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 暑い。ただひたすらに。

 真夜中の午前一時、夏の夜は、太陽が照っていなくとも扱った。

 たとい薄着をしていたとしても暑いその空気の中に、全身を覆う長袖長ズボン、加えて手袋、ヘルメット、顔を完全に覆うフェイス・マスクまで完全装備していては、涼しめという方が無理だった。

 だが、それらは全て必要な装備だ。千葉県の郊外にある荒野とも平原ともつかない場所。その場所の所有者は日本国だったが、現在この場所に陣取っている自衛隊の一部、第1特別師団第11連隊第4小隊、通称“シュヴァルツェルヴォルフ”小隊にとっては。

 特別師団はいかなる自衛隊にも所属しない、防衛省長官直属の組織だ。これに所属する隊員は、○等特○という地位を与えられる。例えば陸自の一等陸尉なら、特別師団では一等特尉になる。何とも意味のない部隊設置方法だが、日本の官僚制の弊害というものだった。各方面から寄せられるであろう法厳守に関するいちゃもんを回避する為には、それが最善の方法だったのだ。たとえ、それによって無駄な人員を増やし、無駄な苦労を背負い込んだとしても。

 だが(それゆえにと言うべきか)特別師団の権限は大きい。有事の際は陸上自衛隊特殊()作戦群(OG)、海上自衛隊特別()警備隊(BU)、航空自衛隊特務()陸戦隊(LF)などの特殊部隊を全て統括する権限を与えられている。また、それ自体の作戦能力も大きい。特別師団の実動部隊は、主に三個陸戦連隊、一個空挺連隊および一個特殊連隊から構成されているが、特に特殊連隊は特別作戦遂行能力が高い。そう、今現在模擬の訓練を行っている彼らが、である。

 平原やら荒野やら表現可能な平面の中心付近には、何らかの建物を模した訓練施設があった。二階建てで、小さな市役所のビルのようにも見える。ただし、窓ガラスは嵌っておらず、ところどころ傷がついていた。

そこに、三十名程の完全武装の兵士たちが、音も無く忍び寄る。全ての出入り口に張り付くと、ドアに指向性の爆弾を仕掛ける。

 そして、後方(というか、建物からちょっと離れた場所)で小隊長と思しき男が腕時計で時刻を確認。事前に定めておいた時刻が来る少し前に、計画変更無しの情報を肩に付けた小型の無線機で送信する。決められた時刻になると同時に、爆薬で蝶番を吹き飛ばし次々と建物の中に入っていく。非常に素早いその行動は、他の人間が見たならば(特に日本国と対立する国家の軍人にとって)、ほとんど音を立てなかった彼らの動きと合わさり、非常に不気味であったであろう。

 兵士たちのうち、正面のドアから突入した三人は突入後、素早く中を確認する。敵――少なくとも訓練前にそうだと言われている存在――も三人。正面の二人が拳銃を持っており、後ろの一人は非武装だ。ただし、中にあるテーブルの上に拳銃が一挺おいてある。

 彼らは手前の二人に照準を合わせると、一切の躊躇無く引き金を引いた。相手も反撃してくるが、とてもではないが連射力が違う。あっという間に中にいた三人は真っ赤に染まり、倒れる。ペイント弾とゴムスタン弾を複合した特殊訓練弾だ。通常の演習弾と違うのは、命中したときの痛みが格段に大きいということだ。初めて当たれば三日は寝られぬと言われている。

 突入してきた三人はそれを確認すると、小隊長に連絡を入れ、次の部屋に進む。室内を確認し、突入する。それら一連の行為は、驚くほど無音に近かった。

 それから約二十五分間、それと同じような行為が、建物内のあらゆる部屋で行われた。

 

《E5、死亡7、制圧0》

 最後の部屋からの通信が届くと、ターネス新嶋(にいじま)篤春(あつはる)三等特佐は、椅子から立ち上がった。彼のいた即席テントは、即席とは言っても、確りと気密されており、空調が効いていた。陸自のテントを改良したものだった。もちろん、その空調は人間の為に設置されたのではなく、テントの中に運び込まれている多くの精密機器が誤作動を起こさぬように設置されているのである。

 その精密機器、つまりコンピュータが、屋敷内のカメラ・集音機・各種センサーの収集した情報をまとめ、テント内に幾つか設置された画面(ディスプレイ)に表示する。彼は、悪くないバランスで配置された形の良い顔の部品の一つ、ブルーの瞳で、そのディスプレイを見ると、ハサミで乱雑に切りそろえた髪を掻き揚げながら言った。

「あと、五分は短縮できそうだ」

 出来るだけ無音で、出来るだけ素早く目的を遂行する。これが第4小隊の行動原理だった。無音であれば行動に気付く者が少なくなり、敵も味方も無関係なものも被害が減らせる。素早く遂行すれば、何よりも貴重な時間が節約できる。

 その為、訓練は何より時間、隠密性に気を配る。彼がああ言ったということは、つまり、訓練の結果に彼が満足しなかったということだ。

 無音の指向性爆薬、超高性能サプレッサー、衝撃吸収防弾衣服など、世界最高基準の装備を与えられているにしては、あまりにも結果が悪い。彼はそう思ったのだった。

 彼は、英国人と日本人のハーフだ。生まれは英国で、軍属だった経験もある。突発的に始まった第三次世界大戦のせいで、(事実上の)徴兵を受けたのだ。中流階級より少し上、貴族よりは大分下という家庭。学校の成績は中の上から上の下という、特筆すべき点は無い人間だった。彼の所属した部隊が、英国特殊空挺部隊(SAS)と呼ばれる部隊だった以外は。

 才能があったのだ。英国が復古したソヴィエトのアルファ・チームとの戦いで壊滅したSAS第62連隊A作戦分隊第1小隊を補充する際、戦時とのことで規約を違反し、才能ある兵士を短縮した訓練に放り込み、素早く再建した。SASの行う支援活動は、表立った活躍こそ無いものの、英国軍には欠かせないものだったのだ(戦時だからこそ練度の必要な特殊部隊を、即席で育成するのもどうかと思うが)。

 彼は、素行の良さとずば抜けた戦争能力(単純な戦闘能力だけではなく、隠密行動や応急手当などを含めた戦争能力)を買われ、直ちに訓練に放り込まれた。そして、トップクラスの成績で訓練をクリアし、SAS隊員となった。

 英国と日本、彼は両国に愛着があった。そして幸運なことに、米国の弱体化により連帯感が生まれた為、前にも増して両国の関係は友好的だった。戦争が終わり満期除隊となった彼は、(SASに残らないかと言う政府の言葉を丁寧に断り)戦争で避難した両親のいる日本に行き、そこでしばらく定住することにした。

 統合的な特殊部隊を結成したばかりで、経験のある人間を欲していた自衛隊が、彼に目をつけないはずは無かった。かなりの特待で、いきなり彼を一尉に任命したのだ(いや、もちろん一応は曹長として自衛隊に編入し、特進で一尉まで昇進させたのだ。強引と言うほかなかった)。

 SAS内でもなかなか有能だった彼は、直ぐに第4小隊の小隊長に任命された(一尉――大尉で小隊長と言うのも滅茶苦茶な話だ)。そしてJSF内でも、主に(というか、未だにそれしか任務が無い)訓練の上で、教官として、その能力を発揮していた。

「もう一度だ。最初から。配置に着きなおせ」

 彼がそう命令すると、建物内のターゲット役、突入役がいったん外に出て、赤く染まった衣装を着替える。SASのキルハウスのような実弾使ったトレーニングもあるが、今回はそれではなかった。

第4小隊には男女に分けて更衣室まで用意してあった。第4小隊の男女比率は二対一と女性が多いのだ。

「どうかな?」

 訓練のデータを見直していたターネスに、同じテント内にいた川内道真一佐が声をかける。ターネスはなんとも微妙な表情を作り、

「おそらく問題は無いと思いますね。作戦までには完成できると思いますよ。ただ……」

 そこで言葉を切る。川内は黙って、次の言葉を待った。

「ただ、敵の不確定要素が多すぎます。周辺状況は詳しく調べていても、警備内容に」

 川内は分かっていると頷いた。

「確かにね。でも、問題は敵にある。どうやら、明確な警備プランを未だに打ち立てていないようなんだ」

 それを聞くと、ターネスはため息をつく。

「ある程度までは保証しますが……まぁ、傾向が分かっただけでも良しとしましょうか。しかし、警備が人に偏重していると言うのは、ある意味自動のセキュリティ・マシンを設置してあるのよりも面倒ですよ」

 川内はああ、と曖昧に返事をして、

「でも、それを何とかするのを、我々は生業にしているんでしょう?」

 と、きっぱりと言った。ターネスは口元に僅かな笑みを浮かべて、もちろんですとも、と答えた。

 

「ふぅ、終わった」

 加藤(かとう)哲也(てつや)一曹はそう言って、大きく伸びをした。今日は朝から重い装備を持っていて、ついさっきまで重い荷物を持って歩いていたので、体が軋んでいる。しかし、体が痛くなるようなことは、もちろんない。そんな甘い鍛え方はしていない。中東の風は何よりも厳しく、彼の体の奥底にある何かを永遠に変化させてしまったからだ。その変化は、体表にも連鎖的な変化をもたらした。

「気を抜かないの。訓練は家に帰るまでが訓練だって、教わらなかった?」

「絶対教わってねぇな」

 声をかけてきた吾妻深月(あずま みづき)曹長に、素っ気無く答える。もう少し面白い突っ込みも考えたが、疲れているので止めにした。まぁ面白おかしくはまた今度にしよう。楽しい会話をするには頭を働かせなきゃいけない。そんな風に思った。

「つまんない男ね」

「別にいいよ」

 口ではそういっても、内心では、やっぱり面白く返せばよかったかな? と思っていた。もちろん、常にこの世の全ては冗談だと考えたげな口調で会話する哲也は、そんなことを口に出したりはしない。演技ではない。相手がどんな人間であれ、自分の情報は少なくすべきだ。彼の奥底に染み付いたそういう考え方が、自然に、全ての物事を心の中で考える癖を彼に与えていた。

 訓練の終わった彼ら――第4小隊隊員/幹部――は、横浜にある特別師団が(裏で)経営するカフェで待機していた。店の名前は<ナウシカァ>、ジブリの傑作アニメの主人公ではなく、オデュッセウスを助けた女王様の名前を元にしている。

 特別師団は、日本国内のいたるところにこういう施設を設けている。それは、最も金のかかる設備投資への費用を節約する為でもあり(変なギミックに凝り過ぎて、逆に金がかかってしまう場合も多かった)、市街戦の時の拠点として使用しようという考えに基づいてでもあった。もっとも、上層部のやつらの趣味、と言うのが、現在ここを使用している多くの隊員(それと一部の幹部)の意見だったのだが。俺たちの上司はちょうど、秘密基地に熱中した世代なんだ、ということだ。

 

 加藤哲也一曹は、身長一八〇センチの、顔の整った、どちらかと言えば、カッコいいというよりも美形の男だった。色は黒い方で、髪は染めていないが、やや茶色を帯びていた。また、ファッションにも気を使う性質で、メーカーもののジーンズと、ロゴの入った白いシャツを着ている。きらびやかな服装ではないが、そっちの方が彼にあっているように思えた。また、彼もそれを承知していた。

 吾妻深月曹長は、身長一七二センチと長身で痩躯の女性だ。セミ・ロングの青みを帯びた黒髪と整った顔立ちと、女性としては何の不足も無い体格を持つ。が、その体を目当てで集まってくるような、男性の多くと女性のごく一部を、辛辣な言葉で罵倒する方法も、同時に心得ていた。上海やら南京やらの戦いで、彼女はそれを学んでいた。いや、銃を持ってするほうの戦いではなく、言い寄ってくる者たちとの暴力を用いない戦いのほうである。

 二人とも窓際の席で、先のような談笑している。いや、二人に限らず、同じ第4小隊に属する隊員たちも、洒落た店内に設置された、やはり洒落た透明のガラス……に似せた強化プラスティック製のテーブルで、談笑や食事を楽しんでいた。特別師団は、日本国籍を持つ、外国の特殊部隊で働く日本人を、もしくはそういった類の経験のある外国人を、多数ヘッドハンティングしてきたので、外人の血が入っている人も少なくない(日本国籍を持たぬ場合、背景を調べた上で帰化させる)。

 

「持って来たぞ。取ってくれ」

 そんな風に談笑していた二人の前に、一人の少年がやって来た。身長およそ一七五センチ、金髪翠眼で、見た目二十歳は前。高校生にすら見えるが、事実、彼は十六歳だった。その端正な顔立ちは、およそ日本人には見えないが、筋肉やら肌の質は東洋人のそれだった。

 服は、黒いジーンズに白いシャツ、その上に黒い上着と、およそお洒落とは縁の無い格好をしている。が、首の銀のネックレスが、唯一目立っていて、良いアクセントになっている。飾り気の無い趣味の良い、シンプルな形だ。錆止めが施してある。

 手にはお盆を一つ持ち、その上には料理の皿が三つ、水の入ったコップが三つ、フォークとスプーンが定数、それとお手拭が三つ、つまり三人分の食事が乗っていた。

「おお、遅かったな」

 哲也が軽い調子でそう言うと、少年は憮然とした表情をして、

「お前が決めるのが遅いから、並んでたんだよ」

 と反論する。加藤は、うっと声を詰らせ、黙った。

「い、いやぁ。こういう時って迷うじゃないか。普通」

「倒置法使ったってダメだよ。限度があるだろうが。俺は、今回のそれを限度とは考えないが、まぁ、節度を持ってくれよ」

「わ、解ったよ。でもさぁ……」

 哲也が何か言いかけると、吾妻がそれを遮った。

「まぁ、話すのはそのくらいにしてね。料理が冷めちゃう」

 吾妻はそう言い、自分の料理――ミートパスタと水、それとフォーク――を取り、自分の前に置き、食べだす。少年は憮然とした表情を崩さず、お盆をテーブルの上に置き、そこから自分の料理――カレーとスプーン。それとやっぱり水――を取って、哲也の隣の席に座り、それを食べ始めた。

「素雪、お前カレー好きだな」

 哲也が、最後に残った自分の料理――オムライスとスプーン、水――を引き寄せ、それを食べながら少年――素雪(もとゆき)ヴァレンシュタインに訊く。

「いや、今日はなんとなく。多分、訓練の前に、情報を受け取りに教会に行って来たからかな? 麻婆豆腐でもよかったけど、ここには無いんだ」

 彼がそう返すと、哲也はわけがわからないといった顔をして、正面の吾妻を見る。吾妻は、

「信仰心の無いあんたには解らないわよ」

 と、にべも無く切り捨てる。

「信仰心? 素雪、お前そんなものあるのか?」

 哲也がふざけた調子で訊くと、素雪は心此処に在らずといった様子で、

「二分の一は基督(キリスト)教だよ」

 と、またもや意味のわからない言葉を返す。

「その内訳は?」

「カトリック四分の一、プロテスタント四分の一、イスラーム四分の一、仏教四分の一、神道少々。敬謙な信者だろ?」

 冗談とも本気ともつかないその言葉に、哲也と吾妻は苦笑する。

 もちろん……というか何と言うか、素雪は半分ほど本気だった。素雪は中東、ヨーロッパ、そして日本全てに行ったことがあったから、その全てで風土である宗教を中途半端に吸収していた。

彼はある意味で神を信じていた。しかし、助けられたことなど一度もなかった。そして、助けられた人も一人も知らなかった。その矛盾に対して、彼はこう考えていた。例えば神というような絶対的なモノが存在するとして、どうしてその絶対的存在が全ての人間を助ける必要があるのだろうか? そんなもの、追い詰められた人間の悲しい幻想に過ぎない。神が人間を創った? 莫迦を言ってはいけない。“人間にとって都合の良い”神を作ったのは人間だ。宗教なんて、人間が遥か昔から自慰行為に耽溺していた証拠に他ならない。

だから彼は神を信じてはいたが、それに頼ろうとは思わなかった。髪が人間に対して都合の良い存在で無いことに、情け容赦の無い現実の中で気付いたからだ。仏陀、キリスト、アッラー。それらに何の違いがあるというのだ。

「それ、ある意味ものすごい不信信者だな。前三つは一神教だって知ってたか?」

「同じ神だよ。元はヤハウェ(エホバ)だろ。いや、エホバと言う発音は、本来のヤハウェが間違って広まった結果らしいが」

 ああ言えばこう言う。二人は頭の中でそんな言葉を当てはめ、深く考えるのを止めた。今のこいつに、何を言っても無駄だ。

 そんなわけで、二人は食事をはじめる。このカフェ<ナウシカァ>の出す食事は、質的には中の上と言ったところで、けして不味いわけではない。このカフェの秘密を知っている人間は店長とその他数人だけで、その他の社員――会社は第1特別師団が裏で経営するものの一つ――は全く知識を与えられていない。厨房と店内は完全に切り離されているし、今日のような師団隊員の集結日には、アルバイトも来させず、店も貸し切りにするので、情報漏洩対策も確りしている。怪しまれることも無い。“宴会承ります”の看板は常に掲げてある(もっとも、こんな場所で宴会をするような奇妙な客と言う時点で、既に怪しまれると思われるが)。

 そんなわけで、この店に味を求める方が間違っているのだ。中の上、つまり普通より少し上なら、むしろ充分ではないか。隊員達の意見は、概ねこんなところだった。

「しっかし、最近訓練が激しいよな」

 食事も終わり、哲也はそう切り出した。

「カトー、それは二ヶ月くらい前に気付いておくべきよ」

 吾妻の呼びかけに、哲也は複雑な表情を作る。彼は、この呼ばれ方があまり好きではない。

「たく、俺はストア哲学者じゃないんだぞ」

「いいじゃない。大きい方だと、ハンニバル戦役の功労者よ。『しかし諸君、カルタゴは亡ぼされねばならない』」

 そんな取り止めの無い会話を交わす。窓の外から見て、彼らを自衛官――それも特殊部隊員――だと気付くものが何人いるだろうか。

「訓練の厳しさもそうだが、訓練の内容が偏っているようにも思えるな」

 二人が変な方向の話をし出したので、素雪が軌道修正する。二人はそうだな、などと言い、記憶を遡って、それを元に自分の考えをまとめる。

「ほとんどが室内突入訓練。それも、屋上を使わずの。普通は考えられないような状況だな。屋上と一階から同時突入、それがセオリーなのにな。

 そして、使われる施設も、素雪の言うとおり同じようなものばかり。それも、人質が全く無しの状態ばかり。俺たちは確かに自衛隊特殊部隊だが、日本の性格として、普通は立て篭もり事件なんかの訓練をやるはず……てか、やってきたのにな。断定するには判断材料が足りないような気もするが、こんな状況で考えられるのって……」

 哲也がそこで言葉を切ると、吾妻が続きを引き継ぐ。

「何か大掛かりな作戦、それも、あんな建物を使用したもの、ね」

「しかも条件が特殊だ。出来るだけ無音で、あそこまで素早く。しかも、人質の存在も無い。屋上も使えない。対空設備の充実した、ある意味要塞化された、重厚な建物を落とす気だな」

 哲也の言葉に、素雪は頷く。

「訓練前、ルミエラ神父から貰った情報では、日本は大陸方面の諜報を強化してるって話だが」

「となると、半島の、特に《北》か、もしくはソ連か中共か」

 哲也は指折り挙げていく。吾妻もいちいち頷きながら聞いている。

「どれにせよ、危険なことは変わりないな。いや、兵器でなく、性質上な」

 哲也がそう締めくくると、素雪は表情を変えずに言う。

「あいつら同じような装備しかもってないからな。軽いだけで防御力なんて存在しない“軽”戦車T7288式(はん、98式だって似たようなものだろう)、見てくれはよくても電子装備は低性能のSu27<フランカー>にMig29<ファルクラム>。まぁ、総力戦になれば不味いけど、局地戦なら絶対に負けることは無いだろう。おまけに、俺たちが工作するんだから、負ける理由が無いな。

 いや、俺たちが危険なことは変わりないけど。湾岸戦争のときも、グリーンベレーやSASは随分苦労したそうじゃないか」

 事実だった。ソ連はロシア時代に休息に進めた近代化で、ほとんどの戦車がT72からT80UもしくはT90、ソ連に戻ってからT108に更新されているから、そこまで弱体では無いといわれていた。<チョールヌィ・オリョール>など、一五五ミリ滑腔砲を装備しているのだ。単純に主砲口径だけで考えれば、日本の〇七式にでも対抗できる。

 しかし、それは数字の上だけの話だった。実際戦ってみれば、電子機器の差で、圧倒的に弱体だったのだ。

 航空機は、ある意味それよりも酷い。Su27<フランカー>は、ハード面ではF15<イーグル>以上の戦闘力を誇るものの、ソフト面……つまり電子戦能力は西側の七十年代の水準だ。局地的な米ソ戦・日ソ戦で、既に二級になりつつあったF15(日本のそれは改造型だったが、エンジンを積み替えた改三型ではなかった)にSu27が次々に撃破されるのを見て、インドがSu27の早々の更新を考えたのも、無理からぬことだった。もっとも、インド用のSu27Kは電子戦能力を強化した特別仕様のだが。

 哲也は少しおどけて、二人に訊く。

「俺たちに、危険じゃない仕事がありえるのか?」

 深月は難しい顔をして、う〜ん、と唸って考え、

「私たちの仕事って、ほとんどディスクワークよ」

 と答える。

 その通りだった。彼らに限らず、特殊部隊というのはディスクワークが多い。綿密な作戦、訓練の内容吟味、情報の整理。何か作戦を実行するにしても、数ヶ月から数年の準備期間を必要とすることがあるのだ。

 だが哲也は、やや茶目っ気を含んだ調子でそれに答える。

「何言ってんだ。一番危険だぞ。いつ忙“殺”されるか、わかったもんじゃない」

 

 

 

 

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