2017825

 

 日付は変わっていた。何故こんな遅い時間に会談をやろうとしたのか知らないが、《北》がよほど偏屈ものなのだと言うことは、よく分かった。

 MVC2<燕鳥>は、直ぐに着陸態勢に入る。<あかぎ>から発信された電波を頼りに、暗い闇の中を、その飛行甲板に着陸する。

 DDHあかぎは、全長二一五メートル、全幅二十五メートル、基準排水量一万七五〇〇トンの“ヘリ搭載型護衛艦”だ。だがスペックを見ても判る通り、その実軽空母で、事実、V/STOL機を20機程度運用できる。もっとも、正確にはこの艦は<あかぎ改>であり、オリジナルのあかぎとは大分スペックが異なる。

 DDHあかぎは、戦前、16DDHとして計画されたものだった。排水量一万三五〇〇トンのヘリ四機運用可能(当然、本当はもっと多く運用可能だが、防衛省お得意の最高非公開で平均4機運用と公開されていた)な新型DDH、それが開発当初あかぎに求められたスペックだった。そして実際、そのように作られた。

 しかし戦中、敵対艦ミサイルが至近距離で爆発し、あかぎは沈みはしなかったものの、ドック入りとなったのだ。そして不運なことに、そのまま終戦を迎えてしまった。護衛艦としての活躍は、姉妹艦の<あまぎ>と違い、全くと言っていいほど無かった。

 だが終戦後、好景気と周囲の脅威と言う二つの要員を得て、自衛隊が大規模装備・人員整備計画に乗り出した。航空では機体の更新と改装、陸上では装備の更新と増産、そして海上では、護衛艦隊の改装が主となった。あかぎは、その改装すべき艦の中に入っていたのである。

 その大規模改装のおかげで、当初はヘリ空母といってよかったあかぎも、スキージャンプや甲板強化の装備などにより、立派な軽空母になったのだ(ちなみに、あまぎも同じような改装を受けた)。

 つまり、素雪たちが降り立ったこの空母は、自衛隊初の空母と言う、記念すべき艦なのだ。

 

「おお、やっぱりでかいなぁ」

 燕鳥は垂直に空母に着陸すると、ドアを開いた。素雪より後ろに乗っていたはずの哲也が、何故か先に下りて、空母の甲板から下を見下ろしている。おそらく、アインシュタインを殴り倒しでもしたのだろう。

 それはともかく、こう暗くては、俯瞰視した風景も暗闇しか無いだろうに、哲也は空母の甲板の高さに感嘆をもらしながら、楽しそうにしている。

 素雪もそれに倣ってみる。やっぱりその通りだ。甲板から見下ろす海は、闇に包まれていた。暗闇での視覚訓練を受けている彼らでも、何も見えないくらいだ。いったいこいつは何が楽しいんだろう?

 しかし、アイランド(艦橋)の方は違った。僅かだが、明かりがついている。そしてその明かりは、彼らのような特別な訓練を受けた特殊部隊員にとってあかぎを鑑賞するのに十分だった。

 二十世紀の米国の空母のようなごちゃごちゃした艦橋ではなく、ステルス性に配慮して傾斜をつけた、のっぺりとした箱型に近い艦橋だ。四方にくっついている六角形の板のようなものがフェイズド・アレイ・レーダーだろう。イージス艦についている、常時三六〇度監視出来る高性能レーダーだ。確か国産のJ/SPY1……の兼価版だっただろうか。現在建造されている護衛艦には(イージス艦を除き)全てあの型のレーダーを搭載している。

 周りを見ると、他の隊員たちもアイランドを見ている。

 近くにターネス三佐がいた。護衛艦の乗組員と何事か話して……いや、今話し終えた。素雪はそれを確認して、三佐に話しかける。

「三佐、このような潜入方法は聞いたことがありません」

 ターネス三佐は素雪の方を見ると、うむ、と頷き、体ごと素雪の方を向けて答える。

「ああ、俺も初めてだ。上が何を考えているか、全く分からん。おそらく……川内一佐以上のやつら、幕僚長とかその辺りが、とにかく今までの訓練を全て生かそうとしたのではないか?」

「それにしても、無駄が多く感じられてなりません。直接ヘリで乗り込んだほうが速かったのでは?」

 ターネスは頷く。

「まぁ、正論だろうな。だが、軍隊というのは、例えそれが特殊部隊であろうと、無駄が大好きな組織だからな。いや、勿論表向きの理由もあるぞ。ティルトは音が大きくて、発見される可能性大、とのことだ。確かに間違ってはいないさ」

「そうですね。やや押しが足りませんが、納得できないわけでもない」

 素雪はそこでいや、と小さく呟き、続ける。

「そもそも、既に決定した作戦についてここで語ること自体が無駄でした。後悔は一人ですればいいし、反省は会議を開いてやるものです」

「その通り、だろうな。我々の出来るのは唯一、作戦を成功させることだけだ」

 そういうと、ターネス三佐は素雪を手招きして、甲板の中央の方へ歩き出した。素雪もそれに従う。

 素雪は自分たちが、初仕事の前にしては、かなりリラックスしている方だと思った。

 もしかしたら防衛省はこれが目的で、敵地潜入手順にこういう面倒な方法を取ったのかもしれないな。ありえないことだが、素雪はそう思った。

 

 その後第四小隊の隊員達は、休む間も無くさらに小型のヘリに乗せられた。シコルスキーSH60JK2、日本がライセンス生産をしているUH60JA<ブラックホーク>の海上版だ。対潜哨戒、対潜攻撃から対艦攻撃、ミサイル中間誘導、人員輸送まで何でもこなす万能ヘリだ。オリジナルのYUH60Aは一九七四年開発で、いささか旧式化しているのだが、度重なる改造と改装で、今でも十分現役として使用できる(もっとも今、日本は次世代ヘリを開発しているらしいが)。

 三組に分けられ三機のヘリに乗せられた彼らは、次の艦に連れて行かれた。その艦は、昼間なら空母から見える位置にあった。当然、この暗闇では到底見えない。

 

 潜水艦救難艦<ちはや>、それがSH60JK2が着陸した艦の名前だった。排水量五四五〇トンの中型艦で、名前の通り難破した潜水艦の救難を任務としている。特徴としては、深海救難艇(DSRV)――小型の潜水艦で、モーターで自走でき、内部に十二人収納可能。潜水艦の上部ハッチに取り付き、海中でも密閉したまま潜水艦内部と行き来できる――を搭載しており、効率的に潜水艦からの人員救助が行える点だ。

 当初はネームシップのちはやしかいなかったが、大戦後に潜水艦数の増加を受けて、急遽改良型の二隻増産が決まった。この場にいるのはその全てだ。

 SH60JK2が、各々ちはや級の後部にある飛行甲板に着陸する。第4小隊の者たちが降りると、あわただしく飛び立って行った。

 素雪は飛び立っていったヘリを見送った後、自分が降り立った艦を観察する。なんというか、敵地への潜入方法は前もって聞いていたが、まさか洋上で乗り換えることになるとは思いもしなかった。それは、他の者達も同じなようで、眼を丸くして艦を見ているものがほとんどだった。

 

 あわただしい時間から一変し、静かな、そして狭い室内。素雪たちは今、その空間に押し込められていた。場所は海中潜望鏡深度。シュノーケル航行をしている<おやしお>級潜水艦の背に取り付けられた、特殊潜航艇の中だ。

 この特殊潜航艇は、合衆国や英国が特殊部隊(主にSEALsSBS)を敵地に潜入させる際、その場所が海岸近い場合に(と言うか、この二つの部隊は海岸に近い場所にしか送り込まれないのだが)使用される、小型の潜航艇だ。機能は、先ほど説明したDSRVとあまり変わらない。内部に武装を収納するスペースがあったり、有線による潜水艦からの遠隔操作が可能だったりする点が違うだけだ。

 第4小隊は、特殊潜航艇を使っての潜入訓練を、世界屈指の実力を持つ、英国特殊ボート隊(SBS)……の手ほどきを受けた海上自衛隊特別警備隊(SBU)から受けている。もっとも、着ているのは体にぴっちりとした潜水服と特殊装甲服を組み合わせたような服ではなく、上半身は武士の鎧を、下半身は騎士を思わせるような戦闘服を着ている。

 これはなかなかの優れもので、服と手袋、靴、フェイス・ガードとマスク、ゴーグルにヘルメットが一体化している。それぞれ全てが防弾・防刃・防水・耐火・対薬品その他の能力を備えており、体部分の防御力は七・六二ミリNATO弾すらストップし、衝撃もその大半を吸収すると言う、驚くべき性能を誇るのだ。ヘルメットには通信装置や暗視装置が内蔵されており、防弾レンズの部分がモニター代わりになっている。また当然フィルターも装備されていて、対NBC防御も完璧だ。後部のバックパックはカスタマイズ可能で、場合によっては空調すら搭載可能だ。当然、予備のマガジンなども収納できる。それに対して重量は(比較的)軽く、全てあわせて六キログラム以内だ。自衛隊では正式に16式特殊戦闘服(たいていの者には想像もつかぬ理由で、仲間内ではプロテクト・ギアと呼ばれていた。それと関係あるかどうかは知らないが、とある隊員が“MG3を導入してください”とターネス三佐に言った話がある)として採用されたもので、製作した会社は米国に防弾チョッキなどの軍用品を売り込んでいた会社だった。もちろん、表向きは軍用品としてではなかったが。

「さて、いよいよ俺たちの真価が問われるな」

 哲也が宣言するように、仲間に言うように、そして自分に言うように言う。同じ潜航艇に乗っていた隊員たちが、頷きながら鼻息を荒くする。何人かは、ここが完全防音なら、今にでも叫びだしてしまいそうだ。あの厳しい(と素雪は思っている)ターネス三佐も、何も言わない。彼はこういう場合の部隊のまとまりと指揮の高さが、作戦の成功率にどれだけ寄与するか、実によく知っているのだ。

「何の為の訓練だか、内外に示さないとね」

 吾妻が続ける。隊員たちの興奮も最高潮に高まってきているようだ。ただし、これが全て良い方向に傾くかと言うと、そうでもないのだ。あまり興奮しすぎた状態だと、繊細な任務は行えない。特殊部隊であるからには、ライフルに着剣して突撃だけでは困るのだ。そういうことをすると、なまじ戦闘力があるだけに最悪の事態を引き起こしかねない。

 その為かは解らないが、ターネス三佐が口を挟んだ。

「諸君」演説のような言い方だ。

 潜航艇内部の隊員の目が、一斉にターネス三佐を注目する。彼は自分に視線が集まるのを確認すると、言った。

「今回が我々の初陣となるわけだが、決して焦らないようにするのだ。自分の力を過大評価せず、また、過小評価もしてはいけない。我々はこの作戦を完璧にこなすだけの装備と、情報と、訓練を与えられているのだ。ならば、この作戦の成功は、我々が握っているのだ。我々さえしかと任務をこなせば、作戦が失敗することはありえないのだ。

 我々は何だ?あの欧州、ドイツでの戦闘訓練で、我々は何と呼ばれた?シュヴァルツェル・ヴォルフ。黒い狼だ。狼と言えば集団で獲物に襲い掛かる、森の狩人だ。まさに我々にピッタリではないか。黒い衣装を身に纏い、獲物――テロリストどもや敵対する組織の構成員を、集団で狩る。

 諸君、我らの祖先を、伊賀や甲賀の我らが先輩を思い出したまえ。そう、まさに黒き狼と呼ばれるのは、彼らこそふさわしいではないのか。では、それらの子孫である我々が、同じことが出来ないはずがあろうか?いや、そのようなわけは無い。確かに我々はかの忍者達に遠く及ばぬ実力に過ぎない。しかし、その分我らには科学力が伴うのだ。ならば、我ら一人一人がかつての忍者――例えば服部半蔵のような者を想像したまえ――と同じ実力を持つことになる。一騎当千と言うヤツだな。

 では、我ら三十人では三万人の軍勢となる。装備の悪い五十人の人間が守っている施設を、三万人の軍勢が攻めるのだ。これが落ちないはずがあろうか?

 そしてこれは、諸君の努力如何で簡単に実現することだのだ。そして私は、諸君がその程度の努力を惜しむ者達ではないと信じている。

 さぁ、やつらに思い知らせてやろう。我が国に外部から圧力をかけることが如何に危険なことなのか、髪を掴んで引きずり倒し、眼を開かせてこちらを向かせ、耳を開かせ聞かせてやろう。

 それこそ我々、あの遠く欧州の地で“黒い狼”と呼ばれた特殊部隊ではないか」

 静かに、しかしきっぱりと言い切る。英国人らしい、素晴らしい演説だ。心理を巧みに操作して、隊員たちをその気にしてしまった。特に過去の人物を例に出し、それに我々を重ねるところなど、英国人というほか無いではないか。民族の先入観をドイツ式で持っていた素雪は、そう思った。

 だだ、演説の中に何処と無くドイツらしさを――それも間違った意味でのそれを――感じてしまうのは何故だろう?

 

 演説の終了と共に、一斉に拍手が沸き起こった。この潜航艇だけではない。他の潜航艇からもだ。そういえば、潜望鏡深度にあるのをいいことに、無線装置を入れっぱなしにしていた。こんなところで傍受されて、作戦が事前に漏れたとしたら、上の人間はどんな顔をするだろうか?

 隊員たちの顔は笑みでほころんでおり、眼は輝いていた。素雪は思った。これは、何かに似ている。

 そう、二〇〇二年のワールドカップで(もちろん俺はリアルタイムで見てないけど)順調に勝ち進んだ日本代表に向けられていた視線と同じ類のものなんだ。日本人は基本的に、何にでも熱中する民族だと言われている。そして、その大半が、俺は一生これをやり続けるんだ、と決めたもの以外のほぼ全てに、あっという間に冷めていくのだ。それを踏まえていると、日本人と言うのは調子のいい人種なのだな、と、妙に納得してしまう。

 例えば西洋人――特にキリスト教徒――は、現状の好ましい部分の維持と、その部分を投げ捨てての理想の実現、どちらかを選べと言われれば、必ず迷うのだ。それが、西洋的な考え方で言う最大の問題であるからだ。恣意的な心……利己的な心理と、理想と信仰を追い求める、良心とでも言うべきものが脳内で対立するのだ。理性と本能の対立にも似ているが、微妙に違う。利己的な心は、本能に近い理性だ。現状を維持し、幸せで居続けよう、そのある程度正しい事実を見つめる、理性に他ならない。勿論、そういうものを本能と言うのだ、という意見も否定はしない。

 だが、日本人は迷わない。彼らは、表面上では間違いなく後者を選択し、自分の自尊心と良心を満足させる。それでもって、本質的には後者を選択するのだ。

 これは、日本人の後天的な機会主義思想からきているといっても過言ではないかもしれない。代表例は、宗教だ。日本人の大抵は、いわゆる西欧的・中東的な意味での信念はもたない。それが、日常を安穏と過ごす場合には邪魔にしかならないことを知っているからだ。よって、日常を過ごす為の機会主義的思想を持って、信念を持って挑むべき宗教を取り入れたのだ。結果は知っての通り、機会主義的宗教、つまり、自分に都合のいい解釈しか行わないのだ。いや、都合の悪いことには、解釈を曲げるどころか眼を瞑ってしまう。例えば、キリスト教が一神教である、と言う事実がそれだ。故に、新年には初詣で楽しみ、三月はひな祭り、五月は子供の日で騒ぐ。八月はお盆、十一月はハロウィン、十二月はキリストの誕生日を祝うと言う、自分達にとって楽しい部分だけを繋ぎ合わせたような生活を行っているのだ。これに対して宗教とは、行事を楽しむ為の言い訳でしかない。だから例えば断食のような、生活の質を下げるような行事は行わないのだ。そして恐るべきことに、それに全く疑問を感じていない。日本の諺“長いものには巻かれろ”が、日本の国民性を正確に表している。

 そういえば、前に何かで読んだことがあるな。また日本固有の宗教である神道を見れば、この傾向はさらに顕著になるということだ。神道では、神の種類がとにかく多い。全てのものに神が宿る、と言う考え方で、何か一つが絶対であるという考え方を嫌っているのがよく解る。そもそも、日本の「神」と言う言葉に、一神教の国、英国で使われる英語の“GOD”は正確には当てはまらない。むしろ“spirit”、精霊と言う言葉が当てはまっている。八百万(やおよろず)の神、全てのものに神が宿ると言う考え方は、外国の精霊という考え方に、むしろ似ているからである。古代日本的な考え方で行くと、全てのものに神が宿っている。つまり“日本は神の国”なのである。そんな内容だったか。

 つまり、日本という国は、国民性から必然的に二面性を持っているのである。

 こうしてみると、海外(特に西洋)から、日本人は何を考えているかわからない、と言われている理由がよく解る。確かにその通り、日本人は西洋人にはけして理解できない行動原理で動いているのだ。だが面白いのは、その日本人が逆に、“欧州事情は複雑怪奇”と述べているところであろうか。相互に理解し合えないわけだ。勿論、資本主義が浸透した現在において、日本人の機会主義的思想はなんら珍しいものでも無いだろうが。

 しかしながらこれは、事故の崩壊を避け、同時に幸福を確保すると言う点において、非常に優秀な行動と言える。自らのアイデンディティはうすっぺらいモノでありながら、そして半ばそれに気付きながらも、それを無視し続けられると言うのは、後天的ながらも宗教に対する絶対的な服従を植えつけられてしまった、例えばイスラム原理主義者にとって最も恐るべきものに違いない。

 また、やはり後天的に人民民主主義や主体思想などという、イデオロギーとも自らの行動に対する言い訳とも着かない主義主張を掲げる国にとっても、恐るべきものに変わりない。例えばそれの元になっている共産主義者が、自らの思想によって盲目的な信者に確信犯的に行わせる自爆攻撃(これはイスラム原理主義も同じだが)は、この思想に触れてしまった者には実行させることが出来ないのだ。現実から眼をそむける現実主義とでも言うべきこの思想は、何かを絶対のモノ(それは信念であったり、神格化された人物だったり)を頂点として、それから発せられる戒律より自らのアイデンティティを見つけると言う思想を、本質的に敵視するからである。

 そう考えると、《北》が日本に対して挑戦的な行動を行ったのも理解できるような気がする。素雪はそう考えた。つまり、日本の存在が、経済や軍事以外の、思想と言う存在で怖くなったのだ。もしかしたら、ソ連や中共が異常に日本を敵視しているのも、そういうのが関係あるのかもしれない。現実的に、安穏と暮らそうとすると、それを邪魔するものが現れる。なかなか哲学的な公理じゃないか。笑える話じゃないか。この状況は、自ら招いたと言っても過言ではないわけだ。

 だが、今自分がこんなことを考えたとしても、今回の作戦が無くなったり、絶対成功するようになるわけではない。この考えを今ここで演説するのも止した方が良いだろう。少なくとも素雪は、小隊長の演説で高揚している士気を著しく低下させるような行動は取れない。それが、作戦においての彼の命取りになりかねないし、人間的な意味でも嫌だった。

 というわけで、皆の気分に水を注さないよう、一人で銃の手入れをすることにした。そういう行動も、ある意味では気分を悪くさせるのだが、この小隊に限ってはそんなことは無い。作戦前に銃の手入れや確かめをするのは、任務熱心なヤツだと高評価されるはずだ(と、素雪は考えた)。

 

 第4小隊の使っている銃は、89式小銃改2型短銃身モデル、通称“89式コマンドゥ”と呼ばれるものだ。日本を本拠地にした新興の兵器会社“JMI社”(Japan Military Industry、何とオリジナリティーの無いネーミングだろうか!)が、新型小銃“14式小銃”を防衛省に売り込んだことに焦った豊和工業が、89式改造計画を防衛省に上げ、結果、14式の調達と89式の改造が平行して行われるようになった現状況において、その後者、89式改造計画の一環として開発された小銃だ。

 89式小銃は、その名の通り89年に支給開始された自衛隊正式装備の小銃だ。国産としては二種類目に当たり、64式小銃の後継として採用された。ちなみに、陸上自衛隊の装備小銃が64式から89式に完全に交換されたのは、第3次世界大戦開後の二〇一三年のことだった。

 89式小銃は、NATO規格の平均的なアサルトライフルだ。それにしては支給開始が89年と遅いのは、日本特有の戦争アレルギーや兵器の徹底した国産へのこだわり、そしてそれに対して速度の遅い兵器開発などが挙げられる(事実、89式の開発は64式の完成と共に始まったとの事だから、実に二十五年もの間開発し続けていたことになるのだ)。また、部品点数が多く整備が大変で、その分壊れやすく、またジャムが発生しやすく(これは噂程度のものだが)、埃に弱く、オプションが少ないなどの欠点もある。

 しかしながら、日本独特の凝り性とでも言うべき丁寧な生産によって、精度が高く、国産の為、日本人の体格に合った設計となっている。まぁ、最大の弱点は一挺二十六万円もする値段の高さなのだが(ちなみに、米軍のM16A2は一挺二万円。中東や東欧やアジアでいまだ使用され続けるAK47などは、一挺五千円以下で生産可能と言われる)。

 今までは国内の兵器産業の少なさゆえ、これでも防衛庁(当時はこの名だった)が採用していたが、武器輸出解禁(とでも言うべきか)によって状況が変わった。例えば先のJMIような新興兵器会社が出現したのだ。それによって、(戦後日本において初めて)兵器産業での資本主義の仕組みが機能し始めたのだ。

 これは、戦闘車両や小銃において顕著で、14式小銃などは一挺十万円と、今までの三分の一程度の値段で生産可能だった(それでも、諸外国のそれと比べれば十分に高いのだが)。

 豊和が防衛省に提示した89式改造計画は、改1型と改2型の二種類があり、そのなかで、防衛省が採用したのは後者だった。排莢口周りとバレル・カヴァー、そしてスケルトン・ストックを改良したパーツを交換するもので、これだけでジャムを大幅に減らし、防塵効果も高くした。また、スケルトン・ストックの強度も改善され、専用に開発(正確には米・独からの技術供与を受けたが)した89式・14式兼用グレネード・ランチャーも装備出来るようになった。

 しかしながら、既に89式小銃の生産は終了している。この89式コマンドゥも、僅かに一〇〇挺程度生産された、ある意味の貴重品だ。それも、もう数ヶ月で14式コマンドゥに交換されるとの噂だった。何と無駄な生産だろうか。

 14式小銃は、89式とは違いオプションも大量に用意されており、M16までとは行かなくとも、HK50(ドイツ軍採用正式名称G36)並みのオプションは用意されている。これは、輸出により大量生産が可能になり、そういうものの需要が出来たことが理由に挙げられる(14式小銃は、イスラエル、トルコ、西ポーランド、中華民国、インド、カナダ、東南アジアの数国などが使用している)。89式よりやや大型にもかかわらず、重量が軽くなっているのは、カーボンファイバーを多用した為だ。金属製の部分は、バレルとその他強度を必要とする部分僅かに使用されているだけだ。

 素雪は、いや、隊員全員、まだ小銃に弾丸を装填していない。だが、あえて薬室の中に弾が無いのを確認する。クリーニングキットを取り出し、簡単な整備をする。埃を(そんなものほとんど無かったが)はらい、駆動部を確認する。全く問題ない。当然だ。毎日毎日整備をしているのだから。

 周りの隊員たちも、いまだ興奮覚めぬ中、徐々に体勢を戦闘へと向けていた。ナイフや小銃などの武器を確認し、軽く整備する。戦闘服のフィーリングをあわせている者もいる。

 俺たちは、今から実戦に赴くんだ。そういう気分が蔓延している。しかし、けして悪い気分ではない。

 

 

 

 

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