、ここからが本題なんだよ。

 俺達は日本国のために行動を起こしたわけだが、果たしてそれは日本国民が望んだ事だったのかという問題だ。例えば今《北》に使用可能な核ミサイルが行き渡らなかった事を各種メディアが報道しているが、果たしてそれを諸手を挙げて喜ぶ人間が何人いるか、という話なんだ」

 それを聞くと素雪は、ふむなどといって僅かに俯き、何か考える。

 しばらく沈黙が続き、素雪が破る。

「つまり、文民(シビリアン)統制(コントロール)の話を言っているわけか?」

 素雪の言葉に反応し、哲也は難しい顔をする。

「そう……なのかな?自分でもよく分からないんだよ」

 そう言って、コーヒーを一杯口にする。

「軍隊とは全てそれを統制する文民の下、文民の求めるままに動かねばならない、か」

 今度は素雪が紅茶を一杯。

「たしかに、正しいと思うよ。俺達は、まぁ一応諸外国から見れば軍隊みたいなものだから、全て文民――つまり俺達にとっては日本国民のために動かねばならない。これは、現代の軍隊の基本だ。

 特に、自衛隊はそれが顕著だな。ほら、古い話になるけど、阪神淡路大震災を知っているか?あの日本にとって久方だった大地震だよ。あれの経験のおかげで、第二次関東大震災の時、あんなに早く復旧が出来たらしい。

 いや、今は特に関係ないな。問題は、あの時の自衛隊の介入なんだ。

 阪神淡路大震災の時、自衛隊は介入が遅れたんだ。おかげで、死傷者は千単位で増えたと言われる(新潟地震と比べれば、自衛隊の行動の価値がわかるだろ)。何故遅れたかと言うと、先言ったシビリアン・コントロールが原因なんだ。つまり、自治体から要請が出なかったんだよ。

 何を莫迦な、という顔をしてるな。だが、それは違うぞ。俺はな、それでも良いと思うんだ。人死にが増えるくらいならシビリアン・コントロールを無視して出動した方が良かったと思うか? 確かにそういう意見もある。

 でもな、それは違うと思う。

 何故国が防衛力を持つのか、これから考え始めようか。もし国単位で防衛力を持たなければ、個人単位で持つ必要性が出てくる。何故か。防衛力が無いものは決して生き残れないんだ。お前なら、当然そんなこと分かるだろ。そしてもしそんなことになれば、個人個人でこの上なくぴりぴりした関係が出来上がる。その上、予算もかかるし、防衛力もけして高くない。個人で戦車なんか持てないからな。せいぜい小銃がいいところだ。

 だから、皆で資金と人員を出し合い、共同で防衛力を作る。これが国の防衛力だな。皆でお金を出し合えば、高価なハイテク兵器を保持した、戦闘を生業とした組織が作れるわけだ。これの意味は大きい。他のものは防衛なんて考えることなく、安穏として暮らせるわけだ。ほんの少しの投資でな。

 その際、その組織はけして暴走しないように、それを作った者達――つまり国民だな、それの下に位置づけないといけないんだ。戦闘を生業としている、武力が集中している組織、つまり軍隊が暴走してしまうと、他のものには止められないからな。これは、歴史が証明しているな。日本でも、陸軍が暴走しただろ。

 そのために、武力の使い方を国民の意思決定で行われるようにするよう、法律とかで戒めておくわけだ。それが、シビリアン・コントロールだな。

 そこで、先の話だ。一九九五年の一月、自衛隊は出動していたにもかかわらず、指示が無かったから何も出来なかったんだ。これに対して多くの人が、いいことなら上からの命令が無くても行ってもいいのではないか、と言っているな。だが、これは絶対違うと思う。これは、シビリアン・コントロールの放棄に他ならない。例えば、クーデターを行う軍人のことを考えてみろ。彼らは、悪いことをやっているという自覚を持っているか?違うだろ。当人達は、良い事だと思ってやっているわけだ。クーデターの主犯格がスパイだった場合を除いてな。

 だから、阪神淡路大震災の時自衛隊が動けなかったのは、自治体に責任があるわけだ。自治体がもっと早く自衛隊の援助を要請していれば、もっと多くの人が助かったわけだからな。関東の時はそんなこと無かったから、

 いや、別に武器の使い方とかまでシビリアン・コントロールする必要は無いぞ。餅は餅屋だからな。でも、その武器を持った組織――日本なら自衛隊だな。これは絶対に文民の統治下におかねばならない。何処でどんなふうにその武力を使用するかは、国民が決めないといけない。俺はそう思う」

 素雪はところどころで紅茶を飲みながら、言葉を続けた。哲也は驚いたような顔をしている。

「どうした?」

 哲也の反応が無いので、素雪が訊く。

「いや……その、何と言うか……」

 素雪は不思議そうな顔をして、顎を動かして続けろとの意思表示をする。傲慢この上ないようにも見える。

「いや、お前、いつにもまして饒舌だな、と思って」

 途端に素雪は驚いた顔になり、次に気まずそうな顔になる。

「まぁ、な」

 素雪は短くそういうと、はぁ、とため息をつき、言葉を続ける。

「つまりだな」

「短く頼む」

哲也が余計なことを言う。

 素雪は、殺気だけで人を殺せるなら今ここに惨殺死体を作り出せるだろうという気迫で哲也を睨む。

「つまり、俺達はシビリアン・コントロールが機能している状態で動いたなら、国民のために動いたわけだろ。

 じゃあ、考えてみようか。俺達は誰の命令で動いたわけだ?」

「霧島二佐。川内一佐。あとは、防衛省長官……つまり国務大臣か」

 哲也がすかさず答える。

「霧島二佐と川内一佐の上官は国務大臣だから、国務大臣からの命令と考えよう。じゃあ、その国務大臣を選んだのは誰だ?」

「内閣総理大臣だな」

「では、その内閣総理大臣を選んだのは?」

 哲也が答えようとして、あっと小さく声を上げた。

「驚くほどのことでもないけどな。内閣総理大臣を選んだのは国民だ。国会議員は、国民の選挙で選ばれるわけだからな」

「だから、ドミノ式で言えば、俺達に命令を下したのは国民だ、と」

 素雪は頷く。

「もっと言ってしまえば、防衛省長官――つまり国務大臣だって国民なんだ。いや、国民と言う言い方は不味いな。自衛隊員だって国民だからな。じゃあ……文民と言うのも変だから、自衛隊員以外の存在なんだ。俺達に戦略的な命令を下すのは」

 哲也は感心したような顔をして、しきりに頷く。

「詭弁のような気もするけど……少なくとも筋は通っているな」

「まぁな。いや、今言ったのはこの日本国の政治システムの理想なんだ。勿論、理想と現実は違いがあるよ。でもな――」

 素雪はそこで言葉を切る。

「でも、少なくとも国民の損になることはやってないよ。皆が諸手を挙げて喜ばないのは……実際に階段が成功したらどうなるかが分かる、正しい想像力を持った人々が少ないからだよ」

 そう言って、素雪は微笑んだ。

 この素雪の行動に、表情に、哲也は驚いた。少なくとも哲也は、素雪がこんなふうに笑ったところなんて見たことなかったし、笑うとも知らなかった。いや、そもそもこいつが笑ったことなどあっただろうか?

 だが、その笑いは哲也から見ても、魅力的だった。別にいやらしい意味でのそれではない。だが、同性の彼でさえこれなのだ。もしかしたらこいつ、もっと流行の服を着たら、女性であればたいていが振り向くような美少年なのではないだろうか?

「ああ、そうだな」

 素雪につられて哲也も笑いながら、答える。

「少なくとも、戦争を防いだんだから。戦争になるよりは、ずっとましだもんな」

 素雪は頷いて、表情を変えた。

 その表情に、哲也はおそらく今日一番の驚きを見せた。素雪は、無表情な人間だった。だから、微笑んだだけで哲也があんなに驚いたのだ。だが、この時の表情は微笑みのような、感情を僅かに匂わせるような表情ではなかった。明らかに、内側からにじみ出る思いが感じられた。

 素雪は哲也から目を逸らせ、窓の外を向いて哲也の言葉に答える。

「戦争なんて……嫌いだ」

 そう答えた素雪の顔には、明らかに、憎しみの色が浮かんでいた。

 

 

 

 

前へ 小説トップへ 次へ