2017年 1220

 

 会議は踊る、されど進まず。

 ウィーン会議の状況を表した言葉だったかしら? 霧島未来華二等陸佐は、防衛省で催された統幕会議の場で口に出さずにそう思った。仕方が無い行動だった。会議は、まさに「踊るが進まず」といった状況だったからだ。

 その広い会議室には、二十人を越える人間が集まっていた。統幕長と、陸海空各幕僚長、そしてそれらの幕僚(変な言い方だが)、最後に防衛省長官。要するに、日本の防衛関係者が勢ぞろいしているということだった。

 今ここをテロで爆破されたら、日本の防衛関係は終わりよね。一応防衛省長官直轄の部隊の幕僚ということになっている霧島は、隊長の川内と共にこの会議に出席していたが、会議の内容があまりに下らなく――つまり全く無意味としか思えない言葉の押収に過ぎなかった――、すっかり暇になっていたので、そんな考えすら捏ね回していた。もちろん、全く意味の無い仮想だった。この場所のテロ対策は、日本の中で皇居以外のいかなる場所よりも高いのだ。

 

「つまり、FV2の生産はむしろ速めた方が――」

「いや、戦闘攻撃機ばかりに資金を注ぎ込むわけにはいかない! まずは――」

「支援戦闘機だ! 我が国に戦闘攻撃機などと言う兵器は無い!」

 霧島はほんの少しだけ会議の内容に耳を傾け、後悔した。こんな感じの会話が延々と繰り広げられているのだ。ちなみに加えるならば、支援戦闘機FV2の生産数は既に決定されている。

 視線を感じた。霧島はそっちを見た。川内だった。今夜いいかな……? もちろん違うだろう。

 

―――面倒くさいねぇ。

 

 視線からはそんな意思が感じられた。珍しいことに、全く同意できた。しかし……。

 

―――私にどうしろって言うんですか。

 

 睨み付ける視線に、そういう意図を込める。川内は正しく読み取ったようで、肩を竦める真似をする。人生我慢も大切だよ、そんなことを言っているように見えた。何故だか無意味にムカついた。

 霧島は地雷を踏んだのを、足を地面から離す前に気付いた気分を抱いた。小さく溜息を付くと、視線をテーブルの反対側にある窓に合わせる。空は快晴。冬の空気は乾いている。

 春までどのくらいかしら?

 そんなことを思いながら、去年の春を思い出した。去年の春。特筆すべき事件も……。

 あった。一つあった。

 頭の中にとある人物を思い浮かべる。頬が紅潮するが、気にしない。気付かない。

 素雪・ヴァレンシュタイン三等陸尉。情報収集団第1中隊所属の自衛官だ。特別師団第11連隊からメンバーで、能力は折紙付き。弱冠十七歳にして自衛隊のエリート足る証レンジャー徽章と空挺徽章の両方を所有する、ある種の天才だった。

 だがしかし、彼が何時から自衛隊にいるのか、霧島は知らない。いや、川内すら知らないかもしれなかった。おそらく、情報収集団長である紫尊三将は知っているだろう(三将というのは、自衛隊改変で新たに創り出された階級だ。今までの将補は、少将から外国でいう准将の立場に格下げされ、陸海空将は一将から三将までに分かれた)。

 彼の過去の記録は改変されていた。行ったのは紫尊三将と、おそらく麻丘二佐だろう。難しい話ではない。統幕もしくは陸幕に働きかけ、人事部で改変を行ってしまえば良い。今のところ彼は、書類上では二十三ということになっている。まぁ、そもそも彼の年齢が本当に十七かも微妙なところなのだ。十六かもしれないし、十八かもしれない。

 素雪だけではない。紫三将は、情報収集団や情報本部に属する、過去が表に出せない人員の多くに、過去の改変を行っていた。素晴らしい手腕だった。彼女の豊富なコネクションを利用した履歴改竄で、自衛隊に属する者が、少ないながらも、自らの過去を己の胸の内のみに留めざるを得なくなっていた。霧島もその一人だった。

 だが、それは霧島にとって、大したことではなかった。彼女は、彼女の立場が自衛隊員というものになった瞬間から、いやその前から既に、過去を葬り去られていたからだ。年齢も、生年月日も、出身地も。名前だけは残してもらえたが、それは、その名を知るものは決して自衛隊の、すなわち日本国の敵にならないと確定しているからだ。

 そして、霧島はそれにもう慣れてしまった。だから、他の人も同じようなのだろうと決め付けていた。全ての人間が彼女と同様に強いわけではないのだということに、彼女はまだ気付いていない。

 そんな霧島と素雪、同じ過去を失ったもの同士が始めて出逢ったのは、春も終わりを迎える六月の初めだった。

 霧島は、会議内容に一度だけ、心を戻した。

「支援戦闘機とは海上の目標も攻撃対象としており――」

「そんなもの、戦艦に任せておけばいいではないですか!」

「すみません。日本どころか世界のどの国も、戦艦など所持しておりません。そもそも戦艦とは――」

 直ぐに注目の対象から外す。再び、考えを自身に向けた。

 そう、あれは二〇一七年の六月。日本国の治安が極端に悪化している時期だった。

 

 

 治安が悪化しているとは言っても、それは、国内で頻繁にテロが起こっていたとか、そういう意味の“治安の悪化”では無い。

 二〇一七年といえば、第二次中国戦争が終結したばかりだった。それゆえに、極東での、いや、全世界での諜報業界は荒れていた。具体的に言えば、日本の防衛情報本部及び内閣情報調査室――今の内閣情報調査庁の前身だ――は、その年に入ってから既に六人の諜報員を失っていた。

 六人。これはかなりの数だった。何故ならば、普通、諜報組織とは血を流すことを極端に嫌うからであった。特に、互いの国の諜報員に攻撃を仕掛けることなど滅多に無い。そんなことをすれば、互いに果てしない血の流し合いになってしまうからだ。普通は、例えば資産(アセット)となった――要するに買収された売国奴を左遷したり、偽情報を摑ませたりして対抗する。

 だがそれが、資産でない人員を――つまり日本政府が“育てた”人員を六人も失ったのだ。まさしく、普通ではなかった。

 そして六月に入り、最悪の事態が起きた。

 日本国内で諜報員が殺された。

 これで、日本中の情報業界は大騒ぎとなった。殺しの手口は大胆だった。民間人に成りすました特殊部隊を、個別にさまざまな手段で日本へ送り込み、日本の暴力団や現地テロリストより武器を調達し、暗殺したのだった。いや、強襲に近い。何せその諜報員は、家族共々、銃殺されていたからだ。二人の娘は両方とも強姦されていた。

 これに対して日本政府は、情報本部は、強気の態度に出た。敵特殊部隊をロシア人及び中共人だと突き止め、その両方に、つまりソ連と中共に、諜報員及び有力政治家、党幹部、高級将校を狙ったテロを仕掛けた。もちろん、現地のレジスタンス(要するにテロ組織)に武器を給与し、人員を送り込み、実行したものだった。

 作戦は完全な成功を収めた。巧妙に隠されたレジスタンスの武器給与元が日本であるという証拠を、ソ連と中共はついに?むことが出来なかったし、もちろん自作自演など出来るわけも無い。日本がすぐさま、自作自演であるという証拠を見つけるか、作るかしてしまうだろうから。

 また、送り込んだ人員も、誰一人として捕虜にならなかった。約一名、死亡しただけだった。

 ただし、当然のこと、自衛隊はこれで終わりとは考えなかった。おそらく、敵が反撃してくるだろうと考えた。

 よって、重要人物にはすぐさま護衛が付けられた。それは、陸海空将クラスの自衛官に留まらず、情報関連・特殊部隊関連の佐官幹部自衛官にも及んだ。

 霧島未来華三等特佐(当時)も、その中に含まれていた。

 

「護衛……ですか?」

 私は、たった今川内道真一佐から聞いた言葉を鸚鵡返しに唱えた。

 場所は、座間駐屯地のいつもの部屋。連隊本部用の、三十人くらいが入るオフィスルーム。今のところ、川内さんと私しか室内にはいない。他の人は、外出しているか、防衛省で何らかの交渉をしているか、または人に言えないような任務に就いているか……。いや、情報幕僚と通信幕僚は、昼から出勤するって連絡があったはずだ。

「そ。護衛。ただ、君は今三佐だから、そんなに豪華な護衛は付けられないけどね」

 川内さんはいつもどおりの、本心を見せない表情と声で、そういって見せた。この上官と出会って既に二ヶ月は経つが、未だに心を許すことは出来ない。というか、信用が置けない。

「ちなみに僕の護衛は、黒服のSPが二人に、私服の、僕も名前を知らない自衛官が一人。君は……私服が一人ってところだろうね」

 川内さんはそう続けた。私は少しだけむっとして、言った。

「護衛なんて、必要あるんですか?」

「おお、乙女よ。何を言うんだい」

 川内さんは芝居がかった調子で切り返す。とは言え、彼がこういう風な言い方をする時は、冗談じゃなく真面目な時もあるので、いい加減に聞き流せない。迷惑なことだ。

「いま僕らの治安が悪化しているのは知っているだろう。銃を持って問題解決する奴らが異様に多いのさ。こんな中で護衛もつれず歩き回るなんて、自殺行為だよ」

 確かに、川内さんの言葉にも一理あると思った。

 今月に入って、もう数人が殺されていた。三人は十日前のテロで、だったが、他の者は“事故死”している。

「ただ、上の理解がなくて残念だ」

「理解、とは?」

 私が聞くと、川内さんは当然という風に答えた。

「君だって、我々の組織の重要性と、危険性は解っているだろう。ならば、第11連隊の本部組織は、何よりも狙われるはずだろう。僕も、君もね。僕はそれなりに充分な扱いを受けているけど、君たち幕僚は……」

「要するに、護衛が足りないというわけですね」

 私が答えると、川内さんは満足したように頷いた。

「それで」次に、当然の質問。

「うん?」

「だから、それで如何なる対応を取ったのですか? 貴方は」

「ああ」

 川内さんはやっと理解した、という風な顔をした。もちろん、演技だろう。

「うん、だからね。質を上げてもらうことにしたよ」

「質を?」

 私が意味を図りかねて聞き返すと、川内さんは頷いた。

「うん。護衛の人員は、第11連隊第4小隊から選出する。君には、中でも特別の選りすぐりを付けておいたよ」

 

 

 

 

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