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2017年8月9日
霧島未来華二等特佐はノートパソコンと格闘していた。女性としての基準からなら全く不足ないどころか、同姓から嫉まれるほどの容姿を持つ彼女が、軍用(日本には軍隊など無いというのに軍用とは、おかしな話だ)の超ハイスペックノートパソコンに向かい合っていると、どこか大企業の社長秘書のようにも見える。理由は容姿、体格などいろいろあるが、その恰好というのも大きいだろう。自衛隊特別師団の後方任務・女性隊員用制服はなかなか洒落ている。色は、陸上自衛隊の物と同じ黒色だが、形は一流企業の営業マンが着るスーツのようだ。それでいて、動きやすさを犠牲にしていない。何でも、見た目の印象と言うのも、こういう後方担当員には重要なのだそうだ。
ちなみにこの制服の作り自体は、戦前の紺色の制服と大して変わっていない。ただ、多くの人々の要望により(それがどういった人々なのかは、言うまでも無い)色の変更がされたのだ。新制服が発表されてすぐ、戦後だというのに活力を完全に失っていなかった朝日新聞を中心にしたマスコミたちから“まるでナチスの親衛隊のようだ”と批評が付いたが、その問題も、記者会見(もちろん、制服問題とは何の関係も無い)で制服のことについて尋ねられた当時の統幕議長が、
「それが何か?」
と言ったことで全てが終結した。過去の話など関係ない、というのは多くの日本人の共通的意識であったからだ。それに、国軍の制服が格好よくなって嫌がる者は、売国奴以外いない……はずだ。まぁ、美意識など人それぞれなのだが。
彼女が着ているのはそんな服だったが、だからと言って射撃訓練や格闘訓練を欠かしたことは無い。まぁ、それが実戦で役立つかどうかはまったく別の話だが。
室内には、彼女ともう一人、川内だけだった。川内ももちろん、同じタイプのノートパソコンに向かってキーボードを叩いている。
霧島の立場は、川内のスタッフ、首席幕僚の立場だ。他の幕僚たち(情報、通信、事務など)もいるが、今は全員が出払っていた。霧島を含めて幕僚たちには、幕僚団に付けられたスタッフ以外に指揮権は無い。幕僚として当然だ。しかし実態としては、一応川内を通してだが、川内の部下の指揮は彼女がしているようなものだった(川内が面倒くさがっているのが理由だ)。
彼女は年齢が見かけから判りにくく、言われれば十五歳とも、二十五歳とも取れてしまう。身長も一六〇センチほど。しかし少なくとも、三十路を越えているようには見えない(ティーンエイジ以下とも思えないが)。つまり、こんな大役を与えるのには若すぎるのだ。だが、川内やターネス、そして第4小隊の隊員たちは、少なくとも彼女の能力に不安を覚えてなどいなかった。
それだけの能力を、訓練の時点で発揮していたからだ。情報を収集し、管理し、選定し、判断し、それを元に決断する。指揮者として最も重要な才能を、彼女は不足なく所有していた(まさしく彼女は“幕僚を必要としない指揮官”だった。まぁだからこそ、この歳で連隊首席幕僚なのだ。流石に二佐で指揮官は無理だから)。また、彼女の容姿もそれを助けた。カリスマ性、人を惹きつけるというのは、指導者として重要な才能の一つだ(軍隊――のようなものも含む――には男性が多いのだ)。
また、同じように指揮者として重要な才能――決断力なども、充分に所有していることが知られていた。以前、自衛隊特殊部隊の上官ということで殺されかけたとき、恐怖を感じ、多少動じこそしたが、慌てふためくことなく事態を収拾したのだ。もちろん、彼女一人で収めたわけでもない。護衛についていた第4小隊の隊員と共に、である。
そんな彼女が現在しているのは、彼女の能力を遺憾なく発揮できる仕事であった。各所から入ってくる情報を整理し、必要な情報から必要な事柄を判断する。既に情報の整理はある程度終わっており、情報の判断に入っていた。中でも彼女の目を引いたのは、偵察衛星から捉えられた《北》のとある施設――そう、日本が襲撃を考えている、極東極秘軍事会議とでも呼べるものが行われようとしている建物であった。正確には、その周囲の様子だ。
「川内さん」
霧島が川内に呼びかける。川内は直ぐに反応した。
「何?」
「衛星からの写真なんですけどね。画像の質から考えて、地雷の埋設場所とか特定できそうなんですよね」
そういって、川内のパソコンに先ほどまで見ていた衛星からの写真を送り込む。ご丁寧に、地雷埋設現場を拡大して。
川内は送られてきた画像を開き、観察する。光学型の衛星で取られた写真らしかった。確かにその通りだと思った。地雷を埋設している兵士が、実に良く映っている。ただ、施設が森の中にあり、周辺は高い木で囲まれているので、全てが判るわけではない。せいぜい、どこどこのあたりの密度が高いな、程度である(樹木を無視できるレーダー型衛星では、人間や地雷は観察出来ない)。
もちろん、そんな情報でもかなりの価値がある。トラップの密度が薄い場所さえわかれば、施設への接近がずっと楽になるからだ。
この衛星写真は、作戦立案に活躍していた。
日本の偵察衛星――ではなく情報収集衛星には二種類ある。光学型とレーダー型だ。日本はこの二種類の衛星を使い、多種多様な情報を収集している。日本の持つ衛星は光学型、レーダー型ともに五台づつ。最初の計画三台づつより多いのは……戦争のおかげだった(アメリカの技術が入ってきて、衛星打ち上げの精度が高まったことも原因の一つだ)。
衛星は、前者の場合、日本お得意のCCD技術を使用した高性能光学センサーで、パンクロ・モードとマルチスペクトル・モードの二種類で地上を偵察、いや、地上の情報を収集する。画像の精度を現す分解能は、パンクロで二・五メートル、マルチスペクトルで十メートルといわれていたが、もちろん日本政府が莫迦正直に真実を話すわけもなく、少なくともこれらの半分は固いとされている(信頼性の低くない情報では、三十センチを達成したのではないかとも言われていた)。
後者は、合成開口レーダーで、レーダー波を地上に向けて発射し、反射したエコーのドップラー変位を計測し数値化し画像に出力するドップラー・ビーム・シャープニングを利用した全天候型の衛星だ。使用するバンドはXバンドとLバンドで、この二つは波長が違うため、多様な情報収集が可能だ。例えばXバンドは波長が短いため、精密な観測が可能だし、Lバンドは波長が長いので、地表に屹立する樹木やビル無視して地形のみを観測可能だった(おまけに、分解能は一メートルを切っていた)。
施設の屋上にロシア製CIWS(近接防空システム)が設営してあるのを見つけたのもこの衛星からの画像だった(光学型情報収集衛星3号だった)。その画像で確認するまで、部隊は施設へヘリボーン(ヘリからの降下)で侵入する計画だったのだ。また、作戦に不可欠な地形データを得たのも、周囲の敵展開状況を調べたのも、これらの衛星だった(前者はレーダー型、後者は光学型だ)。
「ん……いいね。じゃあ、それに沿って進入経路計画しなおしといて」
川内の言葉に、霧島は了解、と答え、施設周辺の地図とにらめっこを始めた。川内は一度大きく伸びをして、再びパソコンの画面に視線を戻す。再び情報の判断を始めるか、それともネットでお気に入りのホームページにでも行くか、迷っていた。
フォン・ゼークトによれば、軍隊に所属する人間は、大きく四種類に分類できると言う。
・頭が良く、勤勉なヤツ。これは、参謀向きの性格で、軍隊が最も欲する人物である。作戦立案、情報整理、何でもこなす素晴らしい人材だ。
・頭が良く、怠け者のヤツ。これは、司令官にピッタリだ。怠け者、つまり自ら動かないと言うことは、無駄な働きをせず、ことが起こったときだけ、参謀の意見を取り入れて、その良い頭を使い、正しい判断を下すことが出来る。少なくとも、いて困る人材ではない。
・頭が悪く、怠け者のヤツ。これは、雑兵――つまり、前線で戦う兵士の大半だ。言われたことしか出来ないが、自分勝手に動くことも無い。将棋の駒のような性格だ。しかし、軍隊における兵士の絶対条件でもある。そして、多くの人間はこれに当たる。頭の良い人間や、勤勉な人間は以外に少ないのだ。
・頭が悪く、勤勉なヤツ。これは、最悪な人材だ。手遅れにならないうちに軍隊から追い出すか、銃殺にすべき人材と言える。頭が悪いので間違った判断を下すが、勤勉なのでそれを実行するのだ。そして、やはり頭が悪いのでその失態に気付かない。全て終わった時には、取り返しのつかない事態に陥っている。
霧島と川内をこれに当てはめるなら、霧島は典型的な頭の良い勤勉な人物だし、川内は頭の良い怠け者と言えた。つまり、この二人の立場は、この二人の性質に全く合致していた。ならば、この二人の働きが良いのも納得できよう。
進入経路の立案は八割がた終わっていた。あとは、実際にこの場所赴く人の意見を取り入れて、最終的な決定を下したいな。霧島はそう考えると、とある人物の顔が頭に浮かんだ。
素雪ヴァレンシュタイン、第4小隊C班に所属する、非常に優秀かつ最年少の隊員だった。なにせ、まだ高校生だ。得意分野はCQB(室内戦闘技術。特にマーシャル・アーツ、拳銃射撃術、ナイフ術)と情報戦。ただし、筋力の面でやや他の隊員に劣る。特技としてコンピュータの操作技術は、私ほどではないにしてもかなり優秀。
元中東・アフリカなどで活躍した傭兵だが、それも遡れるのは十歳程度まで。それ以後は不明。交友関係は、傭兵時代の友人と思われる同年代の少年(国籍不明。白人もしくは黄色人種と思われる)や、経歴不明の神父(カトリック教会)などがある。
素雪の顔を思い浮かべると共に、彼の情報が次々と出てくる。だが別に、隊員全員の、これらのような情報を完全に頭に入れている訳ではない。素雪は特別だった。
彼女は、素雪との面識があった。以前、自宅で外国のスパイ(KGBだと思われる)に襲撃されたことがあったが、その時、彼女の護衛に就いていた第4小隊の隊員が、素雪だったのだ。
以前、政府要人関係で著しく治安が悪くなったことがあった。世界中のスパイが諜報戦を繰り広げ、暗殺が日常茶飯事という事態だった。そんななか、充分に政府要人である霧島にも護衛がつけられた。それが、素雪を始めとする第4小隊のメンバーだった。
護衛はなかなかのものだった。例えば夜中霧島が東京都内を出歩いた時(一応補足するが、仕事のためである)、常に六人の護衛が周囲を守っていた。そして、莫迦な不良少年を装って霧島に近づこうとした諜報員の男を鮮やかに片付けて見せたのだった。
だが、昼間の警備はそこまでではなかった。白昼堂々行動を起こす諜報員もいないだろうと思われたのだった。よって、昼間の護衛は素雪一人だけだった(それでも、他のメンバーがいつでも出動できるように待機してはいた。彼らにも仕事があったのだが、それを素早く切り上げられると言う意味である)。
しかし、敵は白昼堂々行動を開始した。正確には日没間近の時間帯でもあった。素雪を護衛として伴った霧島が玄関を開けた途端、敵が発砲してきたのだ。素雪は囲まれていることには気付いていたが、まさかこんなに速く仕掛けてくるとは思わなかったのだ。
それからが大変だった。外部との通信を遮断され、数人の敵が室内に突撃してきたのだ。
素雪と霧島は直ちに逃げ出し、都内を散発的な戦闘をしながら駆け抜けた。仲間に通信を取り、救助を要請した。ランデヴーポイントは東京有明にある国際展示場。二人は戦闘を繰り返し、何とかそこにたどり着き、無事救出されることが出来た。
文章で書くとたった二行だが、まぁ、なかなか凄まじいドラマがあったのだ。霧島は戦闘能力が無かったわけではないが、実戦経験は皆無だったので、素雪の苦労も伺えよう。
その時以来、霧島は素雪のことを意識するようになっていた。訓練のメンバーで名前を見ただけでも少し思考が停止してしまうし、廊下ですれ違っただけでも顔が赤くなり、心臓の鼓動が激しくなった。呼びかけられたときなど、最悪の場合まともに対応できないことすらある。常に冷静な彼女にしては、異常な事態だった。そして彼女は、この感情を何というのか知らない。
勿論、彼女にも常識はある。そして、その常識の中に、現在の自分を表す適切な表現も存在した。しかし、それは所詮知識でしかなく、実際に味わってみても、知識のそれと現在のそれが同じとは思わなかった。なぜなら彼女は、自分がそんな感情に陥るとは思わなかったからだ。
だから、多くの部下のうち、たった一人に対してこんなことを思ってしまう自分も信じられなかった。自分は士官として失格だとさえ思った。しかし、こう思ってしまうことを自分の意思で止めることが出来ない。
ああ、どうか怪我なんてしませんように。だってあの人は……。
「――霧島二佐?」
今の今まで考えていた人物の声がした。意識が急速に、現実へと引き戻される。
「は、はい――!?」
驚いた声でそう返してしまう。直ぐに、ああ、と心の中で自問する。士官として最悪の対応だ。士官は絶対に焦ったり、驚いたりしてはいけない。なぜなら、自分の上官が慌てれば、兵にもそれが伝染するからだ。勿論、素雪たちは、女性の、それも若い上官が、少し驚いた声を上げたくらいで、焦りや慌てが伝染したりするはずも無い。だが、そういう問題ではない。士官としての姿勢と、面子の問題なのだ。
「も、素雪さん……?」
「ええ、そうですけど」
基本的に、素雪を名字で呼ぶ者は少ない。ヴァレンシュタイン、などと長ったらしい名前を、いちいち呼んでいられないからだ。だがそれは、霧島にとっては僥倖だった。何の違和感も無く、素雪を名前で呼べるからだ。何故それがうれしいのかはわからなかったけれども。
「あ、すいません。取り乱しまして。えーと……なんでしょう?」
霧島は少し前なら規定違反であっただろう腰まで届く頸の下の辺りで一纏めにした長い髪をサラリと撫で、平常心を取り戻した。法改正によって、戦闘職種以外の曹士と幹部には髪の長さの制限がなくなったのだった。そうしてから素雪に訊くと、彼は手に持ったファイルを差出し、答えた。
「内閣情報調査室の鮫賀佐さんからです。何でも、気になる画像があるのだとか」
そういって、ファイルを開いてみせる。中には多くの書類が挟まっているが、その中からCD−RWディスクを取り出す。
「これです」
「分かりました。貸して下さい」
ほぼ平常心を取り戻した霧島は、CDを受け取り、ノートパソコンに差し込む。民間品の二倍以上の速さで読み込みを初め、中身をファイルで表示する。中には、多くの画像ファイルが収められていた。
「どれですか?」
「はい、失礼します」
素雪はそういうと、ノートパソコンのマウスを取る。画面を覗き込み、一つのファイルをダブルクリックした。その時、素雪と霧島の顔がぐっと近づく。霧島は、思わず顔が赤くなってしまった。が、直ぐに軽く俯いたので、ばれていないはずだ。
「二佐、これです。――どうしました? 体調が優れないのですか?」
前言撤回。気付かれていたようだ。流石に特殊部隊員だけあって、観察力が高いのだろう。そんなふうに別のことを考えて、顔色を強引に元に戻す。
「い、いえ、大丈夫ですよ」
顔を上げてそういうと、これ以上変な行動に走らないよう、ディスプレイに顔を戻す。どんな人間でも、その人間的な感情を隠す際は、仕事などに集中するものだ。彼女も例外ではなかった。
「これは……空港?」
画像は、内閣情報調査室お得意の衛星写真だった。撮影した衛星は……考えるまでも泣く光学型衛星だ。場所は、おそらく新浦に程近い軍用空港。空港には、多くの航空機が写っている。いや、軍用空港なのだから、航空機が写っていることになんら不思議は無い。問題は、その航空機の種類だった。
「スホーイの27と……ミグの29ですか?たしかフランカーとか言いましたっけ?」
「ええ、そうです。正確にはスホーイの方はSu-35で、電子装備が格段に高性能です。まぁ、日本のF15J改やF3に比べたら粗末……いえ、質素なものですが。内閣衛星情報センター情報処理室はそう言っています。事実、大戦時は日本の電子妨害で大分潰せたそうです」
その言葉に、霧島は薄い疑問の色を顔に浮かべ、素雪に訊いた。
「CSIC情報処理室ですか? あそこは、衛星写真の解析はしていないと聞いていますが……?」
その通りだった。CSIC情報処理室、つまり内閣衛星情報センターの情報処理室は、その名の通り情報の処理だけが仕事だ。解析は、衛星情報分析部が行う。しかし、分析室の分析を信じるものはいなかった。
「はい、その通りです。しかし、分析室の連中は、軍事的知識が欠落しています。そういう、兵器の分析に限って言えば、分析室より情報処理室の連中の方がよほど当てになります。彼らは、こういうことに関してのプロですから」
事実だった。分析室の人間は、兵器の分類を戦艦と戦車と戦闘機と爆撃機しか知らないのだった。こういう、軍事的な事柄の場合、情報処理室の方がよっぽど正しく、そして重要な情報をもたらした。
霧島は、何故そういう人たちが、分析室にいないのだろう、と疑問に思った。当然の疑問だった。しかし、もし彼女が情報処理室の人間が、極端な肥満か痩せ型の人間しかいないと知っていて、その人たちの行動パターンを知っていたら、考えるまでも無く理由が分かっただろう。
情報処理室の者達は、年に最低二度(お盆と年末)有明である東京ビッグサイトという国際展示場で、KGBやCIAでさえ尾行をやめてしまうような人ごみに飛び込み、個人が作った特殊な内容のうすっぺらな、しかし気合と値段だけは高い本を何冊も買い込むような人々だった。月に最低一度は東京の秋葉原に行き、一般人には背負うことすら出来そうも無い巨大なバックパックを背負い、少し特殊な看板のかかった電気店に、やはり特殊な内容のソフトを購入しに入るような人々だった。
しかしながら、少なくとも彼らは、仕事においては限りなく有能だった。そして趣味の範疇において、専門家すら凌駕しうる軍事知識を所有していた。残念ながら日本の“専門家”の知識なんかより、そっちの方がずっと有益だったのだ。もちりん、限りなく一部の知識に限ってのことだが(まぁ、今の時代は狭く深くの人材を求める場所も多いのだが)。
そして、多くの人が現実として受け入れがたいことだが、そういう人々が、日本の情報を維持していたのだ。彼らの助言が情報分析の手助けになることは、一度や二度ではなかった。
そして、今回もそうだった。
「そして、向うが一番注目していたのは、これです」
素雪は写真の端っこ、露天の物資収拾所を指しながら言った。
「これは……?」
「油槽と、対艦ミサイルです。それも、かなりの量の。ミサイルの方はSu35に二発づつ搭載可能だそうです。データはここに」
霧島の顔が険しくなる。対艦攻撃可能な航空機と、対艦攻撃装備。これがあると、作戦に支障をきたしかねない。なぜなら、今回の作戦では艦船を使用するからだ。それも、おそらく攻撃機の作戦範囲内であろうと思われる範囲で。
「あれ……? 対地攻撃可能なのはSu30じゃなかったですか?」
自分の知識との相違点に気付き、霧島は疑問を口に出す。その通りだった。対地攻撃可能な戦闘攻撃機仕様のフランカー・シリーズは、Su30とSu34だった。
「いえ、Su35にも小改造により搭載可能だそうです」
素雪が言う。霧島は素雪の言葉で、自分の浅薄な知識を披露したような気分になり、恥ずかしくなった。赤面して俯きたくなる欲求を跳ね除け、忸怩たる思いを消し去り、全力で感情を押し出して、士官らしく言い放った。
「分かりました。情報を感謝します」
「はっ」
素雪は敬礼をして、部屋から出て行く。
「で、どうするの、霧島くん」
素雪が出て行くと、川内が言ってくる。
「空母は――」
「無理。<しょうかく>は演習から帰って来たばっかりだし、他のは予備役の招集が必要だ」
霧島は下唇の下の方に親指の先を当て、少し俯く。悩むときの彼女の癖だ。
「空自の支援は?」
霧島の言葉に、川内はすかさず返す。
「いや、どうだろうか? だって、敵がいつ動くか分からないだろ?」
「いえ、そうも言えません」
霧島は川内の言葉を否定すると、キーボードとトラックボールを操り、ハードディスクドライブの中に保存されているデータを呼び出す。それに、ちょっとした注釈をつけ、分かりやすく作り直し、川内のパソコンに送り込む。
ちなみに、この作業にかかった時間は二分足らずだった。
「燃料貯蔵量……? ああ、なるほどねぇ」
川内はそれを見ただけで、彼女が何を言わんとしているか分かった。要するに、《北》は燃料の関係で、そう長い時間攻撃機や哨戒機を上げていられないということだった。《北》は、この間の戦争でほとんどの燃料を失っている。ソ連と中共からかなりの援助を得たそうだが、それらは陸軍用の軽油やガソリンエンジンがほとんどで、ジェット燃料はほとんど含まれていない。空軍と言うのは現代において、少数精鋭が基本だからだ。そんな中において、訓練不足の空軍なんかより、陸軍の地対空ミサイル部隊に全てをかけた方がまだましだという判断だろう。
衛星写真から見る限り、《北》の空港(元山ではない。あそこは現在復旧中でまだ使えないはずだった)にある航空機は、Su35が三十機、Mig29が十機。どちらも、ソ連から給与されたものだろう。整備状態が良いとは思えないので、全て使えるとは考えられないが、まぁ、全て使用可能と考える。
霧島が取り出したのは《北》の、衛星写真に写っていた空港の燃料残量だ。《北》の諜報員からの情報で、最近の情報なので信用度は高い。《北》が新たに大量の燃料を得たと言う情報は無いからだ。
そしてその情報と照らし合わせると、あの空港の燃料残量は、Su35とMig29を二回出撃させるのが限界だった。ミサイル飽和攻撃を仕掛けるなら、全力で攻撃しないと意味が無い。ので、偵察機は飛ばせないのだ。もっとも、作戦決行時の護衛艦の位置から考えると、4回は往復できそうだが。
いま危惧していたのは、日本海の、それも半島に近い部分に出す予定の護衛艦が、これらの攻撃を受けないかと言う話である。写真に写っていた対艦ミサイルは、素雪の持ってきたデータによると、ソ連製のKh59<キングボルト>対艦ミサイル。中距離射程の大型ミサイルだ。Su35はこれを二発搭載可能だから、同時に六十発のミサイルが襲ってくることになる。同時に二十四の敵を迎撃可能なイージス艦でも、流石に全てを迎撃するのは難しいものがある(まぁ、ソ連式のミサイル攻撃術はそういうものなのだが)。
しかし、燃料の不足ということで、それらは全て解決されたわけだ。
「ええ、そういうことです。
空母は即応性が高いのですが、航空自衛隊は発進から敵の捕捉まで時間がかかります。これまでの間に、海上自衛隊の艦艇が被弾する可能性は高いです。第二撃は防げるかもしれませんが、たった一度でも被弾してしまうと辛いですから。ずっと直上哨戒機についてもらうわけにもいきません。燃料には限りがありますからね。
でも、それは相手が常にこちらの位置情報を掴んでいる場合の話です。敵がこちらに気付くのは、敵の哨戒機にこちらが見つかるか、作戦終了後敵がこちらの位置を掴むかのどちらかです。ちなみに、既に作戦自体が露見していると言う可能性は、この前提を作戦から崩してしまいますので、除かせていただきます。
しかし、《北》には燃料の不足から、定期的な哨戒と言うものは存在しないと考えられます。ならば、こちらの位置が捕まれる可能性は、必然的に後者、作戦終了後に敵がこちらの作戦に気付くに限られます。しかしこの時、既に護衛艦は舞鶴まで後退していますので、敵に攻撃される可能性はありません。
つまり、我々が敵の攻撃から守るべきなのは、《北》から脱出する第4小隊に変更されるわけです。ですがこれは、既に時間が分かっているので、航空自衛隊の支援は可能でしょう」
霧島は今回の作戦の変更を、あえて口に出して言う。頭の中で確りと理解していたのだが、念のために確認しておいたのだ。川内は頷いて、言った。
「わかった。じゃあ、小松の303飛行隊に頼んでおいてくれ」
霧島ははい、と了解すると、椅子から立ち上がる。専用回線で第6航空団長に依頼するのだ。
第4小隊に対するバックアップは、今のところ出来る限りの事をやっている。完璧と言うものは存在しないが、ここまでやれば“被害を最小にとどめることは”出来る。でも、しかし。それでもやっぱり、第4小隊のメンバーが、いや、素雪さんが死んでしまわないと言う保証は何処にも無いのだ。
衝動と言うのは、つまり自分の、心の奥底の思い――本能、とでも言うのか――が理性を押さえつける暴力のようなものだ。理性の歯止めを本能が無理やり外すわけだ。それで言うなら、今の思いはまさに衝動だろう。仕官らしく在る、と言う理性は、何と呼んでいいのかわからない本能に屈してしまっている。
その心の中で、祈った。どうか、死んでしまわないでください。あの人がいるべきなのは、こんな殺伐とした世界ではない。あの人はもっと楽しい世界にいるべきなのに。その権利を有しているのに。
だから、それが叶うまで。そんなつまらない世界で死んだりしないで。