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2017年 9月21日
室内は暗かった。穴自体はしっかりと掘られており、内装も、ちゃんと板を貼り付けた確かな作りであったが、証明が裸電球だけでは仕方なかった。刑務所のようですらあった。もっとも、場所が地下なため、鉄格子はなかったけれど。
それでも、少しでも明るくしようとする意図か、電球の数は多い。地上にある発電機で作り出された電気を余すことなく使い、室内を可能な限り明るくしようと無駄な努力を繰り返し、発熱している。そういうわけだから、室内は暑い。元々地下にあるうえに、電気ストーブを置いているようなものなのだから。ちょっとした換気設備はあるのだが、それはこもった二酸化炭素を排出し酸素を取り入れるものであって、熱い空気を外気と交換するものではない(そもそも、外気だって涼しくはない)。
そんなわけだから、室内にいる人間は暑そうにしている。あからさまに汗をかいている者もいる。しかし、皆表情は真剣で、室内の不快さを忘れているようだった。既に時刻は午前三時を回ろうとしているのに、その精神集中は途切れることを知らない。
室内には二十人強の男たちがいた。ほぼ全員が東南アジア系だ。服装はまちまちで、高級将校が国一番の呉服屋に注文したような綺麗な軍服を着ているものもいれば、中世の農民とどちらがいいだろうと考えてしまうような継ぎ接ぎだらけの野良着を着ている者もいる。
共通するのは、誰も彼もがC4爆弾四〇〇キロに刺さった解体しかけの信管を前にしたような真剣な表情を浮かべていることだ。
「そういうことだ」
男たちの中の一人、綺麗とはいえないもののそれなりにしっかりとした作りの軍服を着た男が言った。肌の色や顔立ち、そして髪や目の色はスラヴ系だが、肌の質は細かく、アジア人に近い。歳は三十を越えて少しほど。そこそこ美形といってよい顔立ちだ。その軍服をよく見れば、ソ連製の(旧ソ連時代の)佐官階級の軍服とわかったが、上着は脱いでいるので階級までは判らない。
「自治政府は既に動いている。凄腕の――ジャングルでの対テロ戦闘経験の豊富な――傭兵を雇ったらしい。既に情報は確認済みだ。未確認だが、日本が動いたという情報すらある。こんな中で、政府施設を狙ったテロなど出来ない」
男はきっぱりとした口調でそう言った。周囲の者たちの反応は三つに分かれていた。反発的な表情で睨みつけるか、仕方ないが納得したという表情で見るか、当然という表情をしているかだった。
「どういうことだ」
上等な軍服を着た、いかにも偉そうに見える男が訊いた。歳は五十を越え六十に近い。人種はアジア系だ。顔には怒りが表情となって滲み出ている。
「解らないのか?」
ソ連の軍服を着た三十代前期の男は呆れたように訊いた。いや、ただ単に莫迦にしているだけかもしれない。
「つまり、動けないと言っているのだ。私は明日発つ。君たちも速く逃げるんだな」
「ふざけるな!」
五十代後半の男の偉そうな男は見かけを裏切らぬ調子叫んだ。
「何の為に今まで訓練を重ねていたんだ! まずは中国、次に日本、そして世界! お前はそれを全て崩す気か!?」
「私はただの戦闘インストラクターだ」
ソ連軍服の男は飄々と言った。
「それ以上は何も。もちろん、貴様たちに協力もしない。そして、契約で決めたはずだ。危険が迫ったら辞めてもいい。忘れたのか?」
五十代後半の男は、く……と呻いて押し黙る。顔は怒りと憎しみに歪んでいる。
「だが、まだ明確な危険は迫っていない。契約違反だぞ」
別の男――野良着のような粗末な服を着た二十代中盤の男――が言った。
「私の部下は既に危険は明確化したと報告した」
「貴様の部下だ。信用できない」
二十代中盤の男は重ねて言った。顔には勝ち誇ったような表情がある。
ソ連の軍服を着た男は周囲を見回した。先ほど反発的な態度を表していた者たちの全員が、同じような表情をしている。もちろん、五十代後半の男も同様だ。他の態度を示したものたちは……やはり我関せずの顔をするか、申し訳なさそうにそっぽを向くかのどちらかだった。
ソ連の軍服を着た男は溜息を吐いた。やれやれ、可哀想な奴らだ。そう思った。
「ファルケさん」
ソ連の軍服を着た男の隣にいた、ソ連の下士官服を着た若い男が小声で言った。言語は、先まで使用していたヴェトナム語でなくロシア語だ。
「何だ」
ファルケと呼ばれた男は聞き返した。声は、先ほどとのきつい声とは違う静かな声だった。
「もう、無駄ですよ。勝手に帰りましょう。大丈夫、我々とこいつらの練度の差から考えれば……」
「駄目だ」
ファルケは若い男の言葉をきっぱりと切り捨てた。
「しかし……」
「今彼らとの関係を悪化させるわけにはいかないよ。残念ながら。いくら特殊部隊が攻め入ってきても、彼ら全員が全滅されるはずは無い。そして残党が、僕らを許しておくと思うかい?」
ファルケは嗜めるようにそう言うと、少し難しい顔をして、
「もちろん、事が起こればその時は、容赦はしない。どうなるかわからないが、全力を出そう」
と言った。
「解りました。準備を整えさせておきましょう」
若い男は同意した。ファルケは頷く。
「おい、貴様ら! 何を話しているんだ!」
二十代中盤の男が叫ぶ。ファルケは面倒くさそうな顔を作ってそっちを見た。
「今後の予定だ」
「何だと? 逃げる算段でもしていたんじゃないのか?」
男は卑しい笑みを作って言った。場に失笑が広がる。だがファルケは、逆に微笑み返した。
「参ったな。ばれたか」
「てめぇ……」
二十代中盤の男は鬼神迫るといった風な表情を作ってファルケを睨みつける。
「冗談だよ。君と同様にね。本気にしちゃあいけないな」
軽い口調でそういう。莫迦にしたような発音だ。内心では、不慣れなヴェトナム語でこれだけ言えたんだから大したものじゃないかと自分を褒めたい気分になっていた。
「く……」
今にも腰の拳銃――中共ノリンコ社の、トカレフTT33のコピー品だとファルケには判った――に手を伸ばしそうになっていた二十代中盤の男を無視し、ファルケは、回りを見回した。
「では、僕は朝に備えて眠りたいのですが。訓練はまだ続くのです」
「さっさと行け。これからの話は、お前には関係ないからな」
「どうも」
ファルケは、五十代後半の男の言葉に満足そうに頷くと、隣にいた若い男を引き連れて部屋を出て行った。
「くそ。いけ好かねぇ」
「言うな」
悪態を吐いた二十代後半の男を、人民解放軍の高級将校の制服を着た中年の男が嗜める。鯰髭で小太りだが、漢民族ではなく東南アジア系の顔立ちだ。
「確かにあのロシア野郎はいけ好かないが……、能力だけは本当なのだ」
「ですが同志」
二十代中盤の男は食い下がった。彼の言葉遣いが、中年の男のこの場での地位を現していた。
「やつの態度を見ましたか?」
「私もザラフ同志の言葉に賛同します」
五十代後半の男が言った。
「あの男は我らと志を同じくする者――同志とはとても思えない。聞きましたか? ヤツは敵前逃亡をしようとしたのですよ? 本当なら、撃ち殺しても良いくらいなのに。いや、やつの故郷でもそうでしょう」
男は“故郷”という部分を強めに発音して言った。中年の男は唇をへの字型に歪める。
「まぁ、そうだが……。正確には彼は我々の仲間ではない。残念ながら、我々の規則を全て当てはめることは出来ないのだ。ヤツにはヤツの考えがあるのだろう」
「しかし……!」
ザラフと呼ばれた男は言葉を続けようとする。中年の男はそれを片手で制した。
「今は、我慢だ。我々の目標が……世界同時革命が達成されるまで」
中年の男は熱のこもったような口調でそう言った。
だが、内心はそれと正反対だった。彼は、自分の言葉に納得し、酔ったように自分を見るまだ若“同志”を見て思った。
莫迦め。こんな言葉を本気で信じるのか? 阿呆が。世界同時革命? 人民の理想? そんなものあり得るわけがなかろう。愚か者が。現実を知らず夢ばかり見る大莫迦野郎。理想を抱いて溺死するがいいさ。
「解りました。今は我慢、ですね。臥薪嘗胆の精神ですね」
ザラフは納得したようにそう言った。内心では、よくは解っていない。だが、何か良いことを言ったということを何となく感じていた。
「まぁ、そういうことだ」
中年の男は頷いた。彼も、ザラフが何も解っていないことはなんとなく解っていた。だが、敢えて何も言わない。莫迦なヤツは自分が何かを解ったようにさせておけばいい。彼はそれをよく知っていた。宗教――そう、彼らの主義主張はまさにそれだろう――とはそういうものだ。
「だから、我々は今こそ頑張る時なのさ。さぁ、兵士を鍛え、革命の為に我々を鍛えようじゃないか!」
第4小隊は順調に進んでいた。順調すぎて困るくらいだった。
ヘリが降り立ったのは十分前。当然。第4小隊に配備されているMVC2<燕鳥>だ。この機体の名前が燕鳥と言う名前を受けたのは、どうやら自衛隊が輸送機に鳥を冠したネーミングをつけると決めたかららしいが(分類上は“輸送機”である爆撃機も当然、これに該当する)、確かに今は輸送機としての仕事をしていた。
もっともこの機体は、垂直離着陸こそ出来るが、ナチスドイツが晩年に開発したフォッケ・アハゲリスFa223<ドラッへ>回転翼機のように横に大きく張り出した形の着陸態勢になるため、離着陸には広いスペースを必要とする。よって、自ら、この機体が着陸できる位置は決まってしまった。第4小隊が攻撃地点からかなり離れた位置に下ろされたのも、そういう理由だった。そこ以外に、安全な着陸場所が無かったのだ。
「見ろ」
日本自衛隊特別師団第11連隊第4小隊C班に属する16式作業服(通称ArMS)に身を包んだ素雪ヴァレンシュタイン一曹は、同じく第4小隊C班のメンバーである哲也と吾妻に森と道の境目の一点を示した。もちろん、音など出さない。ヘルメットに内蔵された、マイクとレシーバーが一体化された短距離電波通信だ。
「あれは……」
吾妻は目を凝らし、素雪の示す方向を見る。目を凝らすといっても、戦闘服に内蔵された望遠機能を使用したのだが。
「現地民に見えるけど……」
哲也は言った。彼の判断は正しいように思えた。
素雪が指し示した先には、一人の男性がいた。少年……いや、青年という見かけだ。農民のような粗末な服を着て、側に籠を置いて草叢の前に座っている。草叢に手を突っ込み、草をとっていた。
「薬草か何かを取ってるんじゃないの?」
吾妻は横目で農民のような青年を見ながら言った。哲也もうんうんと頷く。
「よく見ろ。籠の中を。あれはただの草だ」
「はぁ……」
哲也と吾妻はズームを上げて籠の中身を見る。確かに、どの草も二人のサヴァイヴァル訓練で仕込まれた知識の中には無い草だった。というか、どう見ても雑草に見える。
「まぁ、確かに……」
「だから、あれは農民に偽造した見張りだよ」
「そうかな」
「間違いないだろうな。どっちみち、拘束する必要があるだろう」
素雪の言うことは尤もだった。何故なら、あの農民(に擬装したテロリスト?)がいる場所の直ぐ後ろに、テロリストの地下基地の擬装した出入り口があるからだ。
「まぁそうなんだが」
「もしただの一般民なら、あまり乱暴なことは出来ないわよ」
二人が口々に言うと、素雪は渋い表情をして見せた。が、二人は全く気付かなかった。というか、見えなかった。仕方ないので、素雪は口に出すことにした。
「時間がないぞ?」
「まぁ、仕方ないわね」
吾妻は素雪の言葉に同意して見せた。
「お前……最初からそうする気だっただろ」
「うん? まぁね」
吾妻はあっさりと同意した。つまりは、意見確認の為に渋って見せたということだ。もしくは……。
「まさか俺に責任を押し付ける気じゃあるまいな」
素雪は不快そうな声で言った。
つまり素雪は、この行動が何か問題になった際、自分に責任を押し付ける気じゃないかと言ったわけだ。
「うん? まぁね」
吾妻は先と全く同じ事を言う。
「チームリーダーはお前だし、俺は立場としては幕僚だから、責任はお前が負うんじゃないのか?」
「うん、俺もそう思うぞ」
素雪と哲也は次々に言う。軍隊としての(自衛隊は〜、は置いておく)常識だった。行動の責任は、命令を下した者がその全て負う。いや、軍隊だけではない。世の中の共通の理といっても良いかもしれない。
「まぁ、そうよね」
吾妻は再びあっさりと認める。
「お前な……」
哲也が何か言おうとするが、吾妻はひらひら手を振ってその言葉を躱す。
「さぁ、さっさと拘束しましょ」
「………」
「………」
素雪と哲也は吾妻に何か言うのを諦めた。
結果として、素雪の判断は正しかった。青年は、吾妻と哲也が後ろから近づき口と体を押さえつけた時、籠に手を伸ばそうとした。正面から飛び出した素雪が青年を気絶させ、籠の中を検めると、草の中から中国製の拳銃が出てきた。
「ほらな」
素雪は取り出した拳銃を慎重に弄びながら、誇らしげともいえないこともない口調で言った。三人は予定どおり敵地下基地出入り口に爆弾を仕掛け、青年をしっかり縛ると草叢の中に隠しておいた。まぁ、覚えていれば帰りに助けてやろうなどと言って、奥に進んだ。
「君たちは、どう思う?」
ファルケは自室で、隣にいる二人の人間――先ほど会議のようなところで一緒にいたソ連下士官の男と、旧東ドイツ士官の制服を着たゲルマン・北欧系の二十代の女性――へ訊いた。
「直ぐに引き上げるべきです」
女性は言った。蒼い瞳は本心からファルケの心配をしていることが窺えた。
「ふむ。重和、君は?」
次にファルケは、故郷にいたころは瀬島重和と呼ばれていた彼の参謀的な男に訊いた。
「自分も、エーファ中尉の言葉に賛成であります」
重和は女性――エーファ・ヨーシェル・フォン・デァ・オーデルをちらりと見て言った。ファルケは頷く。
「解っている。解っているんだ」
ファルケは、まるで自分に言い聞かすかのように呟いた。
「だがね……。とりあえず、今は我慢すべきだよ」
「関係の悪化はそれほど問題ですか?」
「問題だね」
重和の問いに、ファルケは即答する。
「先も言ったが、残党は必ず出る。それに、彼らは単体ではないのだ。我々が彼らを敵にすれば、彼らと繋がるほとんどを敵に回すことになるかもしれない。運が悪ければ、今のところ彼らのようなテロリストの中では最も力を持っている人民保安省や556軍部隊を敵に回すことになるかもしれない」
「それらの組織は……」
エーファは困ったように言おうとする。
「うん、国家の一組織だと言うのだろう」
ファルケはもちろん知っているよと言った。
「だが……まぁ、実態は、ね」
「あんな奴ら、テロリストにも劣りますよ」
重和が吐き捨てるように言った。彼はさまざまな事情で、今言ったような組織とその経営主体たる国家を憎悪して止まなかった。
「薄汚く、せこく金を稼ぐくらいしか能が無いんです」
「あんまり言うものではないよ」
ファルケはやや熱くなってきているらしい彼の信頼できる部下をやんわりと咎めた。しかし口調は、重和の言葉を否定するようではない。
「奴らのことだ、どこに盗聴器が仕掛けられているか分からないぞ。奴らはそういうことも上手いんだから」
「この部屋の盗聴器は日本製の探知機で完全に除去しました」
エーファがすかさず言った。彼女はファルケの部下たる有能な人員をファルケの許可を得て自ら率い、この部屋盗聴器の除去をした。もちろん、トラップの解除も忘れない(そんなものは無かったが)。
「幾つ見つかった?」
ファルケは重和から視線を外し、エーファに訊く。
「十二個です。うち、十個は日本製でした」
「日本軍でしょうか?」
ファルケはうーんと唸る。
「違うだろうな。日本製の盗聴器なんてどこでも使っているから」
「やはり保安省、でしょうか?」
「それもあるだろう」
ファルケは首肯して言った。
「おそらく、奴らの中にも紛れ込んでいるはずだ」
「部隊は待機させています」
「装備も、いつでも使えます」
重和とエーファが次々に言う。
「556軍部隊の方でしょうか?」
重和が訊いた。彼の半島の特殊部隊の別名だった。
「どうだろうな。あそこはもう少し別の任務をやるところだったと思うから……まぁ、似たような奴らなんだが」
「総参謀部偵察局の情報は極端に不足しています。防諜措置が厳しすぎて、つい先日も、我々の『資産』も三人消されました」
エーファが申し訳なさそうに言った。作戦局ならば結構情報が入るのですが。
「奴ら、なかなか優秀ですから。全く、食料は無いくせにああいうところにだけ力を入れるのだから」
「そういうものさ。独裁国家とは」
ファルケは言った後、口元に歪みを浮かべた。そういえば我々が目標として掲げているのも、その独裁制だな。いや、事実上は、だが。
「とにかく――」
ファルケは口元の歪みを戻し、気分を変えるべく、まとめた。
「――我々に今必要なのは、逃げる準備だ。全員準備は済ませているのだろう? ならば、後は時が来るのを待つだけだ」
重和とエーファは頷いた。とにかくそれなのだ。今出来ることはそれだけ。ただし、ことが起きた時には全力を出さなければならないが。
「よろしい。解っているな。なら、休みたまえ。その時に動けなければいけないだろう」
ファルケは婉曲に解散と言った。重和とエーファは当然その言葉を取り違えたりしなかった。二人がすぐさま退室出来なかったのは、その前に連絡将校の役を持たせていた兵士が駆け込んできたからだ。
「少佐殿! 敵襲です」
やれやれだ。どうやら私たちには休む間も与えられないようだな。
第4小隊は行動を開始した。主要な四箇所以外の出入り口を全て破壊し、残した四箇所を徹底的に見張っていた。もちろん、そこから出てくるテロリストには容赦などしない。可能な限り殺さないが、まぁ、可能な限り、だ。
「うーん……」
残った四箇所の出入り口のうち一つをD班とともに見張っていたC班の哲也は、出てきた敵兵を一人撃ち殺して唸った。敵の出入り口は民家に擬装されており、二班六人はその角四方を見張っていた。どの位置でも最低三人は攻撃できるような配置だ。しばらくして敵が出てこなくなったら、突撃を掛けろと言われていた。民家の大きさは、民家と呼ぶには過剰などだったが、“英国人の家”ほどでもなかった。少なくとも、平均的な日本の家よりは大きかった(縦横二十メートルほどの正方形の形で、平屋だ)。材質は木材のようだが、内側に装甲版のようなものを貼ってあり、五二口径一二〇ミリ滑腔砲の直撃とはいかなくも、七・六二ミリライフル弾程度ならストップしそうだった。二十ミリ弾はどうなるか分からない。
家の周りは、これより一回りや二回りでは表せないほど小さな(とはいっても、このタイプの集落では平均的な大きさの)家が立ち並び、視界が悪い。一応、警報装置的なブービートラップの類は仕掛けておいたが、どうも哲也たちは安心出来なかった。
「どうしたんだ」
同じように敵兵を撃った――殺さないよう足を撃った――素雪は訊いた。素雪はアームスーツを装着したD班の隊員と背中合わせになっていた。二人の位置は建物の反対側と言っていい位置にあったが、通信機はその距離を無意味にした。一応守秘通信だが、まぁ、あんまり意味はない。守秘が必要な通信など一切行われていなかった。つまり、今現在全てが計画どおりに進んでいるのだ。気味が悪いほどに。
「いや、敵に張りがないなぁと思って」
「そっちのほうが良いさ」
「そりゃそうだけど……」
小屋のドアが再び開いた。出てきたのは三人だった。ドアから僅かに離れた後、正確に狙いをつけた素雪は発砲した。弾丸が三発、戦闘の男の足を砕いた。前のめりに倒れる。続いていた二人もそれを後ろ目に見て一瞬慌てふためいた。素雪の反対側に配置されているD班の班員も発砲した。二人のうち、片方は頭を撃ち抜かれ脳を撒き散らし、もう一人は右腕と左足を吹き飛ばされた。直ぐに撃たなかったのは、中にいる敵に僅かながらも逃げられるのではという期待を持たせ誘き出すためと、軸線上に味方がいたためだ。
「まぁ、明らかに練度不足ではあるな」
素雪は倒れた二人を見ながら言った。二人は自らの怪我に慌てふためき、無用に血を消耗していた。両者とも、直ぐに適切な処置をすれば助かっただろうに。
「やっぱ、情報間違ってたんじゃないか? こんな練度の兵隊で日本を襲撃? 俺たちどころか、普通の隊員でも……ああつまり、普通の部隊でも簡単に攻略出来るぞ」
素雪は、哲也の言葉にも一理あるかなと思った。日本の自衛隊は、どちらかと言うと砂漠や荒野、平原での正規戦闘より、街中や山林での不正規戦闘(ゲリラ戦と言ってもよい)を前提とした訓練をしている(非常に不思議なことに、戦前はそうでもなかった)。これは当然のことだった。知られているとおり、日本の六十パーセント以上は山林だし、大都市も多い。そこそこの大きさの平野(農地)ならそれなりにあるが、だだっ広い平野はほとんど存在しない。
加えて、日本の周囲に存在する脅威が、不正規戦闘くらいしか行えない国であるという点も、自衛隊の訓練偏重に拍車をかけている(ソ連は別だが、それにはちゃんと対抗策が講じてある)。海自や空自も似たようなもので、海自は対潜・対空・対小型艦艇能力を重視するし(もちろん、対ソ用の空母やSSMを始めとした対艦装備もあるが)、空自もスクランブル発進に余念が無い(つまり、敵は奇襲でしか攻めてこられないだろうという読みである)。
そんなわけだから、日本陸上自衛隊の対テロ能力は抜群なのである。特殊作戦群という陸自の特殊部隊のほかに、各方面隊は西部方面普通科連隊を嚆矢として自前の対テロ特殊部隊を持っているからだ。日本の地形、状況がそれを要求した。そもそも日本の自衛隊と言う組織自体、他国――例えばアメリカやドイツのような軍隊であることが出来ないのである。狭い島国と言う点では英国に近いかもしれないが、日本は英国よりずっと起伏が激しい地形をしている。主戦力は歩兵にならざるを得ないのである。
もちろん、例外もある。日本唯一の機甲師団、第7師団と、海外派遣用部隊、第1特別師団である。
第7師団は誰もが知っているように、対ソ戦闘を念頭に置き創設された師団である。北海道は比較的平野が多く、また創設時の仮想敵たるソ連は(今でもそうなのだが)戦車大国であったことから、“戦車には戦車を”という大原則を適応する必要が生じ、設立された(もっとも最初に設立された時は第7混成団で、機械化部隊ではなかったが)。
機甲師団と言われるだけあり、主体は戦車だ。完全機械化の(89式および11式歩兵戦闘車を装備している)一個普通科連隊と、三個戦車連隊を有する、日本で最も火力の高い師団だと言える。大戦中は北海道防衛戦、樺太奪還戦、朝鮮半島派遣、中国逆上陸戦と次々に主要な戦闘に関わっており、その練度の高さと装備の良さは世界中に知れ渡っていた(最初の方は実戦の無経験ゆえのミスも多かったが、戦慣れするにつれてそういうものは減っていった)。
そして第1特別師団とは、言うまでもなく防衛省直轄の“海外派遣用”特殊部隊である。内部にかつての第1空挺団(現第一空挺旅団)を内包し、海兵隊的な役割を果たす第1、第2、第3陸戦連隊(総勢三〇〇〇人ほど)、そして“対外用”の特殊部隊たる第11特別連隊――そう、素雪たちの所属する11連隊である――を有する非常に攻撃的な師団だ。
第1空挺旅団は、第1空挺団のころから変わらぬ精鋭空挺師団で、特殊部隊ではないが、高い即応性を持つ自衛隊精鋭部隊の一つである。第1から3陸戦連隊は、海兵隊、それも米海兵隊的な役割をこなす“陸上自衛隊の”組織である。海兵隊というのは元々海軍の陸戦隊のことを言うのだが、まぁ、やることが似たようなものという意味である。つまり、海外へ素早く派遣する(攻撃を仕掛ける)部隊、ということだ(本当は、海兵隊とは軍艦に乗り込んで憲兵をしたり接近した際の斬り込み戦闘をしたりする為の部隊なのだが、時代が進むにつれてその任務も変化した。今では揚陸部隊と同意語である)。
もっともこの場合は、自衛隊の中で唯一“日本以外での戦闘”を想定しているということである。つまり、攻め込み専門の(というか、それも出来る)部隊ということだ。別に憲法違反ではない。日本は戦争を放棄しているし、自衛以外の戦闘も禁止しているが、この世には“攻撃的自衛”などという言葉もあるのだ。詭弁以外の何物でもないが、屁理屈もまた理屈、ということだ。
そんなわけだから、陸戦連隊は他の普通科部隊とは少し違う訓練をしている。具体的に言えば、日本ではありえないような地形(ジャングル、氷山、歩兵が戦闘できる程度の広い土地)での訓練も行うと言うことだ。もちろん、日本にそんな場所あるわけはないので、土地を提供してくれる同盟国(米国、オーストラリア、東南アジアの一部)で訓練を行うのだ(普通の自衛隊部隊も、米豪で訓練を行うこともある。日本は大規模な陸軍演習をするには狭すぎるのだ)。
ちなみにこれに加えて、第7師団も一応海外戦闘訓練を行っている。もちろんこれは、第7師団が日本唯一の機甲師団であるせいだ(平野では戦車の展開が欠かせない)。
そして、第11特別連隊。もちろんこれは、特殊部隊である。五個中隊プラス予備一個中隊で四〇〇人プラス八〇人。と、されているが、実際実働状態にあるのは第1中隊のみで、しかも完全充填ではない(第4小隊と第3小隊の半分しか充填されていないため、第3小隊の人員は第4小隊に編入され、一緒に運用されている。第3小隊の指揮官が充てられていないためだ)。現在追加隊員を二〇〇人規模で育成中なので、年内には実戦配備できると言われている。
素雪たちは、もちろんこれに属している。日本で最も練度の高い部隊(もちろん特殊部隊としての、と言う意味だ)とされる第11連隊第4小隊は、対外、そして時々対内の特殊活動に勤しんでいる。
つまりは、日本は対テロに特化した軍隊を持っているわけで、今回潰そうとしているテロリストたちはそういう国にテロを仕掛けるにはあまりにも弱すぎるということを哲也は言ったわけだ。そして、その程度のことはテロリストたち本人も解っているだろうから、情報が間違っているのではないかと言うことだ。
「しかしな。もう少し時間をかけるつもりだったか、もしくは対象が日本でなくて他の国だったんじゃないのか?」
「どっちにしろ、防衛省情報本部か日本内閣情報局か知らないが、その辺りの失敗だろ。現地で実際に活動する俺たちの身にもなってくれよ」
「情報部と作戦部というのはどの組織でも対立する関係にあるのだろう」
素雪が言った時、建物からまた人が飛び出てきた。手には銃が握られている。そして、その銃口は素雪の方を向こうとしていた。
もっとも、その行動は全てが無駄だった。素雪はその男が引き金を引く前に、ライフルに残っていた残りの銃弾六発を全てその男に叩き込んでしまったからだ。男は腕を、体を、そして頭の半分を吹き飛ばされ、糸の切れたマリオネットのように……と言うには勢いが付きすぎた感じで後ろに倒れた。ライフルの機関部がガチャリと言う音を立て、ボルトが後退しきった位置で停止した。
素雪は空になったマガジンを抜き、新しいマガジンを叩き込むと、ボルトストップを外した。支えを失ったボルトはスプリング力で前進し、初弾を薬室に送り込む。素雪は構えなおした。
「まぁ、かもな。呉越同舟……って言うくらいだから、祖国のピンチになれば流石に仲良くしてくれると思うけどさ……」
「祖国の危機ほど、対立するものではないのか? 俺の知っている国の陸軍と海軍は、祖国が滅びかけてるときでさえ仲が悪かったがな」
「ああ、俺の知ってる国の陸軍と海軍もそうだったよ」
「欧州の三国はどれか一つが突出すれば、絶対に他の二国が組んで邪魔をするけどな」
素雪は英国、フランス、ドイツのことを言っていた。これらの国はナポレオン時代、アメリカ独立時代、第二次世界大戦を見れば分かるように、常に互いの足を引っ張りあっている。戦争で何度負けても立ち直るし、昔のことなど水に流し、全く機会主義と言うほか無いような同盟を結びまくっているこれらの国は、全く欧米と言うほか無いように思える。
「ああ、あの国々ね。まぁ、日本とは一緒に出来ない国々だな。それに、それらにしたって、結局は仲違いしてるじゃないか」
「だな。まったく……」
素雪は溜息を吐いたように言った。何か思うところがあるらしい。スピーカーの向こうからも、溜息を吐く声が聞こえてきた。
「これが、情報と作戦に変わったからと言って、大した変化はないんだろうなぁ」
「ないだろうな」
素雪は自信を持って答えた。もう一度、溜息が聞こえ、次に銃声が響いた。向こう側でも死人が出たらしい。
「何人だった?」
「三人。まったく、嫌な気分だぜ」
哲也は吐き捨てるように言った。
「こんなの、虐殺と変わらない」
「言うな。そろそろ交渉も終わる。どうせ決裂だろうがな」
「突入か。練度は低いが数だけは異常に多いからな。場合によってはこっちにすら……」
『不謹慎なことを言うな』
スピーカーから、ターネスの声が響いた。
「ターネス三佐。どうです?」
「問題ない。Aポイントだ。たった今、交渉が決裂した。対応E1に入る」
交渉……というのは、スピーカーで降伏をがなり立てていただけなのだから、つまり時間がきたということだろう。対応E1というのは、積極攻勢……つまり突入対応だったはずだ。
「突入ですか?」
哲也が嬉しそうとも聞こえるような声で訊いた。別にサディストとか、そういうわけではない。これ以上(敵とはいえ)一方的な被害しか出ない時間を続けたくなかっただけだ。
『そうだ。催涙弾の投擲後、突入だ。つまり、事前計画どおりだな』
事前計画によると、突入は、催涙弾発射の後アームスーツを先頭に立てて、全部隊が突入。偽造建物を徹底的に破壊し、穴倉内部にも催涙弾を放り込む。その後、数人が入り口を見張っているうち残りが突入。テログループを壊滅させる。
「OK、アイシー。計画どおりなら、三分後ですね」
『解っているな。準備しろ。合図は一分前、三十秒前、十秒前からカウントだ』
「イエス・サー」
素雪は呟くように言う。通信が切れた。
「そういうわけだな」
「準備しよう」
素雪は哲也との通信も切った。
「……というわけなんだが」
「了解だよ、素雪」
素雪と背中合わせで戦っていたアームスーツを着たD班の隊員、湯澤大和は頷いた。二人とも、電波通信は使用していない。外部スピーカーと外部マイクで会話をしている。
「六十ミリの催涙弾でいいね」
「ああ、計画の変更は受けていないからな」
大和は確認すると、手に持ったライフルを構えたままグレネードをホールドする。日本製の二十ミリ機関銃プラス六十ミリグレネード(軽迫撃砲)のAS用ライフルだった。腰にあるパイロンから催涙弾を取り出すと、歩兵用のライフルのそれと同じように取り付けられたグレネードに、やっぱり同じように装填する。
「俺は、手榴弾より閃光グレネードの方が良いだろう。放り込むから、突入頼む」
「解ってる。巧くやってくれよ」
素雪は言うと、時計を確認しようとした。だがその前に、通信が入る。
「素雪、三十秒前よ」
吾妻だった。
「了解、現在準備終了。いつでもどうぞ。オーヴァー」
そう言うと、通信を切り、位置を変更する。ドアの横に付いた。大和も後に続き、素雪とは反対側に付く。扉は奥開き式だったが、射界が広く取れるのは大和の方だった。素雪はグレネードを投げ込む役なので、それでよかった(催涙弾は穴の中に使用するのだ)。
素雪はポーチから音響閃光手榴弾を取り出し、いつでも投げられるようにする。素雪が取り出したのは新型のそれではなく旧型のものなので、形はスプレー缶に似ている(最新型はペンほどのサイズだ)。新型は装備されたはずなのだが、何故か彼らの手元には届いていなかった。
次に、ライフルを確認する。問題なく、三十発入っていた。
「OK?」
「完璧だ」
素雪は大和の質問に短く答える。今度は、場所が場所なので、短距離電波通信を用いて会話している。暗号化が厳しいし、この辺り一帯に電磁妨害手段を行使しているので、傍受される心配は無いはずだった。もちろんECMは、ただ単にノイズを撒き散らすタイプの古いECM(ノイズ・ジャミングECM。第二次世界大戦時から使用されているらしい)ではなく、指定された周波数以外の電波を指向的に逆電波で妨害するタイプのECMだ。
意外なことだが、この古いタイプのECMと言うのは第二次世界大戦当時から存在し、そして恐るべきことに、現在でも頻繁に使用されていた。それも、世界で最も機械化、IT化された軍隊として名高いアメリカ軍ですら、である。
これは、軍隊とは十年先の兵器を今の技術で生産するのが定石であり、数ヶ月で新機種の出る民間のコンピュータの開発力にはとてもついて行けないということと(もっとも、軍事技術というのは民間と比べて十年以上は先進していると言われているが)、半世紀以上が経っても有効なほど、電波を無闇に撒き散らすと言うのはECMとしての完成度が高かったと言うことだ(もちろん、味方すらECMに巻き込むと言う弊害もある)。
「十秒前」
再び通信。素雪はドアのノブに手を伸ばそうとして、止めた。今敵が出てきて、全てを台無しにされたくなかったからだ。ノブを掴んでいなければ、相手を後ろから射殺して終わる。
「七、六、五……」
カウントは進む。素雪はグレネードの安全装置を外した。これで、投げればいつでも五秒後に作動する。カウントが四になった時点で、ドアノブも掴んだ。僅かに回してみる。鍵はかかっていないらしい。内側の奴らに気付かれる可能性もあったが、いざ突撃の時に鍵がかかっていてドアが開かないなんていうのは悲しすぎる。それに、ドアに鍵をかけるような奴らなら、ドアにもっと注目しているはずなので、ドアが回るということは、ドアに対して注意を払っていないと言うことになる。
「三、二、一、今!」
声と同時に、第4小隊の面々は動いた。素雪はドアを開けると、素早く閃光弾を放り込む。風船の破裂する音を数億倍にもしたような爆発音と、太陽の光を直接見たような閃光が発生する。中で僅かだが悲鳴。もちろん素雪と大和は、アームスーツやヘルメットのフィルター機能(これは空気流入だけに限らず、視覚・聴覚、つまり外部マイクやカメラにも付けられており、有害なもの、つまり強烈な閃光や爆音シャットダウンする)が働いた為、何の効果も及ぼされていない。
大和は、フィルターの影響でくぐもった閃光と同時に部屋の中に飛び込んだ。すぐさま内部を確認。敵は三人。手には銃を持っており、見えない目と聞こえない耳の不安に駆られ、今にも連射しそうだった。大和はもちろん、全員に銃弾をぶち込んだ。二十ミリ弾はかすっただけでも、死に至るダメージを与えていた。
素雪は大和の後に続いた。彼が部屋の中に入った時、大和は既に発砲していた。敵三人に向けて、情け容赦なく二十ミリ弾を叩き込んだ。世界共通の交戦規定では、五十口径以上の火砲は対物火器とみなされ、“非人道的”である故に対人使用を厳禁されていたが、彼はそれを無視した。もちろん素雪も、そんなことどうでもいいと思っていた。本当に人道などと言うものが守られるなら、彼がこんなことをする必要は無いのだから。
素雪は三人の射殺を大和に任せ、内部状況の把握に努めた。
家の内部は、その外見を裏切って倉庫のような様子だった。木製の箱が積み重ねられている。素雪は、その箱の一つを素早く検めた。
「ち……火薬か」
素雪は悪態を吐いた。箱の中に入っていたのは、武器弾薬の類だった。素雪の見たものには、地雷がぎっしり詰っていた。中共製の粗悪品だが、動かないことも無いのだろう。何より恐ろしいのは、ちょっとした衝撃で全てが誘爆してしまいそうだということだ。
素雪は、三人の処理が終わった大和を呼んだ。二人が入ったところは、箱の壁で出来た小さな部屋のようになっており、特に気になるものは見当たらなかったから、奥に進もうということだ。
「先行する」
素雪は素早く告げると、箱の角を曲がった。素早く向こう側に銃を向け、固まった。
「待て!」
素雪は銃を撃とうとして、止めた。映像を素早くターネスにつなげると、踵を返した。
「な……ふざけやがって!」
大和もそう悪態を吐くと、素雪に倣った。彼のモニターにも、素雪の捉えた映像が流れていた。
そこには、三段ほど積み重ねられた箱の上に座る一人の男が映っていた。それだけならば何の問題もないのだが、厄介なことに、その男の体にはプラスティック爆弾と思しき、四角い粘土の塊のようなものと、“鉄釘百本入り”などと日本語で書かれた袋が大量に括りつけてあり、右手にはいかにも信管起動スイッチな形の棒が握られていた。親指は既にスイッチに触れていたが、その手は直ぐに箱の陰に隠されてしまった。
素雪が飛び込んだとき、彼はその場景を見て、素早く対応を考えた。スイッチを狙撃……は、出来なかった。敵がスイッチを握った手を引っ込めたからだ。男を殺してもダメだろう。指がスイッチにくっついているなら、死ぬ前に押されてしまう。一か八かにかけるならば分の悪い勝負だった。
ならばどうするか。逃げる、と言う選択肢が最も望みありげだった。
もちろん素雪は、仲間を見捨てて自分だけ逃げるようなことは出来なかった。仲間意識だけが理由ではない。こんな敵陣の中に飛び込んだ状況では、彼の能力が如何に高くても、生存の望みが薄いからだ。もちろん、あの一瞬でこんなことを全て考えたわけではない。散発的に思い浮かんだ事実を急いで並べただけだ。ターネスに映像を送信したのは、その一瞬の思いの一つだった。事実を上に伝えたほうが、明確な命令が出やすく、部隊全体の生残性が高まるのは兵隊の常識だ。
そういうわけで、素雪から映像を受信したターネスは、映像からその緊急性と危険性を直ちに判断し、強制割込み通信でC班とD班の各員に逃げろという通信と共に画像を送ったのだ。
結果は、なかなかのものだった。全ての人員が警告に反応し、爆弾を持った男が起爆スイッチを押すより早く、建物の外に避難することが出来たからだ。加えて幸運なことに、素雪と大和を除いて、ほとんどがドアからさほど遠くない位置にいたのだ。これは、周囲にトラップがあり、容易に進めなかったことが原因だった。本来ならば足止めをすべきトラップが、素早い前進を妨げたのだった。僥倖と言うほかない。
そして、その僥倖の外に在る素雪と大和も、寸でのところで建物の外に飛び出すことが出来た。
「素雪!」
「なんだ……と、おい!」
「Gに耐えろよ」
大和は素雪と建物を飛び出ると、素雪を小脇に抱えた。何をするかは素雪にも、だいたい解った。
「……っ!」
大和はアームスーツの出力を上げると(軽アームスーツの倍力値は固定されており、腕は一〇〇パーセント、足は縦方向だけ二〇〇パーセントで駆動する)、思い切り跳躍した。二人にGが襲い掛かる。普通の人間なら失神しかねない圧力だった。しかし、二人は訓練を積んだ特殊部隊員であり、加えて、二人の着ている服は対Gスーツとしての役割も持っていた。
アームスーツは自身の身長を軽く越え、十メートル近くまで跳び、物凄い速さで小屋から離れた。
そして、二人が空中にいる時、小屋は爆発した。爆風に煽られ二人は飛ばされたが、大和は危ういところで姿勢を立て直し、着地に成功した。ただし素雪は、着地の衝撃で前に放り出された。
二人が着地したのは森の一歩手前という空き地だった。素雪は頭を庇いながら肩から地面に落ち、森の茂みの中まで転がった。
「つ……」
素雪は苦しそうな呻き声を漏らすと、体中の痛みを押さえつけて立ち上がった。傍らにある、落としてしまったライフルを拾い、確認する。壊れてはいなかった。スコープも無事だ。
「大和、緊急事態とはいえあんまりだ」
素雪は茂みを出ると、大和に文句を言った。
「仕方ないよ。他に方法が無かったんだから」
大和は油断なく周囲にライフルを構えつつ答えた。
「解るがね」
素雪も同じようにライフルを構える。
「連絡は?」
「ダメだ」
大和はシンクロアームをマウスとして使っているのかせわしなく動かしながら、答えた。銃は右手だけで保持している。
「電波妨害だな。自衛隊のでも無理だなんて。いったいどんなECMを使ってるんだ」
「滅茶苦茶に電波をばら撒くヤツか、電磁パルスか……」
「EMPはまず無いから、無差別電波妨害だな。くそ、テロリストでさえこんな手段で妨害可能なのか」
大和は悪態を吐いた。彼がまずEMPの可能性を除外したのは、EMPによる電磁妨害手段は、燃料気化爆弾か核反応弾の副産物だからである。ちなみに日本は前者を使用し愛用している。
「世界の軍隊が無人兵器を採用できない理由が解るな」
素雪は赤外線モードで周囲を見回す。人影は見えない。唯一つハッキリしないのは、たった今素雪たちが跳んできたところである。あそこだけは、大火事が起こっているので、人型をした赤外反応を特定することが出来ない。
「まったくだ。こんな簡単にやられちゃ不味いからな」
大和は電磁妨害妨害手段を起動して、何とか通信を取ろうと試みた。日本のアームスーツは比較的大型なので、このような機材を積み込む余裕がある。
「いや、しかし、自立型の人工知能だったら……」
「信頼性が確立できてないだろう。無理だよ。無人偵察機くらいにしか使えないだろう」
「うん……だろうな。……っと、繋がった」
大和はターネスとの通信の接続を確認すると、妨害を受けにくい短波通信で素雪とも通信を繋いだ。
『状況は?』
ターネスが訊いてきた。素雪の直属の上司たる吾妻ではなく、ターネスだった。
「敵が自爆。現在警戒態勢をとっています」
『入り口は潰れているのか?』
その質問に、素雪と大和は顔を見合わせた(互いに顔など見えなかったが)。
「確認の必要あり」
『直ぐに頼む』
それだけ言うと、ターネスは通信を切断した。
「急ごうか」
「了解だ」
素雪は大和の言葉にそう返すと、大和の背中を守れる位置に立った。二人は互いに周囲を警戒しながら進んでいった。
「状況は?」
ファルケは部屋を出ると、歩哨として立たせておいた彼の部下に訊いた。
「敵の特殊部隊およそ一個小隊が接近中。一部では交戦に入っております」
「敵、とは?」
ファルケが訊くと、歩哨は困ったような顔をした。
「中華民国かと思われましたが、それにしては練度が高すぎます。全く奇襲を許してしまいましたから」
ファルケはふむ、と頷いた。
「他には?」
「重大なことが一つ」
歩哨はわざと声を落としていった。
「敵は、四つ残してここの出入り口を全て爆砕してしまいました」
ファルケはかろうじて舌打ちを抑えた。
「そうか。解った。他のメンバーを集めろ。直ぐ動く」
ファルケがそう言うと、歩哨は素早く敬礼をして、仲間が控えている部屋に走っていった。ファルケは歩哨の後ろ姿を見送った後、今日一日全く寝ていないのを感じさせない素早さで判断を下した。
「直ぐに逃げる。君たちも準備をしろ」
「手段は」
エーファがすぐさま訊いた。
「地下の格納庫にバギーが七台置いてあったはずだ。無理すれば六人乗れる。あれを失敬する」
「バギーで脱出ですか」
重和は難しい顔をした。
「どう思う?」
「敵にヘリなどがあっては困るのでは?」
重和の指摘に、ファルケはうんと頷く。
「確かにそのとおりだ。だがな、敵を考えてみろ」
「敵、ですか」
重和は怪訝そうな顔をした。
「そうだ。俺は直接見ていないが、聞く分にはあの練度。どう考えても、中華民国の特殊部隊とは思えない。あの国は――戦前は台湾だが――領土を拡大して、逆に国力を弱めたんだ。戦争で興廃した大都市と教育の歪んだ多くの市民。将来的には大きな生産力になるだろうが、即刻利益に還元するには扱いにくすぎる」
ファルケは説明した。
彼の言うとおり、中華民国は、その領土を大陸にまで拡大し、逆に弱ってしまっていた。一年近くに及ぶ戦争は、現代で言えば充分に長期戦で、その陸上戦のほとんどはユーラシア大陸極東部――支那大陸で行われたのだった。海岸部の商業地帯・工業地帯は五十パーセント近くが焦土と化し、全人口(労働人口ではない)の五パーセント近くが兵士として駆り出され、中共非戦闘員の三パーセント近くが(主に中共軍によって)殺された。中華民国の(彼らが言う分には)奪還した土地も、住人は半分以上が中共領土内へ逃げ出していた。中共の洗脳教育の成果だった。
そんなわけで、こんな土地を手に入れても、直ぐに国力拡大に繋がるわけが無かった。よって、中華民国は一時的に疲弊していた。もっとも、それが一時的であることは明確であった。元々人口は多く、資源にも不足しないのだ。再教育を施し、国際社会のモラルを教え込めば、再び工業国として名をはせることは間違いなかった。事実、終戦時は最悪と言っていいほど悪かった治安は徐々に回復していたし、住民たちの反日的な態度も改まってきた。それに伴い、各国企業(特に日本)の工場誘致も進んでいた。
「つまり、いまこっちに攻めてきている敵は、中華民国ではありえない」
「と、いうことは……」
「ああ、そうだ」
ファルケは頷いた。
「アメリカか、日本か、ソ連か……」
重和が呟くように言うと、廊下の向こうから一人の男が走ってきた。ファルケの部下だった。情報参謀的役割を担っている男で、彼が持つ四個分隊の特殊部隊のうち、七人の本部分隊に名を連ねる男である。
彼はやってくるなり、言った。
「少佐殿、敵は日本の特殊部隊のようです。装備が日本製でした」
「日本の特殊部隊に擬装した外国の特殊部隊ということは?」
ファルケは素早く確認した。部下は首を振った。
「確証はありませんが、おそらく間違いないでしょう。練度の高さから言えば、日本か欧米しかありえません。しかし、欧米の国がここに日本の部隊に偽造した特殊部隊を進入させることは困難です」
ファルケは頷いた。事実だったからだ。東南アジア方面の治安維持は主に日本が行っている。よって、欧米の国々、例えばアメリカやイギリスが東南アジアに特殊部隊を送り込むとすると、どうしても日本の協力を仰ぐこととなる。
いやもちろん、どの国も(もちろん日本も)世界のあらゆる場所に諜報員を送り込んではいる。当然、同盟国すら例外ではない。
しかし、小隊規模の重武装した(ファルケは訊いていないが、敵の火力の高さから考えれば間違いないはずだった)特殊部隊を送り込むのは、流石に無理だった。武器の輸送や後方支援の問題もあるが、それ以上に、目に付きすぎるのだ。三流の情報管理でも見逃さないような波風を立てることになるのは明白だった。それを、日本の情報施設(内閣情報局や防衛省情報本部)が見逃すはずがない。
もちろん、日本公認で日本のふりをした特殊部隊を送り込むのは無理に決まっている。日本が許してくれない。
ならば、あの特殊部隊は日本の特殊部隊のはずだ。そういうことだった。
「そうだな。では、敵は日本の特殊部隊であると考えて対処しよう。計画どおりだ。さぁ、準備に急いでくれ。俺は、『同志』たちに逃げ出すことを説明しに行く」
「ついて行きます」
エーファが言った。
「ん? じゃあ頼む。重和、君に脱出準備の全権を任せるから、準備を頼む。私たちが帰ってきたら直ぐにでも出られるように」
妥当な判断だった。ファルケの言う“同志”、つまりテロリストの指導者たちにファルケ一人で会いに行くのは、無謀とも思えた。組織が危機に瀕している今、ファルケが「それじゃあ、後は任せましたよ」などと言おうものなら、撃ち殺されても不思議ではない。
二人で行くなら、少なくとも囲まれなければ、互いの背中を庇い合うことが出来る。
「はい。お気を付けて」
重和は素早く敬礼を――旧日本軍陸軍式の敬礼を――すると、隣の部下と共に駆け出した。ファルケは後ろ姿をしばらく見送ると、くるりとエーファの方へ振り向いた。
「さて、我々も行こうか。武器の準備は」
「万全です、少佐殿」
エーファはびしりと敬礼をした。ファルケは黙って頷くと、歩き出した。エーファは後を追う。
中華人民共和国の、いかなる対外用文書にも乗っていない人民解放軍の部隊に所属する羅小季少佐は焦っていた。彼らの大敵である日帝の特殊部隊が目の前まで迫っているからであった。
「防衛戦闘はどうなっている?」
羅は不安げに聞いた。彼の部下――彼らの祖国が支援しているテログループの男でなく、彼が人民解放軍から連れてきた男だ――はそれを聞き、悲しそうに首を振った。横に。
「くそ」
羅は悪態を吐いた。仕方の無いことだった。彼の仕事は――つまり、彼の祖国の大敵に果敢に抵抗する敵陣の同志たちを支援することは、成功しかけていたのだ。このままニ、三ヶ月も訓練を続ければ、立派な革命戦士が出来上がるはずだった。それを……。
「味方は、建物の外に出ることすら儘なりません。どの出入り口にも敵が張り付いております」
「一〇〇以上ある出入り口全てにか?」
羅が驚いたように訊くと、部下はいえ、と言って説明した。
「出入り口のうち、人間しか通れないような小さな物、中心部から離れているものは全て爆破されました。その他にも、幾つかの出入り口が爆破され、現在健在なのはここを含めて四つだけです」
羅は絶望的な気分になった。それはつまり、彼の支援していた革命戦士たちが彼ともども包囲されてしまったことを意味するからだ。
「修復は?」
「不可能です」
部下は素早く答えた。
「人員を統率するはずの司令部が、何故か機能を停止しました。何とか出入り口を確保しようと人数を集めて向かわせてみたのですが、奴ら、爆薬に何か混ぜていたらしく、爆破箇所に近づくとどの者も動きが鈍ります」
彼の予想は当たっていた。第4小隊は、中国人特有の“人海戦術”で爆破した出入り口が修復されてしまうのを恐れ、空気感染をする弱毒性の細菌を、爆薬と一緒に置いておいたのだ。感染力が非常に高いが、下痢や発熱をもたらさせるだけで死に至る効果などなく、ニ、三日で全快し、その上空気中に残存していられる期間も半日を過ぎないということから、生物兵器研究の対象として無視された細菌だった。とはいえ一応は細菌兵器なので、立派なジュネーブ条約違反なのだが、ばれなきゃいいやということで第4小隊は使用することにした。一応保険ということで、テロリストのアジトにその細菌の培養法を書いた書類を残しておく手はずにはなっていた。つまり、勝手に漏れ出しちゃったことにしておこうということだ。
もちろん羅は、そんなことを知る立場にはなかった。もっとも、知ったとしても意味は無かったが。
「ガスマスクは?」
「そんなものありません」
部下は少し拗ねたように言った。彼は、本国の支援の不徹底に疑問を抱いていたのだ。何故なら、本国――つまり天下に輝く中華人民共和国が彼らの同志に送った支援は、小銃と地雷と軍用プラスティック爆弾だけだったのだから。
「ああ、そうか。そうだったな」
羅は諦めたように言った。
「くそ、そうだったよな」
唾を吐くように続ける。この世の全てに絶望してなお、信じ続ける希望を盲目的に、確信犯的に探し続けるような男の声だった。
「で、君の意見は?」
「もう、終わりでしょう」
部下は諦めたような声で言った。表情は無表情とも蒼白ともつかない声だったが、どこか恐怖を抑えている風でもあった。当然かもしれなかった。
何故なら、中華人民共和国は、正式には、東南アジア方面に存在する潜在的共産主義同志たちに支援を送ってはいないことになっているからだ。
つまり、羅たちは存在しないことになっているのだ。
そして、その存在しない者たちが見つかる。これはありえないことだ。よって羅たちは、緊急時において、それ相応の措置を取らねばならない。具体的に言えば、最低でも口の中に手榴弾を突っ込んで爆発させ、自身の生命活動を停止させ、同時に正体の隠匿を図らねばならない。中華人民共和国という国の性質からして、当然の措置だった。
「やっぱりそう来るか。いや、当然だと思うよ」
羅はいつにも増して軽い調子で言った。
「でも、それならば、手榴弾程度の爆発じゃあもったいないと思わないか」
そう言って、周囲を見回す。付き合いの長い部下は、それで全てを悟ったようだった。二人がいる場所は武器庫で、比喩ではなく火薬庫と呼べる場所だった。
「ああ、そうですね」
部下は、やっぱり諦めたように言った。いや、妙な高らかさがある。死を目の前にした人間特有の無用な高揚感があるのかもしれない。羅は、親しい人や階級が下の部下の前では常に見せる気軽な調子で言った。
「爆弾と信管は腐るほどあるんだ。派手にいこう」
脱出の準備は直ちに完了した。車輛格納庫(と言うほど立派でもないが)に重和たちがついた時、未だに士気を維持していた組織側の兵士たちが重和たちに待ったをかけたのが唯一の障害だった。兵士たちは重和たちを見るなり、
「待て! 何をする気だ」
と言ってきた。重和は直ちに彼らを脅威と判断した。部下に射撃許可を出した理由は、それで充分だった。見張りの兵士たちは重和の指揮下にあるファルケの部下がAKS74Uから放った五・四五ミリメートルの鉛の塊は、火薬によって初速七三五メートル毎秒(パーセコンド)の加速を与えられ、短い銃身から飛び出した。コンパクトなAKS74Uは反面、扱いが非常に難しい。直ぐに反動で上を向いてしまう。が、練度の高い彼らはそれを器用にコントロールし、発射された十八発の銃弾のうち、十六発を四人の見張り兵に命中させた。
重和は直ぐに、数人の部下に死体を片付けるように命じると、残りの者たちにジープを――ソヴィエト製の野戦車だった――確かめるように命じ、自分も同じようにした。
ファルケとエーファがおそばせながら到着したのは、ちょうど重和たちが準備を終えたところだった。もっとも、準備と言っても、燃料を中心に車体を確かめて(七台中二台には燃料が入っていなかった)アイドリングをしておくだけだったのだが。
「遅くなってすまない」
部下たちの元に到着したファルケは、最初に謝った。
「いえ。どうでした?」
既に部下の大部分をジープに乗せていた(残りは歩哨に立たせていた)重和は、ファルケをジープに導きながら訊いた。他の歩哨たちにも、二人残して乗車を命じる。その二人には、格納庫の扉を開けるように命じた。この狭い格納庫の扉の先はスロープになっていて、大き目の民家に偽造された倉庫に通じているはずだった。民家の扉はジープが通るほどのものではないが、壁の一部が可動式になっている。
「想像どおりだったよ。私が彼らに逃げることを告げると、彼らは銃を向けてきた」
「それで?」
ファルケとエーファがジープに乗ったのを確認した重和は、エンジンをかけた。ソヴィエト製の質素だが堅固なガソリン・エンジンが排気ガスを吐き出す。小刻みな振動は、ジープが問題なく走れる状態にあることを示していた。ソヴィエト製品はその信頼性の高さが売りなのだから、こういうときに動いてもらわねば困る。
「射殺させてもらった。あの、羅小季とかいうやつと若いの(名前を忘れてしまったよ)はいなかったが、まぁ、問題ないだろう」
ファルケは事も無げに言った。彼が言うとおり、テログループの指導者たちは、ファルケにあらかた射殺されていた。正確に言えば、大部分はエーファによるものだった。男たちがファルケに銃を向けた瞬間、エーファは素早く腰に吊った年代物の(何せグリップに逆卍を持った鷹が描かれている)拳銃、ワルサーPPKを抜き放ち、八発装填されている七・六五ミリ弾を全て発射した。それらは一発も外れることなく男たちに命中し、その場に集まっていた者の半数が死亡した。それを見て唖然としている生き残った半数を、ファルケはのんびりとした動作で腰から拳銃を抜き、射殺していった。ソ連製のマカロフではなく、チェコのCZ110だった。弾倉内に収められていた十三発の九ミリパラベラム弾はあっという間に吐き出され、人間を殺傷しうるエネルギーを得てファルケが狙った者たちに次々と命中していった。.45ACPに比べればあまりにも脆弱なイメージの強い九ミリだが、彼はその弾丸に関してなんら威力の不足を感じていなかった。拳銃を使用する機会があまりにも少ないのが理由だった。特殊部隊でもなければ、拳銃は、治療の意味を無くすほど傷ついた部下を楽にしてやる時か、今のような護身か、もしくは敵に取り囲まれた時、人生最大の情報隠匿を行う時にしか使わない。いや、最後のそれの場合、証拠を残さぬよう口に手榴弾を押し込んでピンを抜くのが常だから、それですら使わないことが多い。
そんなわけだから、テログループの指導者たちは、ファルケとエーファの放ったドイツ生まれの弾丸に次々と殺されてしまっていた。あの場にいなかった者たちがどうなったのか、ファルケと部下たちは知らなかった。もっとも、大した問題とも思えなかった。彼らは、この組織を見限ったのだから。
「さぁ、準備は万全か?」
言うべきことを言った後、ファルケは聞いた。重和は自信満々に頷いた。
「完璧です、少佐殿」
「よろしい。では早速脱出を……」
ファルケが言いかけたとき、爆発音が響いた。手榴弾とかとは比べ物にならないほど大きい音だった。丈夫に作られている(はずの)格納庫が振動する。兵士たちが俄かにざわめいた。もしや敵(彼らは完全に日本だと確信していた)は燃料気化爆弾か核融合反応弾を使用したのではないだろうか?
それは、あながち全く的外れな心配でもなかった。核融合反応弾の方は、日本は正式に存在を否定しているが、燃料気化爆弾は相当数を保持していた。日本がこの種の兵器を初めて使用したのは戦中で、その時は電磁パルスによる電子妨害手段の一環として採用された。いや、今でもそうだ。しかしながら、戦場で兵士――ではなく自衛官たちが、それを全く敵に直接的な用途で使わなかったかと言えば、それは嘘になる。事実、ユーラシア大陸の、極東のいくつかの都市には、小型の核分裂反応弾の使用を思わせるような焼け跡が残っていたのだ。それは、今でさえ幾つか残っている。
しかし、地中に施設がある場合、燃料気化爆弾はあまり効果が無いのだ。当然と言えば当然だろう。燃料気化爆弾の仕組みは、空中で可燃性の燃料を拡散させ、それに着火して爆発させ、圧力と熱で“地上にあるものを”吹き飛ばすのだ。実際ヴェトナム戦争中多用されたこれは、ジャングルを薙ぎ払って着陸地点を作ったり、地雷原を根こそぎ破壊したりと言った用途で使われた。
つまり、地中深くにある施設を叩くような能力を、燃料気化爆弾は与えられていないのだ。もちろん、その性質上、地中突貫機能を持たせても意味が無い。空中で拡散させてこそ、大威力を発揮する兵器だからだ。
ファルケはちらりと天井を見る。どちらにしろ、燃料気化爆弾ではないなと思った。日本がこの場でそんな大規模兵器を使えるとは思えなかったからだ。それに、爆発音が火薬のものだからだ。おそらくこの上にある弾薬庫が爆発したのだろう。爆弾は普通、威力が上に逃げるから、この場所はそれほど危険ではないと思った。どうして爆発したかどうかにも、疑問は無かった。あの大陸から来た男が自爆したのだろう。彼の任務は、そういうもののはずだ。国……ではなく、彼らなら党か。ともかく、そんなものに絶対的な忠誠を誓っている奴は大変だな。いや、俺だった少し前までを思えば人のことは言えないか。
「大丈夫でしょうか?」
エーファが心配そうに呟いた。ファルケはそっちの方を見る。
「ああ、いえ。崩れないかと思いまして」
エーファはファルケの視線に気付き、慌てたように言った。無意識に何かを呟いていたのを恥ずかしく思ったようだ。
「うん、大丈夫だろうね」
ファルケは安心させるように言った。わざと大きな声を出しているのは、兵士たちにも聞かせ、安心を与える為だ。
「爆発の力は上に逃げたみたいだし、それに、ここは思ったより丈夫だ」
微笑を浮かべてそう言うと、表情を引き締め、
「さぁ、いこうか。上の奴らが、敵を追い払うか殺すかしてくれたはずだ」
そう言った。兵士たちは歓声を上げると、アクセルを踏み込んだ。自分たちを危険な場所から可能な限り脱出させてくれる指揮官に敬意を表しているのだ。ジープをスロープになっている格納庫の出入り口へ向かって走らせる。大きな扉は、爆発で吹き飛んでいた。もちろん、その上にあった建物も同様だ。
ジープの音が聞こえた。ソ連製のエンジンだったかと記憶していた。ポピュラーな野戦車のものだったからだ。
「……敵か?」
小屋の焼け跡の直ぐそこまで迫っていた素雪と大和は、アームスーツに搭載された外部聴音機からその音を聞き、警戒態勢を取っていた。大和が呟くように訊くと、素雪は答えた。
「ああ、おそらく。数は……七台。逃げ出す気かもしれん」
「急いだほうが良いな」
素雪は頷くと、歩を速めた。逃げ出す気であるならば、そこまでトラップに気を使う必要もないだろうということだ。
「ああ……いや、それすら必要ない」
大和は素雪にそう言うや否や、目の前にある焼け跡にライフルを向けた。
「どうした」
「野戦車の音、そこからきてるぜ。いや、お前のArMSじゃ探知不可能だ」
大和は焼け跡にライフルを向けたまま言った。ArMSというのは、素雪の着ている陸自の“作業服”のことだ。Armourd Mobile Suitの略で、別の略し方をすれば“アームスーツ”なのだが、HAMASの“アームスーツ”とダブってしまう為、ArMSと呼ばれる。読み方はもちろん“アームズ”で構わない。
ArMSは、ASよりは随分と小型……と言うか本当の意味で“服”なのだが、サイズの問題上、また、簡単なパワーアシスト機能くらいしか付いていないため重量の問題で、ASのように大量の機材を積むことが出来ない。よって、全ての索敵機材の精度がASより低いのだ。もっとも、人間のサイズでこの索敵なら充分、と言えるようなものだが。
「地下か……」
「格納庫でもあったのかもな」
「かもな。ここの穴は、ナム戦のときから作ってるって聞いたけど、案外それも本当なのかもな」
大和はああ、と言って頷くと、タイヤの音だと警告を発した。素雪も銃を構える。焼け跡が広すぎてどの辺りから敵が出てくるかわらかないので、とりあえずどうとでも対応できるように。
焼け跡の中から対戦車ロケットが飛んできたのはそんな時だった。
「くそ!」
大和は悪態を吐いて隣にあった建物の陰に飛び込んだ。素雪も同じようにして、大和の後ろに立つ。当然のことながら、ArMSはASほど防御力が高くない。
次の瞬間、ロケットが爆発した。中から白い物が飛び出し拡散し、次の瞬間火が付いた。燃料気化爆弾タイプの弾頭を装着したRPG7だ。素雪は咄嗟に判断した。彼はそれを、アフガンの戦場で見たことがあった。装甲兵器に対する攻撃力はそれほどではないが、対人兵器としては凶悪なものだった。何せ、焼き尽くしてしまう。
素雪と大和は周囲の安全を確保し、後続ロケットが無いことを確認すると、直ちに先の位置へ戻った。既に、ジープのエンジン音は素雪にも聞こえていた。
「シャイセ。何台だ?」
「七台。二十ミリで大丈夫だと思う。四十ミリも、一応撃ってみてくれ」
「了解」
二人は役割を素早く決め、家の角から飛び出した。七大のジープは既に瓦礫の中から抜け出し、集落の外へ行く道を走っていた。
大和は一番後ろのジープに狙いをつけ、引き金を引いた。二十ミリ弾は十三発が発射され、うち、七発がジープへ命中した。そのうち五発は人間に命中し、彼らの頭蓋骨を砕き脳みそを破壊し、腕を千切り内蔵を撒き散らした。一発はタイヤに命中し、回転が不可能なほどに破壊した。最後の一発は車体を貫通してエンジンを破壊し、ソヴィエト製の信頼性の高いエンジンを滅茶苦茶に破壊した。ジープに乗っていたのは四人、内即死は三人で、残り一人は片腕を失いながらもなお死を許してはくれぬ生命の残酷さに苦しんでいた。
だが素雪と大和に、その生存者に注目する時間は与えられなかった。大和が破壊した野戦車の一つ前の車輛が(正確には車輛に搭乗していた兵士が)、再び対戦車ロケットを発射したからだ。
しかし、今度は大分距離があったため、素雪は冷静に対応した。PG7弾頭が加速する前にライフルで弾頭に狙いをつけ、狙撃したのだった。発射した弾丸は三発で、命中弾は一発だった。もっとも、それで充分だった。その一発によって電圧素子を使用した信管を刺激されたPG7弾頭は、その場で爆発してしまったからだ。弾頭は、先ほどと同じ燃料気化爆弾だったが、発射手に影響を及ぼすことは、(素雪と大和にとって)残念ながらなかった。車の速度とPG7の僅かな間の推進距離は、野戦車を射程外へ押し出すのに充分だった。
素雪と大和はなおも射撃を継続したが、車輛を停止させるほど決定的な命中弾は出なかった。
「三佐!」
素雪はターネス三佐に呼びかけた。
『見ている』
ターネスは直ぐに応じた。
「直ぐに誰か回してください」
『もう遅い。ヘリは呼んだが、多分追いつかないだろう。その前に奴らは、野戦車を乗り捨ててしまう。先回りも出来ない。この辺りの道は入り組んでいるし、地の利なら奴らのほうがある。今回は奇襲だから何とかなったんだ』
素雪はターネスの言葉を聞き、ギシリと歯を噛締めた。だが、妥当な判断に思えた。
実際は、異なっていた。ターネスたちはそこまでこの辺りの地形に詳しくなかったし、日本はヘリを使用できないだろうと考え、野戦車もしばらくの間乗り捨てる気は無かった。
だが、ターネスも素雪もそれを知る立場には無かった。
「解りました」
素雪は言う。
『よし。後はそっちに任せる。吾妻曹長は……繋がるな。彼女の指示に従え。以上。終ワリ』
三佐はそう言うと通信を切った。
「残念だったな、素雪」
大和は短波無線でそう言って、慌てて無線を切り外部スピーカーに切り替えた。
「ああ。だが、仕方が無い」
素雪は言った。野戦車の去った方向を向く。先横転した野戦車が燃えているのが見えた。その野戦車から這いずり出てきたらしい男が一人、離れたところに転がっていた。まだ生きている。
「とりあえず、あの男を捕虜にとって話をしないか?」
大和は片腕を失っている男を指していった。
「いいね。吾妻三曹、ヴァレンシュタイン一曹。敵生存者を確認。確保します」