2017年 1220

 

 

 霧島は、本当に寝てしまおうかと考えもした。会議の内容は、理解できない五時間目の授業のような様子を呈していた。

「つまり、あんたは戦車を無くせば良いというのか?」

「そうは言わんさ。ただ、もう少し重ASに力を注いだほうが……」

「戦車は抑止力として必要ですよ」

「わかっとる! だから無くせなどとは……」

 

 霧島にとって、会議の内容が理解できないわけではなかった。ただ、会議をする意味が希薄としか思えなかった。会議に参加している者たちは、議題の審議よりも、他人の言葉尻をあげつらって自分の内心での自らの立場を向上させたいもの達ばかりだった。

 議題そのものは悪くなかったが、その議題を議論していないのでは、議題に意味は無い。カレールーを入れ忘れたカレーというか、味噌を入れ忘れた味噌汁というか、とにかく、霧島にはそんな会議に思えた。

 そして何より恐ろしいのが、誰もそれに気付いていないことだ。

 戦争継続上、国家が戦争本来の意味について忘却してしまうということは、戦争の歴史を紐解くと、決して珍しくない。手段と目的の反転というやつだ。

 もちろん霧島にとり、その会議は聞くに足る魅力を一切欠いていた。

 そういうわけだから霧島は、会議の内容など聞いてはいなかった。彼女が考えていたのは、先ほどから思い出していた素雪との出逢いだった。

 

 

 素雪・ヴァレンシュタイン二曹――素雪さんは、寡黙な人間だった。私の行動に対し注意を促すことはあれど、雑談など交わすことはなかった。周囲に対して気を配っている為だろうが、私はどうにも納得がいかなかった。彼は、私をまさに護衛対象としか見ていなかったからだ。自衛隊員としては実に有能なのかもしれなかったが、そのときの私は彼から非人間的な印象を受けた。

 その部分が、当時の私はどうも気に入らなかった。

 見た目は、髪の色や肌の色、瞳の色は日本人ではなかったが、顔立ちが、なんとなく日系人っぽかった。

 それ故だろうか、年齢に比べて、幾らか幼く見えた。

 いえ、一般的な日本人から見れば、彼はまさしく十六歳に見えたでしょう。ですが、私は一度ドイツに行ったことがあり、子供のドイツ人とも会ったことがありました。

 素雪さんは、ドイツ人ならばむしろ十四歳程度に見えた。いえ、言われれば十二歳だろうと十八歳だろうと通るだろう。

 無愛想な子供、初日、彼に護衛されながら出勤した私が思ったことはそれだった。

 

 護衛開始から二日目、時間帯を外れているため人気の少ない電車の中。私たちは出勤時なので、普段着だった。私は白いブラウスにタイトなパンツ、素雪さんは紺色のジーンズに白いシャツ、上からゆったりとしたジャケット。

 周囲を一通り見回した私は、私の左前に立っている素雪さんに言った。

「素雪さん」

「なんでしょう、三佐」

 これだった。

 素雪さんは絶対に、私のことを“三佐”としか呼ばないのだ。私を個人としてではなく、護衛対象の自衛官という存在にしか見ていないかのように。

「……いえ、やはりけっこうです」

「そうですか」

 素雪さんは再び黙り込む。

 非人間的とはこういうことなのでしょう。その時私はそう思っていた。

 素雪さんの私に対する無関心さは、私個人に対してのものでなく、人間全てに対してのものなのだろう。要するに、他人に対してなんら思うところが無い。他人を、その行動を、命令遂行の障害かそうで無いかで判断し、障害ならばあらゆる、許容されうる手段を行使して排除し、そうでないなら関与しない。

 ……素雪さんは、まだ若いのに歴戦の傭兵と聞く。その経歴が、戦場の中で育ったことが、彼の人間としての感覚を麻痺させしめたのだろうと考えた。

 何故なら、普通人間はこういうとき、言葉には出さなくとも、相手の言いかけた言葉を気にするはずだから。しかし、素雪さんはそれについて何か思う素振りすら見せなかった……。

 他人に無関心イコール非人間的と、短絡的に決定することは出来ないが、少なくとも似たようなモノであることは疑いようが無い。

 

 電車が動き、車輪が線路の継ぎ目を越すたびにガタゴトと音がする。シートに身を預け、目を瞑ってしまえば、ちょうど言い子守唄になるだろう。

 もちろん私は眠れなかった。テロリストに狙われているかもしれないし、黙って誰かと(この場合素雪さんと)いると気まずかったから。もちろん、素雪さんは気にしていなかったふうだけど。

 だから、とりあえず私は、何か話しかけてみることにした。間が持たない、というのが自分用の理由。本意は……ただ単に、素雪さんのことを知りたかっただけかもしれない。

「素雪さん」

「なんでしょう、三佐」

 全く同じ答え。が、ある程度予想がついていたので気にならない。

「幾つか、訊いてもいいですか」

「はい」

 素雪さんの答えは明確で、淀みが無い。軍人として完璧な態度。

 職業軍人の態度で私的な質問に答えられるというのは、正直、気分の良いことではない。ですが、この時の素雪さんからしたら仕方の無いことでした。

「素雪さんは、何処に住んでいるんですか?」

「家ですか?」

 素雪は質問を反芻した後、周囲を注意深く見回した。盗聴器や、敵のスパイみたいなものを探しているのかもしれなかった。確認なんて常にしているのだろうが、危うい情報を言うならば特別に、ということかもしれない。いえ、わざとこちらが探っているという姿勢を示すことで、相手に恐怖を覚えさせることが目的なのかも。

 そして、安全だと判ったのか、少し安心した表情をして、質問に答えた。

「ええ、神奈川県です。横浜市の――」

 そういって素雪さんは、私の家からそう遠くない住所を言った。

「ああ、私の家に近いのですね」

「ええ。ですからこの護衛も、出勤途中に貴女の家へ寄るのはそんなに大変ではなかったのですよ」

 にこりともせずそういう。けど、どこか微笑んでいるようにも見えなくもない。彼なりの感情表現なのかもしれなかった。……私の都合の良い解釈かもしれませんけど……。

「そうだったんですか。しかしお互いに横浜住まいとは、世界は狭いですね」

「ええ、そうですね。……安保上の問題で言えば、我々のような職種の者が、ある地域に固まって住むのは好まざることなのですがどね」

 素雪さんは、本気でそう思っているらしく、言った。ただしそれは、職業意識だけが言わせたような発音だった。

「そう、ですか……。では、まだ訊いてもいいですか」

「はい、当然です」

 素雪さんは先よりも微笑らしきものを明確にして言った。会話することが楽しいと、少しでも思っていてくれたら、嬉しい。それが私が理由ならば、余計に。

「では、素雪さん、年齢は?」

「……年ですか。正直、よく分からないのです。十七前後だとは思うのですが」

 素雪さんの所在無い答えに、私は首をひねった。

「十七前後……というのはわかりましたが、よく分からないというのは?」

 素雪さんの顔が、少しだけ強張った。あの時も今も、この質問は、失敗だったと思う。古傷を抉るようなものだったのだろうから。

 しかし素雪さんは、義務感か何か判らないけれど、懸命に、言葉を紡ぎ出した。

「今覚えている限り、私の初めての記憶は、炎に包まれた村でしたから」

 言葉が返せなかった。

 

 

 

 

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