2017年 44

 

 時刻は正午から四時間ほど後、午後のお茶も終わって仕事を続けるか寝てしまおうか迷う時間帯である。そんな中、日本国首相官邸に設けられた会議室には、数人の人間が集まっていた。もちろん、こんな場所であるから、会議形式で重要な物事を話し合っていた。

「つまりは、まぁ、そういうことです」

 安全保障問題担当補佐官が締めくくる。日本国の政治的な元首――内閣総理大臣は深く頷いた。美人と表現しても良い容姿と、場の男どもを瞬時に高ぶらせるだけの体格を持った彼女がそうすると、まるで劇でも見ているようだった。

 日本の最高権力者にして自衛隊総監、日本国民代表は美しい声で言う。

「なるほどね……深山君、あなたはどう思う?」

 総理に訊かれた深山――財政問題担当補佐官は、直ちに答えた。彼は、眼鏡を掛けた細長い顔を持つ、知的な男だった。京大を首席で卒業したと言う、日本人としては誇りに思うべき経歴を持っていた。知識量および頭脳も、その経歴を裏切らぬものだった。

「はい、総理。確かに財政面から考えても、全自衛隊の統合は魅力的です。武器などのライン共通化、人材の交換の苦労減少、命令系統の統一、そして何より、各幕僚監部が資金を奪い合っている問題を一掃出来ます」

 総理は再び頷く。深山は続けた。

「加えて……これは安全保障問題の範疇ですが、事実上の戦力増加にも繋がります。さっき、浦賀さんが仰っておられましたね」

 浦賀――安全保障問題担当補佐官は頷いた。

「とにかく、経済的には利益も大きいでしょう。無論、組織改革に資金は不可欠ですが、長期的に見れば、充分に、費用効果を生み出すでしょう。ただ、混乱の発生による損害も覚悟しないといけません。たとえば、幕僚と言う名称を部分的に参謀に交換する、というようなものを行った場合には――」

「ああ、それは結局しないことになった」

 深山の言葉に、防衛省長官が口を挟んだ。いかつい顔をした男だった。総理と並ぶと、美女と野獣と言う言葉が頭に浮かび上がるような、そういう人物だった。だが彼は、その外見に反してディスクワークタイプだった。

「最初はな、旅団以上の本部附幕僚のことを参謀と呼ぼうかと相談していたんだが、如何せん、自衛隊の伝統にこだわる奴が多くてな。まぁ、別に参謀だろうが幕僚だろうがどうでもいいんだがな」

「そうですか。安心しましたよ。書類の書き間違えが極端に多くなることを覚悟していましたからね。それに、統合幕僚監部が統合参謀本部になるかとも思っていました」

「伝統、伝統よ。ある程度は大切にすべき。ただし、時代の要求(ニーズ)にあわせることを忘れてはいけないわね」

 総理は言った。

「まさに、まさに。仰るとおりですな」

 防衛省長官はすこし含みのある声で、日本初の女性総理大臣に同意した。

「憲法第9条、自衛隊と言う名称、階級の呼称、参謀と幕僚。どれもこれも、表面上だけの問題だわ」

「外国では一佐や一尉はカーネルやキャプテンと呼ばれていますから、まぁ、日本国内限定の問題ではありますね」

 浦賀が言うと、全くですな、と、防衛省長官が言う。

「イスラームとイスラム教の違い。北朝鮮と朝鮮民主主義人民共和国の違い。韓国語と朝鮮語の違い。どうして日本には、どうでもいいことに価値を見出そうとする人が多いのでしょうか?」

「例えば、知識自体に価値があると思い込んでいる人たちのように?」

 総理大臣は芝居がかった調子で訊く。防衛省長官は顔に笑みを浮かべた。ただし、彼が浮かべる笑みは、どれもこれも獲物を前にした猛禽類を思い浮かべさせる。総理は外国の国防組織に対する威厳のためにこの男を防衛省長官に任命したのではないだろうか。そういう噂が立つのも納得できた。

「知識――まぁ、情報と言い換えましょう。それ自体に価値はありませんから。それを使用できる場所があってこそ、始めて価値が生じるのです。多くの人はそれにDNAレベルで気付いていながら、何故か認めようとしない」

「そのような不思議な人々の話はどうでもいいでしょう」

 総理は言った。

「私たちが整備しようとしているのは、その情報に価値を生み出す場所なのですから」

 防衛省長官は頷く。全くそのとおりであります。そう言って、総理大臣に書類を手渡す。

「一応、新たな組織図を作っておきました。私の希望としては、こんなところですね」

 総理はそれを受け取ると、眺めた。唇に人差し指をあて、僅かに口の端を吊り上げる。色気すら催す態度だった。彼女が考える時の癖だった。

「あなたの趣味が入りすぎているわね」

「やはり拙いですか?」

 防衛省長官が冗談混じりの口調で訊くと、総理は満面の、花のような笑みを浮かべた。

「自衛隊はあなたの玩具(おもちゃ)じゃないのよ」

 もちろん、嫌味たっぷりな口調だ。だが、防衛省長官は涼しい顔をしている。総理は防衛省長官に軽く手を振る。

「許可はするわ。ただし、幾つか為させてもらうわよ。特に、隊令部と幕僚本部の辺り」

「どうぞどうぞ」

 防衛省長官はウィンクをしながら言う。似合っていない。総理は溜め息を吐きたい気分を追い出し、視線の先を変える。

「で、あなたの意見は? 財務大臣」

 財務大臣、つまり財務省長官は、総理の言葉に答える。標準語で喋っているが、すこし関西弁訛りがある。

「そうですねぇ。わ……たしも、財政担当補佐官さんと同じ意見ですぅ」

「ただし?」

 総理は彼が次に言おうとしたことを先回りする。財務大臣はお手上げだ、というポーズをしてから、

「基本的に今回のことは、財務には関係ありませんから。ちゅうか、使う資金が減ってくれるんなら、万々歳ですよ。国会の連中も喜ぶでしょう。四月の戦争が楽になって」

「莫迦を言わないでくれよ」

 防衛省長官が口を挟む。

「予算は今までと同額もらうとも。いや、むしろ増額すら必要かもしれん。ああ、もちろんだ。その分、多足戦車の本格的な増産に入りたいんでね」

 財務大臣はそれを聞き、呆れ顔を作る。

 財務省と防衛省といえば、戦前は(戦後すら)仲の悪いことで有名だった。それらを束ねるこの二人が仲良く(と見えないこともない)話している姿は、一見奇妙なようにも思える。しかし実際は、組織同士が仲が悪いからとしても、必ずしもトップの仲が極端に悪いと言うことではないのだった。当然のことだった。財務大臣――財務省長官と防衛省長官は共に国務大臣であり、内閣総理大臣を補佐する(正確に言えば補佐するのは補佐官だが、補佐官を参謀とすると、国務大臣は部下と言うことになる。要はスタッフとラインの違いだ)立場であるのだから、その二人が極端な仲違いをするというのは、とてもではないが、日本国が健全なる国家である限り容認できるものではなかった。

「また空母でも作るのかね?」

「将来的には必要だがね」

 防衛省長官は財務大臣の嫌味とも取れる言葉にきっちりと答えを返す。

「空母の技術はなかなか蓄積されてきたのだよ。喜ぶべきことに。だが、今すぐに必要なわけではない。四隻あれば充分以上だ。最初の……<しょうかく>が使えなくなるまではまだ大分あるからね」

 日本は現在四隻の空母を保有している(軽空母、ヘリ空母を合わせれば八隻)。その内<しょうかく>級と呼ばれるのは、戦後、米国と協力して開発した(実際はほとんど米軍に開発してもらった)大型通常動力推進空母だった。日本の空母保有が決定した初期、核反応推進空母(CVN)の採用も考えられたのだが、整備の面倒くささと炉心の寿命が来た時破棄出来る場所が無いことから、通常動力推進となった(これにはもちろん、核反応推進としたために国防費を圧迫してしまったフランスの前例が反映されている)。もっとも各国の諜報機関は、日本が核反応推進空母を最初から作らなかった理由を、表向きの発表どおりとは見ていなかった。日本が小型の核反応炉――それも、核分裂ではなく核融合の方を――の開発に精を出し、既に空母に搭載可能なほどに小型化されているとの情報が入ってきているからだ。そして、世界の諜報の一般常識として、日本は戦力水増しのための情報操作は行わないはずだった(低く見積もらせることはけっこうある。日本の保有する兵器はどれも、カタログデータより高性能だと言われていた。ただし、低価格の輸出用はこの限りではないが)。

「しょうかくですか」

 総理大臣が思いをはせるように言った。彼女が未だ衆議院議員だったころ、建造された艦だった。

「米国が随分気前の良い技術給与をしてくれたと聞きましたが。カタパルトや船体設計は、本来ならば余程の知識備蓄が必要だと聞きましたが」

「ええ、そのとおりです」

 浦賀が肯定した。総理は多分防衛省長官に聞いたのだろうが、浦賀は大臣の知識を補完するのは自分の役目だと思っているので(そしてそれは正しい)、彼が肯定し、説明しようとしたのだ。

「本来ならば、カタパルトの設計は余程の工業力と技術力が無いと不可能です。ソ連は――旧ソ連ですよ――空母<アドミラル・グズネツォフ>を建造する際に、結局カタパルトを開発することが出来ず、固定翼機搭載型空母にもかかわらず、スキージャンプで発艦させねばならないという事態になりました」

 浦賀は簡単に解説すると、まぁグズネツォフ級というのは無意味に対艦装備を充実させた結果、中途半端な搭載機数しか持てなくなり、空母としての戦力はあまりにも小さいです。駄作と言ってもいいでしょう。ただしこれは、当時のソ連海軍と合衆国海軍の戦術の違いに基づいたものであり、合衆国側に立っていた我々としては……と、追加説明を始めた。もっともこれらは、仕事のためにというより、彼の趣味から来るものが強い。防衛関係の役員に軍事オタクを充てるのはどうなのだろう? 防衛省長官は思った。彼はこんな地位に就いていたから、軍事のプロではあったが、二〇〇三年くらいの同じ地位の者とは違い、オタクではなかった。

「つまり、カタパルトはそれほど重要な機密だったと?」

 総理大臣は浦賀の長々とした話を遮って聞いた。

「いえ、そこまでとはいかないでしょう」

 浦賀は内心に憮然としたものを感じつつも、職業意識できっちりと答えた。

「フランスの空母のカタパルトは上記の事情によりアメリカ製です。が、じっくりと時間と金をかけ、実験を重ねれば、スチームカタパルトの設計は不可能ではないのです」

 ですが、今現在我が国が開発している電磁カタパルトは、米国の技術給与あってこそ実現したのですが、と付け加えた。

「当時の日本の防衛費は酷かったから――ああ、ごめんなさい――まともに開発してたら完成は当分先だったでしょうね」

「アメリカは日本に空母を持ってほしくて仕方が無いのですよ」

 防衛省長官が横から行った。それは、客観的事実であった。

 アメリカ合衆国が、単独で世界を牛耳れる位置から滑り落ちたのは、誰もが知るところだった。四〇〇年続いたローマ帝国に対し、ソヴィエトの崩壊以後真の、世界の支配者となった米国がその地位を維持していた期間は二十年にも満たなかった。空母を二隻失い、多くの死傷者を出し、幾つもの艦を沈められた米国は、完全に自身を失っていた。

 本来ならば、それらの被害は、戦争の規模からして仕方のない被害であった。むしろ、その程度で済んだことが奇跡なのだ。

 しかし、今までほとんど全ての戦いで完全勝利を成し遂げてきた米国軍は、その被害を、合衆国終結の速報なのだと信じて疑わなかった。大統領や国防総省(ペンタゴン)も、同様の判断を下していた(まぁ、ペンタゴンが当てにならないのはいつものことだが)。

 アメリカの対外戦略が変化したのは、その時からだ。米軍は海外に点在する軍を引き上げ、軍縮を行い、自国土を護ることに専念した。今までの合衆国を知っているものが見れば、信じられないような話だった。あの合衆国が、なのである。

 しかし、歴史から見れば、初めてのことではなかった。合衆国初期の体制であるモンロー主義は、他国との係わり合いを絶対的に拒否していた。要するに今の合衆国は、昔に戻っただけの話だった。

 だがアメリカは、代わりの手段を用いて、世界を統治する方法を考え出した。

 それこそが、同盟国に世界の治安維持を一部負担させる方法だった。

「日本の国防力が、アジアの治安維持に繋がるから、ね。ふん、韓国や中国だってあるじゃないの」

「韓国や中国は不味いですよ」

 浦賀はあっさりと言った。

「中国は、中共と果てしない抗争を繰り広げてますから、下手にてこ入れしたりすると、東アジアが大変なことになります。場合によっては核の冬すら考えられます」

 深山と財務大臣が嫌な顔をした。戦争は、遠く離れた地であれば(人道的見地に立たぬとして)歓迎すべきことだが、周辺で巻き起こったらとんでもないことだ。それが、核兵器保有国同士の戦争となればなおさらだ。

「韓国は、話になりません。多少良質の装備は持っていますが、彼の国が拮抗できるレベルの敵は、北側の国までです」

「第一韓国は、世論が反米に傾いているからね」

 防衛省長官が付け加えるように言った。

「東南アジアも、安定しません。テロが未だに横行するような場所なんて、米軍の行動を代替わりさせるにはあまりに貧弱すぎます」

 浦賀は聞こえていないかのように続けた。

「だからこそ、日本」

 総理大臣は抑揚のない発音で言った。

「ええ、そうです」

 浦賀もそれにあわせた。

「だから、こんなに親切にしてくれるわけ?」

「安保条約(日米欧安全保障条約)はまさにそれなのです。相互安全保障を位置づけたのがその証左です」

 日米欧安全保障条約とは、戦後、日米安保条約の破棄後にEUも含めて締結された相互安全保障条約だった。日米EU諸国、そのうちのどれか一つが攻撃を受けた場合、他の全ての条約諸国がその国側にたって参戦する必要がある。どれかの国が攻撃を仕掛けた場合、他の条約諸国は最低でも中立を守らなければならない、という条約だった。

 この条約を見ると、どうしてアメリカが他国に干渉しなくなった、だなんて言えるんだ、と思えるかもしれない。何せ日米欧安保条約(新安保と呼ばれる)は、完全な軍事同盟なのだから。

 しかし、これこそがアメリカを、そして条約加盟国を他国の攻撃から守っているともいえる。

「世界でもトップファイブに入る国々が手を取り合ってるんですからね」

 防衛省長官は言った。

 そういうことだった。日米欧とは、軍事力で(経済力でも)世界のトップを行く国々に他ならない。アメリカは、多少落ちぶれたとはいえ、未だに世界第一位の軍事大国であることは間違いない(量はともかく、質では、数が減り、部隊全体の士気が高まったことで、また、少ない人数ゆえ高性能装備を施せるため、戦前よりも格段に向上していると言える)。日本は、戦後からは空母まで保有し、核こそ持っていないものの、世界最高クラスの(それも戦場(コンバット)経験(プルーフ)を持った)兵器を多種保持する。量は多くは無いが、質は世界最高と(おそらく米軍以上と)言われている。特に士気の高さが著しい。EU諸国も同様だ。どの国も、その古い歴史は戦いで満ちており、特に英独の部隊は第三次大戦でも活躍し、精鋭と名高い(何しろ、彼らは英国人とドイツ人なのだ)。

 そんな三カ国が(EUは国家集合体だが)組んだ相互安全保障条約。そんなところに攻撃を仕掛けるヤツは、莫迦か阿呆しかいない(悲しいのは、その莫迦や阿呆も全くいないわけではないということだが)。

 つまり、日米欧安全保障条約とはそういうものなのだ。もちろん軍事同盟であるが、一番効果を期待するのは抑止力だ。核兵器を保有する国を三つも内包し、世界最強の装備、練度の部隊を保持する軍事同盟。確かに、抑止力としてみればこれ以上のものは無かった。

「そんなことだから、アメリカも、日欧の戦力倍増には賛成なんです。この前も、多足戦車の共同開発の恩恵で、幾つか技術を給与してもらいましたしね。いや、アメリカは流石ですよ。どんなに零落し落魄しても(というほど落ちぶれてもおりませんが)、その技術力はやっぱり世界をリードしております」

「たいしたものね」

 総理大臣がいう。防衛省長官は当然と言う顔を作った。

「ところで、浦賀君」

「何でしょうか?」

 総理は浦賀を呼ぶ。彼は直ちに答えた。

「多足戦車って、結構前に実用可能なものが作られたって聞いたんだけど」

 浦賀はああ、と呟くと、

「あれは脅し(ブラフ)のようなものですよ。いや、実験機と言う方が正しいかな」

 と言った。

「確かに、実用には耐えられますよ。実際に動きますし、武装を搭載したら戦争も出来るでしょう。しかし、巧く動かすことは出来ません」

「それは、あれ? 人員の育成とか、操縦訓練とかの問題?」

 総理が言うと浦賀は、まぁそんなところですと、答える。

「メッサーシュミットMe262のようなものですから。実験機(イコール先行量産型です)は全部で三十輌。うち、稼働率は九十パーセントを超えていますが――」

「九十六パーセントだよ。情報は正しく」

 防衛省長官が口を挟む。浦賀はばつの悪そうな顔をして、続けた。

「ええ、九十六パーセントです。しかし、今の時代、稼働率が高くて人員の練度が充分なら動くと言う問題でもなくなってきています」

「と、言うと?」

 総理ではなく財務大臣が訊いた。彼はかねがね、軍事的なことに興味を持っていた。だが、多くのものはそれを知らなかった。浦賀もそうだった。彼は意外そうな顔をして、しかし自分の任務は忘れずに続ける。

「ええ、コンピュータの……それも、ソフト問題なんです」

 浦賀はそう言った後、防衛省長官をちらりと見る。何処まで言ったものかと、訊いたのだ。彼の情報の中には国家機密級のものも含まれている。総理はいいとして、財務大臣に言っても大丈夫だろうか。そういう意味だった。

 防衛省長官はそれに気付き、顎を振った。かまわない。好きなように言え。

 浦賀は意味を取り違えなかった。続ける。

「今度の多足戦車には、アームスーツのものと同種の人工()知能()を搭載します」

「それは知っているわ」

 総理は言った。彼女は就任のすぐ後に自衛隊を訪れた際、アームスーツに乗せてもらったことがあった。Bタイプ、つまり巨人のような大きさを誇る十四式だ。

 彼女は最初、アームスーツ乗りすぐに育成でき、そんなに難しい任務ではないと思っていた。自分の体の延長線上に考えられるスーツ内で手足を動かすだけなのだから。

 しかし、その考えは間違っていた。確かに、アームスーツを自分の体の延長線上と考える点は正しかった。しかし、だからこそ。アームスーツの操縦には大きな体力を使うのだ。

 アームスーツは着た者の動きをトレースして動くわけだが、もちろん、一〇〇パーセント忠実に再現するわけではない。狭い機体の中でバタバタと手足を動かすことは出来ない。だから、着用者の動きを増幅して動くわけだ。着用者が腕を十五度動かせば、アームスーツは三十度動かす、といった具合に。もちろん、この比率は好きなように調整できる(これを倍力値という)。

 初心者には、これが操縦の大きな壁となる。動かす大きさと動く大きさの違いに、なかなか慣れることが出来ないのだ。総理もそうだった。一歩目を踏み出したところで転んでしまった。

 そんな彼女のアームスーツ操縦を助けてくれたのが、AIだった。アームスーツに搭載されたAI(コウと言う個体名だった)は、すぐさま彼女が初心者だということに気付き、着用者の動きとアームスーツの動きの比率(倍力比と言う)を最低レベル、つまり一対一に最も近い値に変えたのだ。その後も、重点移し変えの時(つまり歩く時)のアシストなどを行い、彼女が転ばないように、怪我をしないように手伝ってくれたのだ。

 それ以来彼女は、全ての戦闘兵器にAIを搭載してしまえばいいと考えていた。極端な考え方だったが、あながち間違いでもなかった。事実、自衛隊の多くの戦闘機(要撃機)とヘリコプターには、同じくAIが搭載されているのだ(それにも関わらず、未だに戦闘ヘリや攻撃機が二人乗り(タンデム)な理由は、AIの信頼性の問題だ。人間ほど確実な動作が期待されていないのだ)。

 だから、多足戦車にAIを搭載すると聞いたとき、彼女は当然という気分だった。普通の戦車なんかよりよっぽど動作の複雑(だと彼女は思った。そして、それは事実だった)な多足戦車に、ロボット大国、人工知能大国たる日本がAIを搭載しない方が、むしろ変だった。

 浦賀は総理の言葉を聞き、彼女が安全保障問題にもしっかり気を配っているのだと再確認した。彼女は確かに安全保障問題も蔑ろにはしていなかったが、言葉を誤解していた。

「そうですか。ええ、ならば話は早いです。つまり、AIの育成も必要なのですよ」

 総理は、ああと、呟く。

 そう、AIだって完全に机上でプログラミング出来るわけではない。実際動かしてみて、ハードと連結してあらゆる情報を“教育”してやらないといけないのだ。世界初の自己成長型ニューロチップ(奥多摩研究学園都市で開発された)を搭載しているとはいっても、言葉を知らない子供に数学や理科を教えても意味が無いように、基本的なことをいろいろと教えてやら無ければならない。また、野球のやり方を知っているだけでは野球が出来ないように、実際に多足戦車に搭載してそれぞれが実際にどう動くか、実戦ではどういう問題が出るかを教えてやらねばならない。

「AI教育は既に九十五パーセント完成しているのですがね」

 防衛省長官が口を挟む。

「何が問題なのですか?」

「簡単です」防衛省長官は言った。

「まず、改良点が多く見つかりました。乗り心地の問題から、砂塵対策まで。まぁ、それはたいした問題ではありません。既に解決したものと考えています。予算さえあれば――」

「その分の予算は成立させますよ。ええ。もちろん。連合与党の影響力を甘く見ないで下さい」

 防衛省長官は、それはどうもと、返す。総理は財務大臣をちらりと見た。財務大臣はびくりとした後、黙って頷いた。

「そして、もう一つの問題なのですが」

「ええ、何ですか?」

 防衛省長官はいいにくそうな顔をする。

「このままでは多足戦車AI開発は、永延に九十五パーセントの段階で頓挫します」

「どういうことです?」

 総理がすかさず訊く。防衛省長官は意を決したように話す。

「つまり、兵士を――というか兵器を完成させる最後の段階が抜け落ちているのです」

「それは何ですか?」

「実戦です」

 総理は驚いた顔をした。なんということを言うんだ、という雰囲気だ。財務大臣、深山も同様だった。しかし、浦賀は当然と言った顔をしている。

 その浦賀が補足した。

「戦闘経験(コンバット・プルーフ)の無い兵器ほど危ういものはありません。ほら、八九式小銃。あれが、イラク派遣の際に砂塵のせいで動かなくなったじゃないですか。あれみたいなものですよ」

 そう言いながら彼は、サマーワを思い出した。かつての偏狭の村(とはいっても、州都だが)は、自衛隊駐屯による逸早い治安維持体勢を確立し、それに伴う日本企業の進出により、現在の、イラクの主要都市のひとつに成り上がっている。近くに油田と製油所があるため、工場を動かすのにも困らないのだ。

「実戦で使ってこそ、その真価がわかるものなのです。例えば昔のアメリカの場合、中東(イスラエルや新米的な中東諸国です)に兵器を売って、それで実際、そう、当時のソ連相手に使えるかどうか確かめていました。いえ、どの国でも同じようにしていました。つまり中東は、兵器の見本市みたいなものだったのです」

「今や日本も同じようなものだがね」

 財務大臣が言う。日本が中東や東南アジア、東欧に武器を輸出していることを言っているのだ。

「何を言っているのですか」

 防衛省長官は芝居がかった調子で言う。

「国防のための武器が充分で無い諸国に、良質の兵器を低価格で売ってあげているのではないですか」

「七四式とかですね」

 財務大臣が過去に売り払った戦車を思い出しながら言った。

 自衛隊は戦車の数を八〇〇輌程度に削減していた。それらは全て、僅かな七四式、九〇式、〇六式、〇七式で占められている。では、二十一世紀になったばかりの頃にはあんなにあった七四式は一体何処に言ってしまったのか。

 その答えがそれ、全て売った、だった。時代遅れの暗視装置(赤外線を撒き散らすタイプの第一世代暗視装置)を新型のもの(パッシヴ式赤外線暗視装置で、第三世代)に付け替え、射撃統制装置(FCS)も新型に変え、その他あらゆる部分を付け替えて、売却してしまったのだ。価格は、無いよりマシな程度だった。しかし、日本政府は気にしていなかった。もともと、たいした利益を求めて売却したわけではなかったからだ。フリーマーケットのようなものだった。七四式は古い戦車だが、上記の用に改造すれば、(ソ連製の)第三世代戦車とすら対等に戦えるのだ。

 売り先は主に中華民国と東南アジアだった。七四式の機構は、中東のようなだだっ広い砂漠で使用するには適していない。

 なお未確認の情報だが、ソ連国内で七四式を見たと言う情報が入ってくることがある。鹵獲戦車とされているが、真偽は不明だ。

「そうだな。しかし、多足戦車を七四式と同じに扱うことは出来ないよ」

「最新型ですからね」

 浦賀が言うと、まぁそうだなと、防衛省長官は呟いた。

「それだけでもないがね」

「と、言いいますと?」

 総理が訊くと、防衛省長官はうーんと唸り、

「まぁ、簡単に売却は出来ませんよ。AIは最高機密ですから」

「ブラックボックスを外して売却は無理なんか?」

 今度は財務大臣が訊いてくる。答えたのは浦賀だった。

「それは無理です。多足戦車は戦闘機のように、ハードとソフトを切り離すことは出来ません。その戦車専用に作られたAIで無いと、巧く動かないのです」

 ここまでの会話から解るとおり、日本国は、外国に一片の信頼も置いていなかった。

 かつて、日本にイージス艦や戦闘機を売ったアメリカは、重要な技術の詰った機械をブラックボックスとして解析・生産を禁止したものの(アメリカで生産して日本が輸入した)、その部分を外すことはしなかった(グレードダウンはしていたかもしれないが)。しかし日本は、中華民国を主とした数カ国に武器類を輸出する際、ブラックボックス部分を完全に別物に交換して売却していた。

 これは、中華民国の違法コピーを警戒したものだった。

 同盟国に対する態度としてはあんまりでもある。しかし日本は、過去の対中・対韓・対台輸出の経験から、これらの国が兵器で違法コピーを行うことを確信していた(中華民国とは、台湾と中共の一部が合わさったものなのだから)。だからこそ、日本の防衛産業は、自衛隊及び信用の置ける日本にとって重要な国への輸出用のブラックボックスと、信用の置けないもしくは日本にとって差ほど重要では無い国への輸出用のブラックボックス(ただし、こっちは解析されることを前提にしていた)の二つを生産し、売却先にあわせて積み替えていたのである。もちろん、後者は前者に比べて大幅に性能を低下させるし、前者にしたって、輸出向けは性能を下げていた(ただし、これはどこの国も同じ事をしている)。よって、同じ日本製の兵器でも、自衛隊の物と諸外国のものは微妙な違いを持っているのである。

 ちなみにソ連も、日本と同じような手法で消耗兵器(戦車など)を売却していた。これはモンキーモデルと呼ばれている(極東方面の共産国が使うのもこれだ。完璧なものはソ連国内か、ソ連と友好な国の国内にしかない)。

 そういうことだから、日本の防衛産業はコンピュータ部分の解析の困難さで知られているのである。

 しかし、多足戦車にそれを適用することは難しい。多足戦車はその構造の複雑さから、単純な起動機構すらブラックボックス級の技術を使用することになる。そして、その技術を“旧式”のものにするには、実戦経験を積ませてもっとデータを集めるしかないのだ。

その後防衛省長官は、いえまぁと、呟き、

「AI研究が進まないのは、AI技術者が別々に違うAIを研究しているせいもあるのですがね」

「どういうこと?」

 総理は不思議そうな顔をして訊いた。日本の防衛技術開発につぎ込む資金は、戦前よりははるかにマシとはいえ、けっして充分以上では無い。いや、充分かすらどうか怪しいくらいだ。

 そんな中で、AIを別々に開発する意味などない。AIは、それを搭載する兵器によって構造が変わるとはいえ、基本的な部分は同じようなものだし、音声入力システムや自己教育システムなどは、かなり共通のシステムが使用できるはずである。加えてハード面でも同じようなシステムが開発でき、それによって同じラインを使用した生産や修理時の(AIハードなどという繊細なものを現場で修理できるかどうかは別として)部品共有化にもつながり、全体的に費用効果(コストエフェクティヴネス)を生み出すはずである。

「まぁ、陸海空の意地の張り合いと言うか、なんというかですね」

「それは、昔からよくある軍隊同士の対立と言うヤツですか? 旧日本軍の陸海軍が互いの航空隊で人材や装備を奪い合ったように」

「まさにそれですね」

 防衛省長官は頷いた。ちらりと浦賀を見る。浦賀は視線に気付き、こくりと頷いた。口を開く。

「現在自衛隊は陸上・海上・航空自衛隊に分かれておりますが、それぞれを統括する強力な部署はありません。統幕は、それに近いですが、統合幕僚会議長はあくまで議長であり、自衛隊に対する直接的な命令権は持ちません。よって、兵器開発も陸海空の装備が別々に開発されております」

「待ってください」

 総理大臣は言った。

「技術研究本部は、技術研究本部長の下で統括されているはずですよ」

「ええ、まぁ、そうです」

 浦賀は肯定した。

「しかしですね、今では残念なことに技研内部でも陸海空の勢力争いが起きて、AIにおいては互いの研究内容を共有しないような事態に陥っているのですよ」

「信じられませんね」

 総理大臣は呟くように言った。心中お察ししますと、防衛省長官は言った。

「何とかなりませんかね?」

 総理大臣は浦賀に訊く。

「総理、貴女のお考えは?」

 浦賀は逆に総理大臣に訊いた。彼女がどれほど事態を理解しているか推し量ろうとしたのだ。

「対立幹部の排除、ですかね」

「ええ、私もそれが良いと思います」

 浦賀は首肯した。

「問題は方法です。防衛省長官、貴方の考えは?」

「簡単なことです」

 防衛省長官は当然の如く言った。

「自衛隊を統合すれば、それで終わりです」

 浦賀はううむと唸った。総理大臣は顎に手を当てて考え込む。財務大臣はどこか遠くを見るような目をしているので、自衛隊が統合した際の支出の変化でも計算しているのだろう。

「たとえ自衛隊を統合したとしても、中の人は変わらないのでは?」

 しばらく考えていた総理大臣は、確認するように防衛省長官に訊いた。

「いえ、統合させたら左遷すればいいのです。統合とは、自衛隊内の意識改革に過ぎないのですから」

 防衛省長官は答えた。つまり、ただ単にAI研究を一本化するだけなら、高級幹部を左遷すればいいだけなのだが、それでは、自衛隊員たちの意識は全く変わらないので、同じことが繰り返されるだけなのだ。よって、自衛隊を統合して組織同士の対立意識を無くそうというのだ(成功するかどうかは微妙なところだが)。

「よろしいですか」

 総理大臣が再び黙ったところで、財務大臣が発言した。

「はい」

 防衛省長官は頷いた。

「自衛隊統合と言われますが、具体的に何をするのですか?」

 防衛省長官はそれを聞き、困ったような顔をした後、浦賀のほうを見た。この場合、どちらが説明するのが適切か視線で尋ねたのだ。浦賀はそれを察した。

「では、私から」

 浦賀は軽く手を上げると、説明を始めた。

「自衛隊の統合と言うのは、何のことはありません。簡単に言えば、陸海空の幕僚監部の上に新しく統合幕僚監部(仮称です。お好みならば参謀本部でもかまいません)を設けるだけです」

「それだけなのか?」

 財務大臣は驚いたように聞き返した。

「いえいえ、もちろん違います。大きな改革としては、これは防衛省長官の提出された統合後の組織図計画にもあるのですが、陸上自衛隊の方面隊制度を海自と空自にも適用します」

「どういうことだ?」

 浦賀は、ですからと言って続けた。

「方面隊指揮下に、その方面隊内に基地――失礼、海港と空港を持つ海自と空自を入れるわけです」

「すると、方面隊長は海自や空自の幹部がなることもありうるわけか」

 財務大臣が言うと、浦賀は頷いた。

「そもそも自衛隊を統合すれば、陸海空の差なんてほとんどなくなるはずです」

「それで」

 浦賀が少なくともこの場で伝えるべきことを言ったのを確認して、総理大臣が訊いた。

「命令系統なんかにも、多くの変化が起こるのでしょう?」

「ええ、もちろんです」

 浦賀は頷いた。

「まず、自衛隊の指揮系統ですが、皆さんお解りのとおり、今までのように陸海空別にそれぞれの幕僚長に防衛省長官が大まかな指示をするのではなく、たった一人統合幕僚長に全ての指揮を任せればいいことになります」

「各幕僚監部はどうなるの?」

 総理大臣が重ねて訊いた。

「幕僚監部は、それぞれが持っている自衛隊の戦略的運用の権限を解かれます。ただし、それぞれの陸上・海上・航空部隊の最高指揮機構であるという点は変わりませんから、有事における戦術的指揮機構という点ではその存在を残すでしょう。当然、組織は大幅に縮小されますが」

「有事における戦術的指揮機構?」

 総理大臣が不思議そうな声を出した。

「それだと、方面隊の指揮と関渉してしまいませんか? 方面隊は陸海空の全ての部隊を指揮する権限を与えられるのでしょう」

「ええ、そうなるでしょう」

 浦賀は質問を半ば予想していたように言った。

「しかし、要は権限を行使する事態を明確に分けておけば良いのです。例えば、その地方を防衛する場合は方面隊が、多くの部隊が集結して共同作戦を取る場合には幕僚監部が、と言うように。当然、平時は全て方面隊に委ねます。兵站(敢えてそう言いますよ)業務すら、方面隊別でやっても良いかもしれません」

「なるほど」

 総理大臣は納得したように頷いた。

「それだと、組織の無駄が大分消えそうやね」

 財務大臣も言った。計算が終わったようだ。

「それぞれの司令部を統合するのだから、幕僚の数は増えるけど、その分指揮官の数が減るから、全体的に経費節約になるよ。補給物質(輜重物資って言うんだっけ)の輸送も纏めて行えるから、よけいにだ」

 浦賀は二人の満足げな言葉を聞き、頷いた。

「問題は」

 防衛省長官が、言葉の合間を見て言った。

「統合の際の混乱をどう収めるか、だ」

 総理は黙る。たしかに、そのとおりだ。何か機関を作ると、必ず上手くいかないことが起こる。そして、それをゼロにすることは、人間の限界から言って不可能なのだ。人間には欠点があり、欠点があるものは欠点の無いものを作ることは出来ない。そういうことだ。

 つまり、防衛技術庁の内部には陸海空それぞれの新派が存在し、それらが好き勝手、しかし別々に開発していると言う話だ。いや、それはそれでかまわないのだ。しかし、本来ならあるべき技術交換も行っていないとなると、問題であった。

 そしてそれに協力する民間企業も、また、それぞれの新派に属するのだ。不味いと言う外なかった。本来ならば全体が協力して行うべき事柄が、兵科の違いから対立しているのだ。そして、過去日本は陸海軍が対立したことにより、国を滅ぼしかけたことがあった。総帥権による陸海軍の完全独立、及び陸海別の航空隊による予算と人材の奪い合い。特に後者は、今回の件に似てないとも言えない。予算と人材を奪い合っているところなどそっくりだ。

 故に、過去の二の徹を踏まないためにも、今回の問題を解決しなければならなかった。陸海航空隊の対立を航空隊の統合、つまり空軍(航空自衛隊)の設立で解決できたとする考え方で行くならば、今回は、AI研究を統合すればいいという話になる。

「まぁ、とにかく」

 防衛省長官がちょっと大き目の声で言う。この会議――日本の防衛の今後を決める非公式な話し合い――を締めくくるつもりだった。

「全自衛隊の軍令面における統合。これが、最重要課題です」

 

 

 

 

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