2017824

 

 二機のターボプロップエンジンがプロペラを回し、エンジン自体の音と、プロペラが空を切る音が合成された音がバラバラという轟音になって機内に響く。だが、耳が痛くなるほどではない。超震度反転消音機とか言う機械によって、出来るだけ音が抑制されているからだ。

 とはいえ、煩いものは煩い。特に、短距離では効果が低い超振動反転消音機ならばなおさらだ。その上、速度が遅い為、特に音が籠もるこの狭い空間の中にいるのだから(しかしながら、古参のヘリコプター操縦士によると、これでも“真夜中の町”ほど静からしい)。

 モニターに移っている、機体下部に仕込まれたビデオカメラの映像は、先からずっと漆黒の闇を映し出している。つまりは、この機が海の上を飛んでいるだけの話なのだが、その海は、まさに墨を流したようという表現がピッタリだった。

 この機体はMVC2<燕鳥>という、日本製のV/STOL輸送機だ。当然、ティルトローターを装備している。全長は三十メートルを超え、全幅は(翼を含めると)それと同じくらいだ。積載量は、陸自や海自が愛用する(しかしそろそろ交換時期だと言われている)大型輸送ヘリH47“チヌーク”と同じくらいだが、スペックは巡航速度で二倍、航続距離で四倍以上を誇る。今のところ世界第二の大きさを誇るヘリコプターだ。

 その大型輸送ヘリ(もしくは垂直離着陸中距離輸送機)の中には、完全武装した約三十人の人間がいた。特別師団第11連隊第4小隊の面々だ。皆緊張した面持ちでいるが、しかし何とかリラックスしようと、近くの仲間と談笑など交わしている。着ている作業服(自衛隊では戦闘服という呼び方は公式には使われない)は、装甲作業服(多くの国で言うArMSやらHAMASやら呼ばれるもの)の下に着る、体にピッタリとした表面はゴムっぽい者で出来た服だ。一応、要所要所には簡単な装甲が付けられている。

「やれやれ、まさか的中するとはな」

 その中の一人、哲也が、隣に座っている素雪に言う。素雪は頷き、ラッキーなんだかアンラッキーなんだかわかんないな、と返す。二人ともこれに乗るのは初めてだったが、無論のこと輸送ヘリの経験はある。音には慣れっこだった。むしろ、速度が速い分快適なほどだ。

「しかし、こんな重大な作戦を、二日前まで隠しておくかしら、普通」

 哲也のさらに横に座っている吾妻が、やや不機嫌な調子でそういう。そうなのだ。この作戦の概要が第4小隊に伝えられたのは、驚くべきことに二日前なのだ。機密保持(つまりは漏洩の警戒)を狙ったにしては、少し過ぎている。彼らは優秀な戦闘員であると同時に、誰よりも情報の大切さを心得ているのだから。

「それだけ職業意欲が高いんだろうよ」

 哲也が半ば投げやりに答える。まったくその通り、とは、とてもじゃないが言えなかった。しかし、理由も思いつかない。まさか、張り切りすぎてやりすぎた、ということも無いだろうが……

 いや、むしろそうなのかもな。素雪はそう思った。考えてみれば(驚くべきことに)第4小隊、いや、特別師団、いや、それどころか我が国にとって、平時の対敵工作はこれが初めてだ。初の実戦に訓練を積んだ、しかし実戦経験の無い兵士が、異常に過敏なまでに、あらゆることに対して、それこそ過度に注意を払うものだ。だとすれば、訓練を積んだ兵士である第4小隊の上の奴ら(情報管理大隊、通信大隊など)が異常なまでに情報管理に気を使うのも、人間的な意味において理解出来る。

 いや、もしくは、英国や米国の特殊部隊の行動を基にして防衛省が作り出したという情報戦のマニュアルを、彼らが杓子定規に解釈しすぎたのかもしれないが。

「なぁ、素雪。何処に向かってるんだろうな?」

 隣から哲也が再び話しかけてくる。

 何処に向かうか、それは、ヘリに乗り込む前に聞いていた話だ。彼らが潜入するのは《北》の新浦港から少々奥にある、外交官などを招く為の施設だ。作戦前に見せられた写真では、洋風な外観の建物だが、図面などと総合的に見てみると、いささか旧式化しているのは否めない。

 そんな場所にあるのだから、敵に気付かれずに侵入する方法は限られている。場所は、日本海を隔てて直ぐの場所にあるのだが、普段は日本を守ってくれている海も、今回ばかりは邪魔をしてくれた。ならば、陸続きの韓国からは侵入すれば良いじゃないかと言うかもしれない。しかし、それは出来ない。何故ならば、今回の作戦は、あの国にも秘密にしているからだ。いや、それは当然の対応だ、何せあの国は、日本に黙って今から彼らが襲撃する会談へ出席しているのだから。勿論、彼らにそれを日本に通告する義務は無い。しかし、ならば日本がこの会談を襲撃する事実を、韓国に告げる必要は無いではないか。そういうことだ。

 閑話休題。つまり、海で隔てられた場所に行くのだから、必然的に向かうのは港だと言うことだ。この機なら、新浦まで無補給で往復できるだろうが、まさか敵兵がうじゃうじゃしている場所に、こんな雑音を発する機体で出向くわけにはいかない。いくら原音装置を装備しているとはいえ、人口の少ない《北》で真夜中に飛ばして気付かれない程静かではない。と、事前に言われた。

 なのに、だ。そう、先から飛んでいるのは海の上ばかりなのだ。日本海側の自衛隊が使用出来る港で、一番近かったのは舞鶴だった。ならば、山間部を抜けて市街地に出て、海が見えるか見えないかの辺りで着陸するはずだ。

「本当だ。おかしいな」

 素雪が呟くと、他の者達も不審に思い始めているようだ。ただ一人、ターネス三佐を除いて。

「三佐、どういうことでしょう」

 吾妻がターネス三佐に訊く。他のものも、目的地がわからない不安に関する雑談を止め、彼の回答に傾注した。

「君達の不安もわかるよ。だがね、師団からの命令でね。夜の港にこの機が着陸したら騒ぎになる、との事なんだ」

 その言葉に、皆驚きを隠せないようだった。当然だろう。これから任務で、港を使う必要があるのに、ヘリが着地できないとは。

「どういうことです?それなら、陸路を使えばよかったのでは……いえ、それ以前に、我々は何処へ向かって飛んでいるのですか?」

 吾妻が再び訊く。第4小隊員全員の疑問の代表だと言えた。

「陸路だが、それも師団からの命令だ。何処に工作員が潜んでいるか分からないから、陸路は禁止するとの事だ。空路なら、目的地がぼやかせると言う言い訳でな。それから、何処へ向かっているかというと……」

 本当に心配性だな。隊員たちの共通の思いだ。日本は国家反逆法を整備した際、《北》の工作員の徹底的な駆逐を行っていたのだ。いまや《北》工作員の活動は、一〇〇人以上も拉致したかつてからは考えられないほど、小規模になっている。

 ターネス三佐がそこまで言ったとき、コクピットから、ターネス三佐、着きますよ、という声が聞こえた。ターネス三佐はうむ、と頷き、小隊員の方を向き直す。

「下を見たまえ。それが答えだ」

 隊員たちは先から黒以外の何も移さなかった画面を注目し、そのほとんどが驚きを顔に表した。画面には、船が映っていた。海上自衛隊が保有する護衛艦の一つだ。それも、全艦艇の中でも大型のもの。しかし、イージス艦ではない(それに近いシステムは搭載しているが)。

 DDH<あかぎ>、それが彼女の名前だった。

「我々は、洋上で乗り換えるらしい」

 ターネス三佐が宣言する。

 

 

 

 

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