2017年 910

 

「で、俺に何をしろと?」

 都内のどこかにある狭い部屋に、三人の男が集まって鼎談していた。全員が自衛隊の制服に身を包んでいる。部屋の広さは八畳ほどで、窓は一つだけある。ただし、振動から会話を読まれぬよう鉛の含まれた摩りガラスになっている。部屋の壁は、盗聴など考えられないほど厳重な防諜措置が施してある。

 そんな部屋の中心に置かれたスティール製の安物の事務机を囲む男の一人、多少小太りの二等陸佐の階級を持つ男が言った。

「簡単な話だ」

 一等特佐の階級を持つ男――神谷雅俊が返す。

「不穏分子を探して欲しい。始末は……俺たちがする。なに、俺たちは人事にも顔が利くんだ。知っているだろう?」

 二佐の男は顔をしかめる。

「しかし、俺が手を出せるのは陸自だけだ。海自と空自は……ある程度はいけるが、将クラスになるとどうにもならん」

「安心してくれ」

 最後の一人の、一佐の階級をつけた男……川内が言う。

「そっちにはすでに手を打ってある。ほら、先月木宮海将補が退役……じゃなくて、退職しただろ」

「ああ。彼は何を?」

 二佐が訊く。

「統合運用に熱心に反対されていてね。まぁ、俺達にとってみれば迷惑この上ないよ。いや、仕方ないとも言えるね。彼は海幕だったからねぇ」

 なるほどね、と二佐は頷いた。

「ついでに、はねっかえりの始末もつけたいね」

 川内が言うと、神谷と二佐は微笑した。

「まったく。それじゃあ粛清だよ」

 二佐が言う。諧謔味を帯びてはいるが、けっして反対する風な口調ではない。むしろ、後押ししているようにすら感じられる言い方だった。

「はは。まぁ、ね」

 川内は曖昧に頷き、

「いや、むしろそうなんだろうね」

 と、続けた。

「まさに粛清なんだ。血を見ない、だけどね。邪魔なものはさっさと追い払うに限るよ。勿論、民意によってだけどね。その辺は、総理大臣や防衛省長官も味方に引き込んでるから安心してくれ。勝てば官軍だが、俺たちは勝つ前から官軍の地位を手に入れているんだ。総理大臣も防衛省長官も文民だからな」

「いやぁ、まさにまさに」

 二佐は感嘆を混じらせた声を上げる。

「やはり、君達の人脈は素晴らしいな」

「はは、そうだな」

 神谷は答えた。

「勿論その素晴らしい人脈の中に、君も入っているのだよ。麻丘」

 二佐――麻丘(あさおか)雁真(かりま)二等陸佐。防衛省情報本部に所属する優秀なエージェントは声に出して笑った。そして、揶揄するような口調で言う。

「嬉しい限りだね。今や全自衛隊を裏からコントロールしつつある特別師団の首席幕僚閣下にそう言ってもらえるとは」

 防衛省長官直属の特別師団の原型は、二〇〇四年に設立の決定された対テロ即応部隊、海外派遣部隊、そしてすでに習志野に駐屯地を持っていた優秀な空挺部隊、第1空挺団がそれに当たる。

 つまり、特殊な任務を帯びている部隊を全部一つにまとめてしまおうという発想の元設立された師団である。師団と称するのは陸自びいきで良くないだとか、特殊団に改名しろだとか面白いことを連呼する変な人々もいるが、今のところ正式名称は“特殊師団”である。

 任務は単純明快。国内のテロ活動に対処し、必要とあれば外国にでも赴く、自衛隊の中で唯一攻性な組織だ。その為、過剰なまでの火器使用権限と、それを取り締まる厳しいライン・スタッフが完成されている。川内のスタッフとしての霧島もまさにそんなところであった。川内は有能な人物だが、いささか危険すぎる。人事部はそう判断したが故、やはり有能だが川内よりは穏健的な霧島を首席幕僚としてつけたわけである。

 また、第4小隊が何の不自由も無く海外で活動を――それも、敵対組織構成員の殺害まで含むそれを――行えるのも、彼らに与えられた権限ゆえだった。

「おいおい、めったなことは言うものじゃあないよ」

 神谷はふざけた調子で返す。川内が、やはりふざけた調子で続けた。

「その通りだとも。我々がコントロールしようとしているのは日本国なのだから」

 場に失笑が広がる。やがてそれは爆笑に変わった。

「まったく……本当に……ハハ、滅多なことを言うものではないよ」

「全くだな」

 麻丘と神谷が相次いで咎める。勿論、話し方に真面目な部分など感じられない。

「まぁ、そうだね。古来、軍人が率いる国がまともだったためしがないからね」

 川内の言葉に、麻丘が諧謔味たっぷりに言う。

「まぁ、そうなのだがね。悲しむべきは、軍人の統治する国はまともではないが、軍人が統治していない国ならまともだということも少ないことだね。ソ連とか」

「おいおい、最後の一言は国際問題だなぁ。一応俺たちは、ソ連と講和しているのだよ」

 神谷が言うと川内が、

「じゃあなんだろうか? 最近関係の悪化している韓国の悪口でも言おうか?」

 と、例に漏れずふざけた調子で言う。

「莫迦なことを言うものではないな。俺たちは、その悪化を適当なところで食い止めて、戦争を未然に防ぐことこそが大切なのだよ」

 神谷はそこそこ真面目な声でたしなめた後、いや、まぁ、と口ごもり、

「まぁ、平和よりましな戦争も存在するのだけどね」

 と、付け加えた。場に再び失笑が広がる。

「しかし、内部が不安定だと戦争が平和に比べてましなのかそうでないのかも判断がつかなくなってしまうな」

 気を取り直して神谷が言うと、川内はあきれを含ませた声で答えた。

「何を言っているんだ。その為の粛清だろう」

 麻丘は吹き出し、いや全くそのとおりと答えた。

「そして、そこで俺たちが活躍するわけか」

「いいねぇ」川内は言う。

「なんとなく、後世の人々の判断が気になるよね。当時の日本軍事を裏から操った男とされるのは間違いないだろうが……」

「好意的に取られるか、それとも……か?」

 麻丘が言うと、川内は首肯する。

「ああ、そのとおり」

「個人的な希望では、好意的にとってほしいねぇ」

 神谷が言う。

「何を言っているんだ。そうとられるよう、俺たちが国を変えていくんだ」

 川内のその言葉に、神谷と麻丘は頷いた。

「大切なのは世論だな」

 麻丘は言った。

「彼らが反発せぬよう、コントロールの必要がある」

「君の仕事だろう?」

 神谷が言うと、麻丘は首を横に振る。

「残念だが、君達も知っているだろう? 防衛省情報本部は軍事的な諜報活動、防諜活動は大得意だが、民衆の心を読むのは苦手なのだよ」

 全くそのとおりだった。防衛省情報本部はあくまで、自衛隊の為の情報を収集するのだ。内閣情報局や公安6課、公安9課といった情報収集、戦略分析、国内テロ鎮圧に長けた部隊と密接な交流を持っているのは、全て自衛隊のために他ならない。

「そういうのは、内閣情報局にでも任せてくれ」

「ああ、そうしてある。あそこは内閣官房長官の下だから、充分に動かせるんだ」

 麻丘の言葉に、神谷は答えた。

 内閣情報局……中でも戦略情報調査室などは、日本国内及び国外に対して無節操ともいえるほどの量・種類の情報を収集している。また、それを活用する手段にも事欠かない。情報を操ることにより日本の国際的立場を上昇させ、世論を操作することによって日本を強固な国にし、弱みを握ることによってあらゆるものを好きに動かす。

 まさしく、アメリカのラングレー(CIA)の如き組織だった。内閣官房長官直属の組織と言うその立場も、いかにもそれっぽい。

「郷田という男がなかなか有能なのだよ。彼に任せれば、世論誘導は完璧だろう」

「まぁ、君達のことだから」

 神谷の言葉を受けて、麻丘が言う。

「政財界にも話を通すつもりなのだろう。得をするであろう者は抱き込み、損をするであろう者は……言うまでも無いな」

「全くその通りだよ」

 川内は大げさな動作で肯定する。

「まったく」

 麻丘は呆れ顔で、ため息の代わりの言葉を放つ。

「君達といると、どうしても陰謀論者になってしまう」

「よく言うよ」

 川内はふざけた調子で返した。

「まったくだ」

 神谷も同じくだった。

「陰謀なのは認めるがね。私から言わせれば、逆賊死すべし、なのだよ」

「逆賊、逆賊ね」

 麻丘は神谷の言葉を反復する。

「では、君が逆賊と称した者を逆賊とする根拠はなんだい?」

「まぁ、私の主観的なもの、としか言いようがないがね。身勝手だと思うかい?」

「思う」麻丘は即答する。

「思うね」川内も言った。

 神谷は盛大にため息をつく。

「と、言うのは半分本当だがね。正味な話、これは上からの命令なのだよ」

 麻丘はふぅんと頷く。

「上、か。何処だ? 防衛省長官か?」

「いや」

 川内が否定する。彼も、この“粛清”命令が誰から発せられたか知っていた。

「それより上か? まさか、天皇陛下?」

「冗談だろう」

 神谷は遊ぶような口調で言う。

「皇族の方々に(まつりごと)や軍事をどうこうする権限は無いのだよ。七十年前からね。陛下は我ら国民の象徴で在らせられるのだから」

「まぁ、それは冗談だけど。てか、と言うことは……」

 麻丘が嫌そうな顔をして言葉の続きを神谷に任せる。神谷は冷笑を浮かべて言い放った。

「そのとおり。内閣総理大臣。我らが最高司令官……じゃなくて、総指揮監督官」

 麻丘は青汁をジョッキで一気飲みでもしたような表情を作る。

「それって、自衛隊の私兵化にも思えなくも無いけど」

「まさか」

 神谷は両手を横に広げて否定する。

「全くだね」

 川内が言葉を発した。

「本来自衛隊は内閣総理大臣の下にあるべきなんじゃないのかい?いや、まぁこれは今回関係ないから除外だね。要するに我らが総指揮監督官閣下は無駄を省くことをお望みなのだよ。人員上の無駄ではない。命令系統の、だね」

「公共機関でもリストラをやるわけか。まぁ、終始雇用が崩れ去った今の世の中、流行に乗ると言えばそうとも思えるけど」

 麻丘はそういってから、一度ため息をつく。

「冗談はこのくらいにしようか。つまり、自衛隊統合のメリットはそれなわけだ」

「お前ならわかるだろう」

 神谷は真面目な顔で言う。神谷だけではなった。麻丘も川内も、表情が真剣そのものだ。

「統合自衛隊の設立が如何に重要か。まさか、樺太を忘れたわけではあるまい」

 麻丘は、彼が未だ第7師団第72連隊に所属し、九〇式戦車を乗り回していた時代を思い出した。

 

 

 樺太。季節は夏でも、やはり寒かった。北海道の駐屯地で寒さには慣れていたが、厳しくないわけではない。

 そんな中、陸上自衛隊第7師団第72連隊は進んでいた。雪を掻き分けるようにして、低い姿勢の九〇式戦車が一五〇〇馬力のディーゼルエンジンの咆哮を唸らせる。一二〇ミリの主砲は、立ちふさがる敵を全て粉砕すべく、悠然と構えられていた。口径は四四口径。主砲を五二口径一二〇ミリ滑腔砲に変換し、砲塔前面に山形の追加装甲(ショト装甲とは微妙に違うらしいが、外見からは判断がつかない)を取り付けた九〇式改一型、未だに九〇式戦車は全てがそれに――まるでレオパルト2A6のような姿に改造されたわけではなかった。

 時刻は既に午後六時の夕刻。寒さはさらに厳しくなっている。だが、その寒さの中に体を曝さねばならない人間もいた。

「中隊長」

 連隊第2中隊本部に属する、第72連隊のエンブレムである起動輪と馬をあしらったマークをつけた九〇式戦車に乗った麻丘一等陸尉は、呼ばれた方を振り向いた。彼が防寒着を着ていてもなお寒い中、戦車の車長用ハッチから体の半分を外に出していた理由は、周囲の監視に他ならなかった。

 彼を呼んだのは彼の戦車の砲手だった。

「何だ?」

 麻丘一尉は周囲に視線を配ったまま答えた。

「また、敵が来るんですかね?」

「どうかな?」

 とぼけたように、麻丘は答えた。

 彼の中隊はもう三度ほど実戦を経験していた。最初の二回は北海道で、次の一回は樺太に揚陸する時に。その三度の実戦は、彼の部下たちを非戦の軍隊自衛隊から、本物の兵士へと変化させていた。しかしながら、いやだからこそ、彼の部下は戦闘を、戦争を嫌っていた。もともと軍隊とは戦争を(“戦闘”ではない)嫌うものだが、彼の中隊は実戦を経験していないため(彼の中隊には平和()維持()活動()に参加したメンバーはいなかった)、その思いもどこか抽象的なものがあったのだ。そしてそれが、兵士と自衛官の違いだった。

 だが今、その二つは統合された。今の彼らは誰よりも戦争を嫌い、しかし戦場においては誰よりも勇敢だ。

「奴さんたち、ここを落としたら樺太を失うからな。正念場なんじゃないのか?」

 麻丘の言うことは事実だった。多国籍軍(正しく表現するなら日米連合プラス豪軍に近い)は一昨日、樺太の州都たる豊原市を落とし、ソ連の三個戦車連隊を壊滅させて進撃していた。樺太に残されたソ連の部隊は、たった一個連隊戦闘団にすぎない。増援は送れない。樺太とユーラシア大陸を隔てる海は、制海権も制空権も多国籍軍が握っていた。いや、ある意味、ソ連の部隊が樺太に取り残されているというのが正しい表現なのかもしれない。

 そんな彼らがこんな場所で動けないでいるのは、命令の混乱が原因だった。大泊に強襲揚陸して以来、いや、北海道で抗戦に成功し、反撃に移って以来、全ての作戦があまりにも順調に進みすぎたため、自衛隊と米軍の連携が上手く取れないでいるのだ。

おかげで、麻丘の指揮する戦車中隊(正確には特例として普通科小隊三個と各種支援部隊をその指揮下に組み込んでいるので、増強中隊だ)は、こんな場所で待ち惚けを食らっていた。こんな場所とはつまり、豊原から五十キロほど北上した地点にある、山林の少し開けた場所だ。

 

麻丘の、戦車用ヘルメットと一体化しているヘッドセットのレシーバーから通信音が響く。連隊本部からだった。

「サッポロ、サッポロ、クシロ6。北西に大規模な赤。座標はA1−B2だ。状況112。交戦を許可する」

 交戦を許可する。少し前の自衛隊ならば考えられなかったような言葉。だが、戦争開始から既に一ヶ月あまり。誰もが戦争というおのに対して正直になっていた。

 ちなみに、赤とはソ連赤軍を、状況112とは通常兵器戦闘公算大を表す通信(ラジオ)符牒(コール)だ。

「クシロ6、サッポロ。敵の規模と装備は?」

「規模は一個増強戦車大隊。保有戦車はT80U(M)がほとんど。不正確な情報によれば、一部T90もあるとの事だが、まぁ、デマだろう」

 大隊本部の通信要員は気楽な声でそう言った。彼の言葉には信憑性があった。T80U(M)はガス・タービンエンジンだが、T90はディーゼルエンジンだ。同じ大隊で扱うには、整備の手間がかかりすぎる。まともな戦車部隊なら、少なくとも連隊規模までは戦車を統一するのが普通だからだ。

 それはともかく、敵は精鋭であろう事は予想できた。T80シリーズの最新作で、ソ連国内ですらその配備数は多くはない。T80よりも後に開発されたT90は、所詮輸出向けモデルT72のアップグレードヴァージョンであるからだ。これらは、ソ連製戦車全てに共通するように、防御面で幾つかの欠点を持っていたが、まぁ優秀な戦車といえた。

 最新の戦車であるチョールヌィ(ブラック)()オリョール(イーグル)に比べればその能力は劣るとしか言えない。しかし、陸軍の精鋭部隊がほとんど欧州戦線に投入されているソヴィエト陸軍がアジア方面に投入している戦車部隊としては、充分以上に強力な部隊といえた。

「歩兵の様子は?」

「自動車化狙撃兵部隊が最低でも二個中隊。おそらく、三個中隊はいるんだろう。六〇〇人だ」

「後方支援は?」

「奴ら、後がないからな。こんなところで武器弾薬を温存するとは思えんよ」

 そりゃそうだな。麻丘は内心で悪態吐いた。一個大隊の充分以上の戦力を持った戦車部隊に対し、一個中隊の戦車部隊で対抗か。はは、面白くなりそうじゃないか。

「で、うちの後方支援は?」

 麻丘は本題を切り出した。通信要員は罰の悪そうな声で言う。

「ああ、要請はしてるんだが、どうも上が混乱していてな。海幕と空幕が渋ってるんだ。とにかく、特科大隊の支援は何とかなるだろう。一五五ミリ榴だから、それなりの阻止効果は期待出来るはずだ。観測班はいるな?」

 麻丘はああ、いるぞと答えながら、それを聞いて全てを理解した。海自と空自は、基本的にその上の幕僚監部が動かしている。陸自の隊員が海自や空自に支援を要請するには、一度上まで上げて、統幕を通して部隊を動かさねば成らない。もちろん、一応いろいろと抜け道は用意してあったが、官僚機構のせいか、どうも上手く機能していなかった。アメリカ軍がどうにか何とかしようとしているが、そんなことに屈する日本官僚ではなかった。

「そうか」

「そうだ。すまない」

「いや、君が謝ることじゃない。ありがとう。クシロ6、オーヴァー」

「幸運を」

 通信が切れた。麻丘は少し考え込むと、直ぐに顔を上げ、ヘッドセットのスイッチを操作して中隊へ通信を繋いだ。

「クシロ06より中隊全部隊へ。北西に大規模な赤。規模は大隊戦闘団。電波(EM)管制(CON)は解除。ただし、敵接触までは発信禁止。戦闘態勢を取れ。以上(オーヴァオ)

 通信を終えると、彼は素早く車内に滑り込み、ハッチを思い切り閉じた。部隊は、支援部隊を含めて戦闘配置を完了していた。運のいいことに、北西方向に向けてだった。これは偶然ではなく、今までに得られた情報から、敵はそっちから攻撃してくる可能性が高いと予想をつけたのだった。というか、後方に回り込まれる可能性はまずなく、北方には森林が、東方には友軍(第72連隊第1中隊)が存在したから当然だった。

 車内へ入った麻丘は、とりあえず置いてあった地図を確認し、座標と敵の位置を合わせる。うん、敵が順調に進行するなら三十分足らずで接触するな。

 彼がそう考えていると、足元から一二〇ミリ離脱装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)をラインメタル製滑腔砲に押し込む自動装填装置の難い金属音が響いた。これで、自分が命じるだけでいつでも戦争を始められるということだ。

 彼は時間を計り、座り心地が良いとは絶対に言えない小さな車長用の椅子に体を預ける。もし不意な敵が来たとしても、他の部隊にも見張りはいる。車内の暖かさが、冷えた上半身に心地よかった。九〇式は、雪国での運用を前提に開発された為、対人用のヒーターが装備されている。ちなみに、クーラーは精密機械用のものだけ装備されている。

 彼は椅子の上で、何故自分がこんな場所に送り込まれねばならないのか考えた。ちくしょう、全てソ連のせいだ! 戦わぬはずの自衛隊が戦争をするなんて! 彼は心の中でソ連とアメリカに対して思いつく限りの罵りを漏らした。この時彼は、一年後に自分が中華大陸で中共に対して同じ事を行うことを知らない。

 ヘルメットのレシーバーにノイズが響いた。続いて人の声。

「中隊長」

「何だ」麻丘は短く応じた。

 彼の部下だった。麻丘の右前方に、適度に汚された白い布と赤外線回避用ネットでカモフラージュして展開した同じ九〇式に乗っているはずだった。

「赤外に反応。偵察部隊と思われます。車輛が五。威力偵察部隊でしょう」

「わかった。やり過ごせるか?」

「ここへ来られれば無理でしょう。ですが、中ほどまで誘い込んで一気に殲滅できる程度の規模です」

「よし。合図と共に一斉攻撃だ。普通科中隊へもそう伝える」

 麻丘は言い終えると、通信機を切った。車内員に告げる。

「と、いうわけだ。いつでも撃てるようにしておいてくれ」

「解ってますよ」

 麻丘の横にある席に座る、彼との付き合いの長い砲手は軽い口調で言った。まだ二十代だが、陸自の少年工科学校出で、階級は二曹。優秀な男だった。その口調に反し、表情は真剣そのもので、顔は照準機から、手はグリップから離さない。当然、配属されてから直属の上司がずっと麻丘だった。

「赤外に反応があり次第、発射します」

「了解」

 麻丘は、次に運転手を見た。歳はやっぱり二十歳前後だが、階級は一士。高卒で自衛隊に来た男だが、決して頭が悪いわけではなく、悪化する対中関係を見て、らしい。そんな彼が、凍った大地でソ連軍と戦っているのは皮肉としか言いようがない。

「どうだ?」

「平気です」

 初戦の時は、緊張のあまり一瞬運転の手を止めてしまった彼だが、今は完全に落ち着いている。いや、それらは彼だけでなく自衛隊全体に言えることだった。戦闘経験が、彼らを“自衛官”から“軍人”へと変化させていた。

「分かってるな」

「ええ。発見された場合にのみ、ですね」

「よろしい」

 麻丘は優しく言うと、表情を引き締め、車長用のペリスコープから外をのぞいた。雪中で凍った地面を掘り、車体をほとんど穴の中に置いた九〇式から見る外の世界は、白く染まっていた。

 だが遠くのほうで僅かに、空気が汚れているように見える。他の九〇式ではない。排気にまで気を遣った九〇式は、排気口に重量増加を覚悟で小型の排気処理装置を装着している。が、効果は抜群だった。ただ単に排気で外気が黒く染まらないだけのみならず、赤外線を減らす効果も生み出していた(砲塔の旋回を邪魔しないように取り付けるのが大変だったのだ)。

「来ましたね」

 砲手が言った。ゴクリと、唾を飲み込む音がした。感度の良いマイクが拾ったのだ。戦い慣れても緊張しないわけではない。

「ああ。装備は……BRM−3<ルィス>が一輌、BMP−3が三輌か。一個小隊といったところだな」

「敵部隊は増強大隊規模ですから、妥当では?」

「そうだな」

 麻丘は頷いた。増強大隊ならば、中隊規模の偵察部隊くらい持っていてもいいようなものだが、ソヴィエト式に人命を重視していないか、もしくは戦力が不足しているのだろう。後者の方がそれらしい。現場では、指揮官の手元にある戦力が常に不足してしまうからだ。

「厄介ですね」

 足元の方から運転手が言った。

「敵か?」

「ええ」彼は運転手用の窓から眼を離さず言った。

「ルィスの方は三十ミリ機関銃を装備した最大速度七十キロくらいの偵察車ですが、通信装置が充実してます。衛星通信まで備えていますから、ここで敵部隊を撃破した場合、すぐに場所がわれますよ」

「衛星通信は米軍が妨害していると聞いているが……どうだろうな? 近くのEC−1にでも連絡付けておこうか」

「ええ、それがいいと思います。それにBMP−3、あれも危険です」

「兵員輸送車だろう?」

「歩兵戦闘車です。FVみたいな」

 FV……八九式装甲戦闘車のことだ。FVというのはInfantry Fighting Vehicleつまり歩兵戦闘車の略で、米軍のM2<ブラッドリー>歩兵戦闘車や英国のFV510<ウォーリア>歩兵戦闘車(これが一番八九式に近い)、それから今目の前にいるBMP−3歩兵戦闘車などが代表的だ。定義としては、兵員輸送車としての機能を持ちつつ歩兵の援護戦闘を行えるだけの武装・装甲を持つ車輛ということだ。例えば八九式は三十ミリ機関銃を持ち、七名の普通科隊員(運転手、車長、砲手を入れると十人で、普通は普通科一個班がこれ一輌を割り当てられる)を搭載することが出来る。もっとも八九式は、どうも機能を詰め過ぎたという感じがあり、隊員からの不満の声も少なくない。曰くガンポートは不要だとか、排気が充分でないとか、浮力が欲しいとかである(主力戦車たる九〇式に浮力が無いのだから、それに追随する為の八九式に浮力は要らないはずなのだが)。もっとも最大の問題は、(全ての自衛隊兵器と同じように)価格が高価なことであるのだが。一輌七億円弱は、歩兵戦闘車としては異常である。何せ、主力戦車(MBT)並みなのだ(もっとも戦時と化した今は、量産が急がれ、価格は半額以下に下がっていた)。

 ちなみにこの八九式装甲戦闘車には、ライトタイガーという誰も使わない愛称がついている(普通は、先の砲手のようにFVと呼ぶ)。

 運転手が徐々に迫ってくる敵を見ながら、口を挟んだ。

「こっちは戦車ですよ。三十ミリやそこらでやられたりはしません」

「そうもいかんのだ」

 麻丘は前に読んだ各国の主力兵器の本を思い出した。あれは民間の本だったが、なかなかよく纏めてあった。

「BMP−3が装備する武装は一〇〇ミリ砲、三十ミリ機関砲、対戦車ミサイルだ。加えて、高性能な火器()統制()装置()をも搭載している」

「一〇〇ミリ!? T55並みじゃないですか!」

 運転手が驚いたような声を出す。おそらく、表情も同じだろう。

 T55とは、ソヴィエト製の主力戦車のことだ。最新型のチョールヌィ・オリョールに比べれば半世紀以上前の遺物だが、第一世代主力戦車に属する立派な戦車であり、今でも一部の地域(北朝鮮やらチェチェンやら)では第一線で活躍している優秀な戦車である。もちろん、両方とも未だにT34中戦車(第二次世界大戦中、独ソ戦で大活躍した当時の優秀戦車。ドイツの4号戦車以下に圧倒的に打ち勝ち、ドイツが5号戦車<パンテル>や6号戦車<ティーゲル>を生み出す原因を作った戦車)を第一線で使用しているという涙腺を刺激するような現実を度外視すれば、の話であるが。もっとも、信頼性が高いのは事実だ。その分、戦力は……だが。

「ああ。しかも、主砲弾搭載数はT55より多いらしい」

「新しい分、主砲性能は上がっていると考えていいかな」

 麻丘の問いに、砲手はおそらく、と呟いた。

「だが、その分装甲は薄いんだろ? いや、今見えてるあれが複合装甲を装備したヴァージョンじゃなければの話だけど」

「ええ。間違いないでしょう。砲塔を複合装甲にしたものは、アラブ首長国連邦(UAE)にしか配備していません」

「UAEって日本の友好国じゃありませんでしたか?」

「ロシアも日本の友好国だったんだよ、数ヶ月前まで……ああ、来たぞ」

 運転手の質問に答えた後、麻丘は注意を促した。

 敵の偵察小隊――偵察車一輌、歩兵戦闘車三輌からなる――は今、麻丘たちの眼前に達しようとしていた。麻丘車はどちらかというと後方のほうにいるから、もう直ぐ中心に達するということだ(指揮官は前線に出て戦うより、指揮に集中すべきなのだ)。敵偵察小隊の移動速度は毎時二十キロほど。最高速度七十キロから考えればかなり遅いが、それだけ警戒しているということだろう。偵察部隊とは移動しながら偵察するのではなく、ある地点へ移動して、そこに留まって敵部隊を偵察(自衛隊用語で言う観察)し、情報を充分に収集したらさっさと撤収するのが任務だからだ。ならば、道中は出来るだけ急いだほうがいい。

「まだだぞ」

「わかってます」

 砲手は答え、舌なめずりをして見せた。敵を撃破するのが楽しみというよりは、強がっているように見える。

 麻丘は車長用ペリスコープの中に映る敵車両を見た。後方の兵員輸送車……じゃなくて歩兵戦闘車には何人乗ってるんだろうか? FVと同じならば車両用に三名、普通科……もとい、歩兵が七名のはずだが。似たようなものだろう。前の偵察車には、まぁ六名くらいだろう。あわせて三十六名か。つまり、俺が命令した時点で八十八人が死亡するわけだ。まったく、日本国内なら大量殺人鬼だよ。いやいや、俺は今更何を言ってるんだ。前の戦闘で俺は、敵の歩兵に多目的榴弾(HEAT−MP)を撃ち込みまくったじゃないか。あれで何人死んだ? 百や二百じゃ追いつかないぞ。

 麻丘がそんな風に考えていると、敵車輛四輌がちょうど良い位置に入ろうとしていた。よし、頃合いだな。麻丘は通信装置のスイッチを切り替えた。

「五秒後に攻撃開始」

「はい」砲手は安全装置を外す。

「四……三……」

 二……一……。

撃て(TE)!」

 麻丘の号令とほぼ同時に、九〇式の主砲から閃光が走る。次の瞬間、麻丘の視界が紅く染まった。理由の一つは、夕日だった。紅い陽光は白い雪に反射して、戦車のペリスコープいっぱいに入り込んでいた。

 だがそれよりも強い理由があった。毒々しい赤色を放って燃える、ロシア製の歩兵戦闘車がそこにあった。

 麻丘はその光景が与える感情的変化強要を心の片隅に追いやり、自衛官としての任務のみに集中した。炎上している車輛は四輌。砲弾が誘爆し、燃料が炎上したのだろう。どす黒い煙が上がっている。不味いな、と麻丘は思った。煙で位置を暴露されてしまう。いや、関係ないか。高性能通信装置と衛星ナビ(GPSか?)をつけた車両を撃破すれば、その時点で場所は割れる。一応電子()妨害()手段()は使用しているが、それが常に効果を持つとは限らない。

 麻丘は再び撃破した車輛に集中した。動く者が見られたからだ。人間……間違いなかった。大火傷をしている者、大怪我をしている者、だがいずれにせよ生きていた。そこまで重症でない者もいる。下半身がなくなり、それでも死ねない生命の強さと残酷さにのた打ち回っている者もいる。

 だが今度は、麻丘はその一年前の東京の日本人なら気絶しかねない光景から直ぐに意識を逸らすことが出来た。倒れている者たちのうち、比較的軽症な者が自動小銃(AK47)を構え、自分たちの方へ発砲してきたからだ。

 言うまでもなく、小銃弾など戦車の脅威足りえない。だが、こちらが攻撃を受けていることは事実だ。

「反撃。機銃で殲滅しろ」

「はい、一尉」

 砲手は感情を消し去った声で了解した。怒気や哀愁は含まれていない。どんなに相手が惨めであろうと、相手が明確な敵対行為を行い、加えて敵性勢力である場合、それは殲滅すべき対象なのである。それに、だ。砲手は思った。もう何をしても助からないだろう奴らもいる。そいつらに対しては、むしろ、殺してやる方が救いというものじゃないだろうか?

 中隊本部第1車輛砲手梶惣一(かじそういち)は、そういう思いで自分の葛藤に決着を付けた。そうだ。助けるんだ。ゆっくりと、同軸機銃の引き金を絞った。

 麻丘は、自分の車輛以外に攻撃命令を出さなかった。必要ないと思ったし、こういう汚れ役は、自分の仕事だと思った。出来ることなら、自分で始末を付けたかったくらいだ。だがそれには、現実論が立ちはだかった。敵の銃弾が飛んでくる中、上部ハッチを開けて車載機関銃ブローニングM2のグリップを握るなど危険極まりなかった。彼の車輛は、先ほど述べたように改良型ではないので、内部からリモコンで機銃を操作することは出来ない。

「敵、殲滅しました」

「確認した」

 麻丘は、先からずっとペリスコープを覗いたままだった。もちろん、九〇式の七四式機関銃から放たれた七・六二ミリNATO弾がカラシニコフを構える敵を引き裂いていく姿は彼の脳内に残っていた。

「普通科に残りを頼む。反対側にまだいるかもしれない」

 そう言うと、麻丘は通信機で自分たちのほぼ反対側にいる車輛に射撃を命じた。主義主張もここまでが限界だった。戦車にとって必要不可欠な随伴歩兵――中隊付普通科を簡単に減らすわけにはいかない。

 主義主張よりも被害極限が要求される。それが戦争の掟だった。もちろんそれは、不戦の軍隊自衛隊においても何の違いもない。彼らが戦争をする限り。

 

 

 麻丘は思い出に注釈をつけた。

 あそこまでは良かったんだよ。

 自体が急変したのは、敵本隊に接近された時だった。

 

 

 頭上を、音速を越える金属の塊が通過してゆく。内部に人間を殺傷する為の物質を大量に詰め込んだ、人を殺すためだけに作られた工業製品だった。だがそれは、今の麻丘にとって、非常にありがたみのあるものだった。

 二十キロほど後方にいる九九式一五五ミリ自走榴弾砲を装備した特科中隊の砲撃した砲弾は、彼らが無線で、

「弾着、今!」

 と言った瞬間、寸分違わず地面の数メートル上空でその信管を作動させ、炸裂した。ミリ波シーカーを備えた対戦車用トップアタック用榴弾ではない。そのような武器は、自衛隊においては(いや、世界中どこでも)費用対効果の上で非常に高価な兵器で、無闇に消費することは出来ない。

 麻丘は道の向うの彼からは見えぬ場所から、煙が立ち昇るのを見た。

「良好だ、ルモイ2」

「ああ、知っているよ」

 何故二十キロメートルも後方にいる特科中隊――ルモイ2が、自分たちが麻丘中隊(クシロ6)に向けて接近する敵戦車大隊に向けて放った砲撃の様子を手に取るように分かるかと言うと、麻丘中隊に彼らの観測員が配備されているからだった。高性能無線機と測量装置を持った彼らは、砲撃の効果の程と要修正箇所を逐一特科中隊に報告していたのだ。長距離火砲を有する部隊ならたいていどんな部隊でも行う平均的な弾着観測法だった。ちなみに、無人機を使用した弾着観測は、米軍でさえ、未だ実用に至っていない。一見便利そうに見えるその機械だが、リモートコントロールの場合、かなりの確立で、ECMにやられてしまう。それが、味方が行っていたものだったりするのだから、救われない話だった。かといって、何もかもをプログラミングしたのでは時間がかかりすぎる。結局、必要な情報を入力すれば自動的に偵察を行い、敵の様子をカメラやレーダーで記録し、本部でその情報を出力するという手法が取られることとなったが、その開発のキィとなる高性能AIが、未だ開発されていないのだ。

「だが、完全には防げまい」

「気にしないでくれ。それが普通だ」

 麻丘は言った。普通、砲撃で敵部隊の進撃を遅らせられることは滅多にない。砲撃とはつまり面制圧であるから、その命中率は決してよくない。通常、戦闘部隊が“戦力を失った”とみなされるのは、その戦力の四十パーセントを喪失した時だ。敵が進撃を諦めるような損害なら、戦力の十パーセントといったところだ。だが、砲撃でそれだけの損害を与えるのは難しい。

 一つ麻丘にとって良いことは、敵が進撃している場所が細い山道のようであるということだ。これだけ幅が狭いと(とはいっても、戦車が五輌くらい横に並んで平然と通れる)、簡単に散開することが出来ず、砲撃の集中力を高める結果になってしまうからだ。砲撃の集中力が高まれば、当然降り注ぐ弾の量も増え、敵の損害も増える。

 だがそれでも、敵に十パーセントの損害を与えるのは難しいかもしれない。運良く与えられたとしても、おそらく敵は引かないだろう。理由は簡単だ。彼らには引く場所が残されていない。

 そうこうしているうちに、前方から数台の車輛が走行してきた。敵ではない。八七式偵察警戒車を主とした特科の観測部隊だった。彼らが逃げてきたということは、もう敵はそこまで来ていて、加えて特科の援護は期待できないということだろう。仕方の無いことだ。敵と味方がここまで接近してしまうと、誤射することが少なくない。繰り返すが、彼らには精密誘導兵器は与えられていないのだ。砲兵とは元々面制圧を目的にするのだから、それに対して文句を言っても仕方が無い。

「ルモイ2、クシロ6。すまないが……」

「ああ、解ってる」

「本当にすまない。武運を。オーヴァー」

 通信が切れた。麻丘はやり切れない思いでスイッチを切り替える。全く、海自と空自は何をしているんだ。

 もちろん彼にも、幕僚監部やら防衛庁やらが混乱しているのは解っていた。それのおかげで、対地精密誘導二〇〇〇ポンド誘導弾(GCS−2)での対地攻撃準備が済んでいるだろう空自のF−2支援戦闘機(ヤーボ)や、既にGPSで位置情報を摑んでいるであろう戦術トマホーク(TAC/TOM)を搭載した海自の護衛艦が、自分の援護を出来ないことも。

 理解は出来る。だが……。

「納得はできんよな」

 麻丘は呟くように言った。マイクは手で覆っている為、他人に聞かれることはない。おそらくは。

「全員、戦闘準備」

 麻丘はマイクから手を離していった。通信機は車外通信モードにしてある。極短波を使用した近距離通信だから、音はクリアだ。長距離通信が出来ない極短波も、こんな近距離で使用するなら、傍受の危険も減らせてむしろ有効なのだ。

「装填」

 梶が言いながら、自動装填装置を作動させる。埃一つにすら反応すると言われたそれの安全装置は、感度を下げてある。弾丸は問題なく装填された。補給は先ほど済ませたので、弾倉には、一二〇ミリ滑腔砲弾が十八発いっぱいまで収まっている。最初から薬室(チェンバー)に一発装填しておけば、車体内から補充弾を取り出すことなく十九発発射できるのだが、安全上の問題からそれは禁止されていた。もっとも、律儀に守る者が何人いるか分からないような“禁止”だったが。

 麻丘はペリスコープから外部を観察した。先ほどと似たような細い道だが、ソ連軍偵察部隊を撃破した場所ではない。あの場所は既に放棄して、後方にある予備陣地に移動していた。こういうものに予備を作っておくのは、常に冗長性を確保する必要のある軍隊において当然の行為だ。自衛隊は軍隊ではない? 知ったことか。

 履帯(キャタピラ)の跡は既に見えなくなっていた。雪が降っているからだ。こういう場合、雪国というのは便利だ。これが泥濘だと、こうはいかない。その上、戦車の速度まで下がってしまう。

 しばらくすると、丸っこいシルエットの戦車砲塔が見えてくる。間違いない。ソ連のT80U戦車だ。排気は見えない。ガスタービンエンジンは黒煙を吹かない。その分排気量は大きいが。

 麻丘は通信をオンにした。

「クシロ06より観測班。敵兵力は?」

 上空を飛んでいるOH1を装備した観測班からの報告は直ぐに届いた。つまり、この場所が一番重視されているということだ。敵味方双方から大人気なわけだ。嬉しくなどない。

「クシロ06、敵兵力はT80戦車五十輌前後、歩兵戦闘車四輌、装甲兵員輸送車十二輌、トラック数台。轍は浅くないぞ」

 一個戦車大隊プラス二個自動車化狙撃兵中隊、といったところか。麻丘は中りをつけた。兵員輸送車に兵員が満載されているかどうかは、この際無視する。とにかく、ソ連でも精強な戦車が五十輌、歩兵が一六〇人くらいいるということだ。轍が浅くないということは、トラックには何かしら満載しているということだ。人員か、輜重物資か、地雷か……。いや、壊してから確かめればいいことだ。はは、楽しくなりそうだ。こっちは戦車十二輌、普通科六十人ちょっとの増強中隊だというのに。ちくしょうめ。

「ヘリの応援は頼めるか?」

「すまない、無理だ。AH1S(コブラ)AH60DJ(ロングボウ・アパッチ改)も出払っている。空自のF2に支援を要請しているらしいが……」

 口調から判断するに、未だに上は揉めているらしかった。麻丘は、思わず昔見たドラマか何かの台詞を思い出す。事件は会議場で起きてるんじゃない、現場で起きているんだ! 戦争もそうなんだぜ、ちくしょう。だいたい、こういうときのための“支援”戦闘機だろうに。いや、空自の奴らに文句を言っているわけじゃないが……。

「了解。クシロ06、オーヴァー」

 麻丘は素早く無線機のセレクターを切り替え、隊内通信に変える。目は敵部隊にあわせたままだった。よぉし、そろそろだな。

「クシロ06より全車。射撃開始、やれ!」

 彼が言うと同時に、隣の砲手は引き金を引いた。既に装填されているAPFSDSが発射される。閃光、轟音、一瞬の間、そしてまた閃光と轟音。麻丘が視界の先の風景を知覚し、その状況を理解するまでに感じたものはそれだった。そしてそれらは、敵部隊に弾丸が命中したことを示していた。

 麻丘は“命中弾”という状況を吟味し、“全弾命中、敵戦車九輌撃破、装甲車輛四輌撃破”という情報に昇華させた。これだけ命中を出せたのは、敵が密集していたおかげだろう。何故密集していたかは解らない。おそらく、砲撃が終わって戦闘を予感し、火力を集中する為に密集したのだろう。だが、それが命取りとなった。

「初弾命中。照準宜しい。敵殲滅。各自任意に射撃! 射撃を継続しろ」

 最後のは自車に宛てたものだった。梶は言われる前に、二輌目の敵を照準していた。自動装填装置も、装填を完了していた。上官からの許可もある。発砲しない理由はなかった。梶は必死に反撃しようと砲塔を旋回しているT80戦車の丸っこい砲塔、それが乗っかっている側面との繋ぎ目に照準をつけ、発砲した。

 麻丘は車長用のペリスコープからその様子を見ていた。同じ戦車に側面と背面から同時に命中し、内部の砲弾が誘爆して砲塔ごと吹き飛ぶのが見えた。

 これが、九〇式の欠点だと麻丘は思った。米軍式のデータリンクシステムが装備されていない為、どの戦車がどの敵を狙うなどの情報が交換できない。よって、同じ敵を攻撃してしまうなどのミスがありえるのだ。確かに敵の撃破確度は上がるだろうが、現代戦車のシステマチックな照準装置と、陸上自衛隊の練度が合わさったならば、たいていの敵は初弾命中・初弾撃破なので、むしろ弾丸の無駄な消耗と言ったほうが正しい結果となる。ただでさえ九〇式戦車は、諸外国の戦車と比べて携行弾数が少なめなのだ。

 とはいえ、第三射目までは実に快調な攻撃だった。重複した敵を攻撃してしまったのは全部で三回。十二輌しかいない戦車でこの回数は、多いのか少ないのか微妙だ。結局この時までの合計撃破数は三十三輌。戦車が二十三輌、歩兵戦闘車が一輌、装甲車が七輌、トラックが二輌。加えて車輛同士の衝突で失われたトラックが三輌、装甲車が二輌だった。

 敵の反撃はその時始まった。やっとのことで発砲方向を特定した戦車が、発砲したのだった。弾種はおそらくAPFSDS。狙いはそこそこ正確だった。敵戦車が発砲した方向には、九〇式戦車が隠れていたのだ。だが、弾は微妙に逸れ、戦車のやや右方向に弾着した。

 それを皮切りに、敵戦車は次々と発砲してくる。敵は。残り戦車二十五輌、歩兵戦闘車が四輌。これでもまだ、敵のほうが多い。ただし、こっちは車体のほとんどを雪中(と土中)に埋めており、敵は撃破された車輛に囲まれて身動きが取れない。

 敵の散発的な発砲が、味方の一輌に命中する。だが、九〇式の正面装甲たる複合装甲は、直径一二五ミリのAPFSDSを防ぎきった。

 敵はそれを見て、後退を始めた。撃破された車輛は、戦車が強引に押し通り、そこに出来た道を装甲車たちが逃げるように後退する。

「ふぅ……」

 麻丘はその敵の後ろ姿を見ながら、息を吐いた。緊張で息が詰っていた。よし、とりあえず第一撃は防げたぞ。だが、二撃三撃となる中で、果たして何時まで耐えられるか……。いや、問題は相手の体力だ。いったい予備兵力をどのくらい残しているのだろう。

「隊長」

 麻丘が悶々とした気分でペリスコープを覗いたままでいると、横から梶が話しかけてきた。

「うん?」

「敵、どのくらいいるんでしょうね」

「やっぱりお前とは気が合いそうだよ」

 麻丘は相好を崩して言った。梶もつられて笑った。爆音が響き渡ったのはその時だった。

 麻丘はすぐさま外を見た。最初は、誰かが間違って発砲したのかと思った。だが、音からしてそれは違うとすぐに分かった。では、味方の支援機が来たのだろうか? 確かに音としてはそっちの方が近かったが、それでもなかった。何故ならその音に続いたのは、紛れもない爆発音だったからだ。

「っ……」

 麻丘は歯を噛み締めた。間違いない。ロケットだ。ウラガーンか? スメルチか? それともあのT72の上に変なものを乗っけたやつか? ちくしょう、そんなもんまで生き残っていたとは。

 麻丘の車輛の近くでロケットが破裂した。破片が装甲に当たって、嫌な音を立てる。麻丘はゾッとした。隣の梶を見る。同じような表情をしていた。当たり前だ。こんな砲撃の中で、平然としていられる者などいない。くそ、ヘリや攻撃機の支援はまだか。

 麻丘は祈りながらしばらく耐えた。そうするほかすることがなかった。しばらくして、ロケットの雨が止んだ。彼の祈りが通じたのか、はたまた僥倖か、敵のロケットでダメージを受けた車輛は皆無だった。

「被害は」

 麻丘は全車に向けて素早く訊いた。全ての車輛から、被害は皆無との応答が還ってくる。よし、と呟いてから、次に同じ質問を普通科小隊に向けた。

「FVに乗ってたメンバーは全員無事ですが、外に出ていた者が数人、負傷しました。死人はいません」

 三人の普通科小隊長から来た返答は、概ねこんな感じだった。要するに、多少の被害は受けたが戦闘能力の低下無しということだ。よし、いけるかな。麻丘は頭の中で計算しながらそう考えた。普通科の被害がそんなに多くないのは、塹壕(雪濠に近いが)を掘って、その中に伏せていたからだろう。うん、やっぱり日頃の訓練は大切だな。

 麻丘はどのように抵抗するか考えながら、前方を確認した。一瞬、血の気が引いたのを感じた。

「宜しい。即座に全員戦闘準備だ」

 スイッチを素早く切り替えるとそう言い、通信を閉じた。

「梶、見えるか?」

「よぉく見えてますよ」

 梶は蒼い顔で言った。

 麻丘の部隊に、敵が急速に接近していた。数は……戦車が五十輌以上。正面からはよく見えないが、下手をすると百輌近くあるかもしれない。くそ、先のはいったい何だったんだ。何処にこんな数の戦車を隠していやがった! 彼はそう喚き散らしたい思いに駆られたが、それが許される立場ではなかった。彼は中隊長だった。

「よし」麻丘は再び車外へのスイッチを入れた。

「全車、命令と同時に攻撃。普通科は随伴歩兵の掃討に当たれ。気を抜くな。弾丸を惜しむ必要は無い。以上」

 用件だけ伝えると、今度はペリスコープに集中する。切ってある目盛りから、大まかな距離を予想する。くそ、ほとんど間が無いじゃないか。こりゃぁ、辛い戦いになるな。

「梶、照準は……」

「先頭ですよ、もちろん。出足を挫きます」

「うん……来たぞ。準備」

 麻丘は敵を観察する。手前の敵は先仕掛けてきたT80だったが、奥のほうにはT90も混じっているように見えた。なるほど、師団直轄の連帯か何かだったんだな、あれは。温存してやがったのか。なかなかの司令官じゃないか、ちくしょうめ。

 そう思いつつも、距離を冷静に測る。まだだ、もう少し。よぉし……。

「撃て」

「ハイ!」

 静かな声の麻丘と対照的に、何か耐えかねる思いを胸に抱いている梶は、照準を定めていた敵戦車へ向けてAPFSDSを放った。赤く焼けた針のような弾丸が敵戦車を紙のように貫き、内部の弾丸を爆発させる。T80の丸型砲塔が炎、爆発音とともに高く吹き飛んだ。三人の乗員は即死であろう。

 麻丘の声に呼応して、他の九〇式も主砲弾を放つ。全段命中。やはり演習は大事だな。次々に爆発する敵戦車を見ながら、麻丘はそう思った。

 だが次の瞬間、演習では味わうことの出来ない衝撃が、彼を襲った。

「っ……」

「敵戦車発砲! 至近弾です!」

「解ってる。まだ動くなよ!」

 麻丘は言いながらも、敵を確認しなおす。そして、愕然とした。先のロケット攻撃の熱で雪が大量に溶け、こちらの位置が敵に露見していた。敵は先よりよっぽど速い速度で、次々と反撃を開始している。くそ、俺の失態だ。最初の接触の時に、部隊を後退させるべきだった。いや、どちらにしろ無理だったか? 俺たちに出ているのは固守命令なのだから。ここを下がれば、後は豊原まで一直線だ。

「第2小隊の三号車が被弾。貫通はされていません。前面装甲で止めました」

「射撃を継続」

「1小隊の二号車も被弾。履帯を切られました!」

「継続。一号車と三号車は積極的に援護しろ。無理だと思ったら乗員を避難させ……うぁ」

 麻丘が次々と入ってくる命令を素早く処理していると、近くの九〇式戦車が主砲発砲とは違う閃光を発した。驚いて、ペリスコープをそちらへ向ける。第1小隊の二号車が被弾、炎上していた。乗員の命は……絶望的だろう。

 くそ。距離が近すぎた。正面から受け止める戦車の数が少なすぎる上、この場所だと敵戦車まで一直線になってしまう。心の中で毒づいた麻丘は、しかしそれを表には出さず、命令を出しなおす。

「一号車、三号車、射撃を継続」

「りょ、了解」

 第1小隊一号車、つまり小隊長車から感情を押し殺した声が聞こえた。仕方の無いことだと思った。自分の部下が殺されて、平気でいられる人間など、たとえ軍人でもいない。事実、自分だって内心では怒りが渦巻いているのだから。

 そう思った麻丘は、ならばなおさら内心を外部に出さぬようにせねばな、と思った。怒りで戦争をしてしまえば、それはただの殺し合いだ。戦争とは一定のルールを持って行う国家間の交渉なのである。話し合いの延長線上にある、あらゆる問題を解決可能な万能の交渉手段なのだ。

 麻丘は次に、1小隊二号車が抜けた穴をどうするかを考えた。麻丘の中隊は、この山林の間を縫うように走る未舗装の道路のちょうど曲がり角の部分に展開していた。部隊は三つに分けてある。カーブ直前の両脇に一個小隊ずつ、進行方向正面の林の中に一個小隊プラス二輌。普通科小隊は、それぞれの小隊を援護するように展開している。

 その中で二号車が抜けた。二号車は、正面に展開する六輌の戦車のうち右から二番目だ。そのうちの二番車。大きな火力の損失には間違いないが……埋め合わすことも出来ない。まさか普通科小隊に対戦車ミサイルを持たせて代わりを務めさせるわけにもいかない。89FVには限定的な対戦車能力こそあれど、一二五ミリ滑腔砲に耐えるような装甲は持ち合わせていないからだ。

 ならば、現状で出来るだけ持ちこたえるしかない。車体の幾らかは地面に埋めているのだ。下手に動いてその防御力を無くすのは得策とは思えない。

 だが、こういう場合、歩兵の攻撃に弱いと言う欠点がある。戦車というのは、所詮鋼鉄の箱に動力と大砲と小さな窓を付けた程度のものだから、視界が利かないのだ。それは、高性能なCCDカメラが安価で大量に生産できるようになった今でも変わらない(そもそも、九〇式は十八年前正式採用の戦車であり、第三世代戦車にすぎず、そのような高性能装備どころかデータリンクシステムすら装備していない)。

 そしてその脅威は、現実のものとなろうとしていた。麻丘はペリスコープの中に、歩兵戦闘車から下車して撃破された味方戦車を盾にじりじりと接近してくる敵歩兵を見た。確かに、この距離ならば歩兵が接近してもおかしくないだろう。九〇式の火力と防御力を考えると、T80やT90による戦車対戦車戦闘では、たとえ戦力差がこれだけ大きかろうと突破できないだろう。むしろこれだけ両勢力が接近しているなら、歩兵が携帯対戦車ロケットで戦車を撃破したほうが手っ取り早い。

 麻丘は手元のリモコンを操作して、車載されている一二・七ミリM2重機関銃を操作した。接近してくる敵歩兵に照準を合わせる。まだ撃たない。敵が遮蔽物エリアを抜けるまで待つ。梶が、発砲を警告した。麻丘はいったんリモコン操作を止め、通信装置のスイッチを切り替えた。

「各小隊長、戦闘準備」

 梶がこの戦闘七発目のAPFSDSを放ったとき、麻丘は訊いた。砲塔内の残弾はあと五発。それを撃ち尽くしたら、車体にある予備弾倉を持ち出さねばならない。十八発のうち、半分はHEAT−MPだ。どっちにしろ、T80やT90の装甲ならば貫ける。両戦車は追加装甲として反応装甲を取り付けているが、タンデム弾頭を装備したHEATにとっては敵ではない。問題は再装填時間だが、まぁ、何とかなるだろう。時間差で射撃をしているから、全部の戦車が同時に弾切れを起こすということもない……はずだ。

 反応装甲は、砲弾到達の圧力で指向的に自爆し、形成炸薬弾(HEAT)がモンロー・ノイマン効果を利用して発生させるメタルジェットを相殺する攻性(アクティヴ)防壁(プロテクト)だ。たいていのHEATを相殺し、APFSDSにもある程度の効果がある。近くにいる味方歩兵を傷つけるなどの危険性を除けば、HEATに対して最も効果的な装甲だ。欠点としては、先の随伴歩兵への被害のほかに、使い捨てだということも挙げられる。

 対してタンデム弾頭のHEATというのは、その反応装甲に対抗して生み出された新型HEATだ。名前のとおり、弾頭にHEATを二重にし、一発目の爆発で反応装甲を起動させて破壊し、二発目で敵装甲を貫く二段構えの兵器だ。同じ場所に二発も弾頭を搭載する為、当然炸薬量は低下するが、火薬の発達が威力を補っている。

 今九〇式戦車に搭載されているHEAT−MPの弾頭はこのタイプだ。理論上では、全てのソ連製兵器をあらゆる距離で貫通出来ることになっている。もちろん、実戦で使用した場合、必ずしもこの限りではないだろうが。

 普通科の小隊長たちは、無線を使って直ちに返答してきた。

「ハイ」

「敵が接近してきた。排除を頼む。一番近いのは第2小隊」

「了解」

 麻丘は第2小隊長の返答を聞きながら、リモコンでM2重機関銃の狙いを接近してくる敵歩兵に向けた。敵歩兵――おそらく三個小隊ほど――は雪中に伏せ、じりじりと接近してくる。武装はよく見えないが、多分小銃と携帯式対戦車ミサイル、それともしかしたら携帯式対空ミサイル。いや、これはあまり関係ないか。

 麻丘は小隊長と密接に連絡を取りながら、敵との距離を測る。普通科小隊が配置に付いたことを告げた。麻丘はリモコンを操作し、M2重機関銃を発射する。

 一二・七ミリ弾が物凄い速さで連射され、接近してくる敵歩兵を襲う。流石に、命中率はそこまで高くない。だが、何と言っても五〇口径だ。敵歩兵が二名、脇腹にかするようにしただけなのにもかかわらず、腹部をごっそりと抉られて、絶命した。ああ、そういえば。麻丘は思い出した。確か、五〇口径以上の火砲による対人攻撃は、ジュネーブ条約違反だったかな。じゃあ俺は、捕虜としての待遇を受けられないわけだ。ふん、関係有るか。そもそも、ソ連兵が捕虜をまともに扱うとでも? 彼らは日露戦争時の、誇りあるロシア帝国兵とは違うんだ。

 敵歩兵が素早く散開し、伏せた。そこを、普通科小隊の隊員たちが襲った。命中率の良さや軽さ、アジア人の体格に合った大きさを差し置いてその単価の高さばかりが語られる八九式小銃で、ソ連兵を撃つ。流石、としか言いようのない命中率で、たちまち五名のソ連兵が肉を銃弾に切り裂かれ、あるいは伏せた衝撃でヘルメットの外れた頭に銃弾を受け頭蓋骨を砕かれ、絶命する。

 小隊員たちは攻撃を止めない。当然だ。敵は全滅してもいないし、撤退してもいない。八九式から、MINIMI(ミニミ)軽機関銃から発射された無数の五・五六ミリNATO(八九式小銃)弾がソ連兵たちを襲う。もちろん、命中弾も既に幾つかある。いくら雪面迷彩をしていようと、この距離で、しかも伏せた時から視認されていれば、見つかってしまう。小銃弾などとても防げるレベルではない防弾チョッキを軽がると貫通され、血を流し、雪を溶かし、地面を赤く染める。その光景が何度も繰り返された。もちろん、麻丘のM2も散発的に射撃を行う。彼の有名なブローニングが四半世紀以上前に開発した傑作重機は、その命中率の良さを見せ付けるように、麻丘の導く敵兵に弾丸を命中させ、その生命を奪取してゆく。もっとも、奪い取った命は天国か地獄へ捧げられるのだが。

 しばらくして、やっとソ連兵たちが後退を始めた。何時までもあの場所にいても無駄だと、やっと解ったのだろう。いや、それとも政治士官のせいで反転できなかっただけか?

 麻丘は敵兵が去るのを見て、ホッと一息を付いた。とはいっても、安心ばかりしていられない。敵は強い。既に三輌の九〇式が失われていた。内一輌は、乗員が脱出できなかった。三輌の戦車。一個中隊十四輌の中の戦車。結構な損害と考えていいだろう。いや、全部で二五〇輌程度しかない九〇式の中から考えても、充分多いと言えるだろう。ちくしょう、戦車の削減なんかしやがったのは何処の莫迦野郎だ! いや、女だったかな?

 再び轟音。麻丘は一瞬目を瞑り、直ぐに開いた。恐怖を行動に表した自分を叱咤する。同時に、轟音の正体を解明。真横の主砲の発砲音に、隣の戦車の爆発音が重なったものだった。これで損害四輌。加えて悪いことに、自動装填装置がエラーを告げた。弾丸が切れたのだ。

「再装填」

「やってます!」

 麻丘が言うまでもなく、梶は車体内に収納してある砲弾を砲塔に運んでいた。だが、あまりにも遅い。ちくしょう、これがこの戦車の欠点だな。麻丘は思った。ある意味、七四式は楽だった。四人いたからな。それに、砲塔内に沢山弾が入った。もちろん、一二〇ミリAPFSDSと一〇五ミリライフル弾じゃあ大きさも重さもぜんぜん違うのは承知しているが。

 麻丘は焦燥感を抑制しながら、ペリスコープから見える風景に神経を集中させた。そういえば、と気付く。俺は少し前から、ずっとこれを覗いているな。

 外の場景に大した変化が無いことを再確認した麻丘は、少しだけ顔をペリスコープから離し、日本製の腕時計を見た。紛い物ではないG−SHOCKだ。

 驚いた。緊張感や恐怖感のせいでもう何時間も戦闘を続けているように感じていたが、実際は十分と経っていなかった。現代戦というのはかくも速急に進行するものなのかと、改めて驚いてしまう。俺が中高時代に濫読した戦史の本には、何時間と続く一大決戦ばかり書いてあったものだが……。ちくしょう、経験が無いというのはやはり問題なのだな。

 再び視界に外界の場景を納めながら、思う。だが、それもこれ限りだ。今次戦争を持って、我々も戦争経験者の、戦争経験国の仲間入りだ。戦勝国としてだろうか? 勝てたらいいなぁ。

 そんな、子供のような思いを抱くことしか、麻丘には出来なかった。戦車同士が主砲弾を発射しあうこの戦闘が、あまりにも、現実感の希薄なものに感じられたからだ。轟音、爆音、衝撃波。それらはもちろん襲ってくる。自分の戦車に敵弾が命中して、なおかつ当たり所が悪ければ、自分は靖国……じゃない、とにかく点に召されるということも、頭では理解している。

 だが、それでも、“自分は今戦争をしている”という感覚は薄かった。戦車乗りは、戦車を無敵の移動陣地だと勘違いしてしまうことがあるというが、それとは微妙に違う感覚であった。普通科になっていれば、もっとリアルに戦争を体感できたんだろうか? 麻丘は考える。俺が普通科であったなら、もっと戦争を身近に感じられたのであろうか?

 それとも、ただの無意識な現実逃避か……。麻丘がそういう思いに駆られたのは、七輌目の九〇式を撃破された時だった。これで、半分。敵戦車を五十輌近く片付けたはずだが、敵は衰えを見せない。ここが正念場だと思っているのだろうか? たった一個中隊が守る陣地を? 馬鹿げている。狂ってる。ちくしょうどもめ。

 何より気に入らないのが、俺がそのゲームにのらざるをえないことだ。

 麻丘がどう思っていようと、それは戦況に何の関与もしなかった。T80やT90はミサイルを発射できる機能を備えているはずだが、それを発射することがなかった。麻丘はそれを、搭載しているミサイルの精度に関する問題があるのだろうと考えていた。もしくは、使い切ってしまったのかもしれない。カタログスペックだけ見れば、優秀なミサイルであったから。

 だが、例えミサイルが飛んでこなくとも、今の中隊の状況が危ういことは目に見えていた。現在損害は九輌。うち二輌は、行動は可能だが、射撃統制装置を破壊されて、戦線離脱を余儀なくされたのだった。この射撃統制装置には目視照準器も含んでいるから、完全に砲が無効化されたことになる。出来ることなら余剰の弾丸を他の戦車に補給したいのだが、戦闘中に出来るはずもない。

「不味いですね」

 梶が狙いを定めながら言った。

「確かにな」

 麻丘は相槌を打つ。

 現在の状況は、まさに“不味い”で要約出来た。麻丘車輛に残された砲弾は残り十発と少しであり、おそらく他の九〇式も同様であろうと予想が出来た。反面、敵は麻丘にとって軽んずることの出来る量ではない。けしてだ。無闇な攻撃を避け、こちらの戦車砲を何とか凌げるぎりぎりの位置で砲撃を継続している。損害数は多いが、気にした様子も無い。間違いなく敵は手馴れている。いや、手馴れたのか? どちらにしろ、この、彼らの戦車が到底かなわない九〇式の弱点を、数量の絶対的不足だと知っている。ちくしょう。

 麻丘は内心であらゆる者を罵りながら、何とか冷静を保って、戦闘を指揮した。中隊最大の危機が訪れたのはそんな時だった。

「やりましたね」

 梶が、敵戦車が破壊されるのを見ながら言った。麻丘はああ、と呟いた。敵の戦車砲塔が煌くのを見たが、直ぐに集中は隣の戦車に移った。砲塔に麻丘車輛から発射された戦車砲弾が命中し、爆発したからだ。

 いや、たとえ集中が削げなくても、その後の結果は変わらなかったかもしれない。麻丘に撃破された隣の戦車は、彼に殺された戦友の敵を取るように、一二五ミリ滑腔砲を麻丘車輛に向けたのだ。秒速千メートルを軽く越える速さで発射されたAPFSDSは、砲身を出ると直ぐに上下に分割され、中から針のような形をしたその本体を剥き出しにした。貫通力をひたすら高める為、材質は重い劣化ウランが使われている。その威力が恐るべき物なのは、湾岸戦争及びイラク戦争で米軍が使用し、確認している。戦後、これらの砲弾の処理に日本政府と自衛隊が苦労することになるのだが、それは侵略者たるソ連兵たちにとって知ったことではなかった。もっとも日本政府は、劣化ウラン弾の使用を理由に、米軍とソ連軍から賠償金をふんだくっているのだが。

 だがそれらは、今を生きる麻丘と彼の中隊員、そしてソ連兵には全く関係の無いことであった。未来の事象はけっして過去に変化を齎さない。物体が超高速で移動でもしない限り、これが正しいかどうかは確認できないが、少なくとも今は、その理論が崩された様子はなかった。

 砲弾は二〇〇〇メートル以上をあっという間に駆け抜け、麻丘車輛の正面装甲に命中した。

 

 車内に凄まじい音と衝撃が駆け巡った。

「ぐぅ……くそ!」

 麻丘は声に出して罵る。命中した。ついに命中した。だが、俺は生きている。どうなっている?

「被害状況は?」

「敵弾が命中した模様です」

「それは解ってる!」

「正面装甲が……弾きました」

 梶に変わって、運転手がそう言った。なるほど、この距離で砲塔正面に命中したのだ。弾き返してもおかしくない。九〇式の装甲は言われているほど……いや、言われているのとはぜんぜん違って、充分な防御力を持っている。

「反撃しろ」

「了解です」

 梶は、その言葉には素早く応じると、先ほど撃ってきた戦車に反撃した。弾種はHEAT−MP。APFSDSが切れてしまったのだった。

 麻丘は敵戦車にHEATが命中するのを見てから、戦車の状態を再度、正確に確認する。正面装甲は凹んでいた。が、壊れてはいなかった。電子機器は無事だ。主砲も。照準器も、今の射撃を見る限りは平気なようだった。少なくとも、変にいかれてはいない。

 麻丘はホッとして溜息をついた。第二の衝撃はその時に、彼を襲った。

 先とは違う衝撃。車体が振動し、後頭部を強く打ち付けた。一瞬意識が飛ぶ。が、戦場にあるという意識の為か、直ぐに持ち直した。体中が痛かった。ヘッドセットに付いたスピーカーからは、各部隊からの支持を求める音が飛び込んできているから、少なくとも通信機は生きているはずだった。視界は暗い。最初は眼が潰れたのかと思ったが、直ぐに、自分が目を瞑っていることに気付いた。次に、嗅覚が復活した。ここ数日で頻繁に嗅いだ、生臭さが漂ってきた。すぐさま自分の体を確かめる。後頭部は少量出血しているが、皮膚が傷ついているだけ。他は……腕は痛いが、鞭打ちのようなものだろう。少なくとも、この生臭さの原因は自分の体ではない。

 では……。麻丘はそう考え、恐る恐る眼を開いた。

 最初に視界に入ってきたものは、白の混じった赤だった。いや、細長い黒いものも見える。それが、隣に座る頭の無い梶のなくしたものだと気付くには、数秒とかからなかった。白いのは脂肪と脳髄か何か、黒いのは髪の毛だ。

 麻丘は、今度は下を見た。運転手は見えなかった。頭は天井に、下半身は椅子に、それぞれ人体というものが耐えうる強度を越えた力で押さえつけられていた。中心部は……梶と一体化していた。

 それを見て直ぐに、何が起きたかが麻丘には解った。敵弾は雪中を貫通し、車体の正面装甲を貫いたのだ。砲塔とは違い、車体には複合装甲を装備していない。そしてそのまま突き進んだAPFSDSは運転手を真っ二つにし、車体中部で角度を変えて梶を殺した後、上部装甲を貫通して飛び出していったのだ。劣化ウランは摩擦で発火するが、出火はしていなかった。自動消火装置が正常に働いたようだった。

 麻丘は何とか体を起こし、頭を振った。ちくしょうめ、これはもうダメだな。そう考えた後、麻丘は口元を歪めた。もちろん彼が“これ”としたのは戦車のことだったのだが、それが、梶や運転手にも当てはまることに気付いたのだ。指揮官は部下の死を人間の死と解釈せず、書類上の数字の変化とだけ受け取らないといけない。なるほど、そのとおりだな、と麻丘は思った。指揮官が部下の死をいちいち人間のしだと理解していくと、神経が持たない。だからこそ指揮官と言う人種は、義務とか名誉とかで人の死を正当化――というか、数値化しようとするのだろう。

 麻丘が半壊した戦車の中でそんなことを考えていたのは、ほんの数秒のことだった。しかしながら彼の不安定な状態の精神にとって、その僅かな時間はこの上ないものであった。彼はその時間の間に何とか、精神を人間として在ることが出来る状態へ持っていった。スピーカーからの音声に答えたのはその後だった。

「中隊長だ」

「ご無事ですか!?」

 相手は副長だった。一つ向うの陣地で戦車に乗っているはずだった。彼の記憶が正しければ、未だ撃破はされていない。そしてそれは正しいようだった。麻丘はポケットから煙草を出し、フィルターを千切ってからそれを半分にすると、それぞれ鼻に詰めた。いくら戦場を経験したとはいえ、死臭は耐え難いものであった。

「無事だが、戦車は死んだ。通信装置は使えるようだから、生きてるはずだ。エンジンは……奇跡だな。動いてる。だが主砲は使えない。同軸機銃も。M2は使えるが、それだけだ」

「解りました」

 副長は言った。つまり麻丘は、戦車は壊れても未だ指揮能力は維持しているということを言ったのだ。とはいえ、何時までもこの壊れた戦車にいるのは危険なように思えた。いや、逆か? 連中、壊れた戦車にかまっている暇なんて無いだろうし。

「俺はここから指揮を取る。戦闘を継続……ああ、継続だ」

「了解」

 麻丘は未だ機能を有しているペリスコープで外部の様子を見ながら、舌打ちした。今通信装置で調べたところ、生き残った戦車は五輌を切った。……いや、四輌。たった今一輌が破壊された。普通科はまだ健在だが、敵の一部が榴弾すら発射してきているので、この先どうなるかわからない。

 しばらく砲戦をしていると、ついに痺れを切らしたのか、敵歩兵部隊が突撃してきた。ウラーと叫びながら、銃を腰ダメに構えて器用に雪上を走る。数は三百……。

「普通科小隊、全力で反撃」

 麻丘は命じつつも、無理だろうなぁと思った。敵の榴弾砲撃は未だ継続されている。敵戦車の残りはおそらく三十前後。最初一〇〇輌いたかと思うと、立った十輌で七十輌を叩き潰したのだから、充分と言える戦果かもしれない。

 充分。うん、そうなのだろうな。少なくとも戦術的には。麻丘は上部ハッチを空けながらそう思った。だが、戦術的には敗北だ。我々に課せられた使命は固守……要するに死守。何としてもこの場を維持しろ、だったからだ。立った三十輌でも、豊原へ突入したら大混乱する。樺太攻略は遅延する。場合によっては、冬将軍に押し返されるなんて展開も……。いや、考えても無駄だ。

 麻丘は開け放ったハッチから上半身を出した。樺太の冷たい空気が頬に触れる。月が照っているのが見えた。満月だ。七月の初めで満月なんて出るのだったかなと思いながら、直ぐそこにあるM2重機関銃のグリップを握った。弾丸を確かめる。充分入っていた。鼻に詰めた煙草を抜いた。途端、空気は鼻腔内にまで侵入してきた。鼻水が垂れそうになるのを何とか抑える。

 暗視装置は持っていなかったので、月明かりを頼りに敵を狙う。車両についている暗視装置は壊れていた。当然、なかなか見つからない。流石ソ連軍だけあって、雪中迷彩はレベルが高い。が、何とか雪の上でうごめく者を発見することが出来た。時々飛来する普通科小隊の放った五・五六ミリ曳光弾がそれを教えていた。彼らは最初から敵を発見していたのだ。

 麻丘はそちらへM2を向け、グリップに付いているボタンを親指で押し込んだ。激しい銃声と少しの衝撃。時々含まれる曳光弾が、彼の照準が正確であることを告げていた。他の九〇式も――とはいえ四輌きりだが――M2で援護射撃を始めている。

 だが、無理だろうなと麻丘は思った。敵の数が半端ではないのだ。おそらくこれが最後だと思い、全力投入したのだろう。一個大隊はいそうだった。しかも悪いことに、道が狭くないので散開が容易なのだ。普通科小隊のおかげで、流石に林の中を来ることは出来ないらしいが、それでも敵は進撃してくる。破壊された戦車の残骸が、彼らの遮蔽物になっているのだ。

 戦闘はいよいよ厳しくなってきた。敵は戦車の残骸に立て篭もる部隊と突撃を継続する部隊に分かれているが、残骸に立て篭もる部隊は突撃部隊の援護のようだ。こちらが撃つ方向を見て、反撃している。銃はAK47だかAK74だか解らないが、平均的なアサルトライフルだ。マシンガンを撃つ者もいる。流石にこの距離でRPGを撃つ者はいない。

 だがそのアサルトライフルとマシンガンのおかげで、普通科の弾幕が若干弱まった。たとえどんな人間でも、彼/彼女がまともであるならば、銃弾が飛んでくる中頭を上げてまともに銃を撃つことなんて出来るわけがない。それが出来ぬ人間は、さっさと戦死してしまうのだから。

「ダメだな……」

 麻丘は思わず口に出した。彼をしてそう言わしめる状況だった。敵の進撃は続き、こちらは未だそれに対抗する有効な手段を取れないでいる。反撃不可能。敗北必至。ならば……。

「あー。各部隊に告ぐ」麻丘は無線を入れた。

「どうやら我々は日章旗と旭日旗……じゃなくて自衛隊旗に誓った誓いを果たさねばならぬらしい。まぁ、仕方が無いだろう? 俺たちはお国の御盾になると誓った身だ。今更それを反故になんてしないだろう?」

「仕方ないですね」

 直ぐに答えは返ってきた。声で、普通科中隊のどれかの中隊長だと解った。声には諦めを表すような色は見えない。

「ああ、ちくちょう。何で自衛隊に入ったんだろう?」

「……でも今更辞めないだろう?」

 顔を見ずとも、相手がニヤリとしたのが麻丘にはわかった。

「もちろんですとも」

 相手がそう答えると、銃声が響いた。撃たれたので反撃しただけのようだ。

「よろしい。しかし、君らの損害はどうなんだ?」

 麻丘はM2を撃ちながら聞いた。敵は彼の方にも迫っていた。

「大したことありません。こっちは掩蔽して戦ってますか……」

 一瞬音が途切れる。麻丘はどうしたのか聞こうとして、轟音に首を竦めた。音のほうを見ると、森が炎上していた。ソ連兵が、的確にRPGを撃ち込んだらしい。

―――これはいよいよ年貢の納め時かな?

 麻丘は不意にそう思った。おそらくあの小隊は大打撃を受けただろう。小隊長を失ったのだ。一応は機能するだろうが、活躍は期待できない。

 そして俺も、もう終わりだ。敵は直ぐそこまで迫っている。森を抜け、この戦車にたどり着くのも時間の問題だろう。

 麻丘は無意識のうちに、腰のホルスターから拳銃を取り出していた。自衛隊正式採用のSIGザウエルP220だ。シングル・カラムマガジンで、装弾数が立った九発しかないと批判されていた。同じ九発ならば、せめて.45ACPにして威力を高めるべきだ。いや、そもそもダブル・カラムのP226を採用すべきだ、などと騒がれた。

 だが今の麻丘には、どうでもいいことであった。必要な弾丸はたった一発だ。それも、九ミリで充分だ。ならば、握りやすいP220の方がいいように思えた。最も彼は、P226を握ったことなどなかったが。

 だが麻丘は自分の手が握っている物に気付くと、それを直ぐにホルスターに戻してしまった。そして再び、M2の射撃を継続した。

 最後までやるさ。拳銃だって、一発だけ残して後は敵に向けてやろうじゃないか。麻丘はそう考えた。そうすれば、自分が救われるような気がしたのかもしれなかった。彼には解らなかった。

 ただ一つ確実なことは、彼が自らの頭に銃口を向けるという危険かつ過去無数に行われてきた行為を、彼は行う必要がなくなったということだった。

 

 

 音が聞こえた。上空から轟音、風を切る音、金属が潰れる音、爆音。順番はこのとおりで。

 麻丘には一瞬、何が起こったか理解できなかった。だが数秒して、味方の援護爆撃だとわかった。GPS誘導装置か何かの付いた爆弾で、精密爆撃を行っているのだろう。彼は空を見て、自分の予想が正しかったことを知った。月をバックに、四機の戦闘機が飛行していた。おぼろげながら、特徴的なシルエットからそれが何だか解った。F/A18E<スーパーホーネット>戦闘攻撃機。アメリカ海軍・海兵隊で使用している高性能戦闘攻撃機だ。問題作だとかいろいろ言われているらしいが、、とりあえず性能に不満はないらしい。ベストでなくともベターだと言う。F14D<トムキャット>戦闘機の方がいいと言う人間もいるが、正直麻丘にはよく解らなかった。

 それに、今の麻丘にとって、<スーパーホーネット>の性能が云々など、何の関係も無かった。今現在、<スーパーホーネット>は最高の援護だったからだ。

 最初の二機が通り過ぎた直ぐ次に、次の二機が爆弾を落とす。素晴らしいコントロールで、爆弾は敵の歩兵が隠れていた障害物群――つまり壊れた戦車など――に突っ込んだ。爆発。人がまるでゴミのように飛ばされる。

 二回目の爆撃があったとき、最初の二機はすでに旋回に入っていた。米海軍が世界で最も練度の高い海軍だと言われるのが解った。その腕前はなかなかのものだった。まるで演習のように、戦闘機が入れ替わり立ち代りし、爆弾を落としていく。演習と違うのは、それらの中には信管と、火薬が詰っているということだけ。

 また爆発。F/A18Eはいったいどのくらい兵装を搭載できるのだろうか? 麻丘はぼんやり、とはいってもM2で敵兵を撃ちながらだが、考えた。空自のF2(自衛隊の兵器にもまともな愛称をつけてやるべきじゃないだろうか)は、確か四発のASM2ミサイルを搭載できるのだったような気がする。ならば、同程度かそれより多いくらいなんだろう。何せあの戦闘機は双発だ。

 麻丘は素人の頭でそう考えた。ヘリの音が響くのが聞こえたのは、爆弾を落としつくしたらしいF/A18E戦闘攻撃機が戦域を離脱してからだった。

 見ると、何機かの戦闘ヘリと輸送ヘリが、こちらへ向かって飛んできていた。ほとんど全速力を出している。麻丘は目を凝らして機種を確かめた。AH1<コブラ>戦闘ヘリと、UH60<ブラックホーク>輸送ヘリだった。麻丘は安心した。とりあえずは味方だとわかったからだ。米軍が自衛隊かはわからないが。両方とも、これらのヘリを使用している。

 援軍のヘリコプター群が米海兵隊のものだと解ったのは、AH1W<シーコブラ>が地上の敵兵を掃射しだしてからだ。援軍のAH1にはエンジンが二機付いていた。このタイプは日本や米陸軍では採用していないから、消去法で米海兵隊だと解った。

 <シーコブラ>の半数は、翼下に機関砲ポッドを二基装着し、地上を徹底的に掃射した。もう半数はTOW対戦車ミサイルを搭載しており、残り少ない敵戦車の残党に向かって放っていた。

 突然、地上から白煙が延びた。ソ連兵が携帯型対空ミサイルを発射したのだった。パッシヴ式赤外線自立誘導だろうと、麻丘は考えた。狙われた<シーコブラ>のパイロット同じように考えたようで、盛大にフレアーを撒きながら機体を横倒しにし、無理やりな推進をかける。フレアーで狙いを逸らしながら、もっとも赤外線を発するエンジン部を隠すつもりらしい。しかしながら、地上すれすれを飛んでいたのが災いし、大した回避行動を行う間も無く、ミサイルが機体側面で爆発した。ミサイルの破片が機体に食い込む。エンジンが片方ダメになったのだろう。機体はおお慌ててで機関銃ポッドを切り離し、少しでも機体を軽くして浮力を得ようとする。そんな中でも、復讐は忘れなかった。自分を撃った敵がいる辺りに向けて、盛大に機体下の固定機関銃を発射した。いや、弾丸を消費して少しでも機体を軽くするつもりなのか?

 そんなことをしているうちに、<ブラックホーク>がある程度の安全を確保された場所へやってきた。ゆっくりと高度を下げる。着陸すると、すぐさま側面のドアが開き、中から完全武装の兵士たちが飛び降りてくる。間違いない。海兵隊だ。

 ああ、助かったんだな。麻丘はそう思って安心した。海兵隊員たちはおそらく一個中隊ほど。手馴れた様子で遮蔽物へ接近すると、陰に隠れている敵兵を素早く殲滅していく。どうしても落とせない強固な場所があれば、上空から戦闘ヘリが援護射撃を加える。実に手際が良かった。

 

 

 こうして、麻丘は助かった。もっとも、助かったのは彼の命だけと言っても良かった。部隊はほぼ壊滅。戦車は二個小隊以上を喪失。人員も半分近くを失い、戦闘力自体を失っていた。再編には時間がかかりそうだった。少なくとも彼の中隊はもう、戦場に赴く必要はなさそうだった。そしておそらく、彼自身も。

 

 

 彼が情報本部に転属したのは、日本にとっての戦後直ぐだった。戦中に戦車部隊指揮の代わりにやらされた情報関係の業務で、彼が思いのほか有能性を見せ付けたのが理由だった。彼は戦車が嫌いではなかった。それを降りたくもなかった。たとえあんな戦闘があってさえ。だが、彼の飼い主はそれを許さなかった。

 彼が未だに情報本部にいて、それなりの地位を保っているのはそういう理由だった。

 

 

「まぁ、効率の良い統合運用は素晴らしいことだがね」

 麻丘は言った。

「それだけがメリットでもないのだろう?」

「まさかまさか」

 神谷は何を今更と言いたげな表情で返す。

「もちろん、一番のメリットはそれだ。今までの自衛隊の組織は、実に日本的な……そう、平時であればそれなりに有効な組織だったよ。そして、二十世紀の自衛隊はそれで充分だった。有事など、考えられなかったから」

「しかし」

 川内が続きを引き継いだ。

「二十一世紀の自衛隊は違う、ということだね」

 神谷は首肯する。麻丘は言った。

「より実戦的な組織への改変。いらないものを切り捨て、命令伝達を速くして、あらゆる状況に耐えうる屈強な組織を作り上げるんだな。幕僚監部統一、か。つまり、統合幕僚会議の会議時間を短くするのとほぼ同義だな。いや、有事においてはの話だぞ。平時なら、もっと別なことも考えられる。少なくとも、陸海空の合同訓練時間は大幅に拡大するだろうな」

「統幕会議の会議時間を短くずるだけにとどまるつもりは無いぞ。階級の細分化――あくまで細分化であって、呼称改変ではないから、俺たちが大佐と呼ばれることはないぞ――や防衛技術庁の創設なども行うらしい。加えて、大幅な人事異動も。良かったな。お前は多分一佐だぞ」

 川内の言葉に、麻丘は呆れ顔をする。

「本当に独裁制だな。君達はどういう地位に納まるつもりなんだ? 特別師団は消滅するのだろう?」

 麻丘の言葉に、神谷はにんまりする。川内も微笑している。

「酷いことを言わないでくれよ。まるで俺が悪徳政治家のようじゃないか。これは、これはお代官様」

「ああ、実に良い表現だなぁ。おや越後屋、山吹色の菓子とは……、なかなか風流ではないか」

 三人はいっせいに吹き出した。しばらくはははと笑い続ける。しかしながら、その目は真剣さを保ったままだった。

「で、将軍様に見つかってしまった私はどうすればいいのかな?」

「決まっているだろう」

 神谷の言葉を受けて麻丘が言う。

「お付の忍者に斬られるか、将軍様のみねうちを食らうか、はたまた逃げおおせるか」

「三番だな。私の前に立ちふさがる将軍様は、どうやら運動不足のようだ」

 失笑が広がる。

「しかし、なんだなぁ」

 麻丘が唐突に言った。

「将軍様と聞くと、どうもあっちの将軍様を思い出してしまう。白頭山のユーラ君を」

「まぁ、運動不足だったな。俺たちはリアルタイムで見てたから、いろいろと思うところもあるがね」

 川内の言葉に神谷と麻丘は頷く。

「しかし、将軍様がいなくなっても、彼の特殊部隊は残ったぞ」

「まぁ、ねぇ」

 川内は頭の中にある特殊部隊リストを開き、その中の情報を確認していく。

「将軍様の特殊部隊は、第三帝国のヴァッフェンSSに近いからなぁ」

 ヴァッフェンSS、つまり独裁者の私兵という意味だ。だが、ここで言ったのはその立場とか興廃とかそういう意味があった。

「ヴァッフェンSSと言うと、あれかい? 戦争初期は装備の悪い小規模なヒットラーの私兵で、戦争後期は陸軍外人部隊という曰く付きの部隊」

 麻丘が言う。そういうことだった。つまり遠まわしに、ヴァッフェンSSの変化と、将軍様のお国の特殊部隊の変化が似ていると言ったのだ。建国初期(戦争初期)は純粋なる特殊部隊(親衛隊)として動き、規模もそれほどではなかった。しかし時が経つとそれも変化して、完全に陸軍の一部となる。そういうことだった。

 余談になるが、ナチスドイツの武装親衛隊――ヴァッフェンSS言うのは、いろいろと批判的に書かれていることが多い。それにはやはり、ナチスドイツの対する固有イメージが関係しているのだ。

 ナチスドイツの武装親衛隊と聞くと、誰もが黒衣に身を包み、天才的なドイツの科学力で作られた兵器を操る残虐で有能で熱血的な兵士を思い浮かべる。確かに一部はあっている。黒衣の軍服は一般親衛隊――アルゲマイネの制服だが、ヴァッフェンSSの中にも好んで着用するものがいた。天才的なドイツの科学力で作られた兵器があったのも確かだし、残虐な兵士がいたのも間違いないだろう。

 しかし、それらと現実には大きな相違点がある。

 まず、ヴァッフェンSSの装備だ。創設当時のヴァッフェンSSは、そこまで高水準な装備は持っていなかった。いやこれは、第二次世界大戦初期のドイツ軍全体にいえた。正味な話、その性能の高さで知られるドイツ軍の戦車も、連合軍のそれにかなうものは、この当時ではW号戦車しかなかったのだ。しかも、それでさえ充分ではなかった。

 しかも、ヴァッフェンSSはさらに劣悪な装備しか与えられていなかった。陸軍が、SSが将来の競争相手になるであろうと予想し、最新の装備を渡すのを渋ったからだ。おかげでヴァッフェンSSは、その機能をほとんど陸軍と一体化させるようになる戦争後期まで、ずっとW号戦車やチェコ製鹵獲戦車で戦っていたのだ。世界に名を知られるX号戦車<パンテル>やY号戦車<ティーゲル>、世界初のアサルトライフルStg44など、最後の最後になってやっと配備されたのだ。

 そしてよく言われる残虐性だが、それはむしろ一般親衛隊にこそ当てはまり、ヴァッフェンSSにそこまでの残虐性を表すものは稀だった。しかもその一般親衛隊でさえ、例えばよく言われる強制収容所の収容者に対する暴力などは公式に禁止されていたのだ。これが守られていたかどうかは定かではないが、少なくとも、組織ぐるみで残虐行為を働いたということは皆無だった(組織ぐるみで働いた残虐行為ならば、むしろ米軍の原爆投下を以って頂点とすべきであろう。何せ彼らは、全くの実験のためだけに平気で三十万人を殺したのだ。それも、味方の捕虜が被害を受けるのを解っていながら、である。また、南京の地において自らの仲間を次々と殺していった中国人も同じようなものであろう)。

 ちなみに、何故このようなイメージが戦後染み付いてしまったかと言えば、戦中に連合軍が(またはその他の国が)行ったプロパガンダが理由に他ならない。例えばドイツならガス室での大量殺人、日本ならば七三一部隊や南京大虐殺。そして日本が自国民の戦意向上のために流したプロパガンダである百人斬りがこれにあたる。

 しかしそのような、明らかに不可能であろう行為が戦後六十年以上にわたって信じられていた理由は、悲しいかな、当時の日独が強すぎたからに他ならない。圧倒的な物量を誇る連合軍に対して奮戦した日独軍は、後に神秘的な語り方をされてしまう。ドイツなら主に科学面、日本なら精神面において。そして、当時の科学力や人間の能力の限界を考えれば、容易に“不可能”という結論にたどり着けるであろうプロパガンダまで“真実”として語られてしまったのだ。

 そして、川内らにとって最も信じられないことは、未だにそんなことをとやかく言う者であった。信じている、いないは、全く問題にしていなかった。それが真実であろうがなかろうが、確かめる手段は無いのだ。結局、限りなく白に近い灰色でしかない。

 しかし、その問題を現在の問題に転嫁させられてはたまらない。そういうことだった。過去にこうこうこういうことをしたのだから謝罪と賠償をすべきだ。冗談ではなかった。彼らは、七十年以上前のことを種に、未だに金をせがむような奴らが理解できなかった。今は今、昔は昔。そんな単純なことも理解できないような奴が、公の場で堂々と発言をしている。頭の痛くなる事態であった。しかも、そのような国が日本の周囲には三国もあるのだ。情報に詳しい麻丘は、日本の周辺にある大国で、まともな国は一つしかないと思っていた。そしてその一つすら、時々危ういことを起こしてくれるのだ。あの広大な分割領土は、一人の総統が統治するには広すぎるのではないか。表面的には的外れに聞こえるような、そんな比喩的表現を用いた感想を、麻丘は抱いていた。

 もちろん、川内たちはそんな人間の言に言葉を貸すほど愚かではなかった。そして彼らが世論を左右するような迷惑な行動を起こせば、それが公になる前に何らかの手段を講じることさえあった。武力行使すら、何度かあったのだ。川内たちにとって幸運だったのは、そういうことを言うたいていの人間は犯罪者予備軍であることだった。中には本当のテロリストもいた。一石二鳥とも言えた。テロリストどもが自ら名乗り出てくれているようなものでもあったからだ。

 現在の日本を取り巻く過去の遺物に関する状況は、概ねこんなところだった。過去と現在の区別がつかない者たちは、右寄り左寄りに関わらず、あらゆる場所に分布していた。極右の組織、極左のテロリスト、暴力団。日本国内の多くの合法ギャンブルとほとんどの非合法ギャンブル、そして麻薬は、彼らの管轄にあった。彼らの財源がそれなのだ。そんな彼らに唯一つ共通することは、それらは絶対に頭の悪い主義主張を振りかざし、過激な行動に出て……政府の特殊部隊に潰される点であろうか。

 そういうやからの掃討作業には、第4小隊が関与したことはなかった。彼らが結成されたのはつい最近だったからだ。

 そうだったから、麻丘は少しだけ気の毒になった。自衛隊が統合すれば、特別師団は消滅するだろうと思ったからだ。動物がいなくなったとき、猟犬は煮て食われてしまう。確か中国の諺だったかな。だが、猟犬が煮られてしまうのは、何も獲物がいなくなったときだけに限らない。新しい猟犬が入ってきた時も、いらなくなった猟犬は煮られてしまうだろう。麻丘はそう思ったのだった。

 しかし、神谷はあっさりとこう言った。

「そうだな。ヴァッフェンSSや将軍様の特殊部隊に近くないことも無い。しかし、決定的な違いがあるよ」

 神谷は、そこでいったん言葉を切る。

「特別師団は、形を変えて残り続けると言うことさ。今の日本には、ちょっと変わった仕事をする組織は複数必要になるのだよ」

 

 

 

 

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