2017825

 

 配置は完了していた。

 おそらく内部には気付かれていないだろう。見張りは全て沈黙させたし、警報装置は回避するか、無効化した。完璧だ。やはり、訓練の成果が出ているようだ。勿論、

 目標の建物から少し離れたとことにある小さな広場の中で、ターネスは思った。彼の思ったとおり、準備はほぼ完了していた。たった今、最後のF班から連絡があったところだからだ。

「おい、こんなやり方が許されると思っているのか!」

 ターネスの隣にいる男が喚いた。G班が確保した、韓国の外交官の男だ。この男だけは間違っても殺してしまったら不味いので、先に確保しておいたのだ。

「我々ならこんなやり方はしない!まず外交努力を重ね――!」

 ターネスの後ろで見張りをしていたA班の班員二人が、やれやれといったふうに首を振る。ターネスは男をちらりと見ると、胸倉を掴んで引き寄せる。男はひぃ、と声を漏らした後、恐怖に震えた。

「麻薬をやってるヤツにナイフを渡すやつがいたら、渡さないように交渉するだろう。だが、既に握らせてしまった後ならば、それが振るわれる前に叩き落とすしか無いんだ」

 正しいかどうかかなり怪しい朝鮮語でそう言う。相手に伝わったかどうかは分からない。だが、伝わっていなくても良いと思った。こういう場合、重要なのは気迫なのだ。

 ターネスは手を離し、左腕にはめたスイス製の時計を見た。男はぐぇと変な声を上げて、しりもちをつく。だが、ターネスはそんなこと全く意に介さない。間も無く時間だ。無線のスイッチを入れる。

「諸君、作戦開始だ。全班突入せよ」

 周囲は何も変わった様子は無い。夜のしじまは乱されること無く、ただ時が流れている。だが、おそらくほぼ無音で、味方が建物内に突撃しているのだろう。耳を澄ましても何も聞こえない。素晴らしい。

 ターネスは空を見上げた。月の出ていない空は、新月ではなく、曇っているだけだ。彼らは何故夜に会談などやっていたのだろう?ターネスはふと疑問に思った。夜に会談をやって、少しでも敵の進撃を難しくしようという魂胆だろうか?まさか。夜の方が襲撃しやすいに決まっている。“秘密”会談だからだろうか?先入観に凝り固まっているとしか表現しようが無い。そんなことするよりも、厚さ百ミリの鉛と、厚さ一万ミリのコンクリートで覆われた地下百メートルの位置にある大部屋で会談を行った方が、よっぽど安全だ。勿論、そんな場所がこの国に存在しないことなんて分かっている。

 まぁ、そんなことどうでもいい。問題は、作戦の成否なんだ。ターネスは知っていた。この作戦の結果は、単なる《北》の増徴抑制だけでは無い。日本の面子にも関わるんだ。日本がこういう大規模な会談を襲撃できるだけの特殊部隊を保持しているという事実を、世界へ公表するわけだ。言ってみれば《北》は、そのデモンストレーションのダシのようなものなのだ。これが失敗すれば、日本は自分の力を過信した愚か者ということになってしまう。しかし成功すれば、日本は特殊部隊大国のソ連や《北》にも劣らない、優秀な国家だということを世界に示威することが出来る。

 特殊部隊というのは、高度に政治的な問題に対して投入されるのが普通だ。“高度に政治的”という問題に対しての答えが“特殊部隊”というわけだ。だが、今回は違う。“特殊部隊”が動くという問題が、“高度に政治的”という答えを生み出してしまっているわけだ。

 故に、失敗は許されない。ターネスは心にそれを刻み込み、目標の建物を見た。さて、始まってしまったわけだ。

 

 突入は成功した。

 C班の面々――素雪、哲也、吾妻――は完全に奇襲になる形で、玄関に陣取った五人の男たちを掃討できた。見張りらしいが、全く役に立っていなかった。その役目を果たす前に、素雪たちに拘束されてしまったから。

 最初に火を噴いたのは素雪の銃だった。三点バーストでトリガーを一回、つまり三発の弾丸。中共製のコピー品サブマシンガンを持った男は、その弾丸で殺された。ライフル弾のストッピング・パワーは高く、相手を壁まで吹き飛ばした。派手に飛び散った血が、一部素雪に降り注ぐ。

 次に突入してきた哲也と吾妻は、手前で呆然としている男二人を手っ取り早く拘束する。出来るだけ殺すな。面倒な指令だが、実に自衛隊らしい。そう、自衛隊はけして軍隊では無いのだ。いや、あまり関係ないかな? とにかく、人を殺すのはあんまり好きじゃないから、ある意味嬉しい命令でもある。早速一人殺しておいて、言う台詞でもなかったが。

 素雪が、続いて三人目を拘束すると、残りの一人がやっと状況を理解して、後ろに逃げ出した。哲也が、一歩遅れて素雪が男に銃を向ける。発砲したのは哲也だけだった。素雪が狙いをつけたとき、男は既に地に伏していた。哲也がフルオートで放った弾丸が、男の足に命中したのだ。

 素雪と吾妻は倒れた男のところへ行き、傷を確認する。死ぬほどの怪我ではなかった。幸運なことに、太い血管が傷ついていなかったのだ。

 哲也と吾妻は次の部屋へ続くドアへ寄る。吾妻は本部――つまりターネス三佐――への報告も怠らない。

「C班、制圧4、死亡1、C1制圧完了。直ちにC2へ向かいます」

 哲也は一息つき、次の部屋へ突入する準備を整えた。弾丸は、まだ十分にある。しかし、素雪が部屋の中を眺めて、なにやら考えていた。哲也は素雪を呼んだ。

「素雪、次へ突入するぞ」

 素雪ははっとしたようになり、直ぐにドアの側に来た。部屋の向こう側を観察する。哲也はフラッシュグレネードを取り出した。日本が独自開発した、スタン・グレネードの無音バージョンとでも言うべき兵器だ。音の変わりに、瞬時にして大量のガスを放出し、感覚を鈍くすると同時に、光で視覚を奪う。

 哲也が素雪を見ると、素雪は頷き、向こうの部屋を観察した。素雪はポイントマンなので、こういう任務なのだ。

「最低三人。使え」

 端的に伝えてくる。同時に、ドアを開けた。哲也はタイミングよくグレネードを放り込む。ドアの向うで鋭い閃光が生じた。素雪を先頭に、C班は次の部屋に飛び込んだ。

 

「制圧5、死亡3、D3制圧」

「制圧6、死亡0、G4制圧」

「制圧2、死亡1、F6制圧」

「制圧0、死亡3、E6制圧」

 ターネスのところには次々と報告が入ってきた。建物は既に、その七割以上が制圧されていることになる。傍受施設のある監視室は、最初に制圧した。たとえ無線が傍受されていても、それを誰かに伝える間も無く、監視室は制圧されただろう。

 計画は問題なく進んでいた。そしてそろそろ、計画も山場へ入ろうとしていた。

「C班、制圧3、死亡0、A1へ向かいます」

 A1。各フロアは、その場所を制圧する班の名称と、制圧する順番でつけている。しかし、ターネスのいるA班は今回、制圧に参加せず、指揮を執っている。だから、A1という場所は存在しないことになる。しかし、二箇所だけ例外的に、Aナンバーを割り当てられていた。

「よろしい。内部を確認後、他の班が到着するまで待機」

「C班、10−4」

 続いてE班とG班からも、A1に到着したとの連絡が来る。ちなみに10−4とは、了解を表すコードである。

 C班から再び通信が届いた。

「会談進行中。内部には、警備の者と思われる《北》の兵士十三人。カラシニコフを所有している」

 《北》の兵士。おそらく特殊部隊だろう。どの程度の強さかは知らない。もしかしたら、以前テレビで見たような、素手でコンクリートを割るような超人なのかもしれない。もっとも、たとえそうだとしても、この場では関係ない。いくらそんな超人でも、銃弾は弾けない。

 B班、D班、F班、H班、I班、J班からも到着の報告が届く。C班が到着してから僅か四分。全く、素晴らしい練度だ。

「全員、会談を押さえろ」

 ターネスが無線でその言葉発した瞬間、室内の十三人と室外の三十人がほぼ同時に動いた。

 

 部屋は広い部屋だった。トルコ製のカーペットに、イタリア製の椅子とテーブル。日本製の空調装置で、快適な温度に保たれている。テーブルには人間が十数人。室内にはその他に、警備の兵士が十三人、小銃を手に立っていた。《北》の特殊部隊の兵士で、第662軍部隊の秘匿名称の与えられた人民レンジャー部隊の面々だった。ラペリングロープで降下する韓国の兵士を、拳銃で、スコープ無しでなおかつ一〇〇メートル先から狙撃したという曰付きの部隊である。

「しかし同志、食料は大丈夫なのですか?」

 ロシア人らしき大柄の男が、低い声で訊く。ロシア語だった。答えるのは、朝鮮人の小柄な男だ。

「あなた方の援助があれば、全く問題ありません」

 ロシア人はふぅむと唸り、隣に座る、やはりロシア人の女性に目配せする。女性は頷き、手に持った二世代遅れたアメリカ製OSの入っている日本製ノートパソコンのキーボードを叩く。

 その間に、ロシア人の反対側に座っている中国人の男が発言する。

「朝鮮人民軍は精強ですからな。その上、民は書記長に絶対の信頼を寄せていると訊く。まったく、羨ましい限りですな」

 隣の、少し背の高い中国人が続ける。

「そうですな。しかし、それらの人民も資源が無ければ困るのでは?訊くところによると、人民工場の稼働率は未だに三十パーセントに達しないとか……?」

 その言葉には、先の朝鮮人とは違う、ややふっくらして男が答える。口にくわえているタバコは、日本製のコピーである中共製の煙草だ。

「確かにその通りですよ、同志(トンジ)。しかしながら、資源と僅かな経費さえいただければ、その資源を何倍も価値に在るものに変えて差し上げますよ」

「そうですか。しかし気をつけてください、同志。一部の人民が奉仕を怠ると、皆が困りますからな」

 ええ、勿論ですとも。男はそういって、中国人に続きを催促するような目を向けた。しかし、発言したのはさきのロシア人だった。

「そうですな、同志。あなた方は民主主義を名乗られるが、その実立派な共産主義だ」

 中国人たちが口に笑みを湛えた。六人いるうち、右から三番目にいる朝鮮人が口を開く。

「同志、我々は資本主義の米帝とは違いますぞ。全て平等、これが我々が在るべき姿では無いですか。

 しかしながら、現在我々は平等な立場に置かれていないのです。日帝、米帝、そして韓国までが、我々に資本主義の暴力を振りかざしてくるのです。これに対して我々は必死に抵抗していますが、敵は卑劣きわまりまして、先ほど南の同志が言われたように、既に資源を切らしてしまったのです。おかげで共和国の工業力は大きく落ち込んでいます。いくら我ら人民が、同志たちに劣らぬほど人民としての義務を果たすべく奮闘するとしても、やつらの攻撃の、金の攻撃の前にはひとたまりも無いのです。

 奴らは昔からそうなのです。ミサイルで我々を脅し、多くの下層階級から巻き上げた金で軍備を強化して、我々にその矛先を向けてくる。我ら人民が必死に平等の素晴らしさを説いても、耳を貸そうとはせず、我らの同志を力でねじ伏せる。あのCIAとかFBIとか言うヤクザな連中!

 おかげで我が国はひどい有様です。米帝が食料を略奪して、なおかつ、それらの生産力を上げる為の大規模電力プラントの開発まで妨害した為に、民は餓え苦しんでおります。

 ですから同志。我々の助けになっていただけ無いでしょか。具体的には、食料と資源と武器――それも、米帝や日帝に対抗できる……いえ、彼らとの交渉を円滑に進められるだけの――を援助して欲しいのです。我々はそれらさえいただければ、必ずや立ち直って見せるでしょう。その暁には、我々人民は決して、あなた方の恩義を忘れてはいないでしょう。 同志、我々はあなた方の力を必要としています」

 場がシンとなる。ほんの一瞬の沈黙も、《北》側の者たちにして思えば、数年にも感じられる長さだった。やがて、ロシア人の男が口を開く。

「もちろんですとも、同志。我々はあなた方が、必ずや南にある米帝の傀儡政権を妥当できると信じております。そしてそのために、我々が協力を惜しむ理由が何処にありましょうか?」

 続けて、中国人の男も口を開いた。

「同感ですな、同志。我々も貴方と同じように、南方に米帝の傀儡政権を抱える身なので、貴方のお気持ちはよく分かります。こういう時こそ、共に結束すべきだと考えますな。幸い、資源と食料には幾らか備蓄がありますので」

 勿論、両国とも《北》の男の話を信じているわけが無かった。だいたい、米帝の傀儡政権という言葉も、言葉がいいから使っただけであって、それは十年前の話だ。既に米国は、日本と韓国に対する影響力など、皆無といっていいほど失っている。

 加えるに、僅かな資源で《北》が復興するなどとは全く思っていなかった。兵士の数を減らし、少しは食糧生産に力を傾けるようにしても。《北》は所詮《北》だった。主体思想という、独裁制を維持する為の言い訳以外なんでもない、表面上はイデオロギーに見えるだけの主義を立てかけている自称“地上の楽園”にいくら資源と食料を与えたところで、上層階級の奴らが掠め取っていくに決まっている。配るにしても、まず兵士から、次に戦時の備蓄用となるのだ(いや、逆かもしれない)。

 だが、そんなことは両国にとって問題ではなかった。彼らの目的は、適当な緩衝地点が欲しいだけであり、逆に必要なくなったら直ぐに捨てられるような存在で無いとダメなのである。むしろ旧東ドイツのように、異常に工業力が高くなってしまったら、簡単な切捨てが難しく、かえって迷惑なのである。

「ありがとうございます。やはり、あの小ざかしい米帝どもとは比べ物にならないほど、同志諸君は素晴らしい方々だ。

あの国の傀儡政権である韓国の外交官が約束時間を守らないのが、あの国がいかにいい加減かを物語っていますな」

 朝鮮人の男が喜々として言うと、中国人とロシア人の男達はいえいえ、と笑いながら首を振る。

「ところで、次期戦闘機の開発に関することなのですが―――」

 

 金白中(キム・ペクチュン)上尉は警備の主任だった。身長一八〇センチで体重七十キロ。理想的な、筋肉質の体系を持つ大男だ。外見を裏切らず、あらゆる格闘技に精通している。そんな彼が軍隊ルックに身を包み、ライフルを持っている姿は、ヴェトナム戦争中の特殊部隊員と見間違えてしまいそうだ。

 彼はこの人を仰せ使い、この場に立っていながら思った。重要な会議と聞いていたが、まさかこんな重要な会議とは思いもよらなかった。彼は政治のことなど全く分からない。《北》の人間は大抵そうだ。だが、納得できる話でもあった。もしそうでなければ、《北》の政権はとっくに崩壊しているだろう。

 彼は今の政権が本当に“地上の楽園”だと考えるほど楽観的な男ではなかったが、クーデターを起こすほど愛国心の無い(というか、行動力や知識のある)男でもなかった。しかし、少なくとも特殊部隊に入隊できるほどの能力は持っていた。

 今の地位はそれらの結果ともいえる。能力が高く政治的に信頼できる人間は少ないが、彼はその少ないうちの一人だったのだ。故に、今現在この重要な場所で、警備の主任などを任されていた。

 彼は政治に興味など無かったから、そのテーブルを挟んで交わされている会話が、自分の国家にどのような影響を表すのか分からなかった。彼のつれてきた信頼できる部下も、同じだった。

 彼がドアの外を見たのは、単なる偶然だった。ドアにはまったガラスの向こう側に、不思議な影が見えた。特殊部隊所属の彼は、そこに映っていた影が、人のものだと直ぐに分かった。

 それを確認するや否や、彼はすぐさまドアに走った。彼の優秀な部下は、その行動だけで何が起こったか判断できるはずだった。同時に、敵も飛び込んでこなければ。

 

 素雪がドアを開けて中に踊りこんだとき、仲の敵も同時に動いた。とはいっても、まともに動いたのは素雪が張り付いていたドアの向こうにいた敵だけだった。他の者達は、残念ながら一瞬遅れていた。だが、それが生死を分ける。

 もしかしたら、こちらの位置がばれていたのかもしれない。そういえば、俺がドアを開ける前に、最終確認を行うため、哲也が動いたんだった。それで、影でも見られたかもしれない。

 だが少なくとも、その男の行動を除いては完全な奇襲となった。他の警備の敵たちは、別のドアから入り込んだ味方によって、次々と射殺されている。素雪が不運だったのは、自分の張り付いていたドアの前にこの男がいて、なおかつ自分が一番先頭で突入したことだ。

 C班が張り付いていたドアには、D班とG班もいた。その二つの班は、素早く両脇に移動していた。どうやら、正面の男は任せたということらしい。素雪は男を射界に捕らえる。たが、引き金を引くことは出来なかった。男が横薙ぎに払った腕が、素雪の小銃を跳ね飛ばしたからだ。

「な―――!?」

 この男、強い。素雪はそう判断し、左太股にくくりつけてあるホルスターから、愛用のナイフを抜いた。この距離ならば拳銃より、ナイフの方が信用できた(拳銃はスリーアクション必要だが、ナイフはワンアクションでいいらしい)。ナイフというより日本刀という姿の方が正しい姿をした、刃渡り三二〇ミリのものだ。そう見えるのも当然だった。何せこれは、関の職人に頼んで作ってもらった日本刀なのだ。流石に拵えはナイフのようなものを使用しているが、刀身自体は日本刀のそれだ。普通のナイフに比べてずっと管理が難しいが、切れ味は非常に良い。個人的に刃物というものに興味を持つ(婉曲表現)素雪にとって、これを愛用するのは至極当然の理屈だった。

 男は腕を返し、今度は素雪の体を反対から殴り飛ばそうとする。素雪は姿勢を低くすると、この攻撃を躱した。

 素雪は、マーシャル・アーツは得意な方だった。だから、自分の欠点――筋力が成人男性よりも劣っているということを知っていた。別に、彼が訓練を怠っているわけではない。もともとそういう体質だし、彼はまだ十六歳なのだ。

 “敵を知り、己を知れば百戦危うからず”とはよく言ったものだ。素雪は自分の弱点を知っていたし、なおかつこういう、自分よりずっと筋力のある、なおかつ戦闘技術の高い敵と戦う方法も心得ていた。とにかく、小柄な体を活かし、瞬発力と素早さで戦わねばならない。高性能の銃器と切れ味の良いナイフさえあれば、攻撃力での均衡は図れる。敵の筋力を利用してのカウンターも、相手が戦闘経験の少ない相手なら効果的だ。だが、戦闘経験が高い敵にはあまり使えない。そんな隙を与えてくれるとは考えられないからだ。故に今素雪が取るべき戦法は、先手必勝とでも言うべき、相手に反撃する間を与えず連続して斬りつけ、出血多量で戦闘能力を奪うことだった。

 ナイフの戦闘において、ヤクザ映画のように腰ダメに構え(ナイフもどすも似たような物と考える)、突撃していくような戦い方は、下の下なのだ。簡単に受け流されてしまうし、足を引っ掛けられただけでも転んでしまう。それならまだいいが、その時にナイフで自分を傷つけてしまう可能性が高い。とにかく、自殺戦法にも似た方法なのだ。

 例えば相手を一撃で殺せたり、なぞるだけで物体が切断できる線でも見えたりしない限り、ナイフで戦う場合は、相手の手足など末端の部分を狙い、連続して斬りつけるのだ。そうやって痛みにより、じわじわと戦闘能力を奪っていく。時間がかかる上、自分も怪我を負う可能性の高い戦法だが、自分の技術が敵に優っている限り確実この上ない戦法だ。

 だが素雪は、あえてそれを行わなかった。敵の胸部ががら空きだったからだ。前足に体重をかけ、足首のばねを利用して力一杯跳躍する。同時に両手で持ったナイフを上に突き出す。敵は後ろに後退しようとしたが、完全に前足にかかっていた重心を後方に移動するのに要した時間は、素雪が男の胸にナイフを突き刺すのに十分だった。

 ぐしゃり、という音が聞こえ、血が流れる……暇も無く、男は後ろに後退する。同時に、左足で素雪を蹴り上げようとする。勿論素雪の方も、そのままの状態でいる気などなかった。次に蹴りが来るのは判りきっていたから。だから、ナイフを突き刺す時既に後退の準備をしていた。これのおかげで素雪は速やかに後退でき、結果的に男の蹴りは空を切った。男はそのまま後ろに倒れる。

 ナイフは心臓に刺さっていない。素雪がそれを確認したとき、哲也と吾妻が発砲した。いや、二人だけでは無い。制圧の終わった他のメンバーも発砲に加わっている。たちまち男は六十発を越える弾丸が命中する。確実にオーヴァーキルだが、気にする者はいなかった。

 だが素雪は、別の理由で気が気ではなかった。おいおい、頼むからナイフに当てないでくれよ。彼にとっては、愛用のナイフが傷つくことが一番の恐怖だった。

 結局ナイフは無傷で回収出来た。この時ばかりは素雪も、仲間の銃の腕に感謝した。

 

「おい貴様ら、これがどういうことだか分かっているのか!?」

「はぁ、まぁ。許可は得ておりますので。講義なら正式な手続きを取って外務省の方にお願いします」

 ソ連の代表と思われる男の言葉に、会場の中にいた第4小隊の隊員の一人が、流暢なロシア語でそう返す。バルト三国で抗ソゲリラの援助をしていた時に、亡命ロシア人から習ったものだ。

 会談に参加した者達は全員が拘束されていた。会談場内の警備員――《北》の特殊部隊のメンバー達は全員が射殺されていた。約1名ナイフによる致命傷を受けたものもあるが、直接の死因は銃弾だった。

 会談場内にはF班が、最悪の場合に備えての警備として残っており、残りの第4小隊メンバー達はA2ポイント……今回会談に参加した人々の荷物置場へと急いでいた。場所は一階だが、そこに行くには一度三階を通らねばならない。何か大事なものを扱っていることは間違いなかった。

 

倭奴(ウェノム)ども―――!」

 《北》の兵士……というよりチンピラに近い男たちが階段の上からサブマシンガンを連射する。当然、第4小隊にそんなものに被弾する間抜けはいない。素早く階段の横に隠れると、銃を少しだけ出して狙い撃ちする。真ん中にいる男は銃弾を二、三発浴び、後ろに倒れた。胸からは血が溢れて、階段を滑り落ちていった。他の奴らも直ぐに同じ運命をたどった。

 哲也は男の叫びを聞いた時に、なんとなく思った。しかし、何を根拠に俺たちを日本人と決め付けたんだ?いや、この場合は正解なのだが。

 第四小隊のメンバーはC班を先頭として、その階段を上りきる。やはりポイントマン役として先頭にいた素雪は、敵が数人駆けて来る足音を拾った。曲がり角の向こうからだ。

「四十ミリ」仲間に素早くそう伝える。

 最初にそれに反応した哲也は、89式コマンドゥの下についた15式擲弾筒の照準を、曲がり角の向こうにする。上手く跳ねて向こう側にいくようにしたのだ。距離は20メートルを切っているので、安全装置は外しておく。弾頭色はライトオリーブ、M397エアバースト空中炸裂弾だ。

 15式擲弾筒は、14式小銃のオプションとして開発されたもので、米国のM203を元に開発したものだ。どちらかといえばHK50用の物に近い設計になっているのは、やはり作られた時代が近いからだ。

 隊員は皆階段に伏せている。いつ撃っても大丈夫なように、だ。哲也は集音機の情報から敵の大体の位置を予想すると、ちょうど一番効果がありそうなときに引き金を引いた。

 元々擲弾筒とは、旧日本軍が使用した個人携帯用迫撃砲のことだ。軽くて大威力ということで、大きな成果を発揮した。戦後(ここで言う戦後は第2次世界大戦後)、米軍が押収した擲弾筒を研究し、M79グレネードランチャーを開発したのだ。これはヴェトナム戦争で活躍し、携行用対戦車ミサイルや携行用対空ミサイル、分隊支援火器と共に歩兵に強大な力を与えた。弱点は、これを持った兵はライフルが持てないということだった。そしてその弱点を補う為に開発されたのが、M203なのだ。ライフルとグレネードランチャーを一体化させることにより、グレネード手に自衛能力も持たせることに成功したのだ。多少重くなるが、M79M16(ヴェトナム戦争中の米軍の主要装備)を一緒に持つよりは良いだろうということだ。

 つまり、M203は旧日本軍の擲弾筒の発展型なのだ。だから、それを基に開発された自衛隊用のグレネードランチャーに擲弾筒と名づけることは、なんら不思議は無い。むしろ、名誉あることとも言える。

 発射された直径四十ミリのグレネードは、通路の壁に当たって跳ね返り、高さ二メートルの位置で炸裂した。ちょうどその時、哲也の狙い通りに、敵はその場所を通っていた。炸裂したグレネードから多くの破片が飛び散る。グレネードの殺傷力は、これが目標に当たり、傷つけることにあるのだ。

 爆発音と同時に、第4小隊メンバーが飛び出した。曲がり角を曲がると、敵の状態を確認する。全員死んでいた。手に持っているのはサブマシンガンと対戦車ミサイル――ソ連製の安価なRPG7だ。一応、対人用にも使えるのだが、こんな室内で使えばバックブラストで大変なことになると思うのだが……。

 その死体を乗り越え、進む。狭い廊下は血と汚れがついており、照明は暗い。二十メートルほど進むと、やや広めの部屋に出る。人はいない。

「クレイモアみたいなのが仕掛けてあるな。外すのはめんどくさいから、爆破するぞ。離れとけ」

 素雪は後続にそういうと、地雷の位置を確認し、手榴弾を三つ放り込む。そして直ぐに踵を返し、廊下の方へ逃げ込む。他の隊員たちは既に廊下の向こうの方へ退避していた。何処と無く、おまえなぁという非難とも呆れとも取れない顔をしている……様な気がする。もちろん、そんな気分だと言うことだ。

 僅かな間をおいて、後方でものすごい音がする。手榴弾の爆発が地雷にも引火したらしい。いや、それが目的だったのだ。地雷は六つあったから、だいたい四二〇〇個くらいのボールベアリングが室内に叩きつけられたことになる。哲也はため息を吐きつつ思った。どんな惨状になっているやら。

 

「やったなぁ」

 部屋の中の惨状を見て、哲也が素雪に言う。

 酷い有様だった。ボールベアリングを叩きつけられた壁や床、天井は、穴だらけだった。レンガ造りなので貫通することは無いが、ズタズタと表現するのがふさわしい有様だった。もっとも、ほとんどの被害が天井や床に行っている。おそらく、爆風を受けて倒れてから爆発したのだろう。

「まぁな。でも、これを一つ一つ排除していくなんて御免だぞ」

「まぁ、別にいいわよ。速くてよかったわ。隊長にはいま了解取ったから」

 吾妻がそう言って、部屋の中を見回す。早い行動だな、と哲也が言うと、合理的なのよ、私、と吾妻が返す。事後連絡とは、つまりこういうことしましたよと一方的に告げただけなのだが、ターネス三佐はそれで納得してくれたようだ。ちなみにターネス三佐を隊長と言うのは、彼の立場は“第4小隊隊長”なので、間違ってはいない。

「で、この部屋は何なの?」

「階段の中継点」

 吾妻の言葉に、素雪がすかさず返す。実に的を射た言葉でもあった。部屋の入り口と反対側の壁には、大きな階段があった。幅は人間が四人並んで歩けるほど。ただし、ところどころが狭くなっている。照明は明るいとはいえない。アンバランスこの上なかった。角度は急で、長さは三階分ほど。

「この下がA2だな。トラップは?」

「ざっと見たけど、特に無い。下には奥行きのある部屋があって、その先は見えなかった。柱が林立してる。多分、上の階に何か増設するとき、支えきれなくなったんだと思う」

 素雪の言葉どおり、ここから見る限りでは下の状況はそのくらいしかわからなかった。

「一応待ち伏せとか警戒して、ゆっくりといきましょうか」

 吾妻はそういうと、全員についてくるように言う。素雪と哲也、それと数人の隊員がそれに続く。残りは、後方を警戒したり、降りていくものを援護する為下に向けて銃を構えたりしている。

 柱の影を使いつつ、少しずつ下へ降りていく。上へ残ったものは、下に熱源反応が無いか確認している。吾妻達が会談の中ほどまで降りたとき、下のほうで大型の物体が動いた。熱量は高い。

「下、敵。数一」

上の方にいる隊員が素早く言う。単語単語で切り、必要最低限の情報を素早く伝える。

 吾妻と数人も、その熱源を確認していた。言われるまでも無くライフルをそこへ向け、発砲する。直ぐに、命中した音が来た。ただし、予想していた音ではなかった。それは、肉に弾丸が当たる、ズボという音ではなく、硬い装甲に弾丸が弾かれる、キンという高い金属音だった。

 勿論、第4小隊はその異変に気付かないほど経験不足ではない。

「注意! 敵は五・六ミリが徹らないわ!」

 吾妻はそういい、バイティアングル切ったかな、と思った。バイティアングルとは、これ以上浅い角度で命中すると、弾が逸れるという角度のことだ。薄い装甲でも、浅い角度で命中すれば、弾かれる。まだ装甲が鉄板だけだったころ、戦車の装甲を斜めに配置していたのはそういう理由もあったのだ。弾丸と言うのは垂直に命中したとき、一番高い威力を発揮する。逆に言えば、垂直から遠ざかるほど、威力が小さくなるのだ。

 つまり吾妻は、敵がこちらの射撃位置から見て、斜めに盾か何かを持っているのだと思ったのだ。しかしそれは間違っていた。次の瞬間、弾丸が命中した位置から到来した大量の二十ミリ弾が、それを証明した。

「な―――!?」

 下のほうで、何かSFチックな駆動音がした後、銃が発射される音。幸い被弾したものはいなかった。ほとんどが柱の後ろに隠れていたからだ。

 吾妻は敵を確認する。間違いない。あれは――。

「全員、敵はアームスーツ。対装甲戦闘準備!」

 

 

 

 

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