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 2017年 920

 

 特別師団第11連隊は、駐屯地は秘密とされているが、その本部は防衛省内に存在することが公言されている。そして、それは事実でもある。現在その本部には、本来存在する人数はいなかった。皆、必要な任務をこなす為に出かけたり、休暇で家に帰ったりしていた。例外は、連隊長たる川内道真一等特佐と、首席幕僚たる霧島未来華二等特佐だけだった。

「ああ、そういうことだ」

 川内は電話を耳に当てながら言った。と、いうことは、話し相手は当然電話の向うだ。

「頼むぞ、お前だけが頼りなんだよ、佐藤。ああ、本当だってば」

 川内は演技くさい懇願するような声を出す。

「絶対だぞ。いいな。じゃあな」

 川内は電話を切った。後ろのほうで、またお前は、バコ! バコ! と言う音や、ちくしょう、いつか殺してやるという呟きのような声が聞こえたが、全て無視する。よくあることだった。

「お知り合いですか?」

 川内と反対側に座り、ノートパソコンを叩いていた霧島は訊いた。探るような態度ではない。ただ単に好奇心からの質問だ。

「ああ、そうだとも」

 川内は言った。というか、知り合い以外にあんな態度で接すると思うかい? と続ける。

「川内さんならありえますから」

「どういう意味だい、そりゃ」

 川内は怒ったような演技をしてみせる。が、霧島が無感動だと分かると、直ぐに止めた。

「俺の同期でね、今三佐をやってる佐藤ってヤツなんだが……」

「ああ、佐藤大輔三佐ですか」

 霧島は微妙な表情をして言った。名前は聞いたことがあった。恐ろしく有能なのだが、態度の悪さのせいで未だに三佐の地位にとどめられているという曰くつきの人物だった。

 川内は小さく頷くと、何があったか説明しようとした。

「まぁ、いろいろとね」

「訊きませんよ」

 霧島は先回りして言った。

「あれ……?」

 川内が本当に驚いたような声で言った。

「これ以上あなたと一蓮托生になるのはごめんですよ」

「む……」

「私の身の回りはただでさえ危険なんですよ。今でも。日本国の一部まで敵にしては、たまったものではありません」

 霧島はつんとした表情で言った。ふざけているようにも、本気のようにも見える。諧謔というもの持っているかどうか判らず、持っていたとしても表に現すことの無い霧島はいつもそうだった。だが少なくとも、霧島がこの上官に全く心を許していないことは本当だった。いざとなれば自分だって切り捨ててしまうかもしれない上官だとすら思っていた。

 川内はやや困ったような表情を浮かべようとしたが、その前に彼の中に存在する諧謔というものが表情を変えた。つまり、口元を歪めた。卑しいとも言えるような表情だった。

「そうかい?」

 川内は揶揄するような口調で言った。

「まぁ、少なくともウチは仲間は守るよ」

「……む、そうですか」

 霧島は驚いたような、探るような声で言った。川内の本意がつかめなかった。

「まぁ、君が言うなら護衛をつけてもいいよ。前みたいにね。人員も、前と同じでいいだろう?」

 霧島は言葉に詰る。顔が紅くなるのが分かった。

 以前(今年の六月ごろ)、日本国内の治安が極端に悪くなったことがあった。とはいっても、毎日あちらこちらでテロが頻発し、日本警察特殊急襲隊(SAT)や陸自の特殊作戦群(SOG)やらが大忙しとか、そういう類の治安悪化ではない。いや、ある意味それに近くはあった。

 治安悪化の原因は、主に東京を舞台とした諜報戦が果てしなく拡大した為である。あらゆる国の諜報員たちが東京で戦いを繰り広げ、毎週のようにどこかで要人暗殺が起こる事態になってしまった(もっともこれはこの時期、だいたいどこの国でも同じような事態だった)。

 そして、特別師団の構成員もその例外ではなかった。特に師団の中でも精鋭である11連隊連隊長川内や、首席幕僚霧島などは特に執拗に狙われた(師団長の紫尊(むらさきみこと)将補、師団幕僚長神谷一佐については言うまでもない)。

 そんな治安悪化の中、とりあえず特別師団の要人には護衛をつけようという話になったのだ。当然の成り行きだった。あまり出歩かない川内や、一人で動くことはまず無い紫、神谷はいいとして、霧島などは危険だった。彼女には戦闘訓練を受けた精鋭諜報員に対抗するだけの武力は無かったが、しかし一人で出歩くことは、その配置上少なくなかった。

 そういうわけで、霧島には特別師団第11連隊から護衛が付けられた。護衛は経歴、年齢などから考察した結果、最も適切だろうと思われた人物――素雪ヴァレンシュタイン一曹だった。

 まぁ、つまりそういうことである。霧島が素雪と直接会うのはその時が初めてだったが、彼に護衛されるにつれ、彼を意識するようになった。ベタといえばあまりにもベタな展開だが、理解できないでもない。霧島と素雪は一度、どこかの諜報員に襲撃されていた。その時直ちに救援を呼び、市街戦紛いのことをやって何とか助かったのだが、霧島が助かった直接の要因は素雪だった。つまりはまぁ、極限下における意識迎合――ストックホルム症候群などと呼ばれる症状に近いのかもしれなかった。霧島にとって戦争をする素雪は、それだけのインパクトがあった。

 もっとも、その一時的だろうと思われる感情が、永続的な感情に切り替わったのは、戦争を終えた素雪が見せた態度なのか、はたまた別の部分にあるのかは解らない。本人にすら解っていなかった。そして、それで当然だった。自分のことを何でも知っている人間などいないのだ。

 

「彼ならば護衛任務も完璧だろうと思う。君が望むなら第4小隊の中の分隊を一個まわしてあげても良いけど」

「私なんかの護衛にそんな人数を割くことが出来るのですか?」

 霧島は平常心を取り戻していった。本気でそう思っている。

「まぁ、可能だよ。ローテーションで護衛に当たらせればいい。何の任務もさせずに組織を弛緩させるよりはずっといいしね。急いで待て、というヤツだよ」

 川内の微妙に間違っているだろう理論に、霧島は難しい表情をして見せた。そして、きっぱりと言う。

「でも、やはり結構です。命は大切ですから」

「おや、残念」

 川内はふざけた調子で言った。だからこの人は……。霧島は呆れた思いだった。

 だが川内の次の行動は、さらに霧島を呆れさせた。

 川内はポケットの中から小さな四角い箱を取り出す。霧島が不思議そうな眼で見守る中、その箱の表面を撫でた。箱全体が鈍い緑色に光、そして直ぐに元に戻った。

「何ですか、それ?」

「いや、技本(技術研究本部)が開発したヤツでね。ダチがいるから一つ融通してもらったんだよ」

「はぁ……。で、何なんですか?」

 川内は口元に歪みを浮かべる。

「新型の盗聴妨害機(WCTM)さ。ちっさくて良いだろう? 情報本部とかより先にもらえたんだよ」

 霧島は律儀に驚いたような表情を浮かべる。半分演技で、半分は本気だ。技本が開発したという盗聴妨害機は、一・五センチメートル四方程度の正方形でしかなかった。いったいどんなオーヴァーテクノロジーを使って作り上げたのかしら? もしかしたら、技本にはドラえもんがいるのかもしれないわね。

「それで、盗聴は妨害できたんですか?」

「多分、ね。まぁ、この部屋は元々防諜対策ばっちりだから大丈夫だと思うんだけど……」

 霧島は、そんな部屋に仕掛けてある盗聴器ならば余計に、妨害手段に強いのではないかと思ったが、それを口に出す前に思いつくことがあった。

「そもそも、この部屋に盗聴器を仕掛けているような部署ってどこですか?」

「情報本部、内閣情報局、公安6課、公安9課。他には……警察庁は大丈夫だと思うけどね。公安の1課とかも。外国の諜報員も難しいだろうねぇ」

「それらの部署の、安全性は?」

 川内は内心でニヤリとした。流石霧島君だねぇ。要点を抑えている。

「公安6課を除いて友人がいる。公安6課も、たいしたことは出来ないさ。あそこは防衛省に入り込むことが出来ないはずだからね」

 人員をもぐりこませない限り、と付け加える。当然もぐりこませているだろうことは言わない。対外諜報が仕事であるはずの6課が防衛省を気にする理由も、だ。防衛省はどこから何を防衛する為にあるのか考えれば、おのずと結論にたどり着ける。

「……? わざわざ無効化する必要も無かったのでは?」

「念を入れて、だよ」

 川内は気楽に答える。彼は、数少ない気の置けない友人からすら掴み所の無い奴だという評価を受けていたが、少なくとも、開発したばかりの小型盗聴妨害機のプロトタイプに全面的な信頼を置くほど楽天家ではなかった。

 霧島は首をひねるようなジェスチャーをした後、とにかく、と前置きして言った。

「私はそんな危ないことに関わる気はありませんからね」

「残念ながら関わってもらう必要があるなぁ」

 川内は霧島の質問に予想していたように返した。

「また面倒を押し付ける気ですね」

 霧島はやんわりと睨みつけながら言った。

「もちろんじゃないか」

 川内は顔面いっぱいに笑みを浮かべて言った。

 霧島は溜息を吐く。

「仕方ないですね」

「おりょ? もう少し反抗するかと思ったけど」

 川内は不思議そうに――本当に不思議そうに言った。霧島は不快を表す表情になった。当然だった。

「無駄なことはしたくないんですよ、私は」

「へぇ」

 感心したように呟く。霧島は、今度は無視した。

 しかし、川内は他人をからかうことにかけては誰にも負けない。

「じゃあ、護衛は?」

「それは、先言ったとおりでお願いします」

 霧島はすかさず言った。川内はくすくすと笑う。

「何ですか」

「いやいや」

 川内は、霧島の僅かな怒気を含んだ言葉に可笑しそうに笑った後、表情を引き締める。

「じゃあ、互いに納得したところで、話そうか」

「どうぞ」

「うん」川内は頷く。

「第4小隊が帰還したら……区皆(くみな)陸将を始めとする十六人を拘束する」

 霧島は唖然とした表情を浮かべた。区皆陸将というのは、今現在の陸上幕僚長だ。自衛隊統合反対派として知られている。必ずしも彼自身の利益の為だけに反対しているわけではないが、軍を幾つにも分けてしまったために利権争いが起こり、資源と人材を奪い合って亡国に繋がった幾つもの事例を理解していない人ではあった。

「それは……つまり、クーデターですか?」

「違うね」

 川内は気楽な口調で、しかし高い意志力を持っていった。僕は人間だよとでも言うような口調だった。

「正確には、拘束する人数は二十七人ではない。一〇〇人近い。うち、四十九人は自衛官ではない」

「二十七人以外の拘束はどのように?」

「あらゆる手段を使って」

 当然と言う風に聞こえた声に対して、霧島は具体的にはと視線で問う。

「警察と自衛隊を――第4小隊を活用する。二十七人は情報漏洩の疑いで拘束、残りは脱税その他の疑いで逮捕」

 川内は悪辣としか言いようのない手法を淡々と語ってゆく。霧島はその前半部に疑問を覚えた。

「情報漏洩……ですか? 過失ですか、それとも……」

「うん、君の予想どおりだ」

 川内はニコニコしながら頷いた。何がそんなに楽しいんでしょうね? 霧島は思った。

「二十七人中、七人は過失だ」

「残り二十人が、ですか」

「まぁ、過失も充分罪なのだがね」

 川内は、無知とは罪なのだと告発した宗教家のような口調で言った。それを聞き取る霧島にも、何の感情の変化も見られない。彼女もまた、無知とは罪だと考える人間だった。

「この際彼らの罪は問わない。もちろん、愚か者であるのだから辞職はしてもらう。問題は二十人だ」

「北、露、中、その辺りですか?」

「まぁね」川内は言った。

「彼らは日本と必ずしも友好とは言えない十二カ国と繋がっている」

「しかし、いきなり拘束、逮捕では……その、いろいろと問題が出るのでは?」

 霧島は控えめに言った。

 確かにそのとおりだった。自衛隊の高級幹部が情報漏洩(今現在、日本にスパイ容疑などと言う単語は無い)で逮捕となれば、自衛隊の信用問題になる。

「ああ、もちろんそうだ。そのうち四人は暗殺する。地位が拙すぎる。しかし、十六人は拘束・逮捕だ。だが……」

 川内は諧謔を含んだ口調で言った。

「むしろそっちの方が好都合でもあるじゃないか」

 霧島は下唇の下の方に親指を当てて俯き、考えるポーズを作る。直ぐに顔を上げた。

「つまり、今の自衛隊の体制を疑わせることによって、新しい体制に期待を持たせる」

「正解」

 川内は微笑みながら言った。そして、口元の歪みをさらに大きくした。

「民衆ってのは……はは、そんなものだ」

 川内は必ずしも好きではなく、しかも有能でもない上司とゴルフに行かねばならない会社員のような表情をした。

「常に何かに不満を持ち、そして飽きっぽい。現在あるものに対して不満しか抱かない」

 次に、天を仰ぎ見るような姿勢になった。まるで英国人のような動作ね。霧島はそう感じた。

「そして、新しいものが出ればそちらに飛びつく。今までのものを否定する。同時に、その新しいものを否定する者も現れる。自分に言わせれば、あれはダメだ、と。何故だか解るかい? 簡単だ。他人を否定することでしか自分を高めることが出来ないのさ」

 川内は歪んだ唇のままそう言い、これを自分に言ったのは誰だったかと思い出した。霧島の顔を見て思い出した。あのドイツ人とのハーフの少年だった。もっとも、彼の言い回しはいま少し違ったがね。

「そして、時と共に否定する者は増えていく。この世に全ての者を満足させられるものは存在しないからね。やがて、また新たなものが現れ、彼らの気を引く。今までの者は切り捨てられる。後はループだ」

「………」

「もちろん、悲しいのはね」

 川内はそこで言葉を切り、いったん置いてから続けた。

「僕らもその民衆の一人だと言うことだね。個人としてはいくら信頼できる人間だとしても、群れてしまえばただの群衆だ」

「………」

 霧島は押し黙った。当たり前のことだとも思った。しかし、同時にどうでもいい問題だとも思った。この場で世界を俯瞰する限り、主体的な感覚は個人でいられるからだ。たとえ自分が愚か者で、この考え方が間違っていたとしても、少なくとも自分は気楽でいられる。つまり、世界の全てを楽しめる。他人に迷惑を掛ける公算大だが、自分が愚かなのだから、そんなことに気付きはしない。要するに、どっちに転んでも楽しめる。

「それで……」

「うん?」

「私にどうしろと?」

 霧島は訊いた。今自分に関係あるのはそれだけだと思っていた。

「ああ、うん」

 川内は困ったように言った。もし今の台詞を言ったのが彼だったら、少しは反応が違ったんだろうか?

「とりあえず、情報の整理だね。あとは、全体の計画立案補佐と指揮かな」

「やはりそうですか」

 霧島は予め答えを予想していたが、まさにそのとおりだった。というか、自分の仕事をそれ以外に思いつかなかった。

「大まかな計画は出来ているんだけどねぇ」

「細かいところは、ですか?」

「一からじゃない。修正だ」

 霧島はふぅむと考える。

「まぁ、言われるならやりますけど……」

「安心してよ」

 川内は熱意のこもらぬ口調で言う。

「負けることはありえないよ。うん、多分」

「なんとなく信用が出来ないんですけど……」

 川内の断定的でない口調に、霧島は不安を口にした。川内はくすりと笑う。

「まぁ、あれだ。君が頑張ってくれるか否かにかかってるんだよ」

 霧島は小さく呻き声を漏らす。嵌められた思いだった。自分の保身の為には、自分の能力を精一杯用いねばならぬと言うことだ。

 川内を睨みつける。

「そんな怖い顔をしないでよ」

「………」

 霧島は川内から眼を逸らすと、溜息を吐き、今までの自分の行動を振り返ってみる。川内の命令に、この任務のことを匂わせることはないかと思い返したのだった。そして、一つ思い当たった。

「あの命令、素雪さんに自衛隊統合のことを伝えておけという話は……」

「まぁ、彼は優秀だろう」

 霧島は今度こそ机に突っ伏したくなった。川内は素雪を引き込むために、あえて彼に情報を与えていたのだ。もちろん、その情報で行動を誘導させる為に。下士官階級である彼にそんな情報を流して意味があるのかとも思ったが、思考を硬直化させることで可能行動を制約できるし、もし真意に気付き周囲を見回したとしても、それはそれで川内からのメッセージが素雪に通じるということになる(素雪がそれに賛同するかどうかは別としても)。

 そして、その尖兵として霧島を利用した。彼女の思慕を考慮に入れて。何故自分でやらなかったか? 直接的な行動は常に事実を知るものに不信感を与える。場合によっては逆に行動すらさせしむる。そして、情報とは常にどこかから流出する。いや、既にしているはずだ。

「素雪さんを引き込むんですか?」

「うん。彼には情報収集の才能もあると思うんだ」

 川内は当然のように言った。川内と素雪は何度か面識がある。霧島が知る限り、外に出て話し合ったりもしたことがあるようだ。

「他にも数人、目をつけてるんだよ。既に引き込む準備はしている。もちろん、君も含まれているとも」

「嬉しくはありませんね」

 川内は喉の奥で笑うまねをした。

「とにかく、作戦立案を頼む。詳細は後ディスクを渡すよ」

「守秘回線を介した送信でも安心できませんか?」

「当然だろう。いまどきのハッカーをなめちゃいけないよ」

 霧島は、まぁそうかなと思った。

 防衛省が専用に張っているディジタル回線は、その守秘性の高さで知られているが、けっして完璧ではない。どこかに穴がある。そして、その穴から重要な情報が洩れる可能性もなきにあらずだ。よって、日本中どこにいてもディジタル回線を使った情報の送受信が出来るこの時代であっても、重要な情報はハードに入れて直接手渡しが常套になっている。たしかに当然とも言えた。この時代だからこそ、なのだ。

 もちろん霧島だってそんなこと理解している。ただ単に言ってみただけだった。

「ではまぁ、やれるだけはやってみます」

「ああ、頼むよ」

 霧島は頷き、ノートパソコンに視線を移そうとした。しかし、一つだけ確認せねばならぬことを思い立った。

「ああ、そう言えば」

「まだ何かあったかね?」

 川内がいかにも不満だという調子で訊く。

「理由を訊いてませんでした」

 全く迂闊でしたよ、と呟きながら霧島は言った。

「はぁ? 理由?」

「そう、理由です」

「何の? 素雪君を引き込んだ理由ならとっくに話したけど」

「そうじゃありません。もっと根本的な問題です」

 怒ったように言った霧島は、ノートパソコンをトントンと叩く。

「このクーデター自体の理由です」

 その言葉を聞き川内は驚いたような――本当に驚いたような――顔をした。

「クーデターって……」

「嫌ならば義挙とでも言い換えましょうか? とにかく、そういうのの理由です」

「何を今更」

 ぼそりと呟くようにそういう。呆れたような表情でもある。

「自衛隊の統合ですか? 莫迦にしないで下さいよ。私が信じるとでも?」

 霧島は毅然とした態度で言う。声の調子は当然強めだ。

「自衛隊の統合……。方面隊に陸海空部隊全てを含め、統幕を幕僚会議から幕僚監部に改変。後は指揮系統の一本化と構造の重層化、複雑化、後方支援部隊の一本化。そんなところでしょう。確かに大きな自衛隊の戦力増強になるでしょうね。素早い指揮も出来るはずです。でも、それだけなんです」

 霧島はいったんそこで言葉を切ると、川内を睨みつけるようにした。

「わざわざクーデターを起こしてまで改変しようとは思えません」

 川内を睨みつけたまま霧島は言う。川内は無表情だ。

「ですが、一番変なのは、未だに自衛隊が統合されていないところです。だっておかしいでしょう。私が知っている限りでは、戦前に自衛隊統合の話が出ていたはずです。なのに、未だに統合はなっていない。実戦を経験したのに、ですよ」

 霧島はそこまで言って黙る。しかしながら、川内に向けられた厳しい視線は強く理由を訊いている。

「ふぅん」

 川内は感心したように呟いた。

「なかなか考えたね。うん、まぁそうなんだけどね」

「そう、とは?」

「自衛隊が未だに統合していないことだよ」

 川内はふぅと息を吐くと、対盗聴処理の施された窓の外を見た。東京のビルが見えた。

「戦前は良かった」

 川内は唐突に言った。霧島は川内の本心を探るのに戸惑う。何を考えているか解らなかったからだ。

「確かにお金は少なかったけどね」

「確か防衛費はGDP比の一パーセントもいっていなかったらしいですけど」

 霧島は自分の知っている知識に基づいていった。ちなみに今現在の日本の防衛費はGDP比で二パーセント。単純計算で見れば戦前の倍だが、戦争景気で日本のGDPが(何故か)増加したことを考えれば、それ以上だ。加えるなら、物価の低下も考慮に入れるべきだろう。

「ああ、酷かったよ」

 川内は遠くを見るような眼で言った。以前素雪さんが戦場での話をしてくれた時に似ているわねと、霧島は思った。

「とにかく費用が無い。僕ら陸自はほとんど実弾演習が出来なかった。海自や空自も、聞いた分には同じらしいね。信じられるかい? 陸自は実弾演習が年に数回しかなく、海自はミサイルや実包が使えず……、空自はもっと酷いよ。聞いた話だけど、年の飛行時間が一五〇時間前後だったらしいよ。二〇〇時間越えていないんだぜ?」

 川内はどこか熱くなった調子で言った。年数回の実弾訓練や空自の飛行時間は、確かに霧島にとっても信じ難い話ではあった。現在の自衛隊は米軍並みに実包訓練を行っているし、海自、空自とも航空部隊の年平均飛行時間は二五〇時間前後だ(ただし、多くの東側諸国と一部の西側諸国の空軍の飛行時間が未だに一五〇時間越えていないことを、霧島と川内は度外視していた)。

「でもね、癒着や利権争いはとにかく無かった」

 川内は付け加えるように言った。ただし川内の性格から考えれば、それが重要なことであるらしかった。

「とにかく防衛庁――ああ、昔はそうだったんだ――は財務省からお金もらえなかったし、天下りも大したところに行けなかったから、逆に、純粋に国防したい人たちばかりが集まってきてた。当然だよね。大した利益ももらえないような場所だったんだから」

「つまり」

 霧島はその聡明な頭を全力で回転させ、川内の言わんとする真意を掴んだ。

「今は違う、と」

「流石だ」

 川内は抑揚の無い、しかし感心したような声で言った。

「まぁ、つまりそういうことなんだ。目の前で知人、親兄弟が鏖殺されたせいで、日本人は防衛という分野に対して大きな興味を抱いている」

「婉曲な表現ですね。正直に現実に気付いたといってください」

「まぁ、ねぇ」

 川内はいつもの緊張感の無い調子で言った。

「まぁだから、甘い汁も吸えるようになったんだよ」

「なるほど」

 霧島は納得した表情をした。

「つまり、掃除がしたいわけですか」

 霧島の回答に満足したのか、川内はニヤリとする。

「昔はさほど重要ではなかった武器開発業、生産業も、そこそこの利益を上げられるようになってるからねぇ」

「日本国全体の利益と照らし合わせれば、本当にたいしたことの無い金額ですがね」

 霧島は日本国が外国に輸出している武器類のことを言っていた。日本自主開発ライフルというよりAKシリーズの日本ヴァージョンと言った方が正しいような9式小銃とを始めとした日本の武器輸出は、それなりの利益を上げているが、けっして国の大部分を占めるということではない。

「だが、甘い汁がないわけではないのだよ」

「そこに付け込む者がいる、と」

「そういうことだ」川内は肯定した。

「だから、クーデターを起こして一斉除去ですか?」

 川内は首肯してみせる。霧島は小さく溜息を吐いた。

「強引に過ぎます」

「仕方が無いよ」

 川内は呟くように言った。

「彼ら、まだ天下りやちょろまかしで小金を得ている間はよかったんだけどね。流石に武器開発で合理性より自分らの利益を優先したり、統合よりも自分らの利益を優先したり、防諜よりも自分らの利益を優先したり――つまりスパイ行為したりされちゃあ、こっちだって堪忍袋の尾を打ち切るよ」

「そんなに酷かったのですか?」

 霧島は顔をしかめた。最近防衛関係の官僚や高級幹部のモラルの低下が激しいと聞いたが、まさかここまでとは思いもしなかった。

「もちろん誰もが看過したわけじゃない。情報本部はその能力を維持しているし、バリバリに活動している。内閣の情報局も同じだ」

「だからこその……」

「そう。義挙さ」

 クーデターを義挙と言い換える辺り、流石だなぁと霧島は思ったが、そうでもなければこんな仕事やってられないかとも思った。

「まぁ、いいですけど……。滅茶苦茶ですね」

「その通りさ」

 川内は楽しそうに言った。

「まさに、まさにだ。暗闇の中を歩き回っている気分だろう?」

「どちらかと言うとジャングルクルーズに近い気分です」

「それは良いね」

 霧島の言葉に、川内は面白げに同意した。

「ジャングルクルーズ、まさにその通りだ。我々は今、いつどこから敵が向かってくるか分からないジャングルの中、前進しているのさ」

「お先真っ暗ですか?」

 霧島のそれなりに砕けた言葉に、川内は首を横に振った。

「いや。運の良いことにコンパスは壊れていない。GPSは妨害されているがね」

「進路さえ間違えねば、ですね」

「全くだよ。前に通った人の密林航路を参考にし、僕らの密林航路を開く。僕らがすべきはそれだろう」

 川内はおどけた調子で言った。先ほどから、ひどく楽しそうだ。昔を思い出し、気分がハイになったのだろうか?

「密林航路……ですか」

「ああ、そうとも。そして君はその航海副長。いいだろう?」

「せめてもう少し楽なポストを……」

「何を言うか」

 川内は叱るように言った。

「最高の楽しみを放棄すべきでは無いね。次代の移り目にいられる可能性はとても少ないのだから」

 霧島は憮然とした表情をして見せた後、密林航路、と呟き、

「解りました。先ほども言いましたが、受けましょう」

 と言った。しぶしぶながらという口調ではあるものの、本心とは思えない。

「そう来なくちゃね。じゃあ、さっさと仕事を片付けてしまおうか」

 川内は上機嫌でそう良い、パソコンに視線を戻した。宿題が終わったらおやつが待っているよといわれた子供のようでもあった。霧島はそんな川内を一瞥した後、自身もまたパソコンに目を移した。

 パソコンには第4小隊関係の情報が出てきた。先ほどの密林航路という言葉が蘇る。

「ああ、そうだ」

 霧島は思い出した。

「川内さん、密林航路で思い出しました。第4小隊なんですけど」

「ああ、うん。どうしたの?」

 自身もパソコンのディスプレイに目を落としていた川内は顔を上げて答えた。

「補充人員の基礎訓練が完了したそうなんですけども……」

「ああ、予定どおりだね。直ぐに編制を考えなきゃね」

 明るく言う川内に、霧島はおずおずと言った。

「その……いいのでしょうか?」

「何が?」

「補充人員です」

 霧島は心配げな声で言う。

「一応全員が自衛官ですが、入隊して数ヶ月という者もいましたし、実戦経験が無い者までいます。それに、完了したのは基礎訓練だけでして……」

「ああ、それか」

 川内はやや声のトーンを落とした。

「うん、まぁ、あれなんだ。ちょっと陸幕からの横槍でね」

 霧島は表情を引き締める。

「すると……?」

「いや、人材の質は悪くない。むしろ最高だ。僕とターネスで確かめたが、全員充分以上の才能を持っている」

「では、平均年齢が二十一という点ですか」

 川内は首肯して答える。

「そうだ。それに、実戦経験者が少ないのもね。でもまぁ、仕方が無い。陸自から引き抜く以外に方法が無いんだから」

 そう言うと、両手を上に回してうーんと伸びをした。酒に酔ったネコが踏み潰されたような呻き声を出す。霧島は僅かに顔をしかめた。

「でも、言ったとおり、才能はあるんだ。桜花孤児院出身者もいる」

「桜花孤児院」

 霧島は表情を無表情に変え、奉呈の為に文章を読み上げるような声で言った。

 

 桜花孤児院とは、日本が持つ外国孤児受け入れ用の慈善団体だった。〇歳から十五歳まで面倒を見て、高校や大学に進むための資金も出してくれる。最初は資金力のある大企業数社が共同で、自分たちの評判の為に始めた事業だったが、直ぐに日本政府が関わってきた。つまり第三セクターでもあるので、政府ならではの得点も付いてくる。それが、日本国籍の贈与だった。孤児院内で素行の良かった者には、人数制限なく日本国籍が与えられるというものだった。

 ただし、この孤児院の不思議な傾向として、退院後国籍をもらった少なからぬ数の者が自衛隊へ入隊する点が上げられる。これは、まぁつまり孤児院内での教育の賜物だった。孤児院内では非常に日本的な、つまり礼節と作法を重んじ、恥によって行動を制約される文化を教える教育法をしていた。そして(普通の学校と変わらず)軍事の勉強も行っていた。

 加えて孤児院の生徒は、孤児院の外に出かけることを休日を除いて許されていなかった。つまり、外の世界に触れる機会が極端に少なかった。

 まるで防衛大学や少年工科学校のような生活だが、まさにそのとおりとも言えた(むしろ、戦時だからこそ設立が許された今は亡きあの防衛特別幼年学校に近いだろう)。内部で教える礼儀作法はそれに近かったし、軍事の勉強も他の学校よりも徹底していた。

 つまりは桜花孤児院とは、志願者の少なくなるだろうと予想されていた自衛隊の人数補充用に外国の孤児を充てようという政府の考えがなんとなく感じられる施設であった。酷い話とも思えるが、孤児院に収容された子供たちが、収容されなかった場合いどうなるかを考えれば、そこまで残酷なシステムでもないように思える(まぁ、そのシステムも徐々に薄れ始めている。自衛隊の志願者は、政府の予想と反し、けっして組織を維持できないほどに少なくないからだ。もちろん、充分というわけでもないが)。

 今現在の桜花孤児院には、アフリカ系、スラブ系、東欧系の孤児が多い。言うまでも無く、今現在紛争真っ只中の地域の子供たちである。つまりは、桜花孤児院に収容されている孤児の多くは戦災孤児なのである。戦災孤児を兵士にする孤児院。確かに、最悪な施設かもしれない。少なくとも、今と今までは。

 

「………」

 川内は霧島の表情を見た。あまり良い表情をしてはいなかった。当然かもしれない。防衛関係者の中に、あの施設を快く思うものは多くない。外国人や物を知らない者の多くが、桜花孤児院を素晴らしい施設だと賞賛している点も、それに拍車を掛けている。誰もが後ろめたい気分になっているのだ。

「まぁ、そういうことだから。ちゃんと鍛えれば問題ないよ」

「そうで……しょうね」

 霧島は納得してみせた。内心ではまだ面白からぬ心が渦巻いているだろうが、彼女はそれを封印できるのだろう。幕僚とはそういうものだ。それに、彼女は十七歳で二佐という異常な軍歴を持つ自衛官なのだから。

「編入後の訓練はどのように?」

「一人につき一人の現役特殊部隊員の教官をつけるさ」

 川内はニヤリとしながら言った。

「マンツーマンの訓練……ですか。つまり、第4小隊のメンバーが直接訓練すると?」

「そのとおり。基礎訓練は行っているんだから、不可能では無いだろう?」

「ええ。いえ、むしろ良いとも言えるでしょう。実戦経験のある者の訓練ほど、見になるものはありません」

 霧島は断定的な口調で言うと、その優れた頭脳を素早く使い、次の行動を考えた。

「人事幕僚と訓練幕僚に言って、直ぐに教官向きな者を十数人選ばせましょう」

「道理だね。直ぐ命じる」

 川内は言うと、キーボードを叩いた。命令書を作成するのだろう。口頭で言っても良いかもしれないが、時間があるならば書類を作ったほうが良い。そっちの方が、命令される側にも安心感を与えるからだ。

「訓練全体の監督は連隊訓練幕僚に命じる。君もだ、霧島君」

「はい、一佐殿」

 霧島は川内にあわせ、完璧な軍隊式――自衛隊式の受け答えをした。

 川内は素早く書類をしたためると、守秘衛星回線で人事幕僚と訓練幕僚に可及的速やかに帰還するように命じた。人事幕僚は人事部へ出向中で、訓練幕僚は自宅で休眠中だった。二人が第11連隊の本部に着いたのは一時間後だった。

 

 

 

 

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