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2017年8月25日
潜航艇は、有線操作で接岸する。
潜航艇の中で最終的な準備――僅かな水を口に含んだり、心の準備をしたり。全員が行ったのは、小銃に弾丸を装填することだ――を終えると、ハッチを開けた。すべり出るように潜航艇内から外の海に出ると、無音で陸地に向かって――K半島に向かって泳ぎだした。体は全く濡れない。全身を覆う戦闘服には、無線と暗視装置、その他を内蔵した、防音仕様のマスクが着いているからだ。
岸は、砂浜だった。美しいと表現していいかどうかは、ここが明るくならないと判断がつかない。斥候兵が周囲を確認し、敵の見張りがいないことを確かめると、ターネス三佐に報告する。ターネスはマスク内蔵無線(強力な短距離無線で、傍受されにくく伝わりやすい)で味方に集結を指示する。場所の支持は、ディスプレイ兼用のゴーグル部分にGPSで表示する。
およそ三十人が集結すると、ターネス三佐は再び指示を出す。全員班毎に散開して建物に接近し、作戦説明時に指定した進入ポイントへ移動。時間が来ると共に個別に突入。アクシデントに遭った場合、即急に連絡し、無理な場合は出来るだけ無音に、気付かれること無く処理する。作戦の成否に関わると判断されるアクシデントが発生した場合、無線で知らせるか、最悪の場合でも発光弾を上げる。それを合図に撤退するのだ。
全員が頷く。同時に、ターネス三佐が片手を挙げ、それをさっと振り下ろす。まるで特殊部隊の隊長のような動きだ。いや、まさにそうなのだが。
その動きと共に、全員が駆け出す。海岸の直ぐ側にあるブッシュに駆け込み、音も無く前進する。班毎に、前衛・中衛・後衛に分かれている。周囲の警戒、トラップの確認と排除を驚くほど素早く、正確に行っていく。訓練よりよほど簡単だ。彼らの多くはそう思っていた。なぜなら、訓練でトラップを仕掛けたのは、あのアメリカ海兵隊や、やはりアメリカの特殊部隊員たちだったのだ。アメリカはかつての地位を失ったとはいえ、逆に他国へ干渉しなくなったことにより、大量の軍を維持する必要が無くなり、兵士一人一人の質は格段に上がっているのだ。
「止まれ」
ターネス三佐が指示する。彼の直属の部下……つまりA班の面々は、指示通りに停止する。一人が周囲の警戒を始める。
「何です、三佐」
「そこ、地雷があるぞ。ボールベアリングをばら撒くヤツだ。センサは古臭い地面へ埋める、直接踏まないと意味が無い奴だ。ほら、色が違うだろ。そこの土。迂回だ。そっちへ抜けるぞ」
ターネス三佐の声に、部下はえっと声を上げる。
「そちらの方が抜けやすそうですが?」
彼は右側を指してそういう。確かに、草の量はそっちの方がやや少なかった。そしてそれ以上に、ターネス三佐が指し示した方向より、直進に近かった。
「よく見ろ。草にカモして鉄条網が張ってある」
彼はそちらを凝視し、ああ、と納得した。確かに鉄条網が、巧妙にカモフラージュされて張ってあった。
三人は、それらのトラップを迂回して、目的地へ向かって前進していった。
素雪が停止を指示する。勿論、声なんて出さない。手話だ。哲也は素雪に近づき、吾妻は周囲の警戒をする。完璧なチームプレイだった。彼らC班は、第4小隊内でもトップの成績を誇る。ちなみに、チームリーダーは吾妻だ。
哲也が素雪に寄ったのは、GPSで場所を確認したからだ。既に、無声封鎖範囲内に入っている。いくら高性能な無線機でも、傍受場所があまりにも近ければばれてしまう。別に、高度に暗号化されたデジタル通信が解読されてしまうのを危惧してはいない。こんな場所で、発信源不明の電波が傍受されてしまうのが不味いのだ。
哲也はポケットからコードを取り出し、片方の端を自分のヘルメットに接続する。そして反対側を、素雪のヘルメットへ接続する。このジャックはマスク内のマイクとヘルメットのスピーカーに直結しており、会話が出来るのだ。
有線通信ならば、傍受される心配は無い。そういう考えだった。別に、奇抜な思い付きではない。軍事でも民間でも、普通に使われている手法だ。
哲也は、ヘルメットに内蔵された機能で会話の録音を開始し、素雪に理由を訊く。
「どうした?」
素雪は、手で先にある小さな草の塊を指差し、答える。
「あれ、蛸壺だ。潜んでるぞ。サイズからして、一人だな」
「そうか?動きも熱反応も全く無いけどな」
哲也の言葉に、素雪は少し呆れたように答える。
「だから蛸壺なんだ。あの草、どう見ても不自然だろ。横になってるやつがあるじゃないか。それに、あそこ。微妙に光ってるだろ。金属やガラス片じゃないぞ。熱が無いのは、土を湿らせて、熱を出さないようにしてるだけだ。もしくは赤外線カモフラージュネットかな」
なるほど、確かにその通りだった。哲也は吾妻を手招きで呼ぶと、素雪のヘルメットに繋げていたコードを吾妻に繋ぎなおし、再生ボタンを押した。
再生が終わると、吾妻は黙って頷き、敵が潜んでいると思われる草叢を観察する。よく見ると、潜望鏡が見えた。なるほど、あれで中から外を覗いているわけだ。だが、旋回してはいない。固定されているわけではなさそうだが、観察しているのは一点だけなのだろう。訓練がなっていないのだな。
次に、周囲を観察する。地雷のようなものは……特には仕掛けていないようだ。どうやら、人員を配置しただけで満足しているらしい。
吾妻が周りを見ると、二人も同じことに気付いているようだった。手話で潜望鏡を示し、それを回避するような手の動きをやって、最後にトリガーを絞る動作。なるほど、適切な対応だ。吾妻は頷いた。その作戦で行くわよ。そういう意味だった。
二人も頷き返し、潜望鏡の両脇へ移動する。勿論、音を出すようなへまはしない。吾妻も同じように、移動する。素雪が右から、吾妻と哲也が左からだ。
無音で、草叢の直ぐ横まで移動した。敵は気付いていない。素雪は銃を草叢に向けた。哲也も同じようにする。
吾妻はそれを見て、最終的な確認をする。熱センサーモードにして、草叢を観察した。敵は一人。こういう任務は最低でも二人単位で行うのが普通なのだが……。しかし、それを気の毒に感じている暇は無い。ここで気付かれては、計画が崩壊してしまう。
吾妻は片手を挙げ、少し振る。素雪と哲也はそれを見て、引き金に指を掛けた。許してね。悲しいけど、これ、戦争なのよね。戦争とは少し違うかと思ったが、《北》とは講和をしていないのだ。つまり、公式には現在も戦争継続中ということになる。
いや、そんなものが問題なんじゃない。ようは、気分の問題なのよ。気分。いくら実戦経験がある、つまり人殺しをしたことがあると言っても、人殺しをするのに何も感じないわけじゃない。いや、むしろ、誰かの命を奪うたびに、発狂しそうになる自分を無理やり殺してきたほどだ。
これも、それなんだ。吾妻は解っていた。自分が頭の中で思っていることが所詮、自分に対する免罪符作りの作業に他ならないことに。そして、それを確信犯的にそれを行えない自分に腹が立っていたことは確かだが、気付いてしまったなら仕方が無い。発狂する気なんてさらさら無いが、果たしてこのままこの人殺しが続けていけるのか。
転職の時期かしら?そう思ったときに、ふと気付く。
いつの間にか、人殺しの恐怖なんて――そんなもの初めからあったかどうか判らないが――消え去ってるじゃない。本当、人間の体の自己防衛反応は優秀ね。
そして最後に、この言葉で自分を騙すことにした。
―――仕事だから。
いつもそうだった。自分が兵士だと言うことを、人殺しの免罪符にしていた。
でも、別にそれでもいいと思う。だって、それを責める人間は、自分が他人の犠牲の上に生きていると言う、自分のことを棚上げにしている左翼の連中か、もしくは私は完全に自分のみで自己完結しています、と言えるような大嘘吐きしかいないのだもの。
そして私は、そんなやつらの言葉に耳を貸す習慣なんて持ち合わせていない。
吾妻は自分の気持ちに整理をつけ、大きく深呼吸をしてから、手を振り下ろした。その合図で、素雪と哲也が引き金を引く。シュポンという、間の抜けた音が連続する。いや、あまりにも速いから、シューという空気が抜ける音に聞こえる。勿論、金属製のバレルの中を駆け抜けているのは、空気などではなく、直径五・六ミリのライフル弾だ。大きさは五・五六ミリNATO弾と同じなのだが、日本製の弾丸はこう呼ばれる。何でも米製の五・五六ミリNATO弾とは微妙に異なるらしい。
勿論どちらの弾にしても、人を殺すための道具だという点は変わることは無い。その証拠に、たった今草叢の中の狭苦しい蛸壺に体を収めていた敵見張り兵に降り注いだ六十発近い弾丸は、彼(もしかしたら彼女かもしれない)をずたずたに引き裂いてしまった。オーヴァーキルのようにも思えるが、通信機などを破壊することも目的だ。《北》製だか中共製だか知らないが、どちらにしろ、非常に故障しやすいはずだ。定期連絡が入らなかったくらいでは怪しまれないだろう。いや、もしかしたら日本製かもしれない。どちらにしろ、栄養失調の訓練不足の兵士が、定期連絡を怠ったとしても何の不思議も無い。良く訓練されたもので無いことは確かだ。そうであるなら、こんな簡単に殺せるわけが無いのだから。
一連の作業が終わると、素雪と哲也は銃のマガジンを取り替えていた。流石に撃ちすぎかと反省すべきかな。
とにかく、兵士の方ごめんなさい。私も後で地獄に行きますけど、謝罪はその時に。まぁ、直ぐにそっちに行く気はないし、他にも謝るべき人がいますので、貴方のことなんて覚えているか分かりませんけど。
C班は前進を再開した。